0-2

 僕は、現場仕事が出来ない人間だ。

 それを自覚して、それでもやっていくには……僕が出来るところから攻めないと。

 僕は……基本的に頭でっかちな人間だと思う。その場その場の動作的なIQが著しく低いんだ。

 だから準備を万端にしてから行けば、少しは、

「……なにこれ」

 僕が渡した書類を、野仲さんは冷え切った視線で流し読む。

「……その、それはレポートで……作業の改善案とか……よく来るクレームについての考察とか……最近、うちの会社でもQC活動とか奨励されてますし、その」

「いらん」

 そう言って野仲さんは、僕が渡した書類をゴミ箱に捨てた。

「お前、自分の立場わかってる? 司令塔気取り? 俺に代わって現場指揮やりたいって意味?」

「ぃぇ……、あの、野仲さんから“主体性を持つ”とか“学ぶ”とか言われて、僕なりに考えて……出来る事を……」

「見る所がちげぇよ。こんなの作ってる暇あったら、他にやる事あんだろ」

 ……。

 僕は、どうすればよかったのだろう。




 今日も、どうにか乗り切る事が出来た。つまり、今日も、何も得るものが無く終わった。

「野仲さん、今夜、久しぶりに飲みに行きませんか」

 水野君の声が漏れ聞こえる。

「ああ、それはいいな。竹尾と浜田も行くのか?」

「はい、行きたいです」

「よし、じゃあ、とっとと片づけ終わらせて、“鶏五郎”でも行くか! 俺のおごりだ!」

「やったー! 野仲さん大好き!」

 水野君はすごいと思う。あの野仲さん相手に、面と向かって“飲みに行こう”って誘える胆力が。

「神尾君、お疲れさま」

 ふと、背後から、おばちゃんの声がかけられた。事務の、東山ひがしやまさんだ。

「あ……お疲れさまです」

 この人は、僕の事を邪険にしない。

「神尾君は、行かないの? 飲み会らしいけど」

 僕は、ただ頭を振る。

「声くらい、かけてあげればいいのにねぇ……」

「まあ……仮に僕がまざっても、盛り上げたりできませんから……」

 二年前の忘年会だったか。

 酔って上機嫌の野仲さんに“いっちょ、裸踊りをしろ”を言われたけど、僕は可能な限り慎ましくそれを断った。

 そしたら野仲さんが舌打ち、場の空気が一気に冷え込んだ。

 ――面白くないやつだな。だから仕事でも空気が読めないわけだ。

 ――お前とプライベートで飲みに行くなんて、苦痛だろうな。

 裸踊りなんて、本気でやれば引かれるに決まっていた。

 僕は、どうすればよかったのだろう。

「まあ、今日は、漫画の修行でもしてると思います。東山さんも、気をつけて帰ってください」

 この職場で、東山さんだけには、趣味や夢の事も話せた。

 まあ、あまりピンと来ないまま聞いてそうだけど。

 ニコニコと、聞いてくれる。




 結局、漫画の修行というやつはしなかった。レポートが無駄に終わった精神的疲労が理由だ。

 こんな事で、漫画家、あるいはバリスタになる事は出来るのだろうか。漠然とした不安だけが、胸に広がっていく。

 とりあえず今日は、ニュースブログ巡りと動画サイト漁りをして休もう。

 今の僕には、癒しが必要だ。




 さて、天田あまだの奴はどうしてるかな?

 ネット巡回に疲れてきた時、ふと、中学からの友達の事が浮かんだ。

 メッセージツールにはログインしているようだ。

 暇だし、話しかけてみよう。

 いつものように、面白かった動画のURLを手土産に。


 神尾庄司:http://(以下略)

 神尾庄司:これすごくね?

 神尾庄司:科学・技術カテゴリのランキングに、エロ動画ぶっこんでる。アホだ。


 ややあって、天田の反応があった。


 天田達哉:ああ、それね。

 天田達哉:かれこれ一時間経つが、削除されねーな。

 天田達哉:運営仕事しろ。


 最初タイトルを見た時は、エロ動画と偽って全く関係のない内容を見せる、いわゆる釣りかと思ってた。

 けど、蓋を開けてみれば本物だった……今、モニタの中で、童顔が売りであるらしい女の子が男優と絡み合って、激しくのたうっている。

 ……後で使わせてもらおう。


 神尾庄司:この手の釣り動画にしては、モノのクオリティは無駄に高いな。

 天田達哉:ワシらの笑顔が見たいようだな。

 神尾庄司:神のごとき慈悲だな。

 天田達哉:ありがたく使わせてもらったで。ふぅ……。

 神尾庄司:おい、やめろ。そんな事言われたら、この動画とお前の顔が結びついて萎える。

 天田達哉:サーセンwwwwwwwwwww


 いつも通りの僕達だ。

 なんと言うか、こいつと馬鹿話している時が、唯一、安らぐ時間なのかもしれない。


 神尾庄司:それよか天田、何してたんだ?

