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「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 来るな、来るな、来るな!」
所々裏返った声で叫びながら、天田はドラゴンを滅多打ちにしている。
よく、よくわからんけど、これなら天田が
起死回生の期待と希望が、僕の胸にじわりと広がって行って、
ジェット音じみた咆哮が、僕の胸を再び凍り付かせた。
ドラゴンが急に起き上がると、天田をはね飛ばしながら、飛び上がった。
「天田ッ!」
天田の肥満体が、凄まじく回転しながら放られた。まずい、あんな勢いで落ちたら、死ぬ!
くそ、助けようにも間に合わない!
なす術もない僕の眼前、天田は地面に叩きつけられ――ずに、綺麗に足から着地した。
「こここ、殺してやる、殺してやるぞ!」
天田は、少しの躊躇もなく、街路灯を持ったまま突貫。
「やめろ天田、逃げろ!」
「殺ってやる!」
ダメだ、僕の言葉が届かなくなった。
多分、なまじ勝機が見えたせいで、調子に乗りつつあるんだ。
ゲームでの、奴の悪い癖だ! リアルにまで持ち込むんじゃない!
太っちょが強力な武器を手に入れ、調子に乗ってクリーチャーに特攻→返り討ちにあって死亡。映画とかでよくあるシチュエーションだろうが!
などと、頭に浮かんだ不謹慎な考えを、振り払う。
天田の殴打は、あと一歩で届かなかった。ドラゴンが、急速に高度を上げ始めたからだ。
「に、に、に、逃がさん!」
強気なのか弱気なのかわからん態度で、天田は飛翔した。
信じられない。
その跳躍力は、建物三階相当に見える。潤沢な贅肉を波打たせ、恵体が天を舞う。
建物の壁を蹴り、それを足掛かりにして更なる高みへと。
「うォああァあア!」
垂れ下がっていたドラゴンの尾を、無謀にも掴む。
ドラゴンは、小うるさい虫を払おうと、尾の筋肉をたわめる。
が、天田はすでに、左手一本の力で跳んでいた。天空で華麗に翻ると、天田はドラゴンの背中に着地した。
僕、天田とは中学からの長い付き合いだけど。
あいつがあんなに動けるなんて、まずあり得ない事だ。
マラソン大会では必ずビリ。
下から二番目の走者よりも二〇分ほど遅れて、ようやく天田が現れる。それを、学年みんなで拍手で迎えるのが、大会を締めくくる定番行事だった。
いや。そんな事を思い返している場合ではない!
ドラゴンが、空で身をよじり、天田を振り落とそうと躍起になりだした。
この際、天田の異変とか、そんなわけわからん事は後回しだ。
天田にあんな身体能力があるのなら、共に戦う!
しかし、僕はどうすれば……どうすればいい?
ただでさえ、ドラゴンの動きは機敏過ぎて、魔法の狙いが定まらない。その上、天田はドラゴンに密着しすぎている。
偏差射撃――ドラゴンの動線を見越し、やや前方を狙う事――で当てようにも、天田まで巻き込みかねない。
自慢じゃないけど、そんな重圧を感じた状態の僕は、ろくに何もできない。
最悪だ。
依然、天田はドラゴンの頭部を執拗に殴り続けている。ドラゴンの頭蓋は陥没し、裂けた肉からは脳漿だか何かが飛び散っていた。
けど、天田が殴打するわずかな
どうやらこいつもトロール同様、
ああ、せめて天田が我にかえって、あそこから退いてくれれば。
欲を言うなら、ドラゴンがもう少しトロくなってくれれば。
いっそ、時間が止まってくれればいいのに。
もう、現実逃避に近い考えになってしまっている。
ああ。
そうだ。
何なら、止めてみようか?
時間を。
そうして、思考を編もうとして……寸前で止めた。
時間を止める、と言うのは、僕だけが動けると言うような、都合の良い事ではない。
ただ単に時を止めただけなら、僕まで止まる。その際、僕の思考までも止まるだろうから、まるで無意味だ。
ゲームで言う、
と言うことは……。
ええい、なるようになれ!
