第44話 枕投げは別料金になります
出迎えたのはこの旅館の女将さんだった。声からは山姥のような人を想像していたが、意外と若い。それでも60代ではあるだろうけれど。
「扉は、放っておいて下さい。今朝から壊れているんですよ」
「は、はあ」
四人は恐る恐る、旅館の中へ足を踏み入れた。
「あれ、思ったよりキレイですね」
未冬がストレートに失礼な事を言う。
確かに、床は磨き上げられ、ホコリが溜まっている様子もない。怪しげな外見からは想像できなかった。室内の調度品も歴史を感じさせる。
「ええ。なにぶん私一人でやっておりますもので、外まで手が回らないんですよ」
おほほほ、と上品に女将さんは笑った。
「ちょっと安心したよ」
小声でフュアリが言うと、他の三人も頷いた。
「それにね、この旅館は食事が凄いらしいんだよ」
未冬はタブレットを取り出した。その画面を表示させる。
『kitchen(キッチン)のお宿。お食事はお好きなものを、好きなだけ♡』
おお、確かに。食べ放題みたいだね、と、期待が高まってきた。
「お食事ですか?」
女将さんが怪訝そうな顔をした。
「いえ、当方ではお食事の準備はいたしませんよ」
「はい?」
やっとエマが気付いた。
「おい、未冬。ここ、”kitchenのお宿”じゃない。
「なに、エマちゃん。キチンキトサンって」
「それはカニの甲羅に含まれる成分だろうが。木賃宿、だ」
「食材と寝具は自分で持ち込んで、台所を借りて自炊するんです。
マリーンが補足する。
「そうか、昔の湯治場みたいなシステムなんだ。要するに、自分たちで好きなものを好きなだけ作って食べろと、そう言うことなんだよ」
「なんで、みんなそんな木賃宿に詳しいの?」
「ああ、これは孫が考えてくれたんですよ。お洒落でしょう」
女将は画面を見て相好をくずした。
四人は顔を寄せて小声で話し合った。
「これ絶対、わざとだよね」
「狙ってますよね、明らかに」
「完全なる詐欺じゃないかよ」
「変だなぁ、ここグロスター教官が教えてくれたのに」
はあっ、グロスター教官?!
「あらま、お嬢さんたち士官学校の生徒さんなの?」
彼女たちの大声を聞いて女将さんが振り返った。目が丸くなっている。確かにこの四人の格好を見て士官候補生とは思わないだろう。
「え、ええ。一応」
あらまぁ、そうだったの。女将さんの態度が一変した。
「あー、もう。だったら早く言ってくれればいいのに。大丈夫よ、最高のお食事を用意してあげるからね」
「女将さんはグロスター教官とお知り合いなんですか?」
女将さんは笑って手を振った。
「お知り合いだなんて。リョーコはうちの孫ですよ。ほら、このキャッチコピーを考えてくれたのもそうなんですよ」
サギ師だ。サギ師の一族だ。
結局、特別料金で夕食と朝食をいただける事になった。
「やっぱりお金、取るんだね」
フュアリは、小声でぼやく。
「あの、特別料金っていうのは安いって事ですよね。割り増しとかじゃなく」
マリーンの突っ込みに、女将さんは笑って答えなかった。
「おい、本当に大丈夫なのか」
「仕方ないよ。高かったら教官に補填してもらおうよ」
部屋に通された四人は呆然としていた。
「いいんですか、ここで」
やっとの事でマリーンが言った。
「昔の文豪の人が作品を書いていたような、そんな、あの」
自分でも何を言っているのか分からなくなっている。
要するに、超がつく高級な一室だったのだ。
こんな本格的な和室は誰も初めてだった。
「これじゃ、枕投げ出来ないよ」
未冬が力なく言った。それが楽しみだったのに。
「ああ、やってもらって大丈夫ですよ。別料金になりますけれど」
それなら、結構です。あきらめます。
ああ、それから。と、女将さんは振り返った。
「食事の準備とか、お手伝いしてもらえるなら、宿泊料金は無料でいいですよ」
だって、私一人なんですもの。
これは手伝うしかないだろう。
「なんだかキャンプみたいで楽しいね」
野菜の皮を剥きながら未冬が言うと、みんな苦笑いする。
「お前は何でも楽しめるんだな。すごい才能だと思うよ」
「でも本当に、段々と楽しくなってくるのが不思議です」
だけど、とフュアリは目を見張った。
「未冬って、料理上手なんだね。知らなかったよ」
女将さんまで感心している。
「軍人なんかならずに、うちにおいで。お給料は弾むよ」
それは、あなたの孫に言ってください。
四人は同時に、心の中で突っ込んだ。
贅を極めた、とはとても言えないが、暖かい料理の数々が出来上がった。女将さんも含めて、全員で手を合わせた。
「いっただきまーす」
こうして、温泉旅館の夜は始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます