7
絶命の寸前、火球を吐き出す命令が、脳から胴体へと伝達されたのだろう。
僕の人生、いつもこうだ。前の教訓を次に活かしたつもりでいたら、こんな風に、更に上を行かれる。
僕は、どうすればよかったのだろう。
終わった。今度こそ終わった。
頭部を失ったドラゴンの断面が、溶岩のように赤熱。火球が、暴発の時を今か今かと待ち構えている。
すでに街路樹とかが、熱気にあおられただけで燃え始めた。僕の体も、じりじりと焼かれつつあった。息を吸い込んだら、肺が焼ける。
もう嫌だ。
こんな苦痛にも、恐怖にも、もう耐えられない。
熱い。
熱いのは、嫌だ!
熱いのは嫌だから、僕は、
「ああアアァあァあぁアアァ!」
必死に、必死に、必死に、熱いのが遠ざかるように念じた。
水、水、氷、冷気!
重い、打撃めいた音が放射。
ドラゴンの火球がついに暴発したのと同時、僕は、ありったけの思考力で、氷と鉄砲水をイメージした。
現れた氷河濁流は、この街を地図から消してしまいかねないほどの質量を有していた。
それが、ドラゴンの火球と真っ向から衝突。
火球と氷河濁流、この両者は一瞬、固体のごとくせめぎ合ったかと思うと、相殺、破裂。
高熱の水蒸気と衝撃波が放射し、周囲の何もかもを打ちのめす。
僕の体も例外なく、チェーンソーにでも滅多切りにされたかのように、あちこちが抉れ、焼き斬れた。
右腕が切れ飛んだのが、見えた。
全身の皮膚が焼けて、壊死した事がわかる。
これはもう、取り返しがつかない。
無駄な抵抗だった。致命傷だ。死が決定した。
こんな時になって、僕の頭は冷静になりつつあった。
恐怖とか混乱とか、今まで頭を占めていたものが、少しずつ麻痺してゆく。
そして、僕の自我も、少しずつ……少し、ずつ……。
……、…………、 … 。
… …… ……、……。
始めに、静寂と言う感覚があった。
続いて闇を理解した。
「 のか?」
「 らない 意識 」
誰かと誰かが、遠くで話している。
少しずつ、視界に白色が滲んできた。
「 ろ、神 起き 」
「 尾くん、 える? 私の声が 」
まぶたを、ゆっくりと開く。
眩しい。
闇になれた目が、鋭い日光に刺されて、眩む。
「神尾くん、私の声が聴こえたら返事をして! 神尾くん!」
「神尾、起きろよ、神尾!」
体の外側も内側も、痛い。
鈍痛も鋭痛も焼ける痛みも潰れた痛みも、いっしょくたに全身を這いずり回り、僕をさいなむ。
「ぁ……」
「神尾ッ!」「神尾くん!」
天田の太い声と、誰だか女の子の声が、勢いよく弾んだ。
目が、白昼に順応してきた。
「僕、は?」
天田と、女の子――
――どういう組み合わせだ。
色々な事を棚上げして考えた事は、それだった。
「立てる?」
春花さんが、手を差し伸べてきた。
僕なんかが彼女に触れるのは少し躊躇われるけど、結局その手を取って助け起こしてもらった。
そして。
見るも無惨に崩落した町並みが、視界に広がる。
横に裂けた、巨龍だった肉塊の存在も。
多分、元は人だったろう、焼死体もたくさん。
もう、吐き気も起きない。
まだ熱気は冷めず、所々から黒煙が立ち上っている。
意識を失う前、僕は自分が何をしていたのかを、急速に思い出していた。
僕は、僕と天田は、生き延びたのか。
ドラゴンを、殺して。
へなへなと、腰砕けになりそうだが、
「ちょっと、来て」
春花さんが、乱暴に僕の手を引く。何か、怒ってるように感じる。
「天田さんも」
声からも、どこか怒気が感じられる。
いつの間に、あの二人は知り合ったのだろう。
この組み合わせは、僕が紹介でもしないとあり得ない。
僕はまだ、生死の境にいるのではないだろうか? だから、こんな不条理な光景を見ているのでは。
けれど、人やドラゴンの焼け焦げる臭いが、今ある情景が現実なのだと、
僕に嫌でも突きつけてくる。
春花さんの車に乗せられた。
今度もまた、ファミレスのあったあの通りに被害が集中していた。
お陰で、現場周辺から逃げ惑う人々に、紛れ込むことが出来た。
この前に引き続き、今日も僕と春花さんが現場で発見されたのでは、変な疑いを向けられそうだった。
だから、逃げる事にした。
遠くで、救急車とか消防のサイレンが鳴り響いている。
「まず最初に」
ハンドルを握る春花さんが、前を見たまま切り出す。
「神尾くん。私、この前の別れ際に何て言ったか、覚えてる?」
「え?」
春花さんは、明らかに怒っている。それはやっぱり、僕に向けられているようだ。
「次、同じような事があっても、絶対に一人で戦わないこと」