「僕、隔離! 他、停止!」
両手を広げ、胸を反らし、僕はこの世の全てに対して叫んだ。
音が消えた。
風が消えた。
全てが静止した。
時間停止。
本当に、本当に、できてしまうとは……。
やっておいて何だけど、かなり、びっくりしている。
僕は、問題なく動ける。
僕に流れる時間だけを隔離し、目視圏内にあるもの全ての時間を止めた。
けど……これは、正直かなりキツい。
何というか、疲れは無いけど、精神的に来る。
自分の隔離と、他の時間停止。どちらかの意識が乱れたら、停止は解けてしまう。
感覚で、それがわかる。
ただでさえ、僕のオツムは
この上、他の魔法を撃てと言われても、できっこなかった。
となれば……。
矮小な天田を乗せた巨龍は、空で停滞している。
よ、よし。比較的、低い位置にいる。
建物づたいに行けば、僕でも、ドラゴンの背中に飛び移れそうだ。
……飛び移れて、しまえる。
あの背中に今から飛び乗ると考えたら、膀胱緩んで小便を漏らしそうなほど怖い。
けど、それしか助かる道が無い。
やるぞ。
僕は、ドラゴンの脇に立つ雑居ビルへ駆け込んだ。
天田みたいなパルクールはしたくないので、地道に階段を使って三階へ。
逃げ惑う人達がマネキンのように静止している姿が、とんでもなく不気味だ。
やったのは僕なんだけど。
とにかく、ドラゴンから最寄りと思われるオフィスへ。
窓は、開く。
よし、止まったものへの干渉は可能らしい。
と言うか、まず先にそれを確認してから動くべきだった。僕の馬鹿。
窓を開けて外を覗けば、眼下にドラゴンの翼があった。
これでも一階相当の落差はある。
無意識下の常用魔法で身体強化されている僕なら大丈夫なのだろうけど……やっぱりまだ、感覚的にはただの二七歳もやしっ子だ。
怖い事には変わり無い。
それにもし、僕が飛び移ろうとした時に、何かの弾みで時間が動いてしまったら。
ごくり、と息を呑む。
ここまで来ておいて何だけど、他の方法を模索するべきだろうか?
けれど、僕以外が静止した世界で、誰も答えてはくれない。
何を、今さら。
よ、よし、跳ぶぞ。
跳ぶ、ぞ。
僕は、消極的な気持ちのまま、窓に足をかけて、
迷いを振り切るようにジャンプ――しまった、サッシの隙間に躓いた! 態勢が崩れたまま、宙に投げ出された。
うわあっ! と叫びながらも、僕は、必死にドラゴンの翼に手を伸ばす。そして、どうにか皮膜の端に掴まれた!
もう、躊躇すれば落ちる。自分の体を投げ出すようにして、どうにか翼に上る事ができた。
不安定な足場で、足がもつれそうになりながらも、ドラゴンの背中を走る。
舗装されていない岩場を走っているようだ。中学生の時、家族旅行で行った、福井の東尋坊を思い出す。
いた。天田だ。街路灯を振り上げた瞬間の姿で、静止している。
よし、今から、天田の時間を動かす!
「天田を、隔離!」
味気ない呪文を叫ぶと、
「ォああァあア!」
静寂の中、突然、あいつの野太い叫びがほとばしった。
そして、振り上げていた街路灯が、ドラゴンの後頭部を直撃した。
しかし、あのドラゴンに損害を負わせる程の力がかかって、よく街路灯は保っているな。
照明の部分は割れて見る影もないし、ポールも、少し歪んではいるのだけど。
天田は、続けざまに街路灯を振り上げようとして、
「う、え? あ? な、な、な!?」
たたらを踏んで、テンパり出した。
突然、世界の全てが静止したのだ。
最初からそのつもりで時を止めた僕と違い、狼狽えるのも無理はなかったか。
「天田!」
僕が呼び掛けると、天田は、その恵体をびくりと震わせて、こちらを見た。
「かか、か、神尾、お前いつの間に! いや、これは、何がどう」
「僕が時間を止めた!」
「は、はぁ?」
「今はそれで納得しろ!」
怒鳴り付けてやると、天田はやや後じさりながらも、ぎこちなく頷いた。
よし、時間停止に巻き込まれたショックで、多少は我に返ってくれたらしい。
「いいか天田、お前だけが頼りだ。
時間が止まっている今のうちに、こいつの頭を、出来る限り殴ってくれ!」
「お、おう」
天田は、素直に応じてくれた。
そして僕に背を向けるや、街路灯を改めて振り上げ、ドラゴンの後頭部に落とした。
鈍重な打撃音が、静かなこの場に響き渡る。
天田は、何度も何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も、ドラゴンの頭を打ちのめした。
一打入るごとにドラゴンの頭部は変形し、裂け、中身をぶちまけ始めた。
まだだ。
天田は殴る。
親の仇を滅多打ちにするかのように、殴る。
殴る、殴る、殴る。
大粒の汗を撒き散らし、鼻息荒く、天田が殴る。
「これで、良い、か、神、尾」
流石に疲れたらしい。
息を荒くして、天田が僕に訊いた。
ドラゴンの頭部は、破裂する瞬間の風船を写真にしたかのように、膨張していた。
時が動けば、おびただしい血肉の雨が降るに違いない。
「よし、充分だ、逃げよう」
あれなら、脳もペースト状態だろう。
そうなって生きていられる生物を、僕は知らない。
二つの時間軸を管理する僕の集中力も、もう限界が来ている。
よくこれだけ、保ったと思う。
少しでも早く、ここから離れなきゃ。
天田は街路灯の残骸を投げ捨てると、代わりに僕を抱えて跳んだ。
今更だけど、こいつ、自分の行動に全く疑問を感じていないのか?
