39

 僕が覚悟を決めた瞬間、頭部ビルの動きが変わった。 ――未だ見ぬ、無貌無名の異邦者に告ぐ

 海草のようにクネクネと揺らめくと、形を激しく変え始めた。

 それは、大きな獣の形をとった。

 これは……熊だ。

 野仲の肉――万能物質とでも言うべき素材から、棹立さおだちになった熊が作られたんだ。

 僕は、叫びながら、がむしゃらに走った。

 熊が身構えるより早く、頭にストレートをぶちこむ。熊の頭部は弾けとんだ。

 擬似的な脳を破壊された熊は、身体に指令を送ることができなくなり、倒れ死んだ。

 ただの熊だった。

 罠を疑う事は考えない。もしそうなら、その時考える。

 と、熊の死骸が形を失い、アメーバ状に戻る。さっきの熊を何倍も大きくした何かに、再構成。それが三体、僕らを包囲した。

 こいつらは。

 僕が最初に遭遇した魔物、トロールだ。

 これは僕の推測だけど。

 野仲さんの自我を失った"あの野仲"は、融合した小谷辺の土地から記憶を読み取っているのではないか。

 かつてこの地に存在した"強い生命体"を、片っ端に。

 以前、この町に熊が出た事がある。

 子熊を連れて凶暴化していた母熊は、三人に怪我を負わせた。

 結局、猟友会の人に駆除されたけど、あの熊が生きた記憶は、この地に残っていたのだろう。

 けど、たかだか熊を創り出した所で、この場では話にもならない。

 それを理解した野仲は、次に見つけた強い存在の記憶――トロールを造り出したのだろう。

 天田と沖村さんが消し飛ぶように飛び掛かった。トロールが二体ずつ、ミンチに解体された。

 僕は、残った一体を異空間に幽閉。

 そのまま核融合を起こして、これも跡形もなく蒸発させた。

 トロールを模していた肉が、またこねくり回される。

 皮膜の翼。岩石じみた肌の爬虫類。

 ドラゴンだ。

 今、不謹慎だけど、ボスラッシュって単語が浮かんでは消えた。

 小谷辺の地に現れた“強い存在”をコピーすると言うことは、僕らがこれまで戦ってきた魔物を再登場させることとイコールでもある。

 ど、どうすれば……。――この目に見えぬ、されど私の望む、破滅の具象に願い乞う

「パラライズ」

 まごつくばかりの僕をよそに、沖村さんが、無慈悲に言う。

 すると、魔物化したボツリヌス菌の群れが、模造ドラゴンに殺到。

「デス、ポイズン」

 沖村さんは、容赦しない。

 どれが効いたのかはわからないけど、離陸したばかりだったドラゴンが、宙でもがきだした。

 決定的な隙だ。

空覇神槌殺くうはしんついさつ!」

 ドラゴンの頭部がひしゃげ、二又に裂けた。

 返す電柱で、もう一度空覇神槌殺。胴体を叩き潰す事も忘れない。

 最期の火球を吐く余地もなく、ドラゴンは停止した。

 再構成

 次に現れたのは、

 黒の騎士――沖村さんのコピー。

 そして、天田のコピー。

 野仲はついに、この二人を街の強者と認めたのか!?

 これは、まずい!

 沖村さんの状態異常魔法は、僕ら人間に耐えられるものじゃない!

