中二の頃から、幾度となく妄想してきた。

 ある日、自分に不思議な力が目覚めて。それに敵対する、魔のものどもが、忽然と現れて。同じような力に目覚めた仲間達と、死闘を繰り広げる。仲間の中には、僕好みなタイプの女の子が一人と、理解ある親友が欠かせなかった。

 僕がダラダラと描き続けた漫画・覚醒サークルも、そんな中二の頃から患った、ささやかな“病気”の延長だった。

 これまで僕は、そう言う“覚醒と襲撃”が現実に起こればいいと考えてきた。そうすれば、何をしてもうまくいかない現実が一変する、と。

 そして、僕の望んだ事態は、現実に起こった。行くのが嫌だった職場は破壊されたし、僕は特別な力を得た。しかも、憧れだった女の子と、一番仲のいい友達が、僕と同じ運命を共有している。

 喉から手が出るほど、欲しかった状況だけど。

「魔法のことは秘密にして、今までどおりに生きたいと思う」

 珈琲チェーン店の片隅、僕たちはお互いの顔を近づけて、こそこそ話をしていた。

「神尾君、それはどう言う事? まさか、次に同じ事があっても、何もしないつもり?」

 この店に落ち着いて開口一番、彼女は“今後は、自分達三人で、化け物を駆除したい”と言い出したのだ。

 僕はそれを、断った。出来る限りの勇気と気遣いで。

「ねえ、答えて。死にそうな子供が目の前に居ても、貴方はみすみす見殺しに出来ると言うの?」

 声こそ落としているが、春花さんの語調はかなり強い。

「……こんな事が二度、それもこの県内で起きた以上、“次”が起こる可能性は高い。

 今までの二体にしても、神尾くんが止めなかったら、今頃どうなって居たか」

「次があったなら、自衛隊とか、あの辺が動くんじゃねっすかね。お上から許可あれば、でしょうけど」

 天田が、(十中八九)わざと無責任に言い放った。

「ワシは神尾に賛成。次があったとして、ワシらが体を張る義務はどこにも無い。

 あのドラゴンでワシも神尾も、どれだけ死にかけたか、おたくも知ってるでしょ」

「私は何も、偽善を口にして居るつもりは無い。次に同じ様な事があったとして、それを対処する手段を持つ私が、そんな風に割り切るなんて出来ない。

 死にそうな人達を見捨てると中途半端に決心して、いざその状況に立った時に迷えば、もっと悲惨な事になる。だから、常日頃から私達が力を合わせて備えないと」

「ワシらが積極的に首突っ込んで死んだら、同じ事っしょ」

「だからこそ、私達はこの力の運用法を確立して、自分達の身も守った上で、」

「死にますって。いつかは。あの戦いは、そう言うやつでしたよ。八割の確率で、ワシか神尾のどちらかは死んでた。

 それの試行回数が増えれば増えるほど、ワシらの死ぬ可能性が上がるのは、わかるっしょ?

 それだけじゃない。一度目に出てきた巨人と、二度目に出てきたドラゴン。こいつらは“化け物”と一括りには出来ても、“生き物”としては全く毛色の違う存在だ。

 三度目以降があるとしたら、次に何が出てくるかわかったもんじゃない。あのドラゴンより、更にやばい奴が出てくる事だってあり得る。

 それを知らずに、ワシらが積極的に立ち向かって行くのは自殺行為だ。

 それともおたくは、あのドラゴン死んでから来てるから、いまいちピンと来ない?」

 そう。

 覚醒だの襲撃だの、妄想で済んでいたうちは、少なくとも自分達の死は無い。

 中二病の妄想は――よほどひねくれない限りは――主人公の生還が大前提としてある。

 命がけの“死闘”を全うし、なおかつ、絶対に死なない。そんな矛盾が許されるのは、それが“願望の世界”に過ぎないから。

 けれど僕達は今、何度も死にそうになった上でここにいる。何故なら、僕達が遭遇した事は、現実なのだから。

 これは、覚醒サークルとは全く違う次元の問題だ。

「天田さんこそ、最初の巨人の時には居なかったでしょう。私だって、死にそうな目に遭ったのは貴方と同じです」

「てことは、おたくは、あの化け物どもに殺されかかってなお、人助けをしたいわけだ。立派だと思いますわ。いや、皮肉でなくて」

 それは多分、天田の本心だ。

 人間の本質は善。春花さんは、そう言いたいのだろう。

 どれだけ我が身が可愛くても、自分が力を持った以上、目の前で襲われた人々を見捨てることなど、本能的に出来はしないのだと。

 その春花さんの想いまでもは、否定しない。むしろ、春花さんのように利他を本気で言える人に対して、天田は敬意を抱いている節があった。

 天田も僕も、多分、綺麗で居続ける事を諦めた人間だ。だから、綺麗事を抱き続けられる人間が、どれだけ強いかを肌で感じられる。

 けれど。

「けれど、それはおたくの信念であって、ワシの信念ではない。そして、ワシらが逃げたとしても、おたくとは別段利害が競合しない。

 だから、同じような力を得たからと言って、ワシらの領分に入り込まんでください」

 容赦がない。こんな異様な状況下にあっても、天田は天田だ。

 どうしても譲れない時、こいつは人が変わったように冷淡になる。

 一緒にネットゲームをしていた時期、僕は何度かそんな天田=剣士姫レヴィアを目の当たりにしている。

 ゲーム内のギルドの人間関係でトラブルが起きた時、リーダーの天田が仲裁に入る事が多かった。

 そしてこいつが仲裁した場合、大抵は何人かの脱退者や除名者を出している。

「目の前で死にそうな人が居れば、誰だって看過は出来ない筈。人の、人の道徳とは、保身や損得だけじゃ無いでしょう」

「自分が一〇〇パー死なない保証があれば、そらそうでしょ。けどワシらは、他人の荷物を持てるようにはできてない。せいぜい、自分に余力がある時に、軽めの荷物を持ってやる事しか出来ない。カルネアデスの板って、ご存知?」

 天田のネトゲデビューは、高校一年生だった。

 どちらかと言えば温和で大雑把な天田は、鈍い僕の目から見ても、どことなくシビアな人間に変わった。

 多分、最初のうちは、皆を公平に救おうと考えていたんじゃないだろうか。

 これまで、天田のネトゲ生活で何があって、何を見てきたのか。天田がそれを話した事は、ほとんどない。

 ただ。

 たかが顔の見えないネットの関係と、世間は言うけれど、責任がないからこそ、皆、本性をむき出しにできる。

 モラルというタガの無いコミュニティ。それをたくさん直視してきた天田が何を思ったのかは、僕には何故かわかる気もした。

「それに、ワシらにはリアルがあります。ワシは働いてるし、神尾もこれから新しい仕事を探して食ってかにゃならん。

 一銭も稼ぎにならない化け物退治とやらで、リアルをおろそかにもできんのです」

「……」

「それは、おたくも同じっしょ。神尾と同じ職場だったって言うし。ああ、おたくなら、壊すしか能の無いワシらと違って、生産的な魔法が使える。うまいことやれば、新しい宗教を打ち立てる事だってできる。何せ、目の前でガチの奇跡が起こせるわけだし。

