34

 春花さんの補助魔法は、フルにかかっている。全員、万全の状態だ。

 野仲さんの形をした騎兵は、病気してるようにに青白い。馬も血の気がなく、静脈が網のように巡るのがはっきり見えた。

 右手に提げた、人の背丈くらいの短槍が、曇った光沢をはらんでいる。

 “野仲さん”の、何の情感もない――僕の事なんてゴミくらいにしか思っていなさそうな――目つきで見据えられると、心臓が握り潰されたように感じられる。

 足がガクガク震えて、立っているのがやっとになる。

 黙示録の騎士(あるいは天使長)が怖いのではない。

 かつての上司・野仲さんに刻み付けられた恐怖が、僕を委縮させる。

 過呼吸になりかけた僕の傍ら、天田がゴルフバッグとタオルで封印していた“長物”を解放した。

 肉厚の西洋剣。赤の騎士から鹵獲ろかくした、あの魔剣だ。

「ちゃんとした剣を入手すると、一人前になった感じがするよな。神尾」

 どこぞの"はがねのつるぎ"を意識した物言い。こんな時でも、こいつはいつも通りのマイペースだ。

 少し、心にゆとりが生まれた気がする。

 いや、そう思わなければならない。

「行こう、皆!」

 この期に及んで、僕らが天使長・野仲にかける言葉は何もない。

死ねデス

 沖村さんがそう言った。問答無用で。

 見た目、なにも変化は無い。

 けれど、青ざめた馬が鞭打たれたように痙攣。脚が折れたかのように、その場に崩れ落ちた。

 天使長・野仲は、大きく跳躍して、馬を乗り捨てる。

 沖村さんのデス――致死性の神経ガスに、影響を受けた様子はない。

 天使長・野仲は、槍を大きく振りかぶりながら、沖村さんへ飛び込む。

 沖村さんは横跳びにかわすが、槍は彼を逃さない。穂先が彼の腹をえぐり抜いた。

「っ……! マジック・ロック!」

 けど、呪文は、完成していた。

 記憶封じの魔光が、天使長を襲う。

 魔物と違って、我々人間と同じ精神構造を持つ、天使長。

 このマジック・ロックが決まれば、彼は廃人になる。

 けれどこれも、天使長・野仲が一睨みしただけで、ほどけては消えた。

 真っ直ぐに突き出された槍が、沖村さんの胸を真っ直ぐに刺し貫いた。

「沖村さん!」

「俺に構わず詠唱しろ神尾君!」

 沖村さんは、僕を叱咤しつつ、心臓に刺さった槍を掴んだ。

 ――天使長・野仲の背後、回り込んでいた天田が高らかに跳躍していた。

 剣を、上段に振り上げながら。

殺死冥導剣さっしめいどうけん!」

 殺す気満々な技名と共に、天田は急降下。

 天使長・野仲は槍を引き抜こうとするが、沖村さんにがっちり掴まれて、抜けない。

 天田の剣が、天使長を打った。

 インパクトの瞬間、剣から、圧力波と共に墨のように黒いエネルギーの奔流が放射。

 黒いエネルギーの正体は、天田が相手に対して発した殺意が実体化したもの。

 闇の波動とも言うべきそれは、天田の敵を存在の根幹から害する為だけに発せられた。

 その闇属性のエネルギーは、浴びた者の肉を朽ちさせる。

 吸い込めば、たちまち全ての臓物をグズグズに溶かしてしまう。

 けれど。

「何!?」

 地形変動すら起こす斬撃と、あらゆる生命を死に追いやる闇エネルギー。

 それを天使長・野仲は、防護魔法を展開した腕一つで受けてのけた。

「ふんッ!」

 天使長が鼻息荒く気合を発すると、彼の掌から、膨大な圧力の波が放射。

 天田が吹き飛んだ。真新しかったアスファルトに叩きつけられ、バウンドし、天田は転がる。

 ほぼ同瞬。

 天使長・野仲は、沖村さんを串刺しにした槍を、彼ごと乱暴に振り上げた。

 そうして、沖村さんを真っすぐに地面へと叩きつける。

 沖村さんの全身が砕ける音、肉の潰れる音がここまで聞こえてきそうだ。

 さらに。

「倉沢さん防いで!」

 天使長から何かを読み取ったらしい、穂香の絶叫。

 天使長の背後に、目が潰れんばかりの後光が射して。

 僕らの後方に控えていた春花さんと穂香へ、光波が伸びた。

 春花さんが手をかざすと、彼女たちの眼前にドーム状の光壁が展開される。あらゆる現象を阻害する、魔法障壁バリアだ。

 迫撃砲程度なら、余裕で防ぎきる事ができるらしい。

 けど。

 天使長の放った光波が、凄まじい勢いで爆裂した。

 鉄塊のような衝撃波が放出し、辺りを無差別に打ちのめす。

 新世界プランニングの本社ビルが、基部を破壊されて崩れ落ちて行く。

