35
――。
光が衰え、目が慣れてくる。聞こえるのは、瓦礫の転がる音と、耳を過ぎる風の音だけ。
表面は炭化し中は生焼けの、天使長・野仲だった肉塊がある。
頭部は、どこにもない。
死んだ。
僕らはついに、最後の騎士を殺した。
これでもう《かなり、いい気になってるじゃないか、神尾?》
「ぃ、ひッ!?」
僕は、反射的に身震いした。
い、い、今のは、
《俺の一番嫌いなものを教えてやろうか? 才能の無い愚図が、自分の伸び代を勘違いして、無駄に頑張る姿だ。
ゴキブリとして生れた奴が、人間に近づこうなんて傲慢なんだよ》
これは、聞き馴染んだ野仲工場長の声。
いや、正確には、彼の言葉を聞いたと言う記憶が、直接頭に刻まれている。魔法によるテレパシーだ。
け、けど、どうして!?
彼の脳は、欠片の細胞も残さずに蒸発したはずなのに。
《ビビってるか? 脳みそまで吹き飛んだ俺が、まだ生きてることに。その常識から抜け出せないあたりが、お前の――人間どもの限界だ》
「庄司くん、あいつの死体を壊して!」
春花さんの叱咤。
そうだ、少なくともテンパってる場合じゃない。
春花さんの魔法に補強されながら、僕は自分に流れる時間を四倍にした。
「世界の檻」
天使長・野仲の残骸を空間隔離し。
光波、核融合、電撃、核融合、核融合。
ただただ、光が目を満たす。耳はとうに麻痺した。隔離したはずの次元を越えて、大気の振動が肌をくすぐる。
凄まじい激痛が、僕の全身を駆け巡る。
僕は、その場で膝を折った。浅い呼吸のまま、僕は、天使長が居たあたりを見つめる。
……。
「効いてない」
自分でも驚くほど、空っぽな声だった。
天使長の死骸は、変わらずそこにあった。
完璧にレジストされた。
赤の騎士じゃあるまいし、そんな、
《反則すんなよ、神尾ォ》
ズルズルと、引きずるような音がしだした。
よく目を凝らさなくてもわかる。
天使長の死骸が、軟体生物のように蠢きはじめた。
《今俺は、"第二形態"に変身するんだからなァ》
第二、形態って……。
「どこだ野仲! 出てこい!」
沖村さんの怒号が、虚しく響く。
それをよそに、天使長の残骸が別の形にこねられてゆく。
そして、
そのフォルムは、四つん這いの大型猿みたいに作り替えられた。
芯からへし折れていた両翼も治り、高らかに拡げられた。
焼け焦げていた皮膚が崩れ落ちて、岩のような質感の皮が新たに現れた。
「変身中に手を出すのは反則だ。そんな常識もわからないのか、世間知らず」
四つ足の化け物が、野仲さんの口調で言った。
そういうことか。
一度倒されて、より強い形態に変身する。ゲームとかのラスボスにはよくある手口だ。
メカニズムとしては、グアムで襲ってきた忍者の自己蘇生魔法と同じだろう。
"自分が生物的に死んだ"という条件で、変身が発動すると思われる。
確かに"変身中のボスキャラには手を出せない"と言うのは、変えようのない常識――摂理だ。この絶対的で限定的な状況下でのみ発動する、究極の因果隔離現象が、天使長を護っていたのだ。
だから、変身中の隙を突いて殺す事は、絶対に不可能。どんな魔法を使っても、だ。
「俺は人間を――生物である事さえ超えた。
素直に俺の賞金首ゲームに乗って、人間どもと遊んでれば――俺のおもちゃになってれば、もう少し長生き出来たのになぁ? 神尾」
天使長が翼を振るうと、固体のように硬い烈風が、場をなぎ払った。
「くせー、くせー。小者くせー台詞」
天田が、努めて軽口を叩きながら魔剣を構える。
「水野君にも言ったのだけど。物質的に人を超えても、心が矮小なままで滑稽ね」
春花さんが、冷たく言い放った。
「地面に這いつくばったその姿、お似合いだよ」
天使長が変身する間に、穂香と自分の回復を完了させたらしい。ぼんやり見ていただけの僕とは大違いだ。
「お前に日本語が通じないのは、身をもってわかっている。ここで黙って死ね」
宣告するや、沖村さんが天使長に飛び掛かる。
沖村さん、天秤を鎖分銅のように振り上げ――天使長の槍が閃き、沖村さんの五体をバラバラに分断。鮮血が、花火のように散る。
同瞬、無数の電流が僕、春花さん、穂香を襲う。僕がレジスト、春花さんがバリアを展開。それでも電流は半分も衰えず、僕らの体内を抉るように走る。
更にほぼ同瞬、僕らの間で大気が炸裂。
電撃に弛緩した身体でまともに防御態勢が取れず。ぐちゃぐちゃに撹拌された視界の中、僕とか春花さんとか穂香の血塊とかそういうのが飛んだのが見えた。
「倉沢さん、
穂香が、仲間全員の心から負傷状況を読み取り、春花さんに渡す。
「総員、全身治癒!」
穂香から瞬時に負傷データを受け取る事で、春花さんの魔法的思考が飛躍的に向上。五人全員を瞬時に全快させる事が可能となった。
体の損なわれた部分が、瞬く間にくっつく。
バラバラ死体になっていた沖村さんも、完全に再生した。よかった、正直死んだかと思った。
「
僕ら後衛陣が半壊に追いやられた、わずかな一瞬。
その間隙を突いて、天田が行ってくれた!
