32

「おっと、動くなよ」

 天田が、対物ライフルを沖村さんに向けている。

「……アンタは、神尾君のツレか。確か、天田……君」

 ごとり、と、土を叩く重苦しい音がした。沖村さんが、武器である天秤を落として、両手を挙げたからだ。

「そうだよ。お前らがハメようとしている、神尾クンのツレ――運命共同体だ」

 天田が皮肉で応じる。言外に含む殺気は、明らかだ。

 このままじゃ、いけない!

「待って!」

 僕は、両手を広げて二人の間に割り込む。

「彼は、僕を助けてくれたんだ!」

 天田が、目に見えて怯む。

 ライフルの構えは崩さないけど、大袈裟なほどにうろたえ、後ずさる。

「お、おう……その……」

 必死さが伝わったのだろうか。僕に対してこんなにあっさり引き下がる天田なんて、初めて見た。

「……自分の今の姿、少しは考えたら?」

 追いついてきた穂香が、心底嫌そうに警告してきた。

 自分の、姿……? 姿……。

 ……、…………、

 あっ。

 そうだ。

 今の僕は、大庭青葉おおばあおばを憑依している状態なのだけど、

 春花さんの強化魔法で一回り太くなっていたはずの腕が、今は逆に細くなっている。

 しぼんだわけではない。むしろ、骨と皮だけみたいだった僕の腕が、今は健康的な肉付きになっている。

 腕以上にわかりやすい変化が起きたのは、髪だ。僕の後ろ髪は、腰の高さまで伸びていた。

 前髪がひとりでに伸縮し、長さがそろっている。俗にいう“ぱっつん前髪”になっていた。

 それに、喉仏がひっこんでいる。

 先ほどから声が別人のように高いのは、声帯が全く変わってしまったからだ。

 あと戦ってる最中、胸が痛い、苦しい、と言ったと思うけど、当然だ。

 今、僕の胸部は大きく隆起している。

 何故なら、僕が憑依したキャラクター・大庭青葉のバストは八七センチだからだ。

 幸か不幸か、僕と青葉の服のサイズは、そんなに乖離かいりしてはいなかった。

 けれど、胸部だけが締め付けられて痛い、苦しい。

 こうなるとわかってたなら、僕の漫画、メインヒロインでなく青葉の方を貧乳要員にデザインするべきだった。

 揺れの弊害も甘く見ていた。ブラもなしに近接戦なんてしようものなら、胸が痛くてかなわない。やはり、その辺の備えは必要だった

 これが、破壊の死神・大庭青葉を憑依した副作用。

 一言で言えば、術者である僕の性別が変わってしまう。

 青葉の戦闘力再現をより完全なものとするためだろうか、この魔法は僕を女にしてしまうらしい。

 もし身体が女の子になったら。

 古今東西、多くの男が抱いてきた夢を、期せずして叶えてしまったことになる。

「天田さん。このヒト、あなたの友達の神尾庄司さんですよ。

 魔法の副作用で、生物学的に女性化してしまったんです」

 穂香が、ゴミ溜めの中にいる蛾でも指し示すように説明してくれた。

 やっぱり、心を読める人間がいると、スムーズに事が運んでいい。

「な、な、な、かみっ、かみおっ!?」

「お、おい……嘘、だろ……」

 天田と共に、沖村さんもショックをあらわにした。

 今の僕の姿、黙示録の騎士ですら引くレベルか。

 しかし、そうか。

 だから沖村さんは、僕の事がわからなかったんだ。

 これを僕であると見抜けと言う方が、沖村さんにとっては酷な話だ。

「しょ、庄司くん、そ、そそ、それ、もとに戻るんでしょうね!?」

 春花さんも、呂律が回らないままに僕に詰め寄る。

「まさ、まさか、一生そのままとか」

「だ、大丈夫ですよ、一度試して、元に戻れたし」

「試した事あるの!?」

 春花さんの声色は、もはや悲鳴に近い。

「だって、新しい魔法はテストしてから使わないと、またどんな失敗をするか怖かった、し……」

「そのテストで戻れなくなったら、どうするつもりだったの……」

「いやまあ、神影星司みかげせいじを憑依した時も、体のつくりは結構変わったんですよ。ぱっと見わかりにくかっただけで。

 だから、前例あるし、大丈夫かなーと……」