 ありがたい回復魔法を施して下さる聖女様ってやつになれば、ワシらを巻き込まなくても売れまっせ」

「おい、天田!」

 おおむね、天田の意見には同意する。

 僕だって、大勢を救うために自分が死ぬのはごめんだ。けど、最後の言いぐさだけは、いくらなんでも酷い。

「その力で化け物から人を守りたいなら、よくRPGにある教会だか回復ポイントだかを経営するのも一つの手だとは思いますがね」

 天田は、僕を半ば無視して続ける。

「……」

「ただ、魔法を人前で使うなら、ワシらの他にも覚醒者が相当数いるか確認してからのがいいっすよ。

 もし、覚醒したのがワシらだけだとしたら、迫害されるのは目に見えている。

 おたくに治療してもらった途端、そいつが掌返して、おたくを吊し上げないとも限らない。

 人間の本質なんぞ、魔女裁判とかやってた中世から、そう変わってないと思いますし」

「……」

「ワシらの命も、おたくの命も、一つしかない。他の人らの命も、然り。

 これから、化け物どもの存在が当たり前になるんなら、それも自然の摂理っしょ。

 人類は、今まで食物連鎖に無関係でいられたけど、今後は違うだけの事。

 ワシと神尾には、人よりも自衛能力があった。その才能を自分だけの為に使うのも、個人の自由。

 だから、清く正しく玉砕する事を、ワシらには押し付けんでください。

 これ以上、ワシらが、おたくのいかなる言葉も受け取る気はありません。

 さあ、お二人とも仕事が無くなってお困りでしょう。ここのお代はワシが奢りますんで、これにて解散」

 僕も春花さんも、それ以上何も言えなかった。




 ドラゴンの火球は、僕の住む町に着弾した。

 僕の家からはほど遠いが、穂香が出掛けるのを見たので、心配ではあった。

 けど、母の方に、無事だと連絡があったらしい。僕の方は、連絡を忘れていた上に帰りが遅かった事で、こっぴどく叱られたが。

 (血染めの服を新調するのに手間取ったので、帰りが遅れたことは仕方がないとは思うけど)

 三十路も見えて来て、未だに母親に叱られるのが、僕という人間だ。

 町消滅レベルの魔法を得たとしても、その本質は変わらない。




 一週間、平和に過ごした。

 外は色々騒がしいけど、僕は努めて“鈍いやつ”に徹した。

 いつだったか、野仲さんに、この市の人口を抜き打ちで訊かれて、答えられなかった。

 そうして押された、世間知らずの烙印。

 ドラゴンの件から目を背ける理由として、それで自分を納得させる材料として、利用した。

 さすがに、再就職でサボり癖をつけるのはまずいと思って、ハロワには通いだした。

 基本的に、仕事は選ばなかった。工場勤務だけは除外したけど。

 とにかく、年齢とかの額面上の条件さえ満たしている求人は、片っ端から履歴書を送った。

 面接まで行けたのは、二件。

「うーん、確かにうちは、対象年齢五〇歳まで。無資格・未経験オーケーとは書いてたけど」

 どちらの面接官も、歯切れが悪かった。

「二七歳かつ、未経験、と言うと……ねえ? それとも、何かアピールポイントがあるとか? 履歴書には何も書いてないけど」

「ぃぇ……」

「学生時代に打ち込んだことは?」

「その……」

「他にも同業で求人出てるはずだけど、何でうちを選んだの?」

「あ……と……」

「かなり長い間、非正規で金属加工……それも手元の仕事? やってたらしいけど、そこで得たものは? うちとはまるで業種が違うけど、共通項は? 正社員にならなかった理由は?」

