2
先と同じ、光波を撃とうと集中。たぶん、五秒も経ってないはずだ。
なのに。
削れたトロールの断面が弾けたかと思うと、粘土を引き延ばすようにして、右半身が再生された。
完治。
明らかに、あいつが元々備えているはずの質量を越えた肉量だけど、今は考えない事にする。
トロールの復活を見届けると同時に、ようやく僕の照準が定まった。
世界が真っ白に染まった。僕の発した極太ビームが、再びトロールを襲う。
だが、目が眩む直前、トロールが横跳びに跳んだのを見てしまった。
光波が消え去って視界が戻ると、トロールは二の腕を多少削られた程度で、平然としていた。どうやら、この魔法では威力が足りない。あいつの背後でうず高く積まれていた瓦礫の山が、蒸発するだけの威力だったのに。
トロールが、完全に殺す気で僕の前に踏み込む。僕は、まだ呆然としている春花さんを抱きかかえると、全力で走り出した。
人一人を抱えているのに、身体が軽い。自分が別人になったようだ。
僕にはわかる。これも魔法の力だ。
僕が無意識下で望んだ――あいつから逃れるだけの力と敏捷性が欲しいと言う――思考に呼応して、身体能力が倍増しているのだ。
けど、筋力も歩幅も違いすぎる。ただ闇雲に、場当たり的に、トロールの腕や足から逃れるのが精いっぱいだ。僕が通った後に、あいつの鉄槌じみた手足が、建物を破壊してゆく。
逃げ切れない。何か、対策を考えないと。
頭を吹き飛ばせば即、殺せるのかもしれないけど……そんな事は、あいつも承知の上かもしれない。銃撃戦でも、初手からのヘッドショットはあまり有効ではない。ネットにそう書いてあった。
ただ、今の二回で、僕は魔法についての勝手をある程度掴んだつもりだ。
大前提として。
どうやら魔法とは、僕の思考が具現化するものらしい。
今の魔法がビームだったのは、“遠距離攻撃”をする必要に迫られた僕が、手から気弾を発射するアニメキャラを参考にしたからだ。
魔法はたぶん、僕の発想が及ぶ範囲なら、ほとんどの物理現象を具現化させられる。
僕は“思考”するだけでいい。よって、魔法の行使によって失うものは何もない。
けれど、この“思考”というのが曲者だ。
例えば、もっとじっくりと集中すれば、さっきの何倍もの――トロールにとって致死量の威力を持つ光量をぶっ放す事だってできるだろう。
もしくは、もっと遠くから、広範囲を焼き払う事だって出来るだろう。
思考を広く取れば、それだけ局所への注意が散漫になるから、威力は落ちる。
多くのRPGで、単体対象の魔法が同レベルの全体魔法より高威力であるけど、それと似たようなものだと解釈しておく。
とにかく、魔法は、一秒でも多く時間をかければ、強く出来るみたいだ。
けど、あいつとのやり取りは、一秒未満の間さえも命取りになるのがわかった。
FPS系のゲームとか、格闘ゲームとかでも、技を放った後のほんのわずかな
それはともかく。
僕が、一番苦手としている事だ。出来るだろうか。
出来なければ、殺されてしまう。
落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け……。
また、トロールの腕が、すぐ背後に落ちた。衝撃でつんのめりそうになる。
ダメだ、やっぱり無理だ、絶対無理だ! こんな風に追い立てられて、何を、どうやって考えろって言うんだ!
係長に追い立てられたら、サンダーがけさえ満足に出来ない。そんな僕に、どうしろと!?
そうだ。
今までずっとそうだった。
機転だとか起死回生だとか、そんな漫画の主人公がホイホイやってるような事なんて、現実にはできっこない。
ダメだ、死にたくない、魔法撃たなきゃ、でも、こんな状況で魔法の事を考えて、それで逃げ遅れたら、嫌だ、嫌だ、死にたくない、死にたくない、
僕はいつも負けてきた。大事な事で勝てたためしがない。無理に決まっている。天田だって成功体験が大事だって言ってた。どうしよう、どうしよう、僕は、どうしたら!
