9.神話ですか、歴史ですか?

 萌香が、呆れ半分で疑問を口にすると、もう一人のメイドのほうが

「はい、私、知ってます」

 と、嬉しそうに言った。

 にっこり笑った彼女を改めてきちんと見た萌香は、彼女が思っていたよりも幼いことに驚いた。背が高く、ぽっちゃりしていて健康そうで、化粧をとった顔を想像すると、もしかしたら中学生くらいかもしれない。確かめると、やはり十四才になったばかりだという。


「ラピュータは、竜が支えてくれてるんですよ」

「竜?」


 萌香の頭の中に、グルッととぐろを巻いたマッチョな竜が、両手で都市をバーベルのように持ち上げている姿が浮かび、思わず吹き出しそうになる。


「お嬢様は、いろんなことを忘れてしまわれたんですよね。だから、子どもでも知っているエムーアのお話も覚えてないんですね」


 ニコニコと自信満々に話す少女は、自分の名前はモナだと名乗った。

「一条には一年前に入りました」

 はきはきとそう話すモナは、三日前から一条家の本宅に移動になり、今日はじめて「絵梨花」に会ったのだそうだ。

 村でも一番優秀だったので、こんなにいいところ・・・・・にくることができたというのが、モナの誇りだという。そんな、すべてのことが楽しくて仕方ないという様子がとても可愛らしいと、萌香は好ましく思い、彼女の笑顔につられて自然と笑顔になれた。

 だが同時に、こんなに子供のうちから働くことが普通の世界なのか、と内心衝撃も受ける。自分が知っている日本とは、色々なことが違う。車いすや天空都市以上に、萌香はそれを見せつけられた気がした。


 モナはおしゃべりが好きな女の子のようで、萌香が促せば色々話をしてくれる。

 竜がラピュータを持ち上げている話は、どうもこの国の神話に当たるもののようだ。


「昔、エムーア大きな大きな国でした。たくさんの竜たちに守られた国はとても栄えましたが、ある日大きな災害に見舞われバラバラになってしまったのです。大きかった大地は小さな島国となりました。そこで、当時の王様が守り神の竜にお願いをします。どうかこの国が消えないように守ってほしいと。そこで竜は王様の願いを聞き入れて、お城があった中央の島を空へ持ち上げました。それがラピュータです。竜は今でもラピュータから加護の糸を下ろし、エムーアを守っています」


 モナが一生懸命まじめに話すので、萌香もまじめにそれを聞いた。

 荒唐無稽だとは思ったが、モナはそれを信じていることが分かったからだ。実際、この世界では本当に竜の物語が「事実」なのかもしれない。だがその判断は、今の萌香にはできなかった。

 こっそり紅の様子をうかがうと、モナを見る目が幼い子どもをみるような眼をしている。それは、信也が小さかった頃、テレビのヒーローが本物だと信じているのに付き合っている母の眼に似ていた。


 話好きな少女から色々話を聞いてみたいと思った萌香は、部屋に戻る前、

「とても楽しかったわ。また今度お話を聞かせてね」

 と言うと、モナは嬉しそうにクシャっと笑顔になった。

「もちろんです! お嬢様」


   ◆


 部屋に戻って一人になった萌香は、のろのろとベッドに上がり、そのままうつ伏せになった。紅にも聞きたいことがたくさんあったが、ケガのせいで体力がなくなっているようで頭の中がふわふわする。これ以上起きているのが辛かったのだ。

 紅からも少し眠ったほうがいいと言われたので、萌香は昼食まで休むことにした。


 萌香はそのまましばらくウトウトしたあと、ふっと覚醒し、ぐるりと仰向けになって天井を見た。紅は退室したようで、部屋には誰もいない。

 天蓋の屋根部分は、カーテンと同じ布でできていた。厚みと光沢があって、細かな刺繍が施されたそれは、見ただけでも相当高価なものに思える。

車いすでも問題なく移動できる広い廊下も、上り下りに使うクラシカルなデザインのエレベーターも、皆が屋敷と呼ぶだけあって、一般の自宅にしてはあまりにも豪華だ。


 萌香は読書が好きだ。

 ちがう世界に主人公が迷い込む話も、子どものころからたくさん読んでいるし、映画やお芝居でも見たことがある。

 ただ、どの物語も、ちがう世界へ行くにはきっかけがあった。扉を開けたり、何か特別な音が聞こえたり。あるいは誰かが迎えにくるなんていうのもあったが、そのどれも萌香には覚えがない。


