第4話 力に力を重ねて

 真昼の陽月を透かすまだら雲が、青空一面に薄く広がっていた。

 そのため、真夏の日差しはそれほど強烈ではない。一応、第二日本国には、一周目時代の日本のような四季があり、夏らしい季節がめぐるものの、夏日になることは滅多になく、湿度も低いので、多少の厚着や直射日光を浴びても、汗ばむほどの暑さは感じないのだ。むしろ上着ブレザーを着た方がちょうどいいくらいである。

 なので、小野寺勇吾ユウゴを始め、夏場でも学生服に夏用の上着ブレザーを羽織っている生徒は珍しくない。

 平崎院タエの屋敷の塀に沿って並んでいる五、六十人の少年少女あたちの約半数が、その身形みなりの学生服である。

 大半が陸上防衛高等学校の生徒である彼らは、固唾かたずをのんで見守っている。

 屋敷庭園の中央で佇んでいる二人の女子を。

 平崎院タエの武芸のお披露目会が、これから始まろうとしていた。


「――ついに、ついに来たぜェ。お前との決着をつける日が――」


 海音寺涼子リョウコは、好戦的とも嗜虐的ともつかぬ表情で、自分と対峙している平崎院タエに口上を述べる。


「――この日が来ることをどれほど待ち望んていたか、お前にはわかるまい。次席入学に甘んじてしまったあの時の屈辱をようやく晴らせるぜェ」


 その口調も、血を渇望する肉食獣のような響きがこもっていた。


「――それはよかったですわね」


 それに対して、平崎院タエは澄ました表情と素っ気ない口調で受け流す。


「――なら、感謝しなさい。一度はフイになってしまったその機会を、このわたくしが設けたことに」

「――ああ、心から感謝してるぜェ。だから、お礼としてお前に返してやる。オレが味わったあの時の屈辱を、何兆倍にしてなァ」


 両者が言葉を交わす都度、庭園の中央に殺気だった緊張が徐々に膨らむ。それを感じ取ったお披露目会の見物人たちは、固唾かたずだけではなく、息までのんで、武術トーナメントでは実現しなかった対戦カードの勝敗に予想を馳せる。


「――さァて、どっちが勝つかな」


 見物人の一人である下村明美アケミが、期待と好奇心に胸を膨らませて見つめている。双方とも野戦用戦闘服に光線剣レイ・ソードを装備しているが、戦闘スタイルは根本的に異なっている。その上、実力が拮抗しているだけに、玄人や達人でも容易に予想がつかない。素人でも予想がつくのは、好勝負になることだけである。

 だが、その対戦に固唾かたずや息をのんでなければ、両者の勝敗などどうでもいいと思っている輩が、見物人たちの中に混じっていた。


「――本当に乱入して来るのかしら。ユウちゃんに濡れ衣を着せた真犯人って言うのは」


 不審と不安を剥き出しにした表情と口調でつぶやいたのは、その中の一人、鈴村アイである。


「――貝塚とかいう、とても怪しいヤツの言うことが本当ニャらニャ」


 アイの右隣に並んでいる猫田有芽ユメが、腕を組んだ態度でそれに応じる。その腕の間には、道中で拾った一匹の白い子猫がいるが、抱かれているというより挟まっているという表現が的確かもしれない。しきりに泣いている子猫が、猫好きの有芽ユメをあからさまに嫌がって、必死に助けを求めている様子なので。しかも助けを求めている相手が、猫アレルギー持ちの浜崎寺ユイなため、本人はなるべく有芽ユメに近づかないよう距離を取っている。


「……信じて、いいの、かな……?」


 そのユイも懐疑的で不安そうだった。


「――そうはいっても、これしか手掛かりがないからねェ。これに賭けるしかないわ。不本意だけど」


 アイの左隣に立っている窪津院くぼついん亜紀アキも、消極的な物言いでそう応えるしかなかった。


「――結局、イサオ主導の再捜査で判明したのは、勇吾ユウゴの無実だけだったからね。真犯人の特定にまで至らなかったのが、今となっては痛かったわ」


 そのように総括した観静リンにいたっては、残念と嘆息したげな口調であった。


「――仕方あるまい。あそこまで巧妙に撹乱されては、小野寺の無実を晴らすので精一杯な状態だったのだ。あまりぜいたくを言うものではないぞ。小野寺の無実を晴らせただけでも御の字だったのだからな」


 蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキがたしなめるような口調で背後から五人の女子たちに言う。それに対して、亜紀アキが反駁の声を上げかけるが、適当な言葉が思い浮かばす、しぶしぶ口を閉ざす。冷静に考えたら、良樹ヨシキの言う通りだと思わざるを得ないからであった。

 観静リン、蓬莱院良樹ヨシキ、窪津院亜紀アキの三人が、今回の傷害事件に関する捜査権を、木野枝院このえだいん警視から龍堂寺警部に委譲させた後、それによって復権した龍堂寺警部の私的な捜査協力者として最初に着手したのは、被害者である一ノ寺いちのじ恵美エミ二伊寺にいでら代美ヨミ三木寺みきでら由美ユミの精神的な精密検査であった。勇吾ユウゴが逮捕された根拠と原因は、この三人の被害者が、口をそろえて小野寺勇吾ユウゴに負傷させられたという証言にあった。勇吾ユウゴの無実を晴らすには、その根拠の覆しが必須であった。だが、記憶復元治療装置にかけても、被害者三人の脳内記憶に変化が見られない以上、三人は記憶操作されていないと判断せざるを得なかった。

 出だしからいきなり暗礁あんしょうに乗り上げてしまった小野寺勇吾ユウゴの冤罪証明であったが、


「――まさかアンタがその突破口を開くなんて思いもしなかったわ……」


 亜紀アキが意外としか聴こえようのない口調で心の底から感心する。

 蓬莱院良樹ヨシキに対して。


「――フフフ。以前まえにも言ったであろう。ワタシはあの超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親、飯塚佐代子さよこの再来だと。この程度の謎を解明することなど、ワタシにとって造作もないわ。特に、マインドウイルスに関しては、その第一人者だと自負しているのだからな」


 良樹ヨシキは尊大な態度と語調で自身を称える。


「……まァ、たしかにそのうたい文句は、ある意味伊達じゃないわね。その娘であるアタシですら気づかなかったんだから」


 リンは条件つきながらもそれを認める。良樹ヨシキの態度に多少の鼻がつくものの、亜紀アキと同様の心理状態なのは確かである。その上、感銘すら覚えている。良樹ヨシキが気づいたその時点まで、リンは気づかなかったのだから。


