第35話 彼女のゆずれない願い

 グロスター教官。

 本名、リョーコ・グロスター。

 年齢不詳。童顔だけれども、おそらくアラサーと思われる。

 パートナーなし。子供なし。

 口癖、「馬鹿者」

 趣味は訓練後に生徒を走らせること。

 人生の目標……それは。


「あれ、見て」

 教官室の前を通りかかったエマは、未冬をつついた。

「グロスター教官だ。校長に怒られてるのかな」

 じっと見ていると、その教官と目が合った。後ろ手で、しっしっと追い払う仕草をする。あくまでも神妙な顔つきで、校長のお話を承っているようだ。


「さっきはどうかしたんですか、教官」

 夕食のとき、二人は彼女と同じテーブルについた。

「え、ああ。別に何でもないよ。心配は無用だ」

「そんな事言って。実は何か、やらかしたんですね」

 未冬を見る教官の目に一瞬、殺気が宿る。


「君らの訓練でね。ちょっと校長からご指導を頂いたんだ」

 彼女のしゃべり方は、訓練を離れると実に優しい。妹に対する姉のようでもある。

「訓練が、ですか」

「厳しすぎるということですかね」

 そんな訳があるか。教官は苦笑した。

「この間からの訓練でね、もう一年分の弾薬を使っちゃったんだ。たった一週間ほどでね」

「あらら」

「誰です、そんな事したのは」

 未冬が憤慨している。

「他でもない。お前達だよ。地上科の四人」


 言われてみれば、心当たりがあり過ぎる。

 ともかく撃ちまくったからなぁ、エマは少し後ろめたい。特にフュアリに短機関銃を持たせたのが悪かったのだろう。遠慮無く撃て、とか言ってしまったし。

「すみません。わたしの作戦のせいです」


「いや、エマ。あれは正解だ。航空戦力に地上部隊が対抗するには物量に頼るしかない。君たちを責める気は全く無いんだ」

 ただ、もうちょっと配慮してほしかったんだけどな。

 小さな声で言った。

「ということで、拠点防衛訓練はしばらくの間お休みだ」


「そうですか」

 エマがほっとした表情になった。

「おや、残念じゃないのか」

「ええ。同じ手は二度と通用しないでしょうから」

 ははっ、と教官は笑った。

「ではしかたない。基礎体力づくりに励んでもらうとしよう」

「えー、それは勘弁してっ」


 夕食のあと、教官の部屋に誘われた。

 意外な事に生徒たちの部屋と、広さは変わらない。

 ただし、ベッドは一つ。その代りに小さな流し台があった。簡単な料理なら出来そうだ。少量の食器も置いてある。

 彼女はポットでお湯を沸かし、コーヒーを淹れてくれた。

「あー、いい香りです」

 この艦でコーヒー豆を栽培しているわけではない。すべて他の農業空母からの輸入品である。だが、それはとんでもない高級品になる。一般人では、そうそう手に入るものではない。さすがに、教官のこれも本物のコーヒーではないらしい。


「コーヒー風飲料、というのが正確かな。でも、なかなか美味しいでしょ。私のお気に入りだよ。このブランド」

 得意げに彼女は言った。


「この間ね、夜間の訓練があったでしょ。映像を見てもらった、あれだけど」

 未冬とエマは思い出して、身体を震わせた。ほとんどトラウマになっていると言ってもいい。暗い表情になった二人を見て、彼女は小さく息をついた。


「全滅した部隊。あの中の一人は私の母なんだ」

 二人は顔をあげた。

「だから、君たちにはあんな事になって欲しくないんだよ」

 彼女は静かに言った。だから。

「もっともっと、厳しくするから」

「はあ……」

「ありがた迷惑、という奴ではないでしょうか。ねえ、エマちゃん」

「ここで、わたしに同意を求めるな」


「まあ、そう言わないで」

 リョーコ・グロスターは、コーヒーをもう一口飲んだ。

「わたしの人生の目標はね。あなた達がひとりも欠けずに、無事に退役して、みんなおばちゃんになってさ」

 もう一度、こうやってお茶を飲む事なんだ。


「だから、私のその目標を実現するために、君たちには協力してもらうよ」

 そう言って彼女は優しく笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る