19

 犬を連れた人が、穂香ほのかの肩を引きつかんできた。

「ちょっと、神尾さん、すいません! 聞きたいことが――」

「離して!」

 穂香は身をよじって逃れようとする。

 けど男は、しつこく食い下がる。

 くそ、こうなったら!

「や、やめてください!」

 情けない、上擦った懇願を、どうにかひり出せた。

「おお、神尾さん!」

 家の周りを張っていた人達が、一斉に僕に近づいてくる。

「さ、探してたんですよ!」

「あの話は、本当に、三億円って――」

「ゃ、安らぎあれ!」

 僕が叫ぶと、夜闇に白い煙が放射した。それは三又に分かれると、ウミヘビのように宙を泳いで、彼らを取り巻いた。

 煙を吸うと、みんな、たちどころに倒れた。犬もだ。

 今回、普通の人々に狙われる事を想定して編み出した、非殺傷こ催眠魔法。

 この魔法によって生じた煙を吸うと、たちどころに意識が失われる。

 受け身をとれてないから怪我したかもしれないけど、そこまでは配慮できない。

 あとに残ったのは、震えて立ち尽くす、穂香だけだ。

「ほ、穂香……」

 僕は、恐る恐る、妹に歩み寄る。

 正直、またさっきみたいに罵倒されるのは怖い。けど。?