 ああっ、さっそく、偽・沖村さんが口を開いて、

魔殺打まさつだ!」「パラライ――」

 本物の天田が食い気味に叫ぶと、偽・沖村さんの喉に貫き手を突き入れた。

 ターゲットの魔法行使に反応して、亜光速の地獄突きを叩き込む天田拳法だ。

 物理的に詠唱を阻害され、パラライズの魔法は発動しない。

 一方、本物の沖村さんが、偽・天田を蹴り倒しつつ、詠唱。

「マジック・ロック」

 記憶封印の魔光が、偽・天田の脳天を直撃。偽・天田は、びくりと巨体を痙攣させた。両腕をだらりと下げて、その場にへたりこむ。

 思考停止に追い込まれた、無防備な偽・天田へ、本物が、

「空覇神槌殺!」

 偽・天田の上半身は破砕した。

 世界最強の攻撃力を持つ天田。

 しかし、その防御力や生命力は魔物に及ばない。

 天田が天田を殴れば、一発でこうなる事は自明だ。――祈るものの名も知らぬまま、私は贄を天に捧ぐ。

 一方、

「ザップ・マカブル!」

 喉が潰れて何一つ詠唱出来ない偽・沖村さんの頭へ、本物が蹴りを叩き込む。

 喉が再生しきるより先に、偽物の首が砕けた。

 沖村さん――黒の騎士を敵に回した場合、詠唱させたらおしまいだ。

 それを誰よりも知っている沖村さんは、自分のコピー品をがむしゃらに打ちのめす。

 偽・天田を片付けた本物の天田も参戦。

刹那万戦撃せつなばんせんげき!」

 偽・沖村さんに無数の打撃を加えた。

 ダンスを踊るように揺らぐ、偽・沖村さん。

 それが、ぐにゃりと形を変えた。

 これ以上の継戦は無駄と判断したのか。野仲が、沖村さんの形状を放棄したようだ。

 本当に、本当に、沖村さんが味方で良かった。

 沖村さんが、敵でなくてよかった。

 ともかく、あと一息だ。

 あと一息だった、けど。

 再び、大地震が世界をシェイクする。

 さっき春花さんと穂香が飲まれた時と同じく、野仲は全身=町全土を震わせはじめた。

 そして。

 無数の肉柱が立ち上った。

 それらはどれも、巨人を形作って、

「あ……あ、ぁ……」

 白の騎士――水野君。

 赤の騎士――東山さん。

 黒の騎士――沖村さん。

 天田。

 それらがしれっと現れて、僕らを取り囲んだ。

「うわあァあアああぁぁぁ嗚呼あァあ!?」 ――私が立つ、現世うつしよと言う贄を。

 誰かが凄い悲鳴を上げていると思ったら、僕の喉から迸ってる声だった。

 こ、ここ、こ、こんなの!

 無理、無理、無理!

 水野君のコピーが、弓矢を引き絞り、

 東山さんのコピーが、魔剣を掲げて、

 沖村さんのコピーが、天秤を振りかざし、

 天田のコピーが、愚直に走り出す!

「ふ、ふ、ふざけんな!」

 本物の天田が、狼狽しきった叫びを上げる。お前の反応は、たぶん正しい。

「どどど、どうしろってんだ!?」

 沖村さんもパニクっている。本当に、全く同感です。

 ぁ、いや、そんな事考えてる場合じゃなかっ――、

 偽物天田が、もう僕の眼前に踏み込んでいた!


 ぷつっ。

 

 そんな擬音が、僕の脳裏に聞こえた気がした。

「あぁアァ嗚呼ああぁアあアァあぁ!?」

 僕は咄嗟に何もできず、ただただ、偽・天田が肉迫するのをガン見した。

 それしか、できなかった。

 けど。

 偽・天田らの拳が振り上げられた瞬間。


 奴らは、問答無用で細切れとなった。

 僕が視線を這わせただけで、その通りに、コピーどもがバラバラに刻まれてゆく。

 何と言うか、

 中二くらいの頃、下校中に、標識や柱を、手も触れずに(もしくは、手刀とか架空の剣で)切断する妄想をしたことはないだろうか?

 僕はある。

 それで今、年甲斐も無く“こいつらがこう斬れてくれたらいいなぁ”って思ってしまった。

 念じてしまった。

 どうやらそれが、魔法として具現化した。

 テンパりにテンパった僕の思考は、高純度の魔法エネルギーとなって、“切断”という現象を奴らにもたらしたのだろう。

 元の強度やレジストのセンスなど無視して、問答無用に。

 かつて小谷辺大橋で殺し合った赤の騎士――東山さんが、よくわからんまま放った空気砲と、原理は同じかもしれない。

 ある意味、春花さんの加護を受けた僕には出来ない魔法だった。

 情けなくテンパった僕だからこそ出来る、単純明快な魔法。僕は、今はじめて、自分が異能に覚醒した事を感じられた気がした。

 僕が目で追うだけで、僕らを襲うコピーたちがバラバラになっていく。

 そして。

 ――虚空より来たりし虚無の回暦かいれき者よ。彼の地の墓標となれ!

 詠唱が完成した。


 ――カタストロフィ・エデン。


 どれだけテンパっても、この魔法思考だけは手放すまいと、そう思った。

 

 さっきと同じ。

 また空に穴が開いて、直径一キロを越す隕石が、大地にねじ込まれて。

 筆舌に尽くしがたい光と熱と音と圧力が、今度こそ、小谷辺の街に巣食った肉を洗いざらい消し飛ばしてゆく。

 野仲さんの心を失い、自分の在り方さえも忘れた巨大癌細胞は、

 跡形もなく消えてなくなった。

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