あっ。
確かに、そんな事を言われたな。
人の話を全部聞いているようで、要所要所を忘れてしまう。僕の悪い癖ではある。
「やむを得なかったにしても、私に一言連絡が欲しかった。私が貴方達を探し当てられたのは、本当に幸運だったに過ぎない」
「れ、連絡……?」
「何の為にメッセージのIDを交換したと思って居るの? 私、正午過ぎから何度も送ってたのだけど」
何だって? それなら着信音で分かったはずだ。
そう思い、僕はスマホを取り出して、
「ぁ……」
全身から血の気が引いたのを感じた。
知らず知らずのうちに失敗してて、のっぴきならない所に来てから、それに気づいた時の、あの感触。
僕の携帯は、サイレント・マナーモードになっていた。
つまり、誰から何の着信が来ようと、音はおろかバイブレーションも鳴らない状態だ。
確かに、春花さんとのトークに、七件ものメッセージが来ていた。
そうだ。
あの日、まだ勤め先の井水メタルが存在していた日。
たまたまマナーモードにするのを忘れてて、野仲さんに怒られて。
だから、もう同じ間違いをしちゃダメだって思って……あらかじめ設定しておいた。
それが、こんな事になるなんて……予測できるはずがない。
「一向に既読が付かないから、何事かとは思ったけど……そう言う事か。
春花さんが、僕のミスを呆れた様子で評した。
「私の事、当てにならないって事?」
そして、また詰問口調で言う。
「そんな事、無い、けど……」
……けど。
僕には戦う力が身に付いた。
だから、抵抗した。
僕だって、あんなのと戦いたくはなかった。
第一、その力すら無い春花さんが、何で僕を気にするのか。
「はぁ……」
僕の考えを察したのだろうか。
春花さんは、嫌な溜め息をついた。
「やっぱり、完全にはわかってなかったか」
この人は、どうしてこんなにも冷静なのだろうか?
いや、この前のトロールの時のテンパり方は、僕とどっこいだったけど……。
いや、待てよ?
何かおかしい。
トロールの時も、春花さんは途中から、
「よく見て」
春花さんが、何気なく言う。
チキチキチキと、カッターナイフの伸びる音。
春花さんが、それを手にしていた。
何をする気だ。
僕が唖然としている前、
春花さんは、カッターナイフで自分の二の腕を抉って見せた。
「ぁ、お、お、おい、なにっ、何をッ!?」
カッターナイフの切っ先は、いとも簡単に、その白く柔らかな肌を裂き、肉を抉った。赤く太い線が描かれる。そして周りの肉を押し上げながら、決して少なくない血液が溢れ出してきた。血は、彼女の腕に沿って流れ、三股の小川を作り出す。
「何してるんだァァァァァ!?」
僕と天田が暴れるので、車内が大きく揺れた。
「落ち着いて」
当の彼女は、痛みなどまるでないかのように、平静に言う。
これが落ち着いていられるか!?
もはや彼女の腕は真っ赤に染まっていた。未だ、傷が塞がる気配はない。
取り返しのつかないことを、どうして、こんな、
「切創修復。造血」
彼女が淡々と呟く。
そうすると。
傷口が、淡い燐光を帯びた。
血にまみれてもわかるほど、盛り上がった傷口。その隆起がみるみる小さくなって。
血だらけの彼女の腕が、元の平坦さを取り戻す。
「神尾くん、そこのウエットティッシュ取って」
僕は言われるままに、従う。
春花さんは、乾いた血で赤茶色になった腕を、ウエットティッシュで丹念にぬぐった。
すると、なんてこった。白く滑らかな腕には、傷ひとつ付いていない。
「どうせ治るってわかると、躊躇いなく出来るものね。痛覚を封じてなかったら、流石に出来ないけど」
そんな不可解な事を言う春花さん。
硬直したままの僕に、また顔を向ける。
「私達の職場が襲われたあの時、私はこの力を得た。人や動物の体を、治したり、改良したりする力」
ああ、上品に整った、綺麗な顔だ。
無垢な白い肌。
頬は微かに桃色がかっていて。
桜色の唇が、艶かしく動いている。
「貴方も、力を手に入れたのでしょう? 私とは逆の、破壊する為の力」
そうだ。僕は魔法に目覚めた。
ゲームに出てくる魔法使いの、攻撃魔法みたいなやつに。
そして、春花さんは、
「もっとくだけた言い方をすれば、貴方は攻撃魔法を手に入れた。そして私は、回復・補助魔法を手に入れた」
僕と天田にとって、凄くわかりやすい風に教えてくれた。
「天田さんは多分、戦士とか剣士の力って所かな。魔法は使えない。仮に使えたとしても、私達よりずっと弱い。
その代わり、力とか防御力、速さのステータスが私達より高い」