 最初の光波でバリアを相殺された春花さんと、穂香。そんな彼女らに、衝撃波がもろにぶち当たった。

 鮮血がはじける。

 春花さんは、左肩から手にかけて酷く裂かれて血だらけに。

 穂香は叩きつけられ、右腕が折れた。

 悶絶し、読心どころではない穂香。

 自分の流血に構う暇もなく、穂香を回復に向かう春花さん。

 くそっ、まずい、次に彼女らを狙われたら――絶対に死ぬ。

 天田と沖村さんを相手にしながら、片手間みたいに彼女らを殺しにかかってくる。

 正直、格が違いすぎる。

 けれど。

「世界の檻」

 皆の犠牲のもと、僕はようやくそれを口にできた。

 天使長・野仲は、すぐさま僕めがけて槍を投擲してきた。けど、絶影の推進力を得た槍は、僕の頭をむなしく透過。

 僕の空間操作魔法によって、一瞬だけ、次元をずらされた天使長。そいつが放った投げ槍も、別次元の存在だから、僕には当たらない。

 そして。

「獄中死せよ」

 天使長・野仲が、光爆の球体に飲み込まれた。

 核融合爆燃。

 現状、僕が持てる攻撃魔法の中で、一個体対象のものとしては最強の殺傷力を持つ。

 ほとばしる熱線が天使長の全身を襲う。

 彼の体内が急速に熱せられ、全身の水分が蒸気の刃と化して、皮膚を引き裂く。

 光熱が、天使長を構成する身体の部位を、赤黒く冒してゆく。

 天使長・野仲が、こちらの次元に戻された。彼の体が帯びた高熱と、衝撃波の残滓が僕らの肌を打つ。

 ぐずぐずの焼死体みたいになった天使長。

 焼け死んだ組織が、凄まじい速度で代謝してゆく。

 やっぱり、この程度で黙示録の騎士が死ぬはずはない。

 けど。

断罪黒怨剣だんざいこくえんけん!」

 即時、立ち上がろうとした天使長の目前に、天田が。

 袈裟斬り、逆袈裟、水平斬り、唐竹、右から左へ、左から右へ、下から上へ、上から下へ。

 黒塗りの闇エネルギーが、帯のように乱れ舞う。

 焼け朽ちかけた天使長・野仲の身体が、削岩機にでもかけられたように、粗っぽく削られていく。

 そこへ、

「ポイズン」

 沖村さんが、駄目押しの呪文を言い放った。

 血のように赤黒い液体が、天使長を襲う。

 沖村さんが“ポイズン”の魔法で創り出した、出血毒。

 それが、天田の剣舞でズタズタになった天使長の体内に吸収されてゆく。

 怪我をすればバイ菌が入りやすくなる。それは、黙示録の騎士にとっても同じらしい。

 血管細胞と血液の凝固因子を破壊された天使長の全身から、湯水のごとく血が噴き出した。

 人間がヘビ毒を受けたようなものと考えれば、臓器の方にも毒が染み込んでいる事だろう。

 今や、天使長・野仲の身体は、自己再生が追い付かない速度で毒に蹂躙されていた。

「超・絶対零度!」

 滅びゆく肉体のまま、春花さん達に手をかざそうとした天使長。

 それに先んじて、僕の詠唱が完成した。

 天使長を包む、超極低温の靄。

 そして、おなじみのコンボ。

「凝れッ!」

 しめ縄のような質量・存在感を持つ電龍が、崩壊する天使長の身体をさらに食い散らかす。

 ついでに、一瞬なりとも彼の全神経を焼き尽くし、動きを封じる。

 そこへ、

那由多獄門なゆたごくもんッ!」

 愚直なまでに真っすぐ、天田が天使長・野仲に飛び掛かる。

 すれ違いざまに、水平斬りを一撃。

 一瞬遅れ、濁流のような光学的エネルギーが空を穿ち、宇宙を貫いた。

 熱波が、僕の肌すらも炙った。

 衝撃波が、天使長の五体を、散々に引き千切ってしまった。

 白光に満たされた中、遅れて噴き上がる、闇エネルギー。

 光学エネルギーに灼かれる天使長の半焼死体を、漆黒の流れが舐めるように冒し、溶け崩していく。

 最初の一太刀を起点として、大量破壊光波、生命根絶暗黒波を順に放射する、三段構えの魔剣術。

 光と闇が併さった、天田渾身の必殺技だ。

 ついに。

 天使長の五体、四散。

 胴体を剥奪された、野仲工場長の顔。

 それは、相も変わらず、僕を無感情な瞳で睨みつけていた。

「ぅ……」

 やっぱり、身体が縮こまりそうだ。

 けど、

「破ッ!」

 僕は、何かを振り切るように、光波の魔法を放った。

 もはや抵抗する手立ての無い野仲さんは、僕の生み出した光の柱に呑まれ――脳も残さずに蒸発した。

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