38
ドロドロになった野仲頭部ビルが、激しく蠢きだした。
まだ、生きている……。
隕石が直撃しても平気って、もうどうすればいいんだ……。
いや、よくよく見ると平気では無いのかもしれない。
アメーバのように伸縮する頭部が、一向に形を定める気配がない。どうにか頑張って、元の頭部を復元しようとしているけど、かなわない。
老若男女、僕の知らない顔が代わる代わる現れては消える。きっとこれは、"野仲さん"がこれまで出会った人々の顔。
野仲さんは今、自分の顔を見失っているのだろう。
――KAミ、尾……かMI尾……か、み、お……。
その口唇が、曖昧な意識のまま僕の名前を呼ぼうとしている。
巨大隕石直撃と言う絶滅イベントに曝された。身体は耐えられても"野仲さん"という心だけが壊れてしまったのかもしれない。
ヒトとしての自我が壊れた今、彼の造り出した、複雑な魔法は編めないはず。
これ以上の変身はないと思う。
最後の戦いだ。
彼の再生速度を見るに、同じ大きさの隕石をもう一発くらい落とせば消せそうだ。
もう、槍の体裁ですらない"器官"が、僕を襲う。天田と沖村さんが、それを殴り落としてくれる。
僕は少しも動かず、カタストロフィ・エデンの詠唱をはじめ――、
――ようとした瞬間、野仲の身体=大地の震えが、にわかに激しくなった。
世界が大きくシェイクされる。
巨大化した僕らですら、足を取られて転倒する。
春花さんと、穂香は大丈夫か!?
弾かれたように彼女らを探す。
目端で、春花さんの展開した魔法障壁の光が見えた。
ホッとし――野仲の身体の一部が天高く伸び上がると、
彼女達をあっさり飲み込んでしまった。
……、……、…………。
何で? どうして? こんなこと起こるはずがない。
でも二人はどこにもいない。
「は、はる……」
大丈夫だあの魔法障壁は野仲の融合さえも防ぎきる二人はまだ生きている落ち着け、落ち着け、落ち着け!
でも、でも、春花さんと穂香がいないと、
死んだら終わりになってしまう!?
野仲を、野仲を、すぐ殺さないと、春花さんが力尽きる前に!
けど、せ、成功するのだろうか!?
途端に、プレッシャーが僕の胸を圧迫する。 ――無理だ無理だ無理だ!
誰かに追いかけられているような、ひどいプレッシャー。 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう!?
この感じ、久しぶりに、この感じ!
春花さんの加護は、まだ持続するはずだった。
けど、春花さんが捕まった焦りが脳を過剰に興奮させて、早くその効果を切らせてしまったみたいだ。
僕は、僕は春花さんがいないと、戦えない!
「神尾君、どうして詠唱を止める!」
沖村さんが、僕を叱り飛ばす。
「ひっ!」
それで僕は、びくりと身体を弾かせた。
誰かに怒鳴られるって、こんなに怖いものだったか。
沖村さんが、二度、三度、受け流し損ねた"器官"に打ち倒された。
それでも無理矢理立ちあがり、僕に伸びたものを叩き落としてくれる。
「いつまでも、もたない! 早く詠唱をしてくれ!」
そんな、そんなこと言われても、あんな魔法、失敗したら、地球が壊れるんだぞ!?
沖村さんが打ちのめされ、入れ代わりに天田が僕に襲い来るものを破壊した。
「神尾! このままじゃ、二人が食われるぞ!」
やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ!
そんな、僕を急かさないでくれ! 脅かさないでくれ!
僕は、僕は、一度として、春花さん抜きで戦えた事がないんだぞ!
ドラゴンの時の事、天田だって知ってるだろう!
春花さんのお陰だって知らないまま、勘違いして戦って、その結果がどうなったか!
そんな僕に隕石なんて扱わせてみろ!
野仲だけじゃなく、僕らだけでなく、みんな死ぬんだぞ!
