36

 無数のペーストになった天使長が、あちこちで震える。

 砕けた路面で、

 新世界プランニングだったビルの残骸で、

 ぺしゃんこに潰れたミニバンやジープ、仰向けに倒れたハイブリットカーの上で、

 根っこからへし折れて倒壊した、電柱で。

 あらゆる所で、肉片が震える。

 また、死体が寄りあつまって、新しい形態を作るのか。

 春花さんが皆に補助魔法をかけ直すかたわら、大庭青葉である僕は、いつでも、どこにでも斬りかかれるよう身構えている。

 けれど。

 肉片は、僕の想像とは正反対の異変を見せた。

 溶けて蒸発するかのように、少しずつ、かさを"減らしはじめた"のだ。

 まさか、このまま消えるのか?

 いや、そんな甘い話にはならないだろう。

 よく目を凝らして、 ジープを見る。

 そこでも、天使長の肉片が、どんどん小さくなって――いや、違う。

 肉片は、消えてるんじゃない。接した物と、融合を始めているんだ!

 肉片とジープとの境目がぼやけたように曖昧になっている。

 その侵食は次第に広く、深く浸潤しんじゅんしていき、青黒い肉に変えられていく。

 いや、これを肉と――有機物と呼んでいいのかすら、僕にはわからない。

 今や完全に融合を果たしたジープは、天使長の有機質であり、自動車の無機質でもあり、けれど、そのどちらでもない、前例なき物質になってしまった。

 ど、どこまで広がるのだろう。

 そして。

 新世界プランニングのビルだった、青黒い巨物が、硬質な質感はそのままに、粘土のごとくこねられる。

 そして、出来上がったのは。

 野仲工場長の顔を模した、巨大な何かだ。

「これがどういう事か、わかるか、神尾。わからんだろうな、お前みたいな愚図の馬鹿には」

 全然わからない。

「見ろ、このビルを。そして、辺り一面の道路を。有機質だの無機物だの、別個体だの、俺にはもう関係ない。触ったもの全てが、俺になる。

 このまま、小谷辺こたにべ全てを融合してやる! そしていずれは日本を、アジアを、世界全土を融合してやる!

 全部俺の肉になるんだ、お前らは俺の食糧だ、わかったかこのボケが」

 どうも、無機物と融合しながらも、生物的な器官は作り上げられているらしい。

 肺とか声帯も例外ではない。

 ただ、ビルを取り込むほどのスケールだ。

 吐息は台風。声は爆音。あれが一言喋るだけで、僕なんか吹っ飛ばされてしまいそうだ。

 とりあえず、僕にわかった事はただ一つ!

