陰キャ、覚醒す

聖竜の介

0-1


 自己紹介をしようと思う。

 僕の名は、神尾庄司かみおしょうじ

 二七歳。金属加工工場"井水メタル"にて勤務。ただし、万年パート職員。

 彼女居ない歴は、二七年。

 趣味は、漫画を描くことくらい。気まぐれでコーヒーを淹れてみたりもしている。いつか、漫画家かバリスタになって、人生逆転を狙いたい。

 三〇歳までには、何かしら結果が出るだろうか? どちらも、もう半年は手付かずだけど。

 全く手を入れていない黒髪は、一本一本が思い思いの方向に伸びている。顔も体もガリガリ。肌荒れがひどく、赤い粒々が見苦しい。

 親と昔馴染みの友達以外は、話すのも怖い。この前、同窓会に出たら、一様に微妙な顔をされた。"何でこいつ呼んだの""顔……というか、風格に変化無さすぎキモーイ"などなど。

 つまる所。

 僕は巷で“陰キャラ”などと呼ばれる人種だ。




 県内某所。金属加工会社・井水メタルの鉄製品製造工場。

「おい神尾! いつまで"サンダーがけ"してんだ!」

 係長にして工場長でもある野仲さんが、背後から僕を怒鳴りつけた。

「真人間が一時間で終わる仕事量に、何時間かけるつもりだ! あァ?」

 そうだ。

 作業台にずらりと並ぶ、鉄製の機械パーツたち。これらのバリ(ささくれ)立った部分を研磨機サンダーで綺麗に削るのが、今の僕に課せられた作業。

 そして、このサンダーがけを終わらせたら、ステンレス製品を作る別棟の工場へ応援に行けと言われている。

 けど、けれど。一つ一つのバリ(ささくれ)を完璧に削らないと、不安で不安で仕方がない。

 入社一年目あたりのこと。急かされるままに手早くサンダーがけをしたら、バリを見逃して、客先からクレームを出した事が多数あった。そのトラウマがあって、何度も何度も何度も何度も確認しないと、まだささくれてる気がして、

「もういい、サンダーは置いて、ステンレス部に行け」

 盛大な溜息をついて、野仲さんが命じた。

「お前、ここ入って何年目よ? 未だにサンダーがけもできないとか、本気で立場考えた方がいいぞ」

「はい……」

 速く、そして正確に。それは僕にとって、完全に相反する要素だった。どちらかを立てれば、どちらかが犠牲になる。

 他の皆は違うらしいけど……。

「それに、俺がいちいち言わなくても“ステンレス工場に行かなければ!”って自分で気づくのが普通の大人だろ? 言われた事を言われたままにしかできない奴は、このクソ忙しい現場には向いてないってわかってるか?」

