37

 あと一息。

 この一連の文言が完成すれば……。

 “野仲頭部ビル”の巨顔が、偽物の表情筋を戯画的に吊り上げて。

「消、え、失、せ、ろ」

 何本もの光柱が、僕の周囲でわだかまり、放出の時を待っている。僕一人を、間違いなく、跡形もなく消し去るために。

 けど、

鳳凰絶空切ほうおうぜっくうせつ!」

 天田が、僕を抱えて飛翔した。

 お互い巨人と化している今、勢いも前回とは桁違いだ。あっという間に成層圏近くまで来た。

 一寸遅れて、僕の立っていた場所が、白光に消えた。

 ああ、市役所が飲み込まれた。

 僕の家も……あと何分かで呑まれそうだ。

 そうなる前に、この魔法を完成――、

 遥か眼下、野仲頭部ビルが僕らを指さしたのが見えた。

 次瞬、風の流れが激変した。

 なんか、上から吹き下ろすような。

「やべっ!」

 何かに感づいた天田が急に叫ぶと、僕を投げ捨てた。天田の姿がぐんぐん遠ざかっていく。

 そして。

 そして、

 天田が、一瞬にして地表に叩き付けられた。

 見えない何者かに引っ張られたかのような、凄まじい落下速度だった。

 途方もない地鳴り。ほとばしる血。

「あ、あ……」

 引力・斥力……重力の魔法か。

 僕の脳内の、どこか片隅で冷静な分析が聞こえる。

「天田、天田ッ!」

 天田は、地面に引っ張られて墜落したんだ。

 五体がグズグズに裂け、折れている。

 けど、まだ生きているようだ。痛みを押し殺しながら、立ち上がろうとしていて、

「潰、れ、ろ」

 無情な詠唱。

 天田を中心に、街の一キロ四方がお椀型に潰れた。

 天田の身体は散り散りに裂けた。

 バラバラになったパーツのどれも、見る影もなく潰壊ついかいしている。

 食い散らかされた残飯みたいに。

 間違いない。

 

 天田は、死んだ。

 

 ……、…………、

 野仲頭部ビルの、造られた双眼が、僕に向く。

 今までの僕たちは、単に運が良かっただけだ。

 いわゆる"初見殺し"と言うものに遭遇せずに済んでいた。

 対策の暇もなく、一発で殺される事態。充分、予想できていた事だ。

 けれど。

「神尾。潰れ――」「ザップ・マカブル!」

 野仲の声に、別なしわがれ声がかぶさった。

 突如現れた黒い巨人が、野仲の頭部ビルに飛び蹴りを叩き込んだ。

 必殺技・ザップ・マカブル。

 相手の頭部と自分との因果を結ぶことで、必ず頭部に蹴りが命中する。文字通り必殺の、魔法体術だ。

 野仲頭部ビルが、軟体のように大きく傾ぐ。

 この恐ろしい飛び蹴りを繰り出したのは、

 

 さっき、光柱の中に消えた、沖村さんだった。

 

