僕らは爆発事故に巻き込まれたことになったらしい。

 一日、検査入院させられたけど、異常は無し。服が血だらけだったにも関わらず、僕自身は無傷だった事に、医者の人達も不審そうな顔をしていたけれど。

 現代医療が僕を健康体と見なした以上、病院に拘束される事はない。

 心配だったのは、脳の検査とかで魔法の事が露呈しないか、と言う事だったけど。

 何も言われなかったと言う事は、何も無かったのだろう。

 警察の事情聴取もあったけど、どうにか、知らぬ存ぜぬを貫き通せた。終始キョドった様子の僕の態度を、嫌疑ありと見たか、ショックからの錯乱と見たか。

 警察の人達のポーカーフェイスから、それをうかがい知る事はできなかった。

 

 とにかく、僕は帰宅した。

 僕は当然、実家暮らしだ。ごく普通の一戸建てに、父母と妹と四人暮らし。

 いつものように、猫背ぎみに我が家の正面玄関に入る。

 玄関で、妹の穂香ほのかが靴をはいていた。

「ぁ……」

 僕は、咄嗟に声がでなかった。

 穂香は、その切れ長の目で、ちらりと僕を見上げた。けれど、すぐ靴紐に視線を戻した。

 さっさと身支度を整えると、穂香は、僕の横を素通り。長い後ろ髪を従えて、淡々と家を出ようとする。

「ぅ、あ、あの」

 僕にしては、勇気のある行動だと思う。

 けど、声をかけられた穂香の所作には、どこにも感情がなく。

「何か?」

 声にも、少しの愛着がない。

「……、…………何でも、ない」

「そう」

 穂香は、僕に少しの関心も示さず、家を出ていった。

 一度として、僕の顔を見なかった。

 一応、“爆発事故”に巻き込まれた帰りなんだけど。いつも通りの態度だったな。

 穂香は別段、僕の事をとやかく言った事はない。ただ、心の中で、僕の事を軽蔑している事は、明らかだった。

 穂香は今、大学三年生だけど、僕よりもずっと出来がいい。

 まだ二年生の頃から、もう就活に取り組んでいた、らしい。

 すでに、(どこだったか忘れたけど)有名な企業の内々定とか、インターンとかも決まっているらしい。

 母さんがそう言ってた。

 だから。

 ――血が繋がっていると言うだけの事で、接点を持とうとしないで。

 表向きの波風は立てずに、かつ、空気の読めない僕にもわかるような態度で、

 彼女は僕と言う出来の悪い兄を、拒絶してきた。一体、いつからこうなったのかは、もう忘れたけど。

 これが、僕たち兄妹のスタンダードだ。


 母の方は、大丈夫だったか訊いてきた。検査の結果、問題ないと伝えたら、すぐに納得してしまったけど。

「次の仕事、あるの?」

「落ち着いたらハロワとか就活サイトで探すよ」

「……」

 ……。

 それ以上話す事も無いようなので、僕は自室に上がった。


 とりあえず、まず鏡を見た。

 うーん、やっぱりだ。

 どうも、検査入院から一晩空けて、僕の顔が変化している。

 端的に言えば“かっこよさ”が倍近く上がっているとでもいうべきか。

 もちろん、陰気なガリガリオタクの僕という素材ベースなりの“かっこよさ”でしかないが。

 顔立ちそのものは変わっていない。見慣れた骨格と肉付き、目鼻立ちだ。

 ただ、細かい所が違う。

 目のクマとかシミとか吹き出物とか、そういう汚いもの一切が消えて、肌が妙につやつやしている。

 ぼさぼさで、病的だった髪は、いつの間にか整然と流れている。

 僕が寝ている間に、美容師の妖精でも舞い降りたというのだろうか。

 顔の輪郭も、相変わらずやせ形ではあったけど、前よりも少しふっくらしている。血色も良い。

 “太る”という感覚を、久々に味わった気がする。むしろあれから、食事がろくに喉を通らなかったというのに。

 どうせ僕が容姿を磨いた所で……そんな諦めもあったから、かっこよくなろうと、努力したことも無かった。それが今さら、どうして、こんな顔に。

 これもやはり、魔法だろうか。

 誰だって、少しでもルックスを良くしたいだろう。僕も例外じゃない。だから、その思考が、僕の顔を微調整したのだろう。

 ……これでもう、鏡や窓を見る度に、僕は現実を突きつけられる事になる。

 これから僕は、どうなるのか。考えなければいけない。

 僕一人だったら、きっと、全てを投げ出して、引きこもっていただろう。

 職場が木っ端微塵になったと言う、それらしい理由もあるのだから。

 けれど。

 僕は、スマホを取り出して、メッセージアプリを起動した。母さんと、天田と、木根と言う友達と、何かの広告と。その四人しかいなかった、空疎なトーク一覧の中に。

 倉沢春花、と言う名前があった。


 あの時。

 天使のようなやつらが飛び去ったあと、救急車とかのサイレンが聴こえてきて。

「神尾くん!」

「あ、は、はい!」

 途端に、春花さんが慌て出した。

「連絡先、交換できない!?」

「え、ええ? あ、その、」

「早く! 救急車が来てしまう!」

「えと、その、アプリ、で、よければ……その」

 今にして思えば、別に普通の電話番号で良かった気もする。

 ただあの時は、春花さんに連絡先を訊かれると言う、あり得ない事に狼狽していたから。イレギュラーに弱いのは、僕の代表的な弱味だ。

「……確かに、文字のやり取りの方が、この場合適しているか。

 それでいい! 貸して!」

 春花さんは僕のスマホを奪い取ると、強引に友達登録をした。

 サイレンが大きく、近くなってきた。

「お互い、落ち着いたら話し合いましょう。警察にも誰にも、何も、本当の事を話したら駄目! 私も、そうするから!」

「あ、は、はい」

「次、同じような事があっても、絶対に逃げて! 一人で戦おうなんて考えない事! いい!?」

「わか、わかりました!」


 彼女は多分、僕の“魔法”を見た。僕の能力を知る、唯一の証人、かもしれない。

 だから、それについて改めて話したいから、連絡先を交換したんだろう。

 どうしよう。

 とりあえず、僕は今、自由の身だ。連絡は、出来る。

 彼女とトークすべくタップ。


 お疲れさまです、神尾です。

 怪我はありませんでしたか? 僕は大丈夫でした。

 別れた時は、倉沢さんも元気でしたけど、もし、頭打ってたら、とか、心配と言うか、


 そこまで入力して……僕は、スマホの画面を閉じた。

 勇気が出ない。

 は? 何、馴れ馴れしく話し掛けてきてんの?

 恥ずかしいしウザいからやめてくれない?