 神尾庄司:また、エンプレか?


 EmptyPresenceエンプティ・プレゼンス、略してエンプレ。

 割と大手のゲームだ。ネット対戦が盛んである。

 つい最近まで僕も一緒にやってたけど、やめた。

 やたらプレイヤースキルを要求されるので、僕だと勝てないのだ。

 それに引き換え天田は、こういうゲームが上手い。

 彼の操る剣聖姫レヴィア・ヘブンズブレイドは、エンプレ界隈ではちょっとした有名キャラである。

 プレイヤースキルもさることながら、金の動かし方がうまいので、ゲーム全体で五個にも満たない伝説武具を、三点も装備している。


 天田達哉:ああ、ちょうど小休止ってとこだわ。

 天田達哉:今日はどうも、ガチャがかなり熱くてな。

 天田達哉:テンション上がりまくった反動で、ヘトヘトだわ。

 神尾庄司:楽しそうだな。

 天田達哉:そう思うなら復帰しろよ。

 神尾庄司:そのうちな。

 天田達哉:そのうちっていつ~?(´・ω・`)

 神尾庄司:漫画を完成させたら、かな?

 天田達哉:実質的に、永久休止じゃねえか!


 さすが、心の友だ。

 無自覚かつ的確に痛いところを突いてくる。


 天田達哉:いっそはっちゃけて、大庭青葉おおば あおばちゃんのエロシーン描いてみろよ。


 大庭青葉とは、僕が今(二年くらい前から描いてる)漫画に出てくる女の子だ。

 主人公の仲間の一人に過ぎない位置付けなのだけど、天田的には、メインヒロインよりも好みらしい。


 天田達哉:エロこそは、技術革新の根源と知れ。

 神尾庄司:僕の画力を考慮してください。

 神尾庄司:ゆったりした服着てればそれらしく見えるけど、裸はなかなか人に見せれない……。

 天田達哉:その言い方だと青葉ちゃんじゃなくて、お前が裸を恥じているようでキモい。


 そんな、お互いに頭の悪いやり取りを二時間ばかり。

 気力を取り戻した天田は、また、エンプレの世界へと戻って行った。

 ただ、最後に彼はこう言った。


 天田達哉:漫画さ、出来に納得行かなくても、一度完成させたら?

 天田達哉:成功体験ってやつ、大事だぜー?