地球上の生き物、みんな!
僕は、僕には――、
《大丈夫。あなたは、本当はできる》
今。
今。
暖かく心強い声が、僕の脳に刻まれた。
は、春花さん?
《最初に魔物が出てからここまで、あなたは変わった》
これは。
これは、穂香を通したテレパシーだ!
なら、返事ができる!
《気休めは、やめてくれ!》
けど、どうしてこんな言葉しか出ないのだろう。
僕は本当に、僕が嫌いだ。
けれど、
《気休めなんかじゃない。以前のあなたに無くて、今のあなたにあるもの。それは、確かに存在する》
《嘘だ、僕は、一度として、春花さん抜きでは――》
《思い出して。私はいつも、後押しをしていたに過ぎない。
最初のトロールをやっつけた時も、ドラゴンをやっつけた時も。
白の騎士や赤の騎士から私達を守ってくれた時も、グアムでの戦いも。
全部、あなたが自分で答えを見つけてきた。
本当にできない人が、あそこまでアイディアを閃けるはずがない》
だからと言って、アイディアの使い方が下手なのでは逆効果だ。
そんな僕の心を見透かしたかのように、春花さんは。
《自信をもって。ここまでの経験は、しっかりあなたの中に根づいている。
あなたは、やれる》
僕は、やれる?
《私ね、本当は小説家になりたかった》
なんだって?
《大学を卒業する前から、それ以外に道はないと決めていた。
いつまでも会社勤めなんてしない。今は井水メタルの仕事を腰掛けにして、新人賞に受かれば、それだけで食べていけるはずって。
私は、自分の力を過信してた。
正直、会社の皆を冷めた目で見てた。
自分は違うんだ。こんなつまらない仕事なんてもうすぐやめて、小説家として大成するから。
けど。
その結果がどうだったかは、あなたも知っての通り》
何でよりによって今、そんなこと、
《そんな私の前に、あなたは現れた。
私と同じように夢を抱いて、けれど叶わなくて》
僕の漫画なんて、先伸ばし癖の産物で……。
《けど、私と決定的に違うところがあった。
目の前の、井水の仕事を精一杯やっていた。
皆に漫画の事を揶揄されても、恨みがましくせず、ひたむきに働いていた。
そんなあなたの姿を、実はずっと目で追っていた》
え、そ、そんな、まさか。
《今ならわかる。私は、あなたに憧れていた。
私には出来なかった、一生懸命な生き方に、ただ圧倒されていた。
だから、最初に魔物が襲ってきた時にも、あなたより先に逃げるなんてできなかった》
春花さんの思念が、涼やかに笑った気がした。
《そうでなければ、あんな時に他人の事を気にかけると思う?》
あの時の春花さんは、無茶をした。
そして、今も。
《野仲の胃袋に放り込まれたこんな状況で、私はやっと気づいた。もう一度、あなたに会いたい》
それは、僕だって。
《だから、私は負けない。穂香さんも死なせない。
だから安心して、あなたは勝つことだけ考えて》
……。
《あなたは、本当はできる》
……、…………。
そして、春花さんからのテレパシーが途絶えた。
ここまでで、実時間一秒未満。
彼女は、自分と穂香が喰われないために、魔法障壁を張り続ける戦いに赴いた。
食われて消化されようとしている時、自分の事よりも、僕を励ます事を選んだ彼女。
彼女は、本当に凄い人だ。
僕は。
腹をくくれた。
やれるかやれないか、そんな事を悩む権利は、僕には無い。
やるしか、ないんだ。
僕は、未だ顔の定まらない頭部ビルを見上げ、精一杯にらみつけた。
相変わらず、僕の思考は急いていて、何がどうなっているのか掴みきれない。
それまで明瞭だった思考が、複雑な糸のようにこんがらがって、何も良い事が思い浮かばない。
僕のステータスは何も変わっちゃいない。
それでも、恐れを無理矢理おさえこむ事は出来る。
もうどうにでもなれ。
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