 必ず頭を蹴り砕く、必殺のザップ・マカブル。

 それも、黙示録の騎士が持つ、魔物並みの膂力りょりょくでの打撃が、まともにクリーンヒットするのだ。

 およそ生物である限り、どんな相手でも即、死に至る。

 けど、野仲――この街そのものが相手となっては、さすがに威力が足りなかった。

 地響きを立てて着地した沖村さん。

 その僅かな筋肉の硬直めがけ、街の槍が伸びる、

 けど。

刹那万戦撃せつなばんせんげき!」

 聞き慣れたシャウト。

 凄まじい颶風ぐふう

 野仲=小谷辺町の体から電柱を引き抜くと、それを棍棒として振りかざしたんだ。


 天田が。


 沖村さんを刺し貫くはずだった街の槍は逸れて、野仲頭部ビルが、一瞬でタコ殴りにされる。

 流石にかなり痛かったのか、野仲頭部ビルは突っ伏して悶絶した。

 さっき死んだはずの天田と沖村さんが、僕のそばに陣取る。

 光の中に消えた沖村さんは生死不明としても、天田は完全に惨死体になっていた。

 そう思われる事だろう。

 けど、彼らの死は、確かに“無かったこと”になったんだ。

 僕達が発動した、アンチ・プロヴィデンスによって。

 この魔法を受けた人が死んだ時、その人の時間だけが死ぬ直前にまで巻き戻る。

 結果、死をやり直す事ができる。

 蘇生では無く、やり直しだ。

 グアムでの忍者の変わり身や、天使長・野仲の変身とは違う。

 分類としては回復魔法ではなく、時間操作魔法に当たる。

 これだけの大魔法は、流石に春花さんと穂香の協力が不可欠だった。

 穂香が心の消失=死を検知し、

 春花さんが持つ僕らの生体データを元に対象者を定義し、

 僕が時間を巻き戻す。

 いつかは一見いちげんで殺されるような場面が出てくるとは思っていた。

 だから、いわゆる“コンテニュー”を可能とする魔法を作った。

 けど、天田と沖村さんに効果を教えたのは失敗だったかもしれない。

 死んでもやり直せる。そう思ったからこそ、沖村さんはあんな無茶をして僕をかばったんだろう。

 実際に魔法が成功したからよかったものの、春花さんか穂香のどちらか一人でも欠ければ、この魔法は成立しない。

 彼らは、死んだまま二度と戻ってこれなかったのかもしれなかった。

 ただ。

 済んだことを反省する時ではない。

 野仲頭部ビルがゆるりと身を起こした。

 同瞬、僕の詠唱はついに完成する。


「虚空より来たりし虚無の回暦かいれき者よ。彼の地の墓標となれ!」


 空に、穴が開いた。

 真っ黒な穴が。


 ――カタストロフィ・エデン!


 僕が生み出した、禁断の魔法が走り出した。

 これを禁術とするのは、大庭青葉を憑依した時のようなしょぼい理由ではない。

 本当に、世界が滅亡するから使わないでおいた。

 ただそれだけだった。

 

 空に穿たれた穴から、赤熱する塊が顔をのぞかせた。

 直径一キロはあろうかと言う、隕石だ。

 大気圏を通さず直接転移してきた隕石は、少しも体積を減らすことなく、地表に食らいついた。

 瞬間。

 そこを中心に、野仲=小谷辺町の大地からだが、文字通り消し飛んだ。

 法外な空振くうしんが、ありとあらゆる立体物の全てを薙ぎ払い、塵も残さず気化させた。

 まばたき一回。

 えぐれる過程をすっ飛ばして、ただただ広大な穴が大地に現れていた。

 地球の半分をくべて余りある火力が、野仲=小谷辺町全土を蹂躙する。

 ネットで前もって調べたけど、

 これまでの人類史上、単純な威力が最も強かった兵器は、旧ソ連が核実験を行ったツァーリ・ボンバ。威力は五〇メガトン。

 これは、第二次世界大戦時に“全世界で爆発した爆薬総量の十倍”にも相当すると言う。

 そのツァーリ・ボンバに対し、今僕が呼び出した隕石の威力は三〇〇〇万メガトン超らしい。

 終末の炎が荒れ狂い、粉塵が空を埋め尽くす。その為、氷河期が再来した。

 一連の絶滅イベントによって、果てしない暗黒が訪れた。

 黒色さえもない、真なる闇の中へ。

 ただ。

 それを観測していた僕達には、何も影響が無かった。

 何も聞こえなかったし、熱さも感じず。

 その桁外れな振動が、多少、僕らの居る次元に漏れてしまったくらいか。

 当然だ。

 こんな魔法を普通に使えば、僕らはもとより、本当に地球の何もかもを無意味なガラクタに変えてしまう。

 僕は、世界を滅ぼしたいわけじゃない。

 だから、この街の“野仲に侵食された部分”だけを別位相の空間に切り離して、そこに隕石を落とした。

 これによって、この街に住まう人や物体には一切の影響を与えず、侵食部だけに三〇〇〇万メガトンの破壊を加える事ができた。

 正常な細胞はそのままに、癌細胞だけを焼き切るかのように。

 使うつもりが毛頭なかった魔法だったけど、街そのものを吸収する天使長の在り様が、僕にこの使い方を思いつかせた。

 ここまでやれば、さすがに、もう、

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る