「――まさか、幻覚と感覚遮断フィーリングカットを複合したマインドウイルスに感染していたなんて」


 つまり、こうである。

 三人の被害者は、真犯人と接触する前に、テレハックによって知らずに感染させられた幻覚のマインドウイルスによって、負傷させられた相手の姿を、小野寺勇吾ユウゴのそれに映るよう幻視させられたのだ。

 勇吾ユウゴに罪をかぶせるために。

 しかし、幻覚のマインドウイルスの感染で引き起こされる異状箇所は脳のみなので、それ以外の部位は正常である。その状態で記憶復元治療装置を施せば、五感を通して身体で覚えた本当の記憶が脳内で再構築され、その結果、幻覚のマインドウイルスに感染された事実が判明したであろう。真犯人はそれを悟らせないために、感覚遮断フィーリングカットのマインドウイルスも同時に感染させていたのである。その状態では、エスパーダの見聞記録ログに記録されることや、記憶復元治療装置で本当の記憶が蘇ることは、理論上ありえない。幻覚や感覚遮断フィーリングカットのマインドウイルスは記憶操作の一種ではないので、幻覚で耳目した情報が本当の記憶だと誤認してしまうのは、無理からぬ判断であった。また、遮断カットされていたのは視覚と聴覚のみなので、残りの三感は正常に働いていた。ゆえに、打撃による外傷や苦痛はあったため、三人の証言に信憑性が増したという次第であった。それを良樹ヨシキは、リン亜紀アキよりも早く解明したのだ。それも一時間もかからずに。


「……ホント、よく気づいたわね……」


 つぶやくようにリン良樹ヨシキを賞賛するが、その声には悔しさと嫉妬の微粒子が、微量ながらも混在していた。本人は意識してなかったが、どうやら超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘として、少ながらずの矜持プライドと自信を持っていたようである。不本意ではあるが、超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学技術分野におけるライバルの出現を、認めないわけにはいかなかった。


「――フフフ。どうやら今度こそこのワタシの偉大さを思い知ったようだな。飯塚佐代子さよこの娘よ」


 良樹ヨシキは得意満面にしか見えない表情を浮かべて応える。図星なので、否定も反論もできない。


「……アタシはてっきりアキバ系文化の再現にうつつを抜かすだけのただのオタクだと思ってたけど……」


 代わりに亜紀アキがイヤミ半分に自身の本音を吐露する。


「――それは偏見というものだな、亜紀アキよ。これからはその認識をあらためるがいい」


 訂正を求めた良樹ヨシキの表情は心地よい優越感に浸っていてとても幸せそうであった。あたかも、一周目時代にあったノーベル物理学賞を受賞したかのように。


「――いずれにしても、蓬莱院さん、みなさん。ボクの無実を晴らしてくれて、本当にありがとうございます。あらためて礼を言わせてください」


 良樹ヨシキの隣にいる小野寺勇吾ユウゴが、この場にいる恩人たちに深々と頭を下げる。


(――なにをうてんねん。ワイら友達ダチやろ。水臭いこと言うなや――)


 リンの視聴覚に感覚同調フィーリングリンクして聴いていた龍堂寺イサオが、精神感応テレパシー通話で勇吾ユウゴに伝える。相変わらず乱暴な関西弁だが、そこからは嬉しさがにじみ出ていた。


(――イサオ。そっちの方はどう? そろそろ平崎院の武芸のお披露目会が始まるけど――)

(――ああ、こっちの準備は万全やで、リン。いつでも強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズが出動できるよう、警察署しょで待機中や。真犯人が現れて馬脚を露したら、即刻テレポート交通管制センターの空間転移テレポートで駆けつけるさかい、空間転移テレポート先の空間を常に確保しておくんやで――)

(――わかってるわよ。そっちこそ連続記憶操作事件の時のような失態や醜態をさらさないでよね――)

(――おまいに言われるまでもないわ。ほな、しっかり観察するんやで。両者の対戦を――)


 そう言い残してイサオはいったん精神感応テレパシー通話を切る。


「……本当に現れるのかしら? 真犯人は……」


 リンは庭園の中央で対峙する涼子リョウコタエの両者を見つめながらだれとなくつぶやく。リンもまたアイユイのような不安をぬぐえずにいるのだった。程度の差はあれど。

 だが、その不安は杞憂に終わった。


「――待ちな。その対決――」


 という声が屋敷の正門から聴こえたことで。

 それを耳にした屋敷の庭園にいる者たちは、そこへ視線を集中させると、声の主らしき乱入者が、そこに立っていた。

 陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを身にまとって。


「――オレたちも参加させてもらうか。平崎院の武芸のお披露目会とやらに」

「――お披露目会の内容が、この二人の対決だけじゃ、物足りねェだろ。だからオレたちも混ぜろや」


 しかも、それは複数であった。予想外の事態に、明美アケミを始めとする見物人たちは困惑し、騒然となる。


「――あの三人は――」


 その姿を認めた有芽ユメが思わず声を上げる。有芽ユメも知っている男子たちだからであった。しかも、そのうちの一人とは、この前の武術トーナメントで闘って勝ったことがある。それはユイも同じだったので、


「……佐味寺さみでら、三兄弟……」


 と、つぶやいたのは、至極当然であった。ましてや、ユイのいじめっ子どもなら、なおさらだった。


「――ってことは、アイツらが真犯人なのっ?!」


 アイが頓狂な声でだれとなく質す。


「――どうやらそうみたいね」


 それに答えたのは亜紀アキであった。おそらく真犯人は男性だと予想していたが、まさかそれが複数だったとは思いも寄らなかった。


「――けど、本当にヤツらが真犯人ニャのか? 確かに貝塚の言った通りにニャったけど」


 しかし、それでも有芽ユメが首をひねる。


「――だったら、確かめるまでよ。佐味寺三兄弟ヤツらが真犯人かどうかを」


 そこへ、リンが決然とした表情で一同に伝える。


「――でも、どうやってですか?」


 勇吾ユウゴが尋ねる。


「――テレハックで佐味寺三兄弟ヤツらの脳内記憶を覗くのよ。もし佐味寺三兄弟ヤツらが真犯人なら、勇吾ユウゴのイジメっ子三人組を負傷させた場面の記憶が残っているはずだわ。記憶操作でも受けてないかぎり――」

「……確か、に……」


 ユイは首肯する。


「――でも大丈夫なの。テレハックって基本的に違法行為なのよ。もし龍堂寺くんが知ったら

――」

「――ええ、まずいわ、亜紀アキさん。だから警察イサオには内緒にしてて」


 リンが肩をすくめて苦笑する。亜紀アキは反射的になにかを言いかけるが、結局、なにも言わずに口を閉ざす。他に方法がない以上、それに賭けるしかないと思いなおしたからである。


「――なら、テレハックは直接接続ダイレクトアクセスでするんだ。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークだと、管理局に探知されて、結局、警察に通報されるハメになるのだからな」

