12
一言、呪文を唱えれば、あいつは再び動き出す。
弓矢でヘリを撃ち落とすような化け物が。
緊張が、僕を縛ろうと身体中をめぐり始めた。
それを振り切るように、
「時間遅滞解除!」
一息に叫んで、
「超・絶対零度!」
続けざま、氷の詠唱を最速で口走った。
騎士の羽ばたきが再開した。
そして、絶寒のモヤが、あいつの浮かぶ空間を死の銀世界に変える。
一撃で殺せるなんて、甘い事は考えてない。せめて、超低温であいつの筋肉が萎縮すれば、動きを封じられる。
天田と連携して、一気に畳みかける。もうプランは完成していた。
――はずだったけど。
モヤが、白の騎士を中心に放射して、散った。
あいつは依然、悠々自適に滞空していた。
効いてない。
レジストされたか。
僕が出来るなら、あいつも出来る。想定の範囲内だ。
切り替えていこう。
「ふひはっ」
……と思ったら、白の騎士の様子がおかしい?
すぐに襲ってくるものと思ったけど、白の騎士は自分の両手を見下ろして、体の具合を確かめているようだ。
一体、どうした?
「ひは、ひははははははははははははははははハハははハハはははハハハハは」
本当に、どうしたんだ!?
あいつは、ただただ、狂ったように笑い転げている。
「やっと、やっと、やっと戻れた!」
何がそんなに嬉しいのか、白の騎士は狂喜をあらわにしていた。
「オレがどれだけこの時を待っていたか、わかるか、神尾!」
いきなり僕を指差して、喜びから一転の憎悪を剥き出してきた。
何だろう。さっきにも増して、過剰なほど僕の事を憎んでいる気がする。
あいつの時間が遅滞している間、確かに天田に一撃入れてもらった。
けど、何万分の一にも薄められた打撃は、あいつに何の
……いや、待てよ。
あいつの時間がそれだけ遅くなっていたと言う事は。
僕らにとっての一秒が、あいつにとっての何日にも相当する状態だったわけで。
つまりあいつ的には、ほとんど静止した変化の乏しい世界に、
「一二〇年だ」
僕の考えを見通したかのように、あいつは言った。
ひゃ、一二〇年だって!?
「体感時間を魔法でカウントしたのは途中からだが、最低でも一二〇年、オレは閉じ込められたんだ! わかるか、このうすらクソ野郎、テメェのせいだぞ!」
そうだ。その可能性が、頭から抜けていた。
超スローモーションの世界に幽閉され、身動き一つ、まばたき一つできないまま、一二〇年。
それは、確かに恨まれても仕方がない。僕は、何てことをしてしまったんだ。
「もう、生まれて最初の二〇年ちょいなんて、ちっぽけな思い出になっちまったよ。アンタのおかげでなあ、“先輩”?」
粘っこく、不可解な事を言うと。
白の騎士は、ボロボロになったマスクを、おもむろに脱ぎ取った。
今更、素顔をさらす気か。
そして、その顔は。
その……顔は。
僕の後ろで、春花さんが息を飲んだ。
マスクを脱いで現れた顔は。
井水メタルで働いていた時の後輩であり、正社員として僕の上に居た――水野君だった。
そうだ。
確かに彼は、天使に食われた。
彼の体は、あの天使の中にあったのだ。
噛み砕かれなかったのなら、彼の顔が今も存在していて不思議はない。
けれど、待てよ。
この感じは、彼から受ける印象は、むしろ。
「ああ、これをネタばらししてやる時を、ずっとずっとずっと、待ってたぜ、神尾ォ」
その喋り方を注意深く見て、やっと腑に落ちた。
彼の性格は、“水野君を食った天使”と言うより、水野君そのものに見える。
「まさか、君は!」
「そうだよ。オレは、あの天使の野郎に食われた。そして、身体を吸収された。
けどな、魂だけは売り渡さなかったぜ。オレと天使の意識が混ざる時、逆にあの野郎を支配してやったんだよ!」
そうして水野君と言う自我は、天使と言う超越存在の肉体を得た。
「そんな、まさか……」
だとすれば、僕が、水野君にした事は。
ついさっきまで、二〇数年と言う時間が、水野君の人生の全てだった。
僕は、彼に対し、これまでの人生の五、六倍にも相当する時間を、幽閉してしまったのだ。
仮にも、同じ工場で働いていた仲間を。
立場が下だった僕にも、後輩としての礼は欠かさずに接してくれた彼を。
とんでもない仕打ちをしてしまった。
「ぁ……ああ……」
「元々、気に入らなかったんだよ。ただ歳上だと言うだけの理由で、テメエにへーこらした態度取らなきゃいけなかった事がな。
いや、むしろ、オレよりも五年も早く生まれてきて、それだけのアドバンテージがあったのに、オレらの足を引っ張ることしか出来ない。
そんなクソみたいなお前の存在そのものが、オレは許せなかった。
お前みたいなやつが生きててもいいなら、オレらが一生懸命仕事を覚えてきたことは何だったんだ。オレらは、頑張らなくてもよかったってことになるぜ。