 こいつを長時間、野放しにはできない。

「大庭青葉、アンインストール!」

 青葉の憑依を解く。

 今からやろうとしている“二つの大魔法”を並列処理するには、余計な思考を省かないといけない。

 漫画のキャラクターなんぞに変身している余裕はない。

「皆、強くなって!」

 春花さんが、叫ぶ。

 穂香のテレパシーを通して範囲を拡張された補助魔法が、僕と天田と沖村さんを一度に包む。

 身体が、すさまじい勢いで上空に引っ張り上げられる感覚。

 いや。

 僕の全身の肉が急激に増加、身体が巨大化しているんだ。体長二〇メートルくらいには育ったろうか。

 僕らは、巨人と化した。

 街を俯瞰ふかんすると、もうかなりの範囲が肉片に侵食されている事がわかった。ロードローラーでならされるように、何もかもが天使長の一部に融合されてゆく。

 爆竹のような爆音と煙が、あちこちで爆ぜた。

 陸上自衛隊の攻撃ヘリアパッチ・ロングボウが、野仲の後頭部らしき部位に空対地ミサイルをありったけ注ぎ込んでいる所だった。

 遠くを見渡せば、もう既に自衛隊のオペレーションが展開されている所だった。

 トロールから始まった連日の魔物騒ぎが、この国屈指の攻撃ヘリを導入させたのだろう。

 僕は今まで、この国を誤解していたのかもしれない。

 けど、今の僕の目からしたら、そんなの、おもちゃにしか見えない。

 たぶん、天使長にとっても。

 野仲の顔は、何ら痛痒つうようを浮かべず。ただ、ヘリの真下から槍めいた器官を伸ばしてアパッチを刺し貫いた。

 爆発四散。アパッチの破片が飛び散った。この国に十三機しかない秘蔵の攻撃ヘリは、息をするように抹消された。

 苦労してここまで配備されたであろう10ヒトマル式戦車隊の事に関しては、言及しない事にする。

 もう、近代兵器でどうにかなる状況ではなくなってしまった。

 僕らが、終止符を打つ。

《穂香、春花さん、例の合体魔法を!》

 穂香のテレパシー能力を通して、号令を出す。

 僕ら三人、それぞれに出来る事を組み合わせた、究極の補助魔法がある。

 豆粒のように小さな彼女らの、魔法的副次光が輝いたのを、僕は確かに見届けた。

 僕の背後で、“街”が隆起する。

 アパッチを撃墜した、街の槍。

墜臥滅刃拳ついがめつじんけん!」

 天田が、ほとんど消し飛ぶように僕の背後へ。僕に延びていた街の槍を、ワンパンで破砕した。

 天田が“武器”だと認識したものを、問答無用で破壊する拳法だそうだ。

 破片が、癌化しつつある小谷辺に降り注ぐ。それ自体が爆撃じみた破壊をもたらすが、もうそこは死地と化している。皮肉だけど、二次被害を配慮する必要はなくなりつつあった。

 なおも僕に襲い掛かる街の槍を、天田は組み付いて阻止する。

 そして、僕の魔法が練り上がった。

「アンチ・プロヴィデンス」

 僕と春花さんで“反摂理”と名付けた魔光が、僕の、天田の、沖村さんの身体に経皮吸収された。

 これでいい。

 これで、第一の魔法は完了した。

 次に、第二の魔法。これは、僕単独でやる。

 僕はなるだけ平静に、呟くように詠唱を紡ぎ出す。

 

「未だ見ぬ、無貌無名むぼうむめいの異邦者に告ぐ」

 

 させじと、小山となった街の槍が僕を襲う。沖村さんが割って入って、迎撃してくれた。

 けど、この一帯は全てが野仲の身体。

 側面から、また街の槍が襲う。これはまた、天田が身体を張って阻止してくれた。

 けど、街の槍は四方八方、全方位から襲い来る。天田は、脇腹や肩を刺し貫かれながらも、僕を護る。

 彼の流血が局地的豪雨となって、肉片の街に降り注ぐ。


「この目に見えぬ、されど私の望む、破滅の具象に願い乞う」


 次に伸びてきたのは、街の槍ではない。

 野仲の顔面を模した、あの巨物。

 台風の鼻息を伴って、僕を覗き込んできて。

「消、え、ろ」

 シンプルに、それだけを詠唱した。

 次瞬、目を潰さんばかりの光が世界に満ちる。大気が煮えたぎり、まだそれが発動もしてないのに肌を焼けただれさせる。

 そして。

「神尾君ッ!」

 沖村さんの声が、大気を貫く。

 彼は僕を突き飛ばして、自分がそこに躍り出た。

 そして。

 音もなく。

 巨塔のような光の柱が、立ち上った。

 街と融合した天使長の身体が、相当数蒸発する。

 そして。

 その中心にいた沖村さんは、まばたき一回分の時間を隔てて、この世から消え去った。

 存在の根底から。


 沖村さんは死んだ。


 僕は、呆然として後ずさる。

 沖村さん、何で、こんな事……。

 みんなで生きて帰るって、言ったのに……!

 けど、

 詠唱を止めるわけにはいかない。

 

「祈るものの名も知らぬまま、私は贄を天に捧ぐ。

 私が立つ、現世うつしよと言う贄を」

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