「――わかってるわ、蓬莱院さん」


 リンは力強くうなずくと、さっそくテレハックを開始する。右耳に装着してあるエスバーダに触れて。この距離なら、射程の短いリン直接接続ダイレクトアクセスでも、充分に届く。

 その対象である佐味寺三兄弟は、我が物顔で平崎院の屋敷の庭園を闊歩し、庭園の中央で対峙していた海音寺涼子リョウコと平崎院タエの間合いの手前で立ち止まると、三兄弟の長男、一朗太イチロウタが、二人の女子を交互に見やりながら口を開く。

 ――前に、


「――なんだ、てめェら。誰だか知らねぇが、平崎院こいつとの対戦を邪魔するんじゃねェよ」


 涼子リョウコが機先を制する。


「――そうですわ。それに、初対面のわたくしたちになれなれしい声をかけないでください。とても不快ですから」


 タエもそれに続く。

 両者のそっけない反応リアクションに、佐味寺三兄弟は途端にいきり立ち、口々に咆え立てる


「とぼけんじゃねェッ!! この前の武術トーナメントで、オレたちも参加しただろうがっ!」

「そうだぞっ! 特に海音寺、てめェはオレと対戦しただろうがっ!」

「忘れたとは言わせねェぞっ! エスパーダを装着している以上、そんなことは絶対にあり得ねェんだからなっ!」


 一朗太イチロウタ二郎太ジロウタ三郎太サブロウタの順に。


「――はっ。悪ィなァ。全っ然、覚えてねェや。お前らのことなんか。ましてや、オレに一撃で叩き伏せられた二郎太おまえなんか、存在自体、驚愕ものだぜ」


 それに対して、涼子リョウコは一笑に付す。


「――記憶するだけ容量のムダですからね。三人そろって一回戦負けした負け犬の弱者など、その価値すらありませんわ」


 タエ涼子リョウコと似たような表情と口調で言い捨てるが、むろん、二人とも佐味寺三兄弟のことは覚えている。でなければ、そんなセリフは出て来ないはずなのだから。なのにあえてとぼけたのは、これもむろん、意地の悪さからくるイヤミである。それを一瞬で悟った佐味寺三兄弟は、怒りのボルテージをさらにはね上げる。


「うるせェッ!! ごたくはいいから、オレたちと闘えェッ!!」


 一朗太イチロウタが激昂を交えて要請する。そこへ、


「――待ちなさいっ!」


 制止の横やりがふたたび入った。

 佐味寺三兄弟は、横から聴こえ来たその声の方角に視線を向けると、三人の女子が最前列の見物人たちの前から出ていた。

 こちらも陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着ている。


「――あら、あの三人は、確か――」


 それを見た亜紀アキは、自身の脳内記憶やエスパーダの見聞記録ログを漁った結果、三人の女子の容姿に符号する記憶や記録ログを発見する。

 この前の武術トーナメントの時が初見であった。


「――ユウちゃんのイジメっ子三人組だわっ!」


 アイが驚きを交えた叫びを上げる。


「――もう退院していたのですか。大丈夫なのでしょうか。ケガや精神的なダメージの具合は」


 心配そうに言ったのは、その三人組にイジメられているはずの小野寺勇吾ユウゴであった。そんな義理などないはずなのに、それが先立つのが、小野寺勇吾ユウゴの甘さであり、優しさである。なので、それを知悉している一同は、その感想に対するツッコミはいっさい入れなかった。


「――平崎院さまの神聖な対戦に無粋な邪魔を入れないでちょうだい」

「――そうよ。アンタたちごときに敵うわけないんだから」

「――そんなに平崎院さまと闘いたいのなら、まずはアタシたちと闘って勝ちなさい」


 勇吾ユウゴのイジメっ子三人組は口々に言いながらユイのイジメっ子三人組の間合いまで歩いて来る。


「――ふッ、なにを言ってやがる。お前らがオレたちに勝てるわけないだろう」

「――オレたちにボロ負け・・・・しておいて、なに寝言ほざいてやがる」

「――そんなに言うなら。また《・・》相手になってやってもいいぜ。どうせ負けるに決まってるのに、まだわからねェみたいだからな」


 それに対して、佐味寺三兄弟は嘲りを交えた口調で傲然と言い募る。


「……今、『また』――って、言った。『ボロ負け』――も……」

 両者のやり取りを聞いていたユイが、耳ざとく聞きとめる。

「――おかしいニャ。武術トーナメントじゃ、どっちとも一度も対戦したことはニャかったはずニャのに、ボロ負けしたニャんていう事実はニャいはずだけど」


 続いて有芽ユメが不審な眼差しで首を傾げる。


「――やっぱりあいつらだわ。ユウちゃんに濡れ衣を着せた真犯人は――」

「――待って、アイちゃん。その判断はまだ早いわ。武術トーナメントで対戦したことがないからって、それが傷害事件の真犯人とは限らないわ。あの三兄弟が言っている事が、武術トーナメントや傷害事件以外の時に行われた対戦を指しているかもしれないし」


 亜紀アキが年下の友人の早合点に待ったをかけて説明している間に、勇吾ユウゴのイジメっ子三人組は、佐味寺三兄弟との舌戦を続けている。


「……なにを言ってるのかわからないけど、いいわ、闘いなさい。アタシたちと。そして、平崎院さまの大事な対戦に水を差したことを後悔させてあげるわ」

「――平崎院さまの手をわずらわせるまでもありません。この無礼な乱入者たちはアタシたちが片付けますので」

「――それまでは屋敷の奥で待っていてください。観戦する価値すらありませんから」


 だが、それは次第にタエを引き立てる言動に代わっていった。


「――わかったわ。この者たちはあなたたちに任せましょう。終わったら知らせてください」


 取り巻きの三人に言うと、平崎院タエは踵を返して自宅の屋敷へ歩いて行き、その屋内へと消えた。


「――なんだ。見物しないのか、あいつ」


 タエの後ろ姿を見送った涼子が、興ざめに似た意外さでつぶやく。


「――ま、確かにこの三人の敵ではないからな。佐味寺三兄弟は」

「なんだとっ!?」


 佐味寺三兄弟の次男、二郎太ジロウタがいきり立つが、京子リョウコはさして痛痒を感じない表情で言い続ける。


「――どうぜ。戦闘と氣功術のギアプをエスパーザにインストールしているんだろう。実力差を埋めるために。だが、それはこの三人も同じこと。なら、勝負は目に見えているさ。そうだろう」