 ようやく落ち着きを取り戻したのか、春花さんは呆れ顔だ。

「浅はか過ぎる……」

 いやまあ、春花さんが怒るのも当然だ。

 もし世間に知られれば、この世の生物学を根底から滅茶苦茶にしてしまう。

 だから、僕の中で、大庭青葉を憑依させる魔法は禁呪なのだ。

 けれど、前衛として三匹もの魔物を食い止めるには、ガチの戦士にならないと無理だった。

 女になるという程度の些細な反動にこだわる余裕は、もうない。

「とに、とにかく、だ」

 沖村さんが、どもりながらも切り出す。

「俺は、アンタらとやりあう気は無い」

 そうだ。今、一番大事な事は、これだ。

「俺は今回、天使長――野仲の命令で、アンタらをここまで追ってきた」

「そりゃあ、入国審査も大変だったろうな」

 はなから聞く姿勢を見せない天田。

 それでも動じない、沖村さん。

 天田に突き付けられた世界最強の対物ライフルも、彼にとっては、どの程度の脅威なのだろう。

「俺は、天使長・野仲を殺したい。だから、ここでアンタらと手を組みたいんだ」

 天田は、もう何も言わない。

 かわって一歩踏み出したのは、春花さんだ。

「信用出来ると思いますか?」

 そう言いながらも、春花さんも天田も、目線は穂香に向けている。

 彼女の前で、嘘は絶対につけない。

 僕らのチームでは、もう当然の事だった。

「私まで“チーム”で一括りにされるのは、気分が悪いけど」

 穂香は、臆した風も無く、沖村さんの側に歩み寄る。

「彼は、何一つ嘘を吐いてません」

 人の心の真実を暴く、翠瞳すいとうが、沖村さんの思考全てを走査した所だった。

「要約すれば、こう言う事です。

 彼――黒の騎士こと沖村健次郎さんは、かの“天使”に取り込まれ、それに打ち克った。

 けど、他の三人と違って、黙示録の騎士として人間の上位存在になどなる気は起きなかった。

 彼は、どうにか背中の翼を切除して、元の人間に戻る方法を探りたかった。

 だって、彼には三二歳にしてようやく巡り合えた、婚約者も居たんですから。

 けれど、新世界を作る気満々だった他の三人と一人で敵対するのは分が悪かったから、その気持ちはなるべく押し隠して来た。

 それでも、野仲――青ざめた騎士に対しては、それとなく日常に戻りたい、という相談はしてきた。

 けど、野仲がそんな事を本気で聞き入れるはずはない。

 沖村さんの事情を慮って、なるべく検討すると言う“ポーズ”は見せた。

 けど、所詮ポーズはポーズ。それは、沖村さんが良く知っていた。

 何故なら、人間だった時ですら、のらりくらりと、自分を飼い殺しにしてきた上司なのだから。

 名ばかり現場リーダーに任命され、書類の上では平社員。責任ばかりが主任クラスで、役職手当ては一切出ない。そう言う風にいい様に使われて七年。

 そんな工場長の延長でしかない天使長・野仲が、新世界の駒として便利な自分を手放すはずがない。

 話し合うだけ無駄なのは、人間だった頃からわかっている。

 だから、」

「ああ。だから俺は、野仲を殺すしかないと考えた」

 沖村さんが、すがすがしいと言わんばかりに、穂香の後を継いだ。

「水野君は日本から消えて、東山さんは死んだ。アンタらはすっかり魔法に順応して、それらをやってのけた。

 だから、今しかない。

 ここで俺が裏切れば、野仲は一人になる。

 この世で唯一、野仲と敵対して、野仲を殺し得るアンタたちと手を組んで、奴を黙らせる。

 あわよくば、アンタらの編み出した魔法で、俺が人間に戻れるかもしれない。

 俺はこの機に、アンタらを利用して、俺の望みを叶えたい。

 人並みの生活を、取り戻したい。ただ、それだけだ」

 本当に、今の穂香がいると話がスムーズにまとまるものだ。

 もし、彼女の読心魔法が無かったら……僕もこれほど即座に彼の言を信じられただろうか。

「神尾君。俺を、君の仲間にしてほしい」

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