5.メイド?

「朝食の前に傷の消毒をしましょうね。こちらにお座りいただけますか」


 萌香は戸惑いつつもその優しい声に従い、彼女の指し示した椅子にそっと腰をかけた。

 すると「まずお顔を」と言いながら看護師? メイド? (とりあえず、服装的にメイドということにしよう)に蒸しタオルを渡されたので、萌香は瞼のガーゼに触れないよう気を付けながら顔をふく。ちょうどいい温度の蒸しタオルで、ずいぶんと気分がよくなった気がする。

 その後、メイドに化粧水などで肌を整えられ(自分でするという萌香の主張は無視された)、癖のない長い髪は丁寧にくしけずられて、邪魔にならない程度に簡単にまとめられた。

 まるで人形になったような気分だ。


 髪の手入れが終わるとメイドは膝をつき、おもむろに萌香の服の裾をめくりあげると、膝の上まで足をむき出しにした。そして丁寧に膝のガーゼを取り、慣れた手つきで軟膏を塗ってガーゼを貼りなおす。続いて右の手の甲や瞼の上も同様にした。



 メイドの萌香に対する態度は、何日も意識がなかった者相手にするものではないように思える。まるで何日もそうしていたかのようだ。ということは、納得はいかないが、ケガをしてからのことを自分が忘れてしまっているだけなのだろうと、萌香は見当をつける。

 とはいえ、さすがに顔に傷があるというのはショックだ。

 萌香自身、間違っても美人とは言えない地味顔という自覚がある。それでも顔の特徴は傷です、となるのはさすがに悲しい。一応年頃の女の子だという自負はあるのだ。

 近くに鏡がないかと周囲を見回すと、メイドがそれに気づき、

「鏡をご覧になりますか?」

 と聞いてくれたので素直に頷いた。

 手鏡程度のつもりだったのだ。


 彼女がベルを鳴らすと、間もなく縦横それぞれ二メートルはあるのではないかと言うような大きな鏡がガラガラと入ってきた。それは奇妙なことに、壁にあるのと同じような透明なチューブや歯車のようなものがたくさんついていた。しかも、誰も押していないのにひとりでに部屋に入ってくると、萌香の前でピタリと止まる。

 まるでよく躾けられた大型犬のようだ。

 ただの鏡のはずなのに、萌香には、それが誇らしげに胸をそらしているように見えた。もしかしたら、どこかにパタパタしている尻尾が隠れているかもしれない。


 萌香が、「これ?」というようにメイドを見ると、彼女はこっくりと頷いた。

 なので恐る恐るそれを覗きこむ。

 一人でに動いてきても、鏡は鏡。後ろをのぞき込んでみても尻尾は見当たらないし、特に変わったところがあるようには見えない。

 鏡の中に映る見慣れた自分の顔は、痣やガーゼでなかなか笑えない状態だ。傷の大きさを見るために、貼ってもらったばかりのガーゼを外してみる。


 萌香のまぶたの上には、眉の下辺りに三センチほどの傷跡があり、縫った糸がまだ残っていた。傷のせいで少し腫れているのか、奥二重の目が余計に細くなった気がする。唇は下唇の一部が腫れてしこりのように硬くなっていた。唇の裏を見ると五センチくらいの傷があり、こちらも縫ったようだ。

 胸元あたりの肌の色が違うように思え、萌香は襟ぐりから胸元を覗きこんでみた。そこには色白の肌に黄色くなりかけた紫の大きなアザがあり、それは鎖骨下から胸の真ん中を走るようにくっきりと太い線になっていた。


 ショックではある。だが想像してたたほどひどくはなかったと、萌香はとりあえず息をつく。


「お顔の傷は目立たなくなるとお医者様も言ってましたし、そんなに毎日鏡を見ても治る速度は変わりませんよ?」

 メイドにいたずらっぽく言われ、萌香は複雑な気持ちになった。もしかしたら、毎日同じやり取りをしていたのだろうか。


 そんなメイドの気安い態度にちょっと落ち着き、思い切って

「あの、一体なにがあったのでしょうか?」

 と尋ねてみる。

 ホテルのようだが、お医者様がいるなら、やはりここはかなり変わった趣向の病院なのだろう。

 入院してるなら家族は見舞いに来る。その時に色々聞いてみればいいかとも思ったが、知ってるようで知らない、そんな違和感に萌香はどんどん不安が募っていく。


 アンティーク調のおしゃれな部屋だけど、そこかしこにある歯車のようなもののせいか、部屋全体がまるで以前見た時間をテーマにしたお芝居の舞台のように思える。現実と乖離かいりした違う世界、空間にいるような錯覚を起こしそうになるのだ。

 あのお芝居の中で、歯車の部屋はタイムマシンだった。主人公は一度だけ行きたい過去に、二時間だけ戻ることができる。


 これは、この病院の院長の趣味だろうか。一体どこの病院なんだろう?

 少なくともあんな立派な庭園がある病院を、萌香は知らない。

 すぐに退院することが無理なら、せめて大部屋に移りたい。ここが高級な病院なら、家の近所の病院に転院したい。

 せっかく父親が退院して、やっと家族四人で暮らしているのに、まさか自分が入院するなんて――と、萌香は家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「お嬢様?」

「あと、ここは一体どこの病院なんでしょう?」

 

 メイドは初めの質問には戸惑った様子だったが、萌香の二つ目の質問で顔色を変え、誰か人を呼んでくると足早に部屋を出ていってしまった。

 その様子に驚き、萌香は急に心細くなったが、そのあとの大騒ぎに心細さなど感じている暇がなくなった。

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