 最後の問いかけは、勇吾ユウゴのイジメっ子三人組に対して向けられたものである。


「……ええ。あまり頼りたくなかったけど」


 三人組のリーダー格の一ノ寺いちのじ恵美エミが不承不承の態で肯定すると、涼子リョウコは冷めた眼差しで佐味寺三兄弟を見やる。


「――と、いうわけだ。同じギアプを装備している以上、素の実力で劣るお前たちに勝ち目はねェ。三人そろって一回戦負けした武術トーナメントの恥を上塗りするのがオチさ。だから、止めやしねェ。せいぜい見物人の前で無様に負けて悔しがりな」

「~~てめェ、言わせておけばァッ!!」


 ケンカを売っているようにしか聴こえない京子リョウコの挑発に、三郎太サブロウタが激昂し前に出ようとする。それは、腕を水平に伸ばして末弟を制した一朗太イチロウタも、片側の眉を激しく痙攣させている。今にも理性のタカが外れて激昂しそうな気配である。


「~~確かに、てめェの言う通りだ。戦闘と氣功術のギアプだけじゃ。だが、それ以外に戦闘力を向上させる方法があるとしたらどうする」

「――なんだとっ!?」


 京子リョウコは眉間にシワを寄せる。聞き捨てならない一朗太イチロウタのセリフを聞いて。


「――そんニャのあるのかっ!?」


 同時に耳にした有芽ユメが驚きの声を上げる。


「……戦闘と、氣功術の、ギアプの、組み合わせ、だけでも、強力、なのに……」


 ユイも同質の声調でそれに続く。


「――いったい、どんなギアプなのかしら」


 亜紀アキが好奇心まじりに想像するが、


「――いや、それは無理だろう」


 横に首を振ったのは良樹ヨシキだった。


「――どうしてですか?」


 勇吾ユウゴがクエスチョンマークを頭上に浮かべて尋ねる。


「――戦闘と氣功術のギアプをインストールしただけですでに限界に来ているからだ。エスパーダの記憶容量が」


 良樹ヨシキが答えると、その理由を説明する。

 戦闘や氣功術だけに限らず、ギアプはエスパーダの記憶容量を圧迫する。その所以ゆえんは、エスパーダーの各種記録ログに、それに関する情報を入力する必要があるからである。見聞記録ログはその技能に関するあらゆる経験を。思考記録ログはその経験を元に適切な判断を下すためのその材料を。行動アクション記録ログはその判断を元に最適な行動や動作をするための『身体が覚えている記憶』を。この三つの記録ログ機能が三位一体となって技能付与アプリケーションの機能を支える土台となっているのだ。その情報量は膨大で、特に戦闘系のギアプはそれが顕著である。ましてや、それに分類される戦闘や氣功術ならなおさらである。そういう仕様に特化カスタマイズしたエスパーダ――それも、それぞれの両耳の裏に装着させたデュアル方式ですら、それで精一杯なのだから。先日、陸上競技場で御用となった華族の子弟や子女たちのエスパーダも、これと同じ構成であった。ゆえに、これ以上ギアプをエスパーダにインストールすることは、少なくても現段階での技術では不可能なのである。


「……なのに、これ以上どうやって戦闘力を底上げするというんだ?」


 良樹ヨシキは深刻な表情でつぶやく。折り畳み式の光線槍レイ・スピア学生服ブレザーの内側から取り出した佐味寺三兄弟を見つめながら。


「――今から見せてやるぜ。その方法を」

「――そして驚愕するがいい。オレたちの本当の実力を」

「――手始めに、まずはこいつらを倒してやる。瞬殺でなァ」


 その三兄弟は、一直線に伸ばした光線槍レイ・スピアの槍先を、平崎院タエの取り巻きである三人の女子たちに向ける。


「――なんですってっ?!」

「――一回戦でそろって敗けた負け犬どもがエラそうに吠えないでくれない」

「――実力もないくせにマグレで優勝した小野寺も憎いけど、実力もないくせに威張り散らすアンタたちはもっと憎いんだからね」


 佐味寺三兄弟の宣言に目をむいた平崎院タエの取り巻き女子三人組は、相手たちと同様の得物を手にして構える。


「――やはりやる気か。じゃ、使わせてもらうぜ。あいつが授けてくれた、オレたちの潜在能力を引き出すことができるあのマインドウイルスをっ!」


 一朗太が声高に叫ぶ。


「――あのマインドウイルス? ――ってまさかっ!?」


 それを聞いた瞬間、良樹ヨシキの表情が戦慄と驚愕にこわばり、


「――テレハック遮断カットッ!!」


 鋭い声でリンに中止の指示を飛ばす。具体的な説明は皆無であったが、それに対して、リンは――


「――まったく、いけませんわね。せっかく海音寺との決着と華族であるわたくしの実力を公衆の面前で示す場をしつらえたというのに、なんて無粋で無礼な乱入者たちなのかしら」


 屋敷の道場でひとりたたずんでいる平崎院タエは、不機嫌な声と表情でつぶやき捨てる。


「――けど、いずれにしても、海音寺があの佐味寺三兄弟に負けるとも思えませんし、それはわたくしを慕う三人も同様でしょう。決着がつくまで、わたくしは準備運動の続きでも――」

「――その相手、オレがしてやろうか?」


 あざけるような口調の問いかけが背後から聴こえた。タエは不快な表情で振り向くと、道場の出入口に、一人の男子が立っていた。陰気で暗い顔つきの容貌と学生服ブレザーに、タエは見覚えがなかったので、

「……だれなの? あなたは……」

 と、険しい表情で尋ねたのは当然であった。ましてや、他人の屋敷に無断かつ土足で上がっていてはなおのことである。

「――さすがは陸上防衛高等学校を主席で入学した華族さまの屋敷とご主人だ。とても立派な内装と凛々しい容姿をしているぜ。地べたを這いずりまわるオレのような下賤な平民とは雲泥の差だな」

 皮肉たっぷりの感想を述べたその男子の口調は卑屈に歪んでいたが、その表情は嘲りと優越感に満ちていた。むろん、相手の誰何に答える意思など微塵もなかった。


「――何者かと訊いているのです。答えなさい」


 タエは一段と表情と声を険しくさせてふたたび尋ねる。


「――ふんっ、エラそうに。しょせん、華族は華族だぜ。オレを虐げたあいつらと同じ感じがする。だから心置きなく試してやる。あいつがくれたこの力を、お前になァ」


 自分の無礼さを棚に上げて、その男子は憎悪に血走らせた両眼でタエを睨みつける。相手の二度目の誰何を無視して。


「――お前には踏み台になってもらうぜ。あの士族のオンナに思い知らせるためのなァ。フフフ、さて、どう料理してやろうか」

「――どうやら下賤な平民らしく、礼儀というものがなってないみたいですね。いいでしょう。しつけと準備運動を兼ねて、アタシがあなたを徹底的に叩きのめして差し上げます。覚悟なさい」