「はい……」

「できないならできないなりに、先輩や仲間に教わろうともしない。自主性がゼロで、学ぶ意欲が感じられない」

「はい……」

「はいはいはいはい、相槌打ってればやり過ごせると思ってねえか?」

「ぃぇ……」

「いえって何? 何か反論あるなら、俺を納得させてみせろよ」

 はいと答えても、いいえと答えても、なじられる。じゃあ僕は、どうすればいいのだろう。

 確かこういう状況をダブルバインドと言う。ネットに書いてあった。

 目の前の、野仲さんの叱責に頭のリソースが全部持ってかれて、何も建設的な考えが浮かばない。

「……時間の無駄だ。早く、ステンレス工場の応援に行って来い」

 野仲さんは、肩を怒らせて僕から研磨機械を奪う。そして僕の何倍もの速さで、製品を研磨してゆく。

 野仲さんは、立場のある人だ。こんな雑用に時間を取られて、本来の仕事が遅れないだろうか。その事実は何となく理解できるけど、

「ぼさっとしてんな、走れ! やる気あんのか!?」

 背骨が条件反射でビクつく。

 僕は、すごすごと工場を出て行った。




 急がなきゃ。急がなきゃ。急がなきゃ。急がなきゃ。

 真人間なら一時間で終わると言う仕事。それを三分の一くらいしか出来ないまま終わってしまった。

 取り返すには、次の仕事で三倍早く動かなきゃ! だから歩いてられない、走らなきゃ、

「すみませーん」

 見覚えの無い人に話しかけられた。取引先の人か。

「はっ、はいっ!」

「あのー、事務所ってどう行けばいいでしょうか」

 ――。

 頭が真っ白になる。

 もちろん、事務所の場所はわかる。けど、どう説明したらいいか。僕の説明は、大抵"言ってる意味がわからない"と言われる。

 直接案内すれば確実なのだけど、今は一刻も早く向こうの工場へ行かなければならない。実際、過去にお客さんを直接案内したら、"営業でも事務でも無いやつが勝手な事をするな! 持ち場を離れやがって!"と怒られた事がある。

 かと言ってお客さんを置き去りにするわけにもいかず……、

「あの、どうしました?」

 お客さんが、怪訝な顔で僕を見つめる。まずい、どうしよう、どうしたら、

如何どうなさいました」

 ほとんどパニックに陥った僕の思考を、鈴やかな女声が晴らした。見れば、紙束を抱えた、スーツ姿の女性だった。

 製図部のCADオペレータ・倉沢春花くらさわはるかさん。

 肩まで綺麗に伸びた黒髪、クールに澄んだ瞳、化粧気が少ないのに滑らかな肌。

 高校生と言っても通じるくらい綺麗可愛い顔立ちだけれど、今はそれどころじゃない。

「ああ、すみません。事務所への行き方をお聞きしたくて」

 お客さんが朗らかに言うと、彼女は桜色の口唇をわずかに開いて「ああ」と応じた。

「事務所でしたら、あの建物を抜けた先にあります。マリーゴールドの花壇がある、あそこから入る事が出来ます。通路を右に進んで、突き当たりのT字路を左に行くと弊社の正面口に出られます」

 彼女の滑らかな説明を受けたお客さんは、にこやかに礼を言って、去っていった。

 一気に力が抜けた。助かった、と思ってしまった。まともに応対できなかった事を悔やむべきなのに。

 い、いや、そんな事より、

「あっ……ぅ……」

 倉沢さんは、来た道を戻って行った。

 お礼を、お礼を言わなきゃ。けれど、喉が貼り付いたようになって、何も言えない。

 彼女の華奢で小さな背中は、するりと建物の中へ消えていった。

 あ、後で、改めてお礼を言おう。仕事が終わった後にでも。

 ……、…………いや、話しかけてキモがられても嫌だし、やめておこう。

 助けてもらっておいて、何も言えない。

 何かをしてもらったら必ず礼を言うこと。そんな当たり前の事もできない僕は……最低だ。




 一秒でも早く、一個でも早く、

 それには、出来るだけ沢山の製品を持って、駆け足だ。

 台車に積んでいたら、また、モタモタするなと怒られてしまう。その反省を生かして、ステンレスの塊を素早く抱え込む。

 左手に三枚、右手にも三枚、素早くつかんで――、

 僕の手の上で製品が揺れて、雪崩のように落ちていく。耳をつんざく、甲高い金属音。

「なにしてんだよ!」

 加工マシンを操作していたステンレス班"リーダー"の沖村さんが、目を剥いて怒鳴り付けてくる。

 と、と、と、当然の事だ、ステンレス製品は、綺麗な状態で出荷しないと、売り物にならない、こんな派手に落としてしまったら、表面は傷だらけになってるだろう、また同じ製品を作り直しになるこら、沖村さんが怒るのも無理はなくて、だから、何とかしないと、挽回しないと、