 そんな風に返ってきたらと思うと、自分から話しかけられない。

 彼女はそんな人には思えないけど、でも、万が一……ほら、機嫌の良し悪しと言うのもあるじゃないか。

 ここは、彼女の都合を尊重しよう。

 僕と話がある時は、彼女の方から話しかけてくるだろう。

 そうしよう。

 そうと決めたら、この事は保留だ。

 それよりも……そうだ、天田と昼飯にでも行こう。あいつ確か、今日休みだ。

 あんな目に遭って、気づいた事がある。

 天田はいわば、僕の“日常”の象徴だ。

 奴と馬鹿話をして、時間を無駄に費やす事。今の僕に一番必要なのは、それだった。

 春花さんに対しては煮え切らなかった指が、天田に対しては俊敏に動いた。

 エンプレのレベル上げに勤しむチャンスである、貴重な日曜日。果たして、彼は応えてくれるだろうか。

 スマホが、ブーブブッと震える。返信だ。


 天田達哉:もう何日か連絡なければ、ワシの方から誘おうかと思ってたわ




 場所は、隣町のファミレスチェーン"メーア"にした。

 僕と天田が駄弁るには、丁度良い店だろう。

「うっす、お待たせ」

 背後から、胸のつまったような男の声がかけられた。

 天田だ。

 相変わらず、僕の狭い視野には有り余る巨躯である。

「なあ、気のせいか、また太った?」

「ああ、先日、一二〇キロの大台に乗りました」

「嬉しそうに言うんじゃない」

「ふひひ」

 二重顎を波打たせ、天田は笑った。

 国民的アイドルグループ・“SLMN72”の推しメン、“上砂護うわさご 聖玲せいれちゃん”をプリントしたシャツとピチピチのジーンズが、今にもはち切れそうだ。

 リアルで彼と会う度、僕はこの世界の不条理を痛感する。

 彼の肉の一割くらいでも僕にあったなら。

 僕はもやしっ子から脱却し、彼は少しでも健康になる。

 そうすれば、二人ともが幸せになれるのに。

 富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる。

 まあ、言っても栓無きことだ。

 とりあえず中に入り、四人がけの席に座る。

 天田は、セットメニューだけでは飽き足らないらしい。

「あれもこれも、それも、デザートにこれとこれ」

 僕には、天田を止める術も義務も無い。

 だから、安さに定評のあるこの店にした。

 収入の低い僕と支出の高すぎる彼が共存可能な、数少ない場所だから。

「それで、この前の件、正直どうなのよ?」

 天田が、その豊かな上半身をテーブルに乗っけて訊いてきた。

 やっぱりか。ものぐさな天田にしては、やけにあっさり誘いに乗ってきたと思ってはいた。

 トロールの事が、全国で騒がれていることは、想像に難くない。

 放射性物質や毒性物質の可能性もあったから、死体の撤去もかなり遅れたと言うし。

 ちなみに、検査の結果、僕の身体に被爆や感染症は認められなかった。

 とにかく。

 あの事が暫定的に爆発事故とされたにしても、隠し切れる代物ではなかったろう。あれが生命体だと察知した人も、相当数居たようだ。

 SNSや匿名掲示板がそこここで混乱しているのは、僕も確認した。

 天田が、現場に居た僕に話を聞きたいのも、無理は無い。

「……あれは、生き物だったよ」

 声を潜めて、僕は天田に告げた。

「とてつもなくでかい、巨人みたいなやつだった。そいつにうちの職場とか、あの周辺ぶっ壊されて、僕も襲われた」