 そうだな。天田の言うことは、至極もっともだ。本当は僕自身がよくわかっている。

 このままじゃ、三〇までに漫画家になるなんて無理だと。

 個人差はあろうが、プロは、毎日のように漫画に取り組んでいる。僕みたいに、片手間ですら漫画に費やさない半端者が、彼らと同じ土俵に立つことさえ出来ないのだと。

 けれど。

 それを認めてしまったら……今の僕には本当に、何も残らなくなってしまう。

 よし。ここが踏ん張りどころだ。

 僕は、今まで描いた漫画を取りだし、広げてみた。

 タイトル名:覚醒サークル。

 平凡な大学生の男女六人が、突如魔法の力に目覚めて、何故かこの世に現れた魔物と戦う話だ。

 物語は、大学が魔物に襲撃される所から始まる。

 主人公はガリ勉オタクっぽいが、素のルックスは良い。基本的に無気力体質だが、やる時はやる。攻撃魔法の能力は、仲間の中でもピカ一。

 フィジカル面では今一つの後衛タイプだが、そこは肉弾戦を担当する彼の親友や、例の青葉ちゃんが、身を挺して護ってくれるのだ。

 よし。

 今まで描いたストーリーを見返した事で、僕は一仕事した気になった。

 明日も大変だし、今日はこのくらいで寝よう。


 はぁ……こんな展開が実際に起こればなぁ。

 摂理が変質するレベルの大革命が起こらない限り、僕の人生は、ずっとこのままなのだろう。

 そんな夢物語を考えながら、僕は夢の中へと落ちていった。




 憂鬱な朝。

 これから仕事に行かなければならない。

 そう考えただけで動悸がするし、息苦しい。

 けど、食べていくには、行かなきゃ。




 朝礼が終わった直後。

 胸ポケットに入れていたスマホが鳴った。メッセージアプリの着信音だ。

 僕に連絡を寄越してくるなんて、天田くらいだろうか。彼の仕事はシフト制だから、平日休みの事も多い。暇をもて余して僕に何か話しかけてきたか。

 それより、

「おい神尾、何でマナーモードにしてないんだよ。仕事中だろうが」

 いつもは気を付けていたのに、失敗した。

「す、すみま、せん、今っ――」

「もう仕事始まるだろうが! 携帯いじってる暇なんてねえよ、さっさと行け!」

 すごすごと、僕はステンレス工場へと追いたてられる。


「神尾君、こっちの手元なんかどうでも良いから、向こう(鉄製品を作る)工場見てきて」

 沖村さんが、怒った口調で指示してくる。僕と話す時の、彼の標準的な抑揚だ。

 僕は、慌てながらもそれに従う。

 ほうほうの体で鉄工場に舞い戻ると、早速北山さんが、

「え? こっちは手元足りてるでしょ。

 それより、今日はステンレス工場の方が負荷やばいよ。どんどん出荷できる状態に持ってかないと、後でテンパる羽目になるだろうよ、何してんの」

「ぅ……ぁ、はい……」

 ステンレス工場に戻る。

「俺さっき、何て言ったよ!? 手元は間に合ってるっての! こっちくんな!」

 沖村さんと北山さんで、言ってることが違う。どちらかに従えば、どちらかに怒られる。

 “あの人の指示通りに動いたんです”と弁明して、それが納得された試しがない。

 僕は、どうしたらいいのだろう。




「なあ神尾。もう少し綺麗な字が書けないの?」

「ぅ……すみません」

「前々から言ってるだろ。ペン字習うとかさ。こういう所すら治す気なしか」




「神尾、あれ取って」

「ぇ……? あれって?」

「あれって言ったら、あれ以外にないだろうが! もういいよ、自分でやる!」

「ぁ……」




「ぁ、すみません、沖村さん。あれ取ってください」

「あれって何だよ!? ただでさえ忙しいのに、下らない事で頭使わせんな!」

「……」

「チッ」




「は? 今更そんな事聞くか?」

「えっと……」

「漫画なんて描いてる時間あったら、自分の仕事を見つめなおすとかできないのかね」

「……」 ――いつまで、




「なあ、神尾、その布巾(ウエス)見て、何も思わないの?」

「え?」 ――いつまで、こんな、

「え? じゃねえよ……そんだけ汚れてるのを放置出来るお前の神経がわからないわ」

 ――これ、僕じゃなくて、浜田さんが。

「俺ら、製品作ってんだよ。人に売るモン作ってんだよ。油汚れが移ったようなものを客に出したら、信用問題だと思わんのか? そんないい加減な認識のやつに居られたら迷惑なんだよ」




「おい神尾ッ!」

 いつもは“神尾君”と呼んでくる沖村さんが、呼び捨てで怒声を上げた。

「そのウエス、俺のだろうが! 勝手に持ってくとか、何様だ!」

「ぇ……でも」

 僕の目から見て、これは汚くなっている。

 だから、新しいのに替えなきゃと……。

「余計な事すんじゃねえよ!」

 ――いつまで、こんな、日常が、




 水野君のスマホが、軽快な音を立てた。

「あっと、すんません、マナーモードにするの忘れてました」

「おっと、何の音かと思えば。

 いや、気にするな。それくらいのミスは誰にでもある。なんだよ、彼女からでも来たのか?」

「さすが、野仲さんは鋭い。彼女は彼女でも、サブの方っすけどね」

「悪いやつだなぁ。刺されないように気をつけろよ。お前が死んだら、この現場はおしまいだ」

「あはは。野仲さんはうまいんだから」


 ――いつまで、こんな、日常が、続くのだろう。


「下らない事を聞くな! 少しは自分で考えろ!」


「ねえ、こういうミスをする前に、何で一言、聞こうとしなかったの?」


 皆の気持ちは、多分わかるつもりだ。

 何というか、僕自身に悪気が無くても、僕がここに居るだけで、彼らには精神的な負担を強いてしまっている。

 少なくとも、この職場……現代日本において、僕の存在は悪そのものに違いない。

 無自覚に上司、先輩、同僚を傷つける。これほど質の悪い人種もそうはいないだろう。

 僕が息を吸ってるだけで、皆をイラつかせてしまう、この状況。

 ここから脱却するには、僕が死ぬか……、

 いや、死にたくない。

 僕だって生きていたい。

 どうしようもない。

 詰んだ。

 今更言うようだが、完璧に詰んだ。

 もう、これをどうにかしてくれるとすれば、この世の摂理そのものが変わりでもしない限り――、


 轟音。

 振動。

 工場自体が、横にぶん殴られたような、凄まじい衝撃が、にわかに襲ってきた。

 な、な、な、何だろう、地震? 地震なのか?

 い、いや……、違う!


 理解が、追いつかない。

 何か、巨大な、恐らく生き物らしきものが、突如現れた。

 体長何十メートルとある、何か、生物らしきものが、

 この“井水メタル”を、力任せにぶん殴ったのだ。


 のちに言う、

 “魔物”の襲撃だった。

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