「もういい、品物ダメにされるくらいなら、手は要らん! 遅れた分、俺が残業してきゃいいんだろ!」

「そ、そんな」

「早く鉄工場あっち戻ってくれ!」

 でも、野仲さんには彼を手伝えと指示を受けてるのに……。

 でも、戻れと言われたし、それを無視するわけにもいかない……。

 結局、どう転んでも罵倒されるしかない。戻って野仲さんに報告しなければ……。

 嫌だ。

 今から心臓がのたうってる。

 みぞおちの辺りが、重苦しい。

 喉が、圧迫されているみたいに感じる。




 午後に入って、急な受注が大量にきた。特に、五番機から七番機のマシンが、手一杯になるだろうと、小耳に挟んだ。

 今だ。

 午前、野仲さんに言われた事。

 僕の自主性は、ここで試されるはずだ。

「手元作業、やります! 何番機につきましょう!?」

 意気込みを込めて、僕は工場に踏み込んだ。

 …………。

 しかし、マシンを操る社員の人達は、誰一人として振り返らない。僕の声なんて存在しなかったかのように。

「あ、あの、僕は、何をすれば」

 と、後輩で正社員でもある――水野君が、その整った顔を上げて僕をじろりとにらんだ。

「……別に、充分です。今、こっちで神尾さんがする事はねえっすよ」

 去年、大学を卒業して入社してきた。僕より年齢も勤続年数も遥かに下だけど……。

 一応後輩としての礼儀を示しつつも、どこか刺すような、上昇志向オーラを放っている。昔から僕は、年下からこんな目で見られる。

「で、でも、何か、フォローしたり……とか」

「いりません。よく見てください。もう、こんだけ応援来てくれてんですよ?」

 気付いたら、他のパートさん達が"いつの間にか"現れていて、各マシンの補佐につけるよう準備をしていた。

 そ、そんな、言われるまで気づかなかった。

「てか、むしろ今、行くべきなのはステンレス工場じゃないすかね?

 鉄工場こっちにパートさん達もらってる分、あっちの工場手薄でしょ。二時間残業くらいじゃきかない仕事量になってますよ、ぜってー。

 いつもやってる事なんだから、仕事の波とか傾向、感覚でわかるっしょ。ふつー」

 ……そうなのか。

 未来の事なんてわからない。けど、一つだけわかる事がある。

 今度いつか、僕が"ステンレス工場が手薄だから"と応援に行けば、水野君達のマシンが手一杯だろう、と怒られる事があるはずだ。

「……どうした? 何かあったのか」

 ……野仲さんだ。

 この後、何を言われるのかも手に取るようにわかる。

 ほんとに僕の脳は、どうしてそんな事に対する先見性はあるのだろう。

「神尾、お前、何勝手にこっちの工場来てんだ? 誰か、お前にそう指示したのか」

「……ぃぇ……」

「じゃあ何で勝手に行動した? “こうしていいですか”って聞いてから動くのが、普通、常識的な大人のやることじゃねえのか」

「……」

「何回も言ったよな。テメーで判断できなかったら、誰かに聞けって」

 そんな、さっきは自分で考えろって……。

 そ、それに、ステンレス工場にはもう人が要らないって、沖村さんにも……、

「なあ、水野を見ろよ。お前よりも四つも年下で、入ってまだ一年だよな? しかも、いまだに手元作業しか任せられないお前と違って、バリバリ機械動かしてるよな?

 お前よりも圧倒的にやる事が多いのに、ミスもほとんどしない。お前は水野より何年のアドバンテージがあった? 情けないと思わないのか。何で、お前はやらないんだ」

 やらないんじゃなくて……出来ないというか、やり方がわからないというか……。

「どうすれば使えるようになる。もう俺は疲れた、お前が教えてくれ」

 僕は、何も言えない。

「……、……」

 水野君の口元が、ごにょごにょ動いた。

 音にならない何かを呟いたのだろう。

 “ほんと使えねー”とか、そういう種類の言葉。

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