「……」

 真面目に生きるって、何て難しい事なのだろう。

 今さら、思った。

 求人の絶対数が少ない中、仕事を選んでなどいられない。

 その中で、その会社でなければ働けない理由を求められる矛盾。

 その会社に入るのが自分でなければならない理由を求められる矛盾。

 それを賢く答えられて、大勢の人よりも運にも恵まれて。

 それではじめて、会社員というスタートラインに立てる。

 企業だって、誰彼構わず雇うわけにはいかないのだから、当然だ。


【(前略)神尾様の、これからの御活躍をお祈り申し上げます】


 そんなわけで、お祈りメールを二件受信。

 何か、僕はこの一週間、よく働いた気がする。

 求人に応募して、面接を受けただけで、一仕事したような気持ちになる。

 果たして僕は、再就職できるのだろうか。

 できたとして、多分、井水メタルにいた時と同じように、仲間から見限られるに違いない。

 そうしていつか、その会社にもいられなくなって、また就活からしなきゃいけない。

 しかもその時の僕は多分、今よりももっと歳を取っていて。

 ジリ貧だ。

 いつか僕は、野垂れ死ぬしかないのか。


 ……魔法。


 蓋をしていた考えが、ちらつく。

 あの力をうまく使えば、間違いなくお金になるだろう。

 けど、やり方がわからない。

 人に訊いたり、まして、ネットに書いてある事でもない。

 仮にわかったとしても、僕一人だと間違いなく、どこかでしくじるだろう。

 天田は、どうしているだろう。

 あれから、天田とは普通のやり取りを続けている。

 魔法について、これ以上論じるのはタブー。そんな空気が、僕らの間にできていた。

 春花さんは。

 彼女とは、連絡すら取ってない。彼女なら、再就職しようと思えばすぐにできる気はする。少なくとも、僕と違って一般企業で働く分にはきっちりできるはずだから。

 もしも天田の言う通り、回復魔法を本業として何か活動を始めたのなら、そろそろニュースになっているはずだ。ネットでもテレビでも、その情報が出ていないと言うことは……彼女も大人しく、一般人に戻ったのだろうか。

 何となしに、テレビをつけてみる。そう言えば、今はワイドショーの時間だ。

 やっぱりと言うか、報道はトロールやドラゴンの事で持ちきりのようだ。

 僕ら覚醒者の事は、知られていないらしい。あの事件でバレていたら、という一番の心配は去っていた。

 このまま、僕ら三人が黙ってさえいれば、

《現場となった飲食店の跡地に来ております。現在、警察が――》


 ジッ……。


 一瞬、映像が乱れた。

 カメラが、大きく揺らぐ。

 何か、トラブルだろうか。

《な、な、なん――》

 リポーターの声が、途絶えた。

 そして。

 あちこちから、上ずった悲鳴とかかすれた悲鳴が上がった。

 何だろう、カメラがブレて、何がなんだか。

《聞け、弱い人間ども!》

 ガラガラと、潰れた声帯で無理やり発せられたような声。

 な、何だ? 僕は、今、被災現場のニュースを見ていたはずだ。

 ドラマとか、そういう、フィクションじゃなくて、

 そうして、不意にカメラが落ち着いた。

 ブレていた映像が、再び真実をテレビに映し出す。

「あ、ひっ!?」

 僕はたまげて、二歩下がった。

 ベッドに尻餅をつき、それでも目はテレビに釘付けだ。

 

 テレビには。

 引きちぎられたリポーターの首を掲げ、白馬に乗った、何者かが映し出されていた。

 目を剥いて、叫び声を上げたまま動きを止めた、リポーターの顔。

 血染めのそれには、この世のものとは思えない苦悶が焼き付いていた。


《オレはお前ら人間どもを支配するために選ばれた“新世界の騎士”の一人!》

 その顔は……あの天使達と同じだ!

 真っ白な袋で顔を覆い隠した、どうやって前を見ているのか、わからないやつら!

 そして背中には、あの大きな翼が広がっていた。

 そうだ、ドラゴンの事のどさくさで、半分忘れていた。

 いや、忘れたかった、とも言える。

 こいつら天使は人間レベルの知性を持っていて、僕の事をしっかりと認知していたはずだ。

《神尾庄司、これを見ているか! それか、その関係者が見ていたら、奴に伝えろ!》

 心臓が一度、ハンマーで殴られたように跳ね上がった。

 何で、何で、何で僕を名指しするんだよ!?

《明日、午後二時、お前が勤めていた井水メタル跡地に来い! このオレ“白の騎士”が相手になってやる!》

 そんな、あの時は何も言わず見逃してくれたじゃないか!

 どうして今になって!?

《必ず来い。でないと……》

 白の騎士とかいう奴が、画面外に出た。

 女の子の、甲高い悲鳴がした。

 そして。

《ぃ、ぃや……やめて、助けて……》

 あいつは、さっきまでリポーターの生首を掴んでいた手で、

 穂香ほのかの――僕の妹の襟首を掴んで、同じように晒し者にしていた。

《明日の午後二時までに、井水メタルに来なければ、妹を殺す!》

 そんな、ドラマとかでしか聞いたことのないセリフを、僕は呆然と聞くしか出来なかった。

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