「落ち着いて」
女の子の、か細く掠れた声が、はっきりと聴こえた。
胸に抱いた、春花さんだ。
ショックで我を失っていたはずの彼女が一転、緊張はしながらも落ち着いた様子で、僕の頬に手を伸ばしてきた。
「あなたは、本当はできる」
……。
……、……。
何か、落ち着いてきた。
思考が、これまでにないほど明瞭だ。
何をすべきかが、スラスラと脳裏に閃いていく。
わかった。
RPGの戦闘において、魔法使いが、持てる手札の中で、最大限の成果を出す方法。
属性相性を考える事だ。
相手が火に弱いのなら、炎の魔法をぶつけるように。
けど、リアルの世界はそんな単純な法則で動いてはいない。第一、あのトロールの生態だとか体の組成だとか、そんなものを理解している人なんてこの世には存在しない。
となれば、自分の魔法の性質を理解して、それを浴びたあいつにどんな変化が起こり得るかを予測する。
結論が出た。
逃げながら、あらかじめ、トロールの心臓辺りに意識を集中しておく。
「
僕は叫んだ。
考えを声に出して、自分に聴かせる事で、よりイメージが補強されると思ったからだ。
直後。
また、強烈な光が世界を満たした。
野太い羽虫が唸るような、腹の底まで響き渡る重低音。トロールの胸で、無数の光条が、大蛇のごとくのたうつ。
電撃だ。
この街の照明全てを賄えるくらいの“思考強さ”を込めたつもりだ。
あいつがどんなに頑強な生き物であっても、身体の内側から電流に焼かれれば、ただでは済まないはず。その生物の外皮が頑丈だと言うのは、裏を返せば、脆い内臓を守る為の進化であるからだ。
心臓を狙ったのは、心室細動を誘発するため。例え、電撃によるジュール熱であいつを焼き殺せなくても、心臓を止めてしまえば、あるいは。
出来る限りの事はした……と思う。あれだけの電力をピンポイントで心臓部に受けて、生きてられるはずはない。
……。
そう、そいつが、“ちゃんと電気を通す”身体の持ち主であったなら。
トロールを執拗に苛んでいた電流が、消失。あいつは、ひどい悪臭を放ちながらも、平然と立っていた。多少、筋肉が痙攣している様子だ。ノーダメージではないらしい。けど、あんな化け物じみた再生能力を持つ奴が相手では、慰めにもならない。
僕の頭で確信は持てないけど……あいつの皮膚や肉は、人智を超えた絶縁性・耐熱性を持っていたのだろう。結局、電流が内臓まで届かなければ、電撃魔法の価値は半減だ。
……なら。
「超・絶対零度!」
頭の悪い呪文を添えて、僕は一生懸命思考を巡らせた。
摂氏-273.15度――つまり絶対零度――を“気持ちもう少し下回ってほしい”という思考を練り、トロールにぶつけた。
スモークを焚いたような、すさまじいモヤが放射すると同時に、トロールの全身が霜で白濁。好き放題暴れていた巨人は、ぴたりと動きを止めてしまった。
口と鼻から台風が生じるほど、荒い呼気を発しているので、死んでいるわけではないようだけど。
今、あいつの身体は、この世で一番気温が低い状態になっている事だろう。僕たちまであんな極低温に曝されれば死んでしまうだろうから、効果範囲はあいつの身辺に限定した。
それが功を奏して、これだけの威力が実現した。
けど、安心にはまだ早い。信じがたい事に、それでもあいつは、動こうとしているからだ。
こんなものは、足止めにしかならないだろう。あいつだって、こっちが見せた手札に対しては学習を重ねている。
これだけでは、殺せない。
だから。
「凝れ!」
もう一度、先と同じ叫びを発した。
固体のような存在感を持つ“電龍”が、無数に絡み合う。
さっき、これをやって跳ね退けられた。
だが。
見た目からして、さっきとは様子が違った。
さっきの電撃は、はなから表面で弾かれていた印象があった。
ちょうど、油が水をはじくように。
けど、今回の電撃は、素直にトロールの体内へ経皮吸収されているように見える。
「……ッ!? ……ッ! ……、…………」
ぐらりと、トロールの身体が傾いだ。あれだけエネルギッシュに暴れまわっていた巨人が、一転して、全ての力を失って。
――殺った。
僕は、“賭け”に勝った事を理解した。
絶対零度。
それは、この地上で実現可能な最低温だ。
もしも、それを下回る温度が実現されたとしたら、どうなるか?
僕に難しい事はわからないけど、とにかく物理法則が色々変わるらしい。
一説によると、その温度にある場所では、電気抵抗が有無を言わさずゼロになる、とも。
ネットに、そう書いてあった。
だから、その中途半端な知識に頼ってみた。どうやら、効果はあったらしい。
目の前で倒れようとしているトロールが、ほかならぬ根拠だ。
けど。
あいつに太陽を遮られた視界の中。
僕は、ショックで股間が抜け落ちるような、絶望を覚えた。
あいつの執念を、舐めていた。
倒れ込むトロールが、腕を上げて、最期の一振りを、僕に。
……いや、僕“たち”に。
春花さんを、乱暴に投げ捨てた。
自分も、出来るだけ飛びのいた。
けど。
トロールの指の第二関節あたりが、かすめた。
全身に衝撃。
痛みは理解できない。
全速前進の四トントラックにはねられたら、こんな感じなのだろうか?
意識が、薄れていく。
もう何も、考えら
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