「私は、どこの扉を開けたの?」


 最後の記憶は、瀬川高校を出て、弟を迎えにいくために車を駐車場から出したところまでだ。弟と会ったのかさえわからない。


「知らない国。……知らない世界……。違う世界……異世界」

 連想ゲームをしていくとその言葉にぶつかり、萌香は小さな声で何度か反芻する。異世界……異世界……。

「まさかこれって、異世界に転生したってこと?」

 あくまで冗談半分で口にする。

 本屋でそういう内容が増えたなとは思っていたし、書店でバイトをしている友達にも、今異世界ものが流行っていると聞いたことがある。


 ゆっくりと起き上がり、萌香は考えを整理するためにノートがほしいと思った。だが、部屋の中をあちこち見てみたがそれらしきものが見当たらず、仕方なく自分に話して聞かせるよう独り言を言い始める。

 萌香が部屋で独り言を言っていても外には聞こえないだろうし、疑問や考えを声に出したほうが客観視できるのでは、と考えたためだ。


「転生ということは生まれ変わりということ。生まれ変わるってことは、それは死ななければできないこと。……私は、……死んだの?」


 それは、実感を伴わない、あまりにも非現実な感覚だ。


「やっとお父さんが元気になった。受験生の信也も頑張ってる。痩せてしまったお母さんも少しふっくらして、笑顔が増えた。やっと、やっと日常が戻ったのに……?」

 もし自分が死んだのなら。自分が死んだことで、どれだけ家族を悲しませたかと思うと胸が苦しい。

 ヘレンとの約束を果たしていないこと。秋には中学の仲間でコスプレをして、遊園地のハロウィーンイベントに行く約束をしてたこと。色々な、果たされなかった約束が萌香の中を渦巻いていく。


 彼は、少しは悲しんだだろうか。

 ふいに一条の顔が思い浮かび、ふるふると首をふる。

「多分、私が車に乗った瞬間に、私のことなんて忘れたはずね」


 どうにも悲観的な考えばかりが頭の中を渦巻き、目頭が熱くなる。萌香はあわてて二度三度、大きく深呼吸をした。

 悲劇のヒロインぶるところだったと自分を戒め、一条の顔は遥か彼方へポイッと追いやる。代わりに家族や友人など、大切な人たちの顔を思い浮かべた。


「私は、死んでない」

 絞り出すように言葉にする。


 鏡で見た萌香は、間違いなく二十年間見てきた自分の顔だった。


「そうよ。もしも転生したのなら、私が目の覚めるような美少女になってないのはおかしいわ」


 絵梨花と萌香の違いを示せるもの。例えば、萌香に特徴のあるほくろや、ピアスを開けたあとなどがあればよかったのだが、残念ながらそういうものはない。二人の違いを示せるものは、今のところ年齢ぐらいのものだ。

 だが、もし萌香が異世界に生まれ変わったものとして、しかもそれがこんな風に大きなお屋敷のお嬢様だったとしたら? それはもう、ヘレンのような顔立ちくっきりの美少女なり絶世の美女なり、とにかく美しいと相場が決まっているはずだ。そうでなくても、前世と同じ顔なんてありえないだろう。

「だから、私は死んでないし、日本人の恵里萌香だ」

 萌香は自分に言い聞かせるようにはっきりと言葉にし、納得するように大きく頷いた。


「とにかく調べよう」

 何が起こっているのか。自分はどうしたら帰れるのか。

 ――そして、一条絵梨花とは何者なのか。

 話はそれからだ。


 そう決意した萌香は、ふっと糸が切れるように猛烈な眠気に襲われた。そしてゆっくりとベッドに横たわると、そのまま紅が昼食に声をかけられても目をさますことなく、日が暮れるまで昏々と眠り続けた。

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