アスファルトとか石畳とか建物とか、色々えぐれる音。大気が砕ける音。老若男女さまざまな悲鳴。

 世界がシェイクされる。

 ここから出なきゃ!

 先日、暗記した事が活きた。一二〇キロの天田を抱え、僕は走る。

 目についた壁に手をかざすと、光波ビーム発射! 爆破! 壁は塵まで蒸発し、人間数人が楽々通れるほどの穴が出来た。その穴から、表通りへと出た。

 すると、凄まじい風の濁流が、僕らを打った。魔法で強化した身体でもっても、立っているのもやっとだ。

 天田が何か、耳元でわめいている。やかましい! どの道、聴こえん!

 そして今にして気づいた。この風の吹き方、覚えがある。この、頭上から吹き下ろすような風。

 先日の天使を思い出して、僕は胃が締め付けられる思いになった。

 結局また来たのか……もう嫌だ。

 でも、見ないわけにはいかない。意を決して、空を見上げた

 ……あれは。

 航空機?

 いや、違う。

 有機的な質感。

 爬虫類をもう少しゴツゴツさせたような肌。

 とてつもなく分厚い、皮膜の翼。

 これって。


 ……ドラゴンだ。

 もうダメだ。


 天田が腰砕けになったらしい。僕に抱きついたまま、その場にへたりこんだ。

 気持ちは痛いほどわかる。

 ドラゴンの口が、太陽のように熱輝ねっき

 あいつが何をする気なのか、僕には嫌でも理解できる。

 漫画とかゲームとかで、よく見る光景だからだ。

 嫌だよ、こんなの、リアルで見たくなかったよ。

 僕は耐えきれずに涙した。

 僕の気持ちなんて少しも配慮せず、ドラゴンが吼えた。

 筆舌に尽くしがたい。もはや聴こえるとかそう言うレベルじゃない。耳から入り込んだ波動が、僕の頭蓋を内側から破砕しかねない、そんな音の暴力だ。

 これだけでも死にそうな思いなのに、ドラゴンは、口の中で臨界に達した“それ”を、遥か彼方へ向かって吐き出した。

 それはまさに、火球だった。球体として生まれた炎と言うかエネルギー体と言うか。そんなものが瞬く間に遠く、隣町辺りへと飛んで行き、

 着弾。

 破裂音。

 キノコ雲が、天空を穿つ。

 建物とか車とかの残骸が、無数に巻き上げられる。

 なんて事だ。

 もう、爆発事故では済まされない。

 ドラゴンの出現とその暴挙は、僕の処理能力を振り切った。僕はもう、何をどう思えばいいのかすら、わからない。

「ぁ……? ぁ……? あ……?」

 天田。お前の反応は、多分正しい。

 ドラゴンが高度を落とした。それだけで台風が地上を薙ぎ払う。

 低空飛行。

 僕たちでも手の届きそうな高さに降りたあいつは、腹で建物を潰したり、翼が建物に引っ掛かって鬱陶しそうにしたりした。

 飛び散る瓦礫、金属片。

 逃げ遅れた人達にそれらが直撃、血煙に変えて行く。

 僕は天田を抱えながら、それらを必死に避ける。

 まるで地上の事に構わず、ドラゴンが旋回しやがった。

 万里の長城もかくやという尾が、ほうきがけでもするかのように、地上を浚う。その余波だけで、僕たち二人は紙屑のように吹き飛んだ。

 時速五〇キロは出てるだろうか。それでも、手につかんだ天田は、こいつだけは放すわけにはいかない!

 僕の両手には有り余る恵体を必死に抱き抱え、僕の背中からぶち当たるように姿勢を整える。

 ブティックのショーウィンドウを抵抗なくぶち破り、店舗の中ほどで激突。

 痛い。背中をバットで殴られたように痛いし、肺の空気がほとんど絞り出されて、息苦しい。

 それでも、それを感じられると言う事は、生きている。

 天田も無事だ。

 何事かをぶつぶつ呟いて、呆然としている。

 ダメだ、自分で逃げる気力を失ったらしい。

 こいつを連れて逃げようにも、逃げ切れる気がしなかった。

 天田より格段に軽い女の子を抱えて、ドラゴンよりも格段にトロい巨人からすら、逃げ切れなかった。その前例が、僕に重くのしかかっている。

 なら。

 あの化け物を、殺すしかない。

 じゃないと、僕らが殺される。

 大丈夫、大丈夫だ。

 僕は、魔法使いになったんだ。

 巨人だって殺した。

 同じようにやれば、いける。

 天田だって、成功体験は大事だと言ってた。

 とにかく、ドラゴンはまだ、僕の事を認識していない。

 今回は巨人戦で得た予備知識もある。

 あいつの眼中に僕が無いうちに、いきなり殺してやる!

 何にせよ、建物の中はまずい。

 僕は天田を無理矢理立たせると、ショーウィンドウの成れの果てを蹴破って、外に出た。

「お、お、おい、外に出たら――」

「中にいたらなおさら危ないだろ!」

 天田の狼狽しきった抗議に、僕は泣き声で反発した。

 よし。

 この前と同じ要領で行こう。

 あいつを氷の魔法で超極低温にしてから、電撃魔法を叩き込む。

 これでどんな体質をしていようが、相手は死ぬ。

 ルーチンが決まれば、やれる。

 僕は、ついに走り出した。

 ドラゴンの超巨体は、遥か遠い。

 だけど、僕の思考は届く!

「超・絶対、あっ」

 ドラゴンに狙いを定め、いざ氷魔法を放とうとした。

 だが、冷気のもやが拡散した時には、ドラゴンは明後日の方向に飛翔している!

 速すぎる!

 少し考えればわかった事だ。この前のトロールとは、明らかに機動力が違う事に。

「ぁ、く、こ、こごれ!」

 それでも、想定外のアクシデントに対応しきれないのが、僕という人間だ。

 氷魔法を空振ったと言うのに、当初のルーチン通りに電撃魔法をやってしまった。

 当然、無数の野太い電龍は、ドラゴンの脇を少し掠めただけで霧散した。

 まずい!

 今ので、ドラゴンが怪しんだ。はたから見てわかりやすいまでに、辺りを見回しはじめた。

「ぁ、ぅ……破ッ!」

 これも脊髄反射でやってしまった。ドラゴンに対して、光波を撃ってしまった。これじゃ、射線で自分の居場所を教えてるようなものだ!

 ああっ、ドラゴンが、明らかに僕を見ている。

 咆哮。

 それだけで、意識が浚われそうになる。

 まずい、まずい、まずい!

 考えなきゃ、考えなきゃ!

 この、この前の、僕らしくない機転は一体どこへ!?

 ドラゴンが、苛立たしげに羽ばたいた。

 来る!

 ドラゴンが着地し、僕たち目指して突進してきた!

「あああ、ああああああああッ!」「あぁああアァあああ嗚呼あぁアアッ!?」

 僕の絶叫に、すぐ横に居た誰かの絶叫がかぶった。

 天田だ。


 天田は突然、街路灯を引っこ抜いた。

 大根を収穫するよりも、あっさりと。


 地中でポールを固定していたコンクリの塊が、おまけにくっついているけど……。

「来るな、来るな、来るなァぁああぁああアアあッ!」

 街路灯に繋がれていた電線が引きちぎれて、火花をまき散らす。

 天田は、錯乱するままに、身の丈の倍以上はある街路灯を振りかざした。

 それが丁度、僕たちに向かってきていたドラゴンの側頭部を捉え、打ちのめした。

 あの化け物からすれば、たかが鉄のポールだろうに。

 天田にぶん殴られたドラゴンは、凄まじい勢いでその場に突っ伏した。

 

 ……ちょっと待て、こいつは、天田は一体、何をしているんだ……?

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