お前がヘマすりゃするほど、オレらの努力が否定されてきたようなもんだよ。
お前みたいな無能は、生まれてきた事そのものが犯罪と同じなんだよ! わかるか、あァ? コラ」
僕は、何も言い返せない。
ダメだ、彼とは殺し合う関係なんだ。
気持ちで押されたら、死ぬのは僕や、他のみんなだ。
なのに、魔法が撃てない……。
「魔法を使えるようになって調子コイてたんだろうがよ。オレも進化した。
元がクソな奴と、元がまともな奴。その二人が同じようにパワーアップしたとして、どちらが格上か。お前みたいな愚図にも、それくらいはわかるよなぁ?」
「ぅ……」
ダメだ。
会社で培ってきた、水野君に感じる重圧が、僕の体を縛る。
彼に言われるまでもなく、わかっていた。
僕より五年も若くて、あとから井水メタルに入ってきた。
なのに、ほんの数日で、僕をあっさり追い越してしまった。
それがどれだけ情けない事か、会社にとって許されない事か、僕にだってわかる。
いつかこうして、後輩の仮面を脱いだ水野君に罵倒される日に、いつも怯えてきた。
いや。
体感で一二〇年の時を生きた彼は、もう、後輩ですらない。
「お前に追いやられた時間の遅い世界は、ほんとにクソつまんなかったよ。
首を動かす事もできず、変わらない景色を眺めるしかできない。
そこのデブ野郎が飛びかかってきた時は、嬉しかったな。少なからず景色が変わるんだからよ。
けど、喜んだのは最初のうちだけだった。
ジャンプしてから、オレの目線の高さに達したそのピザデブ。
体感何年、その汚ぇ太鼓腹が、オレの視界を塞いだと思ってやがる。
それからのオレは、もう何も望まなくなったよ。
この状態から解放されたらお前らをどんな風にぶち殺してやろうか。
それだけを、生きる希望にしてきた。死んだ方がマシだったけど、あの世界じゃ、自殺さえできないんだからな。
一〇〇年あまり、お前を処刑する事だけを考えて、考えて、考えて考えて考えて考えてッ!
ひは、ひはは、やっと、ひははは、その時が来た、ひははははは!
ひは、覚悟しろよ神尾ひははは、お前はぜってー、ひはははは、苦しませるだけ苦しませて、なぶり殺しにしてやる、ひははははハハはハハハハハハは!」「詰まらない恨み言は、それで終わり?」
ふと、春花さんが食い気味に言い放った。
「あ? なんだと」
水野君の形相が、また怒りに歪む。
「二度は言わない。貴方が一二〇年閉じ込められてた事で、神尾くんが責められる
「おい倉沢、テメエ」
「覚えてる? さっきのテレビで、貴方は私達人類を支配する新たな種だと宣言した。
そして貴方は、何の落ち度も無い報道関係者や警官隊の人達を何人も殺した。
神尾くんの妹さんを殺すと脅して、彼と殺し合った。
その挙げ句に、時間を遅くされて、死ぬよりも辛い思いをした。
だから、何?」
「黙れ」
「貴方は人間を超越した。それは認める。
けれど、それなら何故、未だに井水に勤めて居た時の事を蒸し返して、神尾くんに恨み言を並べ立てるの?
神尾くんは、家族や周りの人々を救う為に、やむを得ず貴方に抵抗した。
全て、貴方の身から出た錆じゃない。
これは、貴方が得意がっていたフットサルとは違う。ルールの無い、殺し合い。
その土俵を作り、
貴方は誰に何をしても許された。だから、誰が貴方に何をしても、許さなければならない。
例えその仕打ちが、貴方の想像力を遥かに超えるものだったとしてもね。
やるなら、やられる覚悟も当然あったんでしょう?
なのに。
人間を超越したと言いながら、言ってる事は子供の癇癪レベル。
ねえ元・水野君? 私の言う事、理解出来てる?」
ちょ、ちょ、ちょっと、春花さん。
あまり水野君を刺激したら、さすがにまずいんじゃ……。
けど、
「神尾くん。貴方は何も気に病む必要は無い。
あれはもう、私達の知る水野では無い。私欲の為に化け物の力を振るう、唯の殺人者。
だから、私達は胸を張って戦いましょう」
……。
なんか、春花さんの言葉が胸に染みていくにつれて。
気が、楽になってきた。
春花さんは、別に魔法を使ったわけじゃない。
彼女の言葉で、僕は決意ができたんだ。
僕が考えなしに使った時間魔法で、水野君を一二〇年の責め苦にさらした事は事実だ。
春花さんがどれだけフォローしてくれても、その事自体は、二度と消せない。
けど。
だからと言って、彼の思い通りにさせるわけにはいかない。
僕にだって、護らなければならないものがある!
「上等だァ。一二〇年分の苦しみ、きっちりテメエらに返してやるぜ!」
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