黒闇の尾を引きながら、唐竹割りが天使長を襲――目視不能な速さで、叩き払われる。天田、反動で吹き飛ぶ。
僕らが一度行動するのに対し、天使長は三回も行動しているペースだ。
不謹慎だけど、RPGの大魔王が三回攻撃するのを思い出した。
「破!」
僕はすぐさま光波を飛ばすが、これを先読みした天使長は、軽々と回避。
天使長が、僕らをひとにらみ。
極寒の冷気が僕らを襲う、縄のように野太い電流が僕らを食い破る。
思考が真っ白に染まって、意識が飛びそうだ。
天田の打ち合う音だけが、やたらはっきりと聴こえた。
肉を引き裂いた音と、天田のうめきも。天田は大丈夫だろうか?
春花さんの回復魔法が、五感を戻す。
現状。
打ち倒された天田。
それをフォローするように殴りかかる沖村さん。
沖村さんの打撃も虚しく宙を切るけど、これはフェイント。
天使長のカウンターも寸前で空振った。そのわずかな隙に、沖村さんは跳び退いた。
そして、一瞬、天田と視線を交わし、呼吸を合わせる。
次瞬、
「
天田と沖村さんが、両サイドから天使長を襲う。それぞれ、最速の突進を伴う一撃必殺技のようだ。
天使長はこれを、
無情な一振りで迎撃した。
次瞬、流れるような突きで、腹を穿たれる天田と沖村さん。
けど、まだだ。
「破!」
僕は再度、光波を撃った。
腕――言い換えれば前足――が伸びきって、コンマ数秒だけ硬直した、天使長へ。
今度は命中。
光が晴れる。
天使長に、変化は無い。完全にレジストされた。
でも。
「穂香ッ!」
僕は、それだけを叫んだ。
血染めの妹は、不満そうに首をかしげるけど、瞳はしっかりエメラルドグリーンに光らせてくれた。
彼女を通して、僕は天田と沖村さんに、プランを伝える。
僕の心を読んだ二人は、即時うなずいてくれた。
作戦開始だ。
「"破壊の死神"
天使長が無数の光波を放ち、いよいよ街ごと蹂躙しはじめた。
そんな中、僕は禁呪を唱えて女になった。
後ろ髪が急速に伸びて身体の肉付きが丸みを帯びる。
そして何より大事なことだけど、青葉の得物である白い大鎌が手元に具現した。
春花さんの加護を受け、頭が冴えている今なら、僕本来の魔法も青葉の能力も、同時に運用できる。
《今だ!》
僕が心で叫んだのが、合図。
「神速・空削斬!」「モーメント・キル!」
二番煎じの同時攻撃。天田も沖村さんも迎撃される。
しかし、二人とも即座に体勢を整え、
「マジック・ロック!」「破!」「
マジック・ロック。
これは効かないと知れている。レジストされた。
僕の光波。
今度も、僅かな硬直を狙ったけど、レジストされた。
那由多獄門。
斬撃は打ち払われ、光エネルギーもレジスト。けれど。
遅れて生じた闇エネルギーの奔流は、レジストされずに天使長を直撃。
全身を、細胞の全てをボロボロに崩壊させてゆく。
さすがの天使長でも、一度に
そして僕は、
「リヒト・ツヴァイ!」
すでに詠唱、踏み込んで、鎌を振り下ろしていた。
斬撃は受け流される。激しい火花が散る。
しかし、複製された二発目の斬撃が、天使長の腕をまともに捉えた。彼の右腕は、槍を握ったまま、切断。
天使長は、すぐさま回復にかかるけど、
天田の方が、ほんの少し速かった。
「
数十人の天田が、一人を滅多斬りにするような猛攻。
最初の五発くらいは、残された左腕でガードされた。
けど、天田の乱舞は止まらない。
ガードの左腕がついに粉砕。
無防備になった天使長は見る見る解体され、その形を崩していき、
「
天田、跳躍からの急降下で、とどめの一撃を叩き込む。
ほとんど残骸と化していた天使長が、真っ二つに両断。
衝撃波に乗って、肉片を四散させた。
再び、静寂の帳がおりる。
消防のサイレンや、人の騒ぐ声が届いてくる。
遠くに黒煙も見える。
気がつけば、僕らの戦いの余波は、この一帯にかなり飛び火していたみたいだ。
あちこちにこびりついた、天使長だった欠片は、再生する様子がない。
魔法――言い換えれば思考――の供給源である自我ごと破壊され尽くしたのだから、当然だろう。
「やった、か?」
沖村さん。
それは、言わないで欲しい。
《カスどもが。本当に俺を怒らせたいらしいな》
……、
やっぱり。
野仲工場長の声が、脳裏に直接刻み込まれる。
《だとしたら合格だ。小細工だの戦術だのではどうにもならない、力の差――個体性能の差を、教えてやる》
飛び散った天使長の残骸が、それぞれ激しく痙攣しはじめた。
第三形態への変身が、はじまる……。
いったい、何形態を殺せば、終わるんだろう。
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