 タエがいたけだかに宣言すると、右手に持つ光線剣レイ・ソードから青白色の鞭を引き伸ばす。

 両者の空間に敵意と殺気の緊張が張り巡らされる。


「――さァ、あなたも武器を手にしなさい。いくらなんでも、無手でわたくしに勝てると思って――」

「るぜ。当然だろうが」


 その男子はタエがうながした武器の装備を言下に拒絶する。


「――どうせオレに触れることすらできずに負けるんだ。そんなもん、不要だろ」

「……聞き捨てなりませんわね。このわたくしが負けるなんて。それも、あなたごときに、触れることすら敵わずに」


 そう言ったタエの表情が険しくなる。それは、せっかくの美貌が台無しになるほどであった。


「――それだけの実力差があるということさ」


 事もなげに言ってのけるその男子に、


「――なら、どれほどのものなのか、試させてもらいましょうかっ!」


 タエが叫ぶと、振り上げた青白色の鞭をその男子に向けて投げつけた。

 ソニックブームにせまる高音と速度スピードで。




 庭園の地面が地震のように鳴動した。

 地面に叩きつけられた三個の人体によって。

 叩きつけられたのは三人の女子たちである。

 その姿は無残としか言いようのない、血とアザに塗りつぶされた状態で倒れ伏していた。


「……ニャんて凄惨ニャ闘い方をするヤツらニャんだ……」


 有芽ユメが恐怖と戦慄に震えた声でつぶやく。

 勇吾ユウゴのイジメっ子三人組を完膚なきまでに叩き倒した佐味寺三兄弟に対して。

 その佐味寺三兄弟は、倒れている三人の女子に更なる刺突を加えようとするが、相手が戦闘不能と判断したからなのか、それぞれ寸前で青白色の槍先を収める。その瞳には、正気の光が戻りつつあった。三対三の対戦が始まってから、佐味寺三兄弟の瞳は、狂気に濁った光が充満していたのだから。


「――おっ。どうやら勝ったみたいだ、オレは」

「――オレもだ、一朗太兄貴。見聞記録ログにそれが保存されているぜ」

「――当然の結果さ。戦闘や氣功術のギアプに加えて、アレも使っているからな。負ける道理がない」


 佐味寺三兄弟はその場で輪を作り、満足げな表情でやり取りする。

 平崎院タエの取り巻き三人組と佐味寺三兄弟の対戦は、佐味寺三兄弟の勝利で終わった。

 圧勝、大勝、完勝の三拍子をそろえた、一方的なまでの試合展開と内容であった。


「……なに、あの戦闘力。はっきり言って尋常じゃないわ。異常もいいところよ」


 アイ有芽ユメと似た感想を述べるが、その声は有芽ユメ以上に震えていた。


「……あの、陸上、競技場に、現れた、華族、たち、よりも、はるかに、上だわ……」


 ユイのたどたどしい口調にも、二人の女子と同質の震えが加わっている。この場にかぎって言えば、それは病弱と虚弱体質ゆえのものでは、決してなかった。


「……………………」


 他の見物人たちは声もなく黙然と勝利者たちを見やっている。突如組まれた予想外の対戦カードなので、勝者を予想する暇などなかったが、まさかこれほどの惨劇が繰り広げられるとは思いも寄らなかった。


「……まちがいない。アレを使ったな。あいつら」


 その中の一人である良樹ヨシキが、苦々しい表情と口調で断定する。


「――アレってなによ、良樹ヨシキ


 それを耳にした亜紀アキがただず。


「……バーサーカーのマインドウイルスをだ」


 そう答えた良樹ヨシキの表情と口調に苦みが増した。

 バーサーカーのマインドウイルスとは、人間の肉体的フィジカル潜在能力ポテンシャルを限界まで引き出すことができるマインドウイルスのひとつで、これに感染すると、通常は抑制セーブされている人間の肉体的な力が開放され、通常以上のパフォーマンスを発揮する、言わば、火事場のバカ力をマインドウイルス化したようなものである。それを佐味寺三兄弟は自分のエスパーダに仕込み、使用時に意図的に自身に感染させたのだ。戦闘と氣功術のギアプに上乗せすることで。


「――マインドウイルスはギアプとちがって記憶容量を食わないからな。それらと併用しても支障はない。佐味寺三兄弟やつらはそれで相手と闘ったのだ。戦闘と氣功術のギアプしか持ってない相手に対して、佐味寺三兄弟やつらはそれに加えてバーサーカーのマインドウイルスまでも持っていている。仕様スペックに大差がない以上、どちらが勝つかは、自明の理だな

「――でも良樹ヨシキ。そんなことをしたら感染者の肉体が壊れてしまうんじゃないの? 肉体的な力が抑制セーブされているのは、それを防ぐためだと言われているのに」


 亜紀アキが疑問を呈する。


「――それに、バーサーカーのマインドウイルスって、たしか、感染者の正気を失わせ、暴れさせる副作用もあったはずよ。そして、一度感染したら、ワクチンウイルスを投与するか、もしくは死ぬまで、その効果が続くわ」

「……それが『狂戦士バーサーカー』のマインドウイルスとニャ付けられた所以か」


 有芽ユメも苦々しく総括する。亜紀アキは続ける。


「――その状態では、ワクチンウイルスを投与するなんて不可能なはずなのに、自力で正気に戻ったわ。もしバーサーカーのマインドウイルスを自己感染させたのなら、相手が戦闘不能になっても闘い続けるはずよ。やはりこれは――」

「――バーサーカーのマインドウイルスよ。まちがいなく……」


 良樹ヨシキ以外の誰かが亜紀アキの判断を否定する。

 それは――


「――リンちゃんっ!」


 であった。

 一同の注目は良樹ヨシキからリンへと移る。


「……たった今、佐味寺三兄弟あいつらからテレハックで得た記憶情報を分析し終えて、やっとわかったわ。バーサーカーのマインドウイルスに意図的に感染したにも関わらず、感染者の肉体が壊れずに暴走を制御コントロールできる仕組みカラクリが」


 勇吾ユウゴに半ば身体を支えられながら、リンは苦しげな表情でその理由を説明する。


「――氣功術とギアプよ」

「……氣功術、と、ギアプ……?」


 ユイが相変わらずたどたどしい口調でオウム返しすると、リンはうなずいて見せる。


「――ええ。肉体の崩壊は氣功術の硬氣功で、副作用の暴走はバーサーカーのマインドウイルスに最適化された戦闘のギアプで、それぞれ補強したり防いだりしているからなの。そして、標的を倒したら、自動的にエスパーダ内にあるワクチンウイルスが投与されるよう、ギアプに入力プログラミングされていたわ」

