しばし呆けていると、スマホに通話が来た。

《神尾、テレビ見たか!》

 天田だった。

「あ、天田」

《どうなんだ!?》

 あいつの、こんなに鬼気迫る声は久しぶりに聞いた。

 あれは高校一年のころ、

《神尾!》

「あ、ああ、見た、よ」

 また無駄な回想をしそうになって、天田に叱咤された。

《あれはヤラセか? マジか? あの馬に乗った奴も、化け物の仲間か? 神尾を名指ししてたけど、どう言う関係だ? 穂香ほのかちゃんはどうするんだ?》

 矢継ぎ早に、問い詰めてくる。

 やめてくれ、テンパってる時の僕が、そんなスピードの会話についていけない事は、知ってるだろう。

 けど、

「穂香を助けに行く。それしかないだろう」

 それだけは、すぐに答えられた。

 あの珈琲店で春花さんの言ってた事が、今にしてわかった気がする。

 “見捨てない”のではない。僕は妹を、“見捨てられない”のだ。

 天田は、何も答えない。僕の返答を聞き逃したか?

「僕は、あいつの要求通り、会社に行く。明日の二時に」

《このバカ野郎!》

 音割れした、天田の罵声が耳を刺す。

 何キレてんだ。

 これはうちの、神尾家だけの問題だ。

 お前に迷惑をかけるなんて、僕は、一言も、

《穂香ちゃんを丸一日、あのままにしておく気か!? 今、助けに行くんだよ、ワシらはッ!》

 それは、確かにそうか。

 白の騎士は、明日の二時“まで”に来いと言った。

 なら、行くのが今すぐでも、要求に背いてはいない。

 本当は薄々気づいていたけど、僕は明日の二時までフルに猶予を欲しがったのだろう。

 僕が行くのが遅ければ遅いほど、穂香は長時間、あいつに捕まったままと言う事になるのに。

 こんな時まで、いつもの先伸ばし癖を持ち出すのは、確かに……、

 ……。…………。

 え?

 待て、天田は今、何て言った?

《聞こえてるか? 今から準備して、お前の家に行く。すぐ、二人で井水メタルに行くぞ》

「な、なん、何で、天田まで」

《お前一人だと、ろくな結果にならないだろう! 二人で協力しないと妹を助けられんぞ、わかってんのか!》

 いや、だから、天田からすれば、うちの妹は他人だ。

 学生時代、天田は何度もうちに遊びに来たけど、別に穂香と深く関わった事はない。

 むしろ、女の子に免疫の無い天田は、穂香と出くわす度にキョドって、居心地が悪そうなくらいだった。

 (春花さんに対して平気だったのは、非常事態だったからだろう)

 先週、他ならぬ天田が言ったじゃないか。他人の荷物は持てない、って。人間、善行のために自分の命までは賭けられないって。

《とにかく家で待ってろ! なるべく早く行く!》

 そうして天田は、通話を切った。

 …………。



 仕事に出ている母から電話が来たが、これを無視。ブロック。今、母が家にいなくて良かったと思う。

 そして、天田が来た。

 その豊満な腰には、ゴルフバッグ。

 純インドア派を貫いてきたこいつの二七年間において、まるで接点が無かったはずの物。

 何に使うかは、考えるまでもなさそうだ。

「白の騎士とかって奴について、詳しく」

 天田は、挨拶も抜きに切り出してきた。

「ぁ、ぅ、その……」

 僕自身にもわけがわからないが、トロールを殺した後の事を、天田に説明した。

 翼の生えた、天使みたいな奴が五人現れたこと。

 そいつらは、少なくとも日本語を話す知能を持つこと。

 そいつらは、体が割れて、人間を食うと言うこと。

 そいつらは、僕の動体視力では到底見えないほど、素早いこと。

「わけわかんね」

 そりゃそうだろう。

 前代未聞の出来事を、よりにもよって、この僕に説明させようとする方が悪い。

「ただ、いくつか大事な事はわかった」

「本当か!」

「おう。その天使とやらは、魔法使いになった神尾が手も足も出ないほど速くて、しかも人間並みに賢い。ある意味、ドラゴンより厄介な奴らだ。

 しかも、これが一番大事なことなんだが、そんな奴が五匹もいる」

 全く理路整然と、天田は僕の希望を打ち砕いてくれた。

「体が割れて、っていうのがいまいちピンと来ないが、人間を食うってのも引っ掛かるな。

 翼持ちで制空権を握られてるのも痛いし、馬に乗ってるから横方向の機動力もあるはずだ。

 それ以外にも、どんな特殊な事をしてくるか、注意しないと」

「そんな、注意って言ったって、あんなのどうしたら……」

「さしあたっては、ワシの身体能力でどの程度渡り合えるか次第、だろうな。

 前衛のワシが奴を食い止め、あわよくば脳天カチ割る。神尾は、その後ろから攻撃魔法をぶっぱなす主砲。

 これもロープレの要領だわな。

 あとは、残り四匹の増援が無い事を祈るばかり」

 こいつがそんな、博打じみた事を口にするなんて。明日は雪でも降るんじゃないのか。

 そもそも、

「天田っ、お前、わかってるのか! あんな奴らと戦えば八割がた死ぬって、自分で言ってたろう! 春――倉沢さんに対して!」

 こいつが、僕の妹救出に付き合う理由はどこにも無い。

 一番古い友だちだからと言って、この荷物を背負わせるのは、あまりに重すぎる。

 僕だって死にたくない。けど、こいつを巻き添えにして死ぬのは、もっともっと嫌だ。

 けど、天田は。

「春花ちゃんにああ言ったのは、彼女の言う“救う対象”があくまでも“不特定多数”だったからだ。

 さすがに、自分の知ってる相手が人質にされてて、自分の腐れ縁を名指ししてきてる状況で、しかも自分が人より戦えるとわかっていて。

 見過ごせるやつ、いないっしょ」

「……」

「春花ちゃんの言う事、それ自体は間違いじゃないよ。保身や損得なんて考えてられない事だって、人間にはある」

「……」

「だってさ、穂香ちゃんって……よーく、よーーーーく目を凝らしたら、ワシの崇拝する聖玲せいれちゃんにそっくりな所もある気がするし。SLMN72の」

「え?」

「ワシだって、聖玲ちゃんその人と結ばれるなんて非現実的な事、考えてないし。

 けど、大・親・友の妹なら、命の一つや二つ救ってやれば、ワンチャンあるっしょ?」

「え……え?」

「穂香ちゃんは、将来、ワシの嫁にするだ。だから、あんなクソ天使もどきの毒牙にかけるわけにはいかん」

 こいつ、こいつは、何を、言ってるんだ。

「ワシだってオスだ。理由はそれだけで充分。わかったら、ちゃっちゃと行くぞ。それこそ、ワシの気が変わらんうちに」

 僕と目を合わせず、天田はさっさと行ってしまう。

 その肩が、手の先が震えているのを、僕は、思いがけず見てしまった。

 だから。

 もう何も言わず、黙って彼についていくしかない。


 そして、ふと思った。

 天田は、僕にとって“日常”を象徴する最後の砦だった。

 けど、彼もまた、覚醒してしまった。

 と言う事は。

 僕の日常は完全に失われて、もう、この世のどこにも無いのかもしれない。

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