「そ、そうなのか。言われてみれば、ワシのさっきの動き、人間離れしてた……かな?」
今さらそれを言うか。
けど、気持ちは何となくわかる。
僕も、自分の能力の事を突然“知って”しまったようだった。
だから、使ってても当たり前に思えていた。
「話を戻すけど。私が自分の回復・補助魔法に気付いたのは、神尾くんが私を抱えて、あの巨人と戦ってた時。
あの時の神尾くんは、明らかにパニックに陥って居た。仕事でもいつもそうだったから、すぐわかった。
それで。
何とか、神尾君を冷静に出来ないか。ふとそう思った時――神尾くんの脳におけるノルアドレナリン
手も触れず、意識するだけで、それが出来る事を悟った」
まさか。
あの時、確かに。
僕にしては頭が冴えている感じはした。
それは単に、魔法に覚醒したのと同様、そう言う洞察力もいきなり成長したものと思っていた。
けれど、言われてみれば確かに。
――あなたは、本当はできる。
腕の中の彼女にそう言われてから、頭の調子が良くなった気はした。
死に際のトロールに一撃もらって、死んだかと思ったあの時も。
瀕死の僕を、春花さんが魔法で治してくれたのだろう。
ははっ。
だからか。
今回、僕のした事のほとんどが、裏目裏目になったのは。
結局僕は、時間さえも自在にする魔力を得たけど……本質的には何も変わっちゃいなかった。
「
私が貴方の神経伝達物質を調整する事で、適切に戦えるようにする。
だから、一人では絶対に戦うなと言った。その意味が、分かった?」
僕は脱力しきり、返答が出来ない。
「今回も、私の来るのがもう少し遅かったら、貴方は死んで居た。
腕も千切れて居て、顔も何も焼け爛れて。
天田さんに教えて貰わなければ、貴方だと判別するのも難しい状態だった。
あんな途方も無い力を軽はずみに使って、自分や周りを危険に曝すのは、もうこれきりにして」
全面的に、春花さんの言う通りだ。
今回だって、天田がたまたま覚醒したから、乗り切れただけだ。
僕は、一人では一人前に動けない。
「でもまあ、神尾はビビりだからなぁ」
後部座席を陣取る天田が、呑気に言い出した。
「本当なら、あんなもんが出たら、おたくの言う通り尻尾巻いて逃げてたろうよ」
まあ、出来ればそうしたかった。
けど、それはできなかったよ。
だって。
「……ワシがあの場にいなければ、神尾はとっとと逃げたろ。
こいつは、自分が傷つくよりも、自分の判断ミスで他人が傷つく事の方を恐れるタイプのチキン野郎だからさ」
……。
僕も春花さんも、黙った。
言い方は散々なものだが、これは、あれだろうか。
僕を、一応擁護してくれてるのか。
「倉沢さん? おたくだって、ワシと同じクチっしょ?
この腰抜け神尾が最後まで見捨てなかったから、生き延びたクチ」
春花さんは、一転して表情を沈めた。
今の天田の言葉が、どうも僕らの思う以上に効いたようで、
「ごめん、なさい……そんなつもりは……。
いえ、神尾君を責めた事実は消せない、か……」
彼女にしては、少し狼狽えたように、口ごもっている。
「ごめんなさい。私、自分の立場を忘れてた。
私は確かに、あの時、神尾くんに救われたから、今こうして居られるのに」
もしかして、春花さん、泣きそうになってないか?
何で、どうして?
「春――倉沢さんの言う事は、全く、正しいと……思う、から」
実際、春――春花さんは、僕をもっと罵って良い立場にすらある。
自分が得た力の本質を理解しないまま、好き勝手に戦ったのは僕だ。
あの場で、子供ほどの大きさに縮んだ焼死体。
人の肉の残骸。
僕がもう少し配慮すれば、そうならなかった人も、いたかもしれない。
どうすれば。
僕は、どうすれば――、
「誰が悪いとか、どうとか。今はそんな事を言っても仕方ないと思うんだよね」
天田が、あっけらかんと言う。
「早い話、ワシらはどうも、RPG的な能力に覚醒した。
そして、モンスター的な奴が、今後もワシらの周りに出てくるかもしれない。
今必要なのは、自分らの身の振り方を話し合う事だと思うけど」
こいつ、今さっき覚醒したばかりで、よくこんな冷静になれるな。
あれだけの身体能力を会得すると、度胸もつくものなのか。天田ならあり得る。
「おたくも、そう思ったから、ワシらん所に来てくれたんだろ」
天田の問いに。
前髪で表情を隠した春花さんは、黙ってうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます