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 僕はグアムに来たらしい。

 グアム国際空港の雰囲気は、日本とそんなに変わらない。

 入国審査待ちの日本人が、文字通り蛇行した長蛇の列を作っているし、ポスターとか電光掲示板にも日本語が書いてある。だから、南国に来た実感がわかなかった。

 いや。

 グアムに来た実感が薄いのは、この入国管理所の見た目ばかりが原因ではないだろう。

 僕は、隣の人を横目で見た。春花さんだ。

 このグアム行きを言い出したのは、彼女だった。




 赤の騎士を殺した後、僕はほとんど放心状態のまま、春花さんに連れて行かれた。

 彼女の、アパートに。

 それからどんなやり取りをしたのか、あまり覚えていない。情けない事だけど、彼女の部屋で居候し、三日はぼんやりしていたと思う。

 その間、新世界プランニングが正式に起業した事や、フランスで白の騎士の消息が途絶えた事が報道されていた。

 僕が引き起こした、謎の超局地的地震についても。

 東山さんの事を言及する人は、誰一人いなかった。

 このままではいけない。新世界プランニングが正式に発足した今、僕を狙う人はますます増えるだろう。

 となると、これ以上、春花さんの所に居座るわけにはいかない。

 そんな当たり前な事をようやく考えられるようになった頃だ。彼女が、グアムへ行くと言い出したのは。

 それで、必要な書類を書かされたり、荷物を準備したりして。

 僕らは本当に日本を飛び立ってしまった。




「そろそろパスポートと、さっきの書類を出して置いて」

「ぇ、ぁ、はい」

 春花さんに促され、僕は慌ててスーツケースを探る。荷物をごちゃごちゃに詰め込んだから、探し当てるのに手間取った。

 後ろに並ぶ穂香が、見苦しいものを見る目で見下ろしてくる。

 その隣には、天田の巨体。穂香の隣で、いつになく居心地悪そうにしている。

 そう、春花さんはこの二人も呼んでいた。

 天田はまだしも、あの穂香が素直について来るとは。この旅行の“趣旨”を考えても、奇跡的な事に思える。

 当然、このグアムにはただ遊びにきたわけじゃない。

 僕ら覚醒者四人、問題の渦中にあるあの土地から離れて、身の振り方を考えるためだ。

「ハイ、お兄さん、こっちの紙見せて」

 体格の良い、黒人の職員が、なかなか流暢な日本語で求めてきた。ああ、ようやく海外に来た気がする。とにかく見せるものを見せなきゃ。

「いいえ、ちがうよ、パスポートはぼくに見せない。見せるの、こっちの二枚」

「ぁ……はい、すいません……」

 海外での前科が無いかとか、使った飛行機の名前とか、たくさん書かされた紙だ。

「オーケーよー、あなたの書いたやつ、完璧!」

 とても陽気に太鼓判を押してくれた。

 一時間くらい並んでから、ようやく入国できた。

 男女四人でグアム旅行、と一口で言えばリア充っぽい。

 けど実際は、一言も交わさず。早足で空港を抜けた。

 熱帯夜の風が、ねっとりとまとわりついてきた。夜闇に、ヤシの葉が色づいている。




 バスでホテルへ移動する。

 日本のバスみたいに座席が列になってない。車内の外周に沿って、座席が大きなコの字になっている。

 電車の長座席を思い出す。

「……」「……」「……」「……」

 けれど僕らが顔を合わせて座っても、話すことは無い。

 気まずいので、窓の外に視線を逃がしてみた。

 今は午前二時くらい。同じ時間帯の日本よりは明かりがついているけど、これと言って珍しい景色でもない。




 ホテルについて、十三階から夜景を見下ろした。

 コンビニやら飲食店やら他のホテルやらから滲み出す光が、夜闇をじわりと浸食している。

 そんな中、信号とか街灯とかが、星のように点々と、刺すような光を放っている。

 本来なら、何らかの感動を覚えたのかもしれないけど。今はとにかく、眠い。

 ベッドに身を投げ出した。

 天田の爆音じみたいびきを聞き流しながら、僕は眠りの底に落ちた。




 不規則に浮き沈みする天田のいびきが、僕の頭蓋を苛む。

 それに気づいた時、僕は目覚めた。窓から朝の白光が漏れだしている。

 昨日見下ろした窓には、白亜の町並みと空色の海が広がっていた。

 そうか。

 僕は、南国に来てしまったんだ。

 日本での問題を、何もかも放置して。

 今更ながら、そんな事を悟った。


 コンコンと、ドアがノックされた。

 や、やばい、ルームサービスだろうか?

 僕、英語話せない! 身振りとかノリで伝達するだけの甲斐性もない!

 もう一度、コンコン。

 助けて、天田! お前確かTOEIC900くらいあったよな!?

 自分の贅肉に圧迫されて苦しそうにいびきを立てる天田に目配せするけど、それで起きてくれるはずもない。とりあえず、揺すって起こすか?

 天田の肩をつかもうとした所でまた一つ、コンコン!

 焦れているのか、今度のノックは強い。

 すぐに出なきゃ! 僕は、一目散にドアへ向かった。よせば良いのに、何の準備もなくドアを開いた。

 そして、

「おはよう」

 不意に現れたのは、白いワンピースにこげ茶の麦わら帽子といういでたちの、春花さんだった。




 いろんな意味で、夢のような時間だった。


 アプガン砦のてっぺんから、空色の海を見下ろした。

 砲台が、皮膚病のように錆び付いていた。


 純白の聖母マリア大聖堂を、二人で見上げた。

 一ドル寄付して、チャペルにも入った。

 途方もなく広く、天井が高い。

 一九八一年に、当時のローマ法王が来訪された時は、島民皆がここに殺到したと言うから、凄まじいスケールだ。

「もしも私が式を挙げるなら、もっと小さなチャペルが良いな」

 やっぱり、春花さんも、いつかは誰かと結婚とか考えてるのか。


 お昼は、バーガー店に入った。

 やっぱり、英語での注文にテンパる。

 メニューを指差し、無難にダブルワッパーチーズのセットを頼む。

 あと、セント硬貨の区別がとっさにつかなくて、しびれを切らした店員がさっさとつまみあげてしまった。

 何だよ、クォータードル(二五セント)って。中途半端すぎだろ。

 更に。

 コーラのサイズを、言われるままにラージサイズにしたら、とんでもない大きさのカップに入って出された。

 日本人のラージサイズは、世界のスモールサイズ。よく覚えておこう。

 僕のつかまされたコーラを見た春花さんが、目を弓にして思いきり笑った。

 彼女のこんな笑顔、初めて見たと思う。

 魔法も魔物も無かったあの日常でも、彼女の笑った顔を見たことが無かったのに。

 ハンバーガーとポテトは、意外と普通のサイズだ。バンズもパティも分厚くて、野菜はみずみずしい。

 実家の近所に店舗が無いのが悔やまれる。


 お昼を食べたら、恋人岬を見に行った。

 よく手入れされた芝と、ゴミ一つ落ちていない石畳が、常夏の青空に映える。

 抱き合う恋人達の銅像を過ぎると、断崖絶壁の景色が広がる。

 展望台を上ると、落差は一二〇メートルを越える。

 昔、グアムの先住民族・チャモロ人のカップルが、身分の違いで結婚を反対されて、この崖から飛び降りたらしい。

 その悲恋が、この場所に恋人岬と言う名前をつけさせた。

 今の時代、身分差が結婚の障害になる事は………無いとは思う。昔ほどは?

 けど、もしも、まかり間違えて、僕が結婚する事になったとして。

 僕が相手の家族に認められる公算は、あまり高くないだろう。

 もしもそれで、結婚への希望が完全に絶たれた時。僕は、ここから飛び降りる事なんてできるのだろうか?

 柵から身を乗りだし、下を覗き込む。直下の砂浜が、とても遠い。距離感が狂いそうだ。

 もっとも、今の僕なら、落ちたとしても死にはしないだろう。そんな無粋な事を思い出した。

 それでも足がすくむ事には変わりない。

 それに。

 春花さんの横顔を、ちらりと見る。

 彼女がここから落ちるのも嫌だと思う。


 一瞬一瞬をしっかり覚えていようと、気持ちは焦っているのに、

 彼女と過ごした異国の時間は、砂粒のように零れ落ちていく。

 ただ、グアムの日差しに包まれた彼女は、淡くて白かった。


「そろそろホテルに戻りましょうか」

 いつになく穏やかな笑みを浮かべて、彼女は言った。

「あまり長時間、天田さん達と離れたままで居ると、万が一と言う事もあるし」

 次の瞬間には、いつもの春花さんに戻っていた。

 クールで、どこかはりつめたような。

 確かに、グアムにも魔物が出ない保証はどこにもない。騎士達の追手がないとも限らない。今、天田と別行動しているのは、軽率と言えるほどのリスクを伴う事だ。

 それでも今日、彼女は、僕と二人で遊び歩く事を選んだ。

 それは、どうしてなのだろう。

 そのうち、わかるだろうか。

 とにかく、天田にも、あまりホテルから離れないようにメッセージしておこう。タクシーに乗って一番、早速スマホを取り出す。

 あ、アプリのアイコンに着信のマークがついてる。そう言えば、サイレントマナーモードにしたままだった。

 何か、前にもこんな事があったような。

 嫌な、予感。


【穂香ちゃんと、屋外射撃場いてくる】11:14

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