いや、助けてくれた事に、今は感謝するべきか。
とにかく、無事、着地。
天田にお姫様抱っこされつつ、ドラゴンからそれなりに離れた位置まで来た。後は、結果を見届けるだけだ。
「戻れ!」
叫ぶと、胸にどっと安堵が広がった。
そして、静止していた世界が最動する。
暴風爆音数多の悲鳴粉塵激光振動。
止まっていたあらゆる情報が一気に飛び込んできて、僕は錯乱しそうになる。
そして。
「ぐぇっ!」
胴体を、内臓を、何かとてつもない力で圧搾された。
骨がいくつか砕けて、僕の中で何かが破裂した。
な、なんだ、これ……。
天田も、苦しそうに呻いている。どうも、腕がへし折れたらしい。
何故だ。
ドラゴンの方は、予想通りの挙動を見せた。
あいつからすれば、一秒未満の間に、何十発も殴打をもらったようなものだ。
ただでさえ怪力を誇る天田が下した鉄槌が、瞬間的に何十倍もの威力に膨れ上がったとも言える。
頭部を凄まじい勢いで破砕させると、血肉の暴風雨を撒き散らしながら、胴体だけが身悶えしはじめた。
直前まで健在だった脳の、電気信号がまだ残っているのか。道路の中央分離帯を下敷きに、ドラゴンは墜落した。
あれは、間違いなく死んだろう。
この前のトロールの死に際みたいなミスは、もうしない。
僕らは、かなり離れた位置にいたから、巻き込まれずには済んだけど……。
痛い。
少し安心したら、
体の内側からすり潰されたように、痛い。
あ……あ、ああァァあアァあアあ!?
痛い、痛い、痛い、死ぬ、痛い!
何で、どうして!
あ、あ、思い、当たると、言えば、やっぱり、
時間停止、か!
僕と天田に流れる時間は、現世の流れから切り離されていた。
本来の世界において、僕らは、さっきの行動を一秒未満で起こした事になる。
その反動が、こちらに帰ってきた僕らをモロに襲ったのだ。
僕はのたうち回り、泣き叫ぶしかできない。
天田の方は、腕をかばって悶絶。僕よりはマシな様子だ。
たぶん“向こうの時間”に居た時間が、僕よりも圧倒的に短かったから、反動もそれなりに終わったんだ。
被害が腕に集中しているのは、ドラゴンを滅多打ちにしたからだろう。
どうしよう、やってしまった、ノーリスクで時間停止なんて、そんな都合のいいこと、あるわけないじゃないか!
僕の馬鹿、僕の馬鹿、僕の馬鹿!
死ぬほど痛い、僕は、死ぬのか、天田は大丈夫か、治るのだろうか、助かるのだろうか。
ドラゴンは、本当にちゃんと死んで――、
あっ。
何か、眩しい。
肌が焦げそうなほどに、熱いぞ。
ドラゴンの首無し死体を見たら。
首の切断面から、太陽のような熱輝が発せられていた。
さっき僕らの町を焼き払ったそれが、この至近距離で、みるみる膨張してゆく……。
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