 迂闊な事をしてしまったかも、とは、心のどこかで思う。だけど、一人で背負うには、この事は重すぎた。

 それに、これから何事も無ければ、僕が言った事はデマにしかならない。

 もしも、同じような事がまた起こるのなら、僕が言った事は、これからの世の中でスタンダードになるだけだ。

 それに天田なら、悪いようにはしまい。

「マジかよ……それは、何て言うか、その……」

 天田も、言葉を選びあぐねているようだ。

 それはそうだろう。今現在、あの状況を言及可能な人間なんて、この世に居るはずがない。

「いや、でもさ、変なんだよな」

 一転して、天田がそんな事を言った。

「その、お前の職場が潰された原因となったデカブツなんだけど、どこから来たんだ?」

 どこ、から……?

「よくよく調べたらさ。被害が出たのは、お前の職場がある、あの通りだけだったんだよ」

「え、そうなの?」

「仮にお前が言うような巨人? そんな奴が現れたとして……何も壊さずにあそこに来るのは、不可能だろう」

 あ、確かに。

 僕も徹底的に調べたつもりでいたけど、いつも詰めが甘い。

「だから、名目上は爆発事故って事になってるんだよ。

 そうすると、あのバカでかい死体の説明はつかないけどな。解剖結果も、いつ出たものか」

 解剖されたとして、何かわかるのだろうか。

「あと、不可解な発光現象だの放電を見た奴がいるとかいないとか……」

「ぅ……」

 あの巨人や天使達に対する世論がどうなるか。この事は、僕にとってのもうひとつの悩み――魔法について――を、皆がどう受けとるかにも関わってくる。

 さすがに今は、天田に魔法の事を教えるのはやめておこう。

 人の口に戸は立てられない。世間に知られれば、僕まで化け物扱いされかねない。

 この悩みも彼と共有できたなら、こんなに頼もしいことも無いけれど。

 でも。

 春花さんはどうするのだろう。

 彼女は、僕の魔法を間近で見たはずだ。

 もし、魔法の事を誰かが感付いた時……彼女は僕を売ったりしないだろうか。

 いや……彼女はそんな人じゃない気がする。

 今まで僕は、彼女を遠巻きに見ているだけだった。正直、彼女に憧れていた。

 本心では近づきたかったけど、きっかけがなかったし、きっかけを作る甲斐性も、僕なんかにはなかった。

 それでも、あの滅茶苦茶な状況の中。

 春花さんは僕を見捨てず、手を引いて逃げようとしてくれた。

 彼女がああしてくれなかったら、今ごろ僕は、工場ごと潰されていたに違いない。

 彼女がああした為に、僕ごと彼女が潰されていた危険すらあったのだ。

 だから、春花さんの事は信じないと。

 疑いが少しでもちらついた僕の頭が、僕は憎らしく思えた。

 そうだ。後で、春花さんに連絡しよう。

 自分から連絡先を交換しておいて、突っぱねるなんて事は、してこないだろう。

 そんな当たり前の事を、何で疑ってしまったのか。

 仮に迷惑な時間帯だったとしても、ちゃんとスルーしてくれるはずだ。

 読みたいときに読めるのが、アプリやメールの利点なんだし。

 現に今のところ、彼女からの連絡は無い。

 よし、そうと決まったら、


 耳を刺す、破裂音。

 店内がひっくり返らんばかりの振動。

 全ての窓ガラスが、瞬く間に粉砕された。

 次瞬。

 火傷しそうなほどの熱波が、僕たちを襲った。

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