「……なるほど。それならうなずける。元々戦闘と氣功術のギアプをインストールしているのだから、それ用に工夫アレンジ特化カスタマイズしても、記憶容量はそれほど圧迫しない。ワクチンウイルスもマインドウイルスの一種だし、自動投与のギアプもそれほど記憶容量を要さないからな。むろん、高度なギアプ開発技術がないと無理な話だが……」


 理解を示した良樹ヨシキは、半ば感心したように補足する。


「……もしそうなら、天才としか言いようがないな。これを編み出したヤツは。もしかしたら、飯塚佐代子さよこに匹敵するかもしれない……」


 もう半ばは戦慄をともなって。


「……そうよ。だからこれは佐味寺三兄弟が編み出したものじゃないわ。絶対にそれを専門とする協力者が……」


 そこまで言って、リンは辛そうな表情を浮かべて中断する。しかし、それでも更になにか言おうと口を開くが、結局、一言も言えぬまま前に傾く。

 リンの身体が。


「――?!」


 一同が気づいた時には、庭園の地面に倒れていた。

 勇吾ユウゴが迅速に抱きとめていなければ。


「――大丈夫、リンちゃんっ!」


 勇吾ユウゴが悲鳴に似た叫びを上げる。

 それは、佐味寺三兄弟に対して抱いていたそれらとは比較にすらならない、戦慄と恐怖であった。


「――やはりヤセ我慢していたか」


 良樹ヨシキが自分の迂闊さに舌打ちしたげな表情で独語する。


「――テレハックの最中に無理やり遮断カットしたんだ。そうしないと、バーサーカーのマインドウイルスに感染する危険あることに気づいて慌てて止めさせたんだが、やはり精神的なダメージは避けられなかったか。一周目時代にあったPC《パソコン》の電源をいきなり切ったようなものだからな。わたしの急な指示に迅速に反応して遮断カットした後も、平然とした表情かおで心配するわたしたちに対応して、三対三の男女対戦を観戦していたから、つい安堵のあまり、テレハックで得た成果を聞き出しそこねてしまった。その上、そんな状態であったことに、今まで気づかなかったとは、悪いことをしてしまったな……」

「――でも、そうしなかったら、バーサーカーのマインドウイルスに感染して、それよりもさらにひどくなっていたわ。幸い、ダメージは小さいから、後遺症の心配はないし、そんなに自分を責めないで」


 リンの五感に感覚同調フィーリングリンクして状態を確認していた亜紀アキが、うなだれる良樹ヨシキをなぐさめる。


「……よかったァ。後遺症が残るダメージでなくて……」


 勇吾ユウゴが深く胸をなでおろす。

 その直後、


(――オイ、勇吾ユウゴっ! どないしたんや、リンのヤツ――)


 突然、精神感応テレパシー通話がかかって来る。その相手は、


(――イサオさん――)


 であった。


(――リンからの感覚同調フィーリングリンクが突然切れてもうたんや。貝塚とやらの言うとおり、乱入者が現れたのはいいんやけど、それだけじゃ警察こっちも動けへん。いったいなにかあったんや――)

(――そ、それは――)


 勇吾ユウゴはとまどいながらも、ユイほどではないが、たどたどしい口調で、だが簡潔に事情を説明する。


(――そないなことをしておおったんかい。せやけど、無事でなによりや。ほな、リンの代わりに勇吾ユウゴの視覚に感覚同調フィーリングリンクさせてもらうで。ワイら警察が空間転移テレポート先の位置を確保するためには、それが不可欠やからな――)

(――わかりました――)


 応じた勇吾ユウゴは、自分の視界を人がもっとも少ない場所に向ける。

 すなわち、佐味寺三兄弟と海音寺涼子リョウコが対峙している庭園に。


「――へェ、やるじゃねェか」


 間近で両者の闘いを見物していた涼子は、勝利した佐味寺三兄弟に対して、感嘆の声を漏らす。しかし、有芽ユメユイたちと異なり、その表情に戦慄や恐怖の二色はない。


「――どうだ、海音寺。オレたちの本当の実力を」


 佐味寺三兄弟の長男、一朗太イチロウタが傲然と胸を張る。だが、


「――けど、しょせんギアプに依存したハリボデの力だ。なのに、これがオレたちの本当の実力だと言わんばかりに豪語するなんて、滑稽この上ないね」


 それに対して、涼子リョウコは鼻で笑う。

 失笑とも釈れる。


「――なんだとっ?!」


 激しく目をむく佐味寺三兄弟に、涼子リョウコはさらに挑発する。


「――そんなヤロウどもに、このオレが負けるわけねェだろう。なんなら、試してみるか。ギアプの力に頼らないこのオレの真の実力に勝てるかどうかを」


 身振り手振りをまじえて。


「~~言われるまでもねェ。この場で即刻証明してやるっ! 武術トーナメントでの借りを返すついでになァッ!!」


 二郎太ジロウタが鬼の形相と殺人的な眼光で激昂の咆哮を上げると、光線槍レイ・スピアを回しながら兄や弟の前に出る。


「――ふん。借りが増えるのがオチだろ」


 青白色の槍先を向けれらた涼子リョウコはつぶやくように言い捨てる。

 その間にも、佐味寺三兄弟のやり取りは続いている。


「――二郎太ジロウタ兄貴。見聞記録ログは正常に動作しているか? でないと、自分がどうやって闘って勝ったのか、正気に戻った後、わからなくなるよ」

「――ああ、大丈夫。異常はねェ。バーサーカーのマインドウイルスは正気を失う副作用があるから、使用中は使用者の脳内記憶にその間の記憶が入らねェのが残念だ。通常の戦闘のようにリアルタイムで海音寺を叩きのめす瞬間を見たかったのに、まったく、大したことねェぜ。あいつのギアプ開発力は」

「――ホントだぜ。結局、小野寺のヤツに罪を着せる工作も失敗に終わっちまったんだからな。せっかくオレたちが今回のようにこいつらを叩き伏せたっていうのに」

「――聞いたっ!? 今の会話っ!」

 

 最後のセリフは、アイが質したものである。

 友達や年長者たちに対して。


「――うんっ、確かに聞いたニャ」

「……わたし、も……」


 有芽ユメユイもうなずく。佐味寺三兄弟の長男がぼやいたセリフの意味するところは、火を見るよりも明らかであった。当人としては小声のつもりだったのだろうが、その時に運悪く風が吹き、しかもアイたちに対して風上だったので、それが風に乗ってアイたちの鼓膜をくすぐったのだった。


「――今のやり取り、あたしの見聞記録ログにはっきりとってあるわ。これなら証拠になるわよね、良樹ヨシキ

「――ああ、テレハックで得た情報とちがってな。でかしたぞ、亜紀アキ

(――聞きました、イサオさん――)