「家に、戻るんだ……」

「……」

 ――僕はもう、出ていくから。

 ――二度と、帰らないから。

 彼女が言う通りにしないようなら、それを教えるつもりだったけど、

「……無理」

 穂香は渋々、僕に口をきいた。

「今、理解した。こいつらは、まだまだうちに来る。アンタが消えようが、お構いなしに」

 さっきの興奮状態から一転、彼女はかなり冷静に、どこか諦念したように言う。

 それでも、穂香の言うことは間違いだ。

 彼らの目的は、僕だ。

 賞金が懸けられているのは僕個人であって、穂香や他の家族ではない。

 さっきの男が穂香にまで絡んだのは、僕=三億円の行方を知りたい為。穂香自身に用があったわけじゃない。

 僕が去った後でも、しばらくは家に迷惑もかかるだろう。

 けど、僕がいなくなれば、いずれは――「無駄」来なくなるのでは、

 僕の思考に割り込むように、穂香の冷たい否定が刺し込まれた。

「む、無駄って、何が?」

「仮にアンタが家を出たとしても、むしろアンタを誘き寄せる為に、こいつらはうちを襲うように“仕込まれて”る。家に籠ったら、余計に逃げ道が無くなる」

 いや、どうしてそんな事が言い切れる? この家が狙われ続けるなんて。

「こいつらは、“半分”操られてる。あの、赤の騎士に」

「ぇ……」

「あわよくば三億円が手に入るなら、多少、神尾家に迷惑をかけても良い。元々こいつらは、その程度の意識は持っていた。

 けど、それを増幅して、私達に過激な行動を取りかねないように調整した者が居る。それが、あの赤の騎士。東山ひがしやまさんとか言う」

「ちょっと、穂香、何を言って」


「私は……他人の心や記憶を読めるようになった。アンタが目覚めた魔法と、恐らくは同じ力」


 ここではじめて、目が合った。

 少し潤んでる妹の目は、いつも通りに鋭い。

 けど、いつもとはどこか、その形が違う。

 多分、いつもの軽蔑の眼差しに、憎しみが含まれているからだ。

 そして、よくよく見れば、彼女の黒目には緑色の燐光が微かに宿っている。

 これが、心を読む魔力だろうか。綺麗だけど、夜の猫みたいで怖くもある。

「呆れた。この状況でまず考える事がそれだけって。

 真っ当な人間なら、少しでもこの状況を打破する方法とか必死に考えるでしょうに。そういうスタンスだから、アンタの人生ダメになったんでしょ」

 ぅ……。

 どうやら本当に、穂香は僕の心を読んでいるのか。

 しかも、僕らがこれまで遭遇してきた事を、全て把握してるらしい。

「読んだ情報を整理する時間は、充分にあった。ほんと、この数日間、気がおかしくなりそうだった」

 だからか。さっき、あんなに興奮していた、本当の理由は。そして同時に、全ての事情を冷静に察している理由も。

 彼女はようやく、事態を受け入れたばかりだったんだ。

 全て、魔法に覚醒したせいだ。

 天田達ばかりか、妹までが……一体どうなってるんだ。

「こいつらを眠らせたのも、迂闊だったね。これだけの人数が昏倒してるこの状況、後で説明出来るの?」

 そう言われれば、そうかもしれない。

 でも、他に手は無かった。

 今までの攻撃魔法じゃ、この人達が一瞬で消し灰になってしまう。

 僕は、人殺しになりたいわけがない。

 でも僕は、水野君を殺した。それを忘れたわけじゃない。

 だから、殺さずに戦闘不能にするなら、眠らせる魔法を作るしかないって、

「そして、その半端な綺麗事の為に、家族を危険にさらす、と」

 それは、そんなつもりは、

「水野は半分化け物だった。同一存在がフランスに現れた。だから、殺したのはノーカウント」

 ち、違う、僕は水野君を殺したってちゃんと認めて、

 だからこれ以上、魔法で人を殺したらダメだって思って、

「これからは手を汚したくない。アンタは、水野を憐れんでるんじゃない。

 あんだけ罵詈雑言吐きかけてきた挙句、自分を殺そうとしてきた相手なんて、おもんばかれる筈が無いものね?」

 違う……、

「アンタは、軍隊ですら太刀打ちできないような途方もない力を“個人”として手に入れた。水野はそれに敗れた。水野には力が無かった。だから、悪は水野で自分は悪くない。心の底ではそう思っている」

 違うんだ、

「アンタが大事なのは、家族の命・前途よりも、自己満足の綺麗事」

 違うッ!

 僕の思いが心の中で炸裂。

 穂香は鞭打たれたように怯んだ。

 ぁ……、僕の考えを読んだからか。

 僕にその気が無くても、これじゃ、怒鳴りつけたのも同じだ。

「そのっ、ごめん、穂香、僕は」

「っ……、…………もう良い。時間の無駄だから」

 穂香は、さっき絡んできた男を爪先でつついた。

「とにかく、私はこいつらがここに来る前に何を見たのか、ある程度読める」

 そう言う穂香の瞳に宿る燐光が、倍増した。

「――この男達は、元々、うちの様子を見張る為に歩いていた。そこで赤の騎士に出会った。

 騎士に施された精神操作――暴徒化とでも言うべき――魔法で、うちを狙うように煽動されていた。

 騎士は、近くに居る。具体的には、小谷辺こたにべ大橋」

 赤の騎士が、事務員の東山ひがしやまさんが、近くにいる。

「野仲と沖村は側に居ない。もしかしたら、こいつが気付いてないだけで隠れているのかも知れないけど」

 穂香が、瞳を煌めかせながら、僕を見据える。

「私がこの力でアンタを補助する。赤の騎士の所まで案内する。

 だから少なくとも、私を巻き込んだ分くらいは清算して。アンタの命と引き換えになったとしても」

「なっ」

 それは、危険すぎる!

「誰が? まさか私の命の事じゃないでしょ。アンタは、自分の命が惜しいんだよね」

 違う! それは、絶対に違う!

「上っ面の思考だけなら、何とでも言える。

 私はアンタのあらゆる弁明に耳を傾けるつもりは無い。

 だから、あの赤の騎士――東山さんを消しに行きましょう。

 あの女のせいで、何の落ち度も無い私まで巻き込まれたんだから」

「だ、ダメだ、僕に、東山さんの場所だけ教えて――」

「それで、万が一小谷辺大橋から移動された時、アンタ一人でどうやって探す気?

 他人を扇動し、自分は高みの見物を決め込んで敵を追い詰める事。それが、あいつの戦術観。

 操られた人達の心を辿って行かないと、永遠に見つけられないかも知れない」

 ……、何も、返せない。

「私は、私が元の生活に戻れる事以外に興味が無い。アンタが何を考えて居ようと、全く関係無い。

 悪いのはアンタ。だから、償って。私からは、以上」

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