 勇吾ユウゴが気を失っているリンを抱きかかえながら精神感応テレパシー通話で確認の問いをかける。

(――ああ、聞いたで、勇吾ユウゴ。今までは武芸のお披露目会として、トラブル混じりながらも推移しておったから出動でけへんかったけど、確かな証拠を掴んだからには、これ以上待機する意味はあらへん。今すぐ行くで――)


 だが、イサオたち強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズはすぐに現場へ駆けつけることはできなかった。今、吹いた風で舞い上がった砂塵が、これも運悪く、勇吾ユウゴやその仲間たちを含めた見物人たちの眼に入り、思わず閉じてしまったからである。それにより、今まで勇吾ユウゴの視覚で確保していた空間転移テレポート先の空間が消失し、テレポート交通管制センターの管制員は、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズを現場へ空間転移テレポートさせることが不可能になった。転移先の視界が回復するまで。


「――さァ、構えな。海音寺」


 風に乗った砂塵が庭園に吹き荒れる中、佐味寺二郎太ジロウタは、対峙している相手に指図するような口調でうながす。


「――安心しろ。構えた途端、小野寺のような不意打ちはしねェよ」


 余計な皮肉を、笑声まじりに付け加えて。


「――ふん、いいだろう。平崎院と闘う前の準備体操かたならしとしてなら、ちょうどいい相手だ」


 涼子リョウコは鼻を鳴らして言い捨てると、言われた通りに構える。

 だが、


「……なんだ、その構えは?」


 それを見て、二郎太ジロウタが不可解な表情で戸惑い気味にただす。この前の武術トーナメントで見せた上段の構えではないからである。


「――居合い――抜刀術の構えか」


 答えたのは兄の一朗太イチロウタである。


「――なるほど、パワーより速度スピードを重視したのか。数ある斬撃の中では最も速いから」


 弟の三郎太サブロウタが得心するが、


「――けど、無意味だな」


 一朗太イチロウタが笑い捨てる。


「――どうして無意味なんだ? 一朗太イチロウタ兄貴」

「――得物さ、三郎太サブロウタ


 簡潔に答えると、その理由を一朗太イチロウタは説明する。


「――抜刀術が最大限のパフォーマンスを発揮するには、旧来の実体刀――すなわち、刀身と鞘が不可欠だからだ。だが、光線剣レイ・ソードにはそのどっちもねェ。伸縮が自在な精神エネルギーの刀身だけだ。そんな得物での抜刀術は、早斬りの劣化版でしかねェさ」


 もし勇吾ユウゴがこれを聞いたら、「その通りです」と素直に肯定していただろう。実際にそれを聞いた三郎太サブロウタは、


「――それじゃ――」

「――勝負あったな」


 そう断言して弟と同様に笑ったのは、涼子リョウコと対峙している二郎太ジロウタである。


「――それなら、バーサーカーのマインドウイルスを使うまでもねェ。戦闘と氣功術のギアプだけで充分だ」

「……………………」


 涼子リョウコは抜刀術の構えを保持したまま、無言でそれに応じる。珍しいことに。


「――それじゃ、行くぜっ!」


 二郎太ジロウタが咆えると、庭園の地面を蹴って突進する。

 光線槍レイ・スピアを縦に立てて。

 涼子リョウコが実体刀のように光線剣レイ・ソードを抜刀したのは、その直後であった。

 青白い刀身を通常の剣よりも長く伸ばして。


「――やはりな」


 防御態勢を取った二郎太ジロウタは予想通りと言わんばかりにほくそ笑む。涼子リョウコが振るう光線剣レイ・ソード刀身リーチは、光線槍レイ・スピアなみに伸ばせることを、この前の武術トーナメント知っている。そして、抜刀術は一度しのがれると、通常の斬撃よりも無防備状態の時間が長くなる。その大きな隙を、二郎太ジロウタは文字通り突く算段なのである。ましてや、勇吾ユウゴの早斬りのように、反応が不可能な速さではないのならなおさら――

 ――なのに、


「――ぐはァッ!!」


 二郎太ジロウタは思いっきり吹っ飛び、屋敷の壁に叩きつけられた。

 まるでトラックに撥ねられたような衝撃であった。

 反応は元より、光線槍レイ・スピアの防御も間に合っていたにも関わらず。


「――なっ?!」


 予想だにしない結果に、兄と弟は驚愕の表情で絶句する。

 壁に半ばめり込んでいる二郎太ジロウタの無残な姿を見やりながら。

 その下には、二郎太ジロウタの得物である光線槍レイ・スピアが落ちている。

 鋭角に折れ曲がった状態で。

 凄まじいパワーが加わらない限り、このような形にはならなかった。


「――全然充分じゃなかったな。それだけでは」


 涼子リョウコは嘲笑を満載させた表情と口調で二郎太ジロウタに言い放つ。

 言い放たれた方は応えない。

 完全に意識を失っているからである。

 それどころか生存すら怪しかった。

 光線槍レイ・スピアだけでなく、両腕や胴体も折れ曲がっているので。


「……そんなバカな。抜刀術は片手打ちなんだぞ。だから、諸手よりも威力は半減するはずなのに……」

「……武術トーナメントで見せた上段の構えからの唐竹をはるかに上回る威力だ……」


 二郎太ジロウタの兄と弟は狼狽の極致ともいうべき表情で声を上ずらせる。


「――ナメるのもいい加減にしろよ、てめェら。その程度の理屈、このオレが知らねェとでも思ったかっ!」


 二人の兄弟に視線を向けた涼子リョウコは、二郎太ジロウタ以上の殺人的な眼光を閃かせて雷喝する。


「――オレはもうあの時のオレじゃねェ。あれから凄まじい修練を積んで強くなったんだ。平崎院に勝つためにな。そのオレが、ギアプで手軽に強くなったヤツに負けるわけねェだろうがっ!」

「……ううっ!」


 三郎太サブロウタはあからさまにひるみの色を見せてうめく。相手の迫力に押されて。


「――さァ、次はだれが相手になるんだ? てめェか、それともてめェか」


 涼子リョウコはまたもや挑発的なジェスチャーと言動で両者を交互に見やる。


「……確かに、ナメていたな。それは認めるぜ」


 そう言ったのは一朗太イチロウタである。人相の悪そうな顔に幾本もの冷や汗をにじませているが、末っ子とちがって戦意の眼光までは失っていなかった。


「――なら、こっちも本気を出すぜっ! バーサーカーのマインドウイルスを使ってなァッ!!」


 そして、咆えるように宣言すると、


「……うっ、ううううっ……」


 両眼の瞳が徐々に上を向き、唇がゆっくりとめくり上がる。それに比例して狂気の度合いが次第に高まり、


「――うおおおおおおおおおっ!!」


 最終的には白目になり、歯茎がむき出しになる。

 まさしく、狂戦士バーサーカーの表情そのものであった。

 これが、平崎院タエの取り巻き三人組を倒したその一人、佐味寺一朗太イチロウタの姿である。

 一朗太イチロウタはその両眼で相手を睨みつける。

 それに対して、涼子リョウコは構えを取る。抜刀術の。


 「……へへへ、これで終わりだな。海音寺」


 三郎太サブロウタが下品な笑みを浮かべて告げる。


「――こうなってしまったら、もう誰にも止められねェぜ。相手を倒すまで、徹底的になァ。本気にさせちまったことを後悔するがいい」


 小悪党なセリフを吐いた後、兄の一朗太イチロウタ光線槍レイ・スピアをしごいて突進する。

 先ほどの二郎太ジロウタと比較にならない速度スピードと力強さで。

 迫力満点の勢いであった。

 光線槍レイ・スピアの刺突にいたっては、それらすら上回っていた。

 氣功術と戦闘のギアプに、バーサーカーのマインドウイルスを上乗せした、佐味寺一朗太イチロウタの力であった。

 青白色の槍先が涼子リョウコのみぞおちに突き刺さる。

 ――はるか手前で払いのけられてしまう。

 涼子リョウコの抜刀術によって。

 通常の刀身の長さリーチであった分、二郎太ジロウタとの対戦時よりも更に迅速で力強かった。

 だが、一朗太イチロウタは大きく払われた光線槍レイ・スピアを強引かつ迅速に引き戻す形で相手の胴体を薙ぎ払う。

 ――が、それはついに実現しなかった。

 その直前に振り下ろされた相手の唐竹を脳天に直撃したことで。

 それでも、間一髪の差で反応した一朗太イチロウタは、光線槍レイ・スピアを水平にかざして防御したのだが、涼子リョウコはそれごと叩き伏せたのだった。

 文字通りの意味で、強引に。

 叩き伏せられた一朗太イチロウタは、顔面から庭園の地面に突っ込まれている。

 身動きする気配は、どこの箇所を見てもなかった。

 無理もない。

 今の唐竹は諸手打ちだったのだから。

 バーサーカーのマインドウイルスで、限界まで力を引き上げた肉体の崩壊抑止も兼ねた硬氣功を以てしても、一朗太イチロウタはその一撃に耐え切れなかったのである。


「――身体能力は向上しても、武器の強度までは向上しなかったようだな。氣功術のギアプやバーサーカーのマインドウイルスでは」


 二郎太ジロウタのそれと同じ角度で折れ曲がっている光線槍レイ・スピアを蹴飛ばして、涼子リョウコは皮肉たっぷりにつぶやき捨てる。

 その所有者に対して。

 そして、涼子リョウコの視線は、今しがた倒した一朗太イチロウタから三男の三郎太サブロウタへと移る。


「――残りはお前だけになったぜ。さァ、どうする」


「……うううっ……」


 三郎太サブロウタは先ほど以上に激しく狼狽うろたえるが、長くは続かなかった。数歩ほどあとずさると、踵を返して逃げ出し、まだ舞っている砂塵の中へと消える。


「――ふんっ、他愛もねェ。これだからオトコは――」


 と、涼子リョウコが吐き捨てるが、途中で中断する。

 三郎太サブロウタが戻って来たからである。

 後ろ向きのまま、高速で。

 しかも、足は地についていなかった。

 つまり、吹き飛んで来たのだった。

 なぜか。

 涼子リョウコは無言でせまり来る三郎太サブロウタの人体を光線剣レイ・ソードで払い流すと、それが飛来した方角を見据える。

 するとほどなく、


「――三日ぶりだなァ、オイ」


 怨嗟の籠った声が聴こえて来た。

 落ち着きつつある砂塵の中から。

 そして、完全にそれが落ち着くと、そこに独り佇んでいる人物が姿を現す。

 陸上防衛高等学校のものではない学生服を着た、陰気で暗い顔つきの少年であった。

 だが、海音寺涼子リョウコを睨む両眼は、憎悪で激しく煮えたぎっていた。


「――なんだ? てめェ」


 涼子リョウコは誰何するが、別にとぼけているわけではない。本気で覚えてないのだ。佐味寺三兄弟と違って。


「~~エスパーダにはおろか、脳内にすらとどめてねェのか。オレの記憶ことなど。あの神社で忘却不能な舌戦を繰り広げたっていうのによォ~~」


 その声も憎悪で激しく震えていた。


「――あの人は――」


 ようやく目を開くことができた勇吾ユウゴは、涼子リョウコと向かい合っている少年を見て声を上げる。

 涼子リョウコとちがって記憶にある容姿だからである。

 エスパーダにも、脳内にも。

 ゆえに、それに続いた言葉は――


「……緑川くん……」


 ――であった。



 

 砂塵の収まった庭園の見物人たちは、目まぐるしく激変する状況に対して、困惑せずにはいられなかった。


「――もうっ! どうなってるのよっっ!? いったいぜんたいっ!」


 その一人である下村明美アケミは、それが際立っていた。先日の武術トーナメントでは実現しなかった世紀の対戦を見聞記録ログに収めて、それをネタに一稼ぎしようと思っていたのに、乱入者の続出でなかなか実現せず、しまいには乱入者同士の対戦が始まってしまったのだ。最初の対戦は佐味寺三兄弟VS平崎院タエの取り巻き女子三人組であったが、これは佐味寺三兄弟の勝利に終わり、次は海音寺涼子リョウコVS佐味寺三兄弟となった。しかし、その矢先、風で舞い上がった砂塵が庭園を駆け回り、双方の姿が見えなくなってしまった。そしてそれが収まると、佐味寺三兄弟はいつのまにか壁の下や庭園の地面などに倒れていて、今度はまたもや現れた乱入者と海音寺涼子リョウコが対峙している。もはや、なにがどうなっているのか、わけがわからない状況と状態になっていた。このお披露目会の主旨を失念してしまうほどに。


「……どうして、緑川くんがここに……」


 勇吾ユウゴも困惑の表情を浮かべてつぶやくが、それは明美アケミを始めとする見物人たちのそれとまったく異なっていた。その腕で横になっているリンは、目を覚ます様子もなく、静かに眠っている。


「――ニャにしに来たんだ、あいつ」


 有芽ユメがいぶかしげな表情と口調で問いながら緑川健司ケンジをながめやる。抱いていた白い子猫はいつの間にか脱出していたが、今は捜すどころではない。


「……まさか、海音寺と、闘う、気……」


 それに答えたのはユイであった。相変わらず顔色は蒼白でとても悪そうだが、この時とこの場所に限って言えば、生まれつきのものでは、決してなかった。


「――なに言ってるのよ。そんなわけないでしょ。勝てるわけないのに――」


 アイが当然と言いたげに否定するが、


「――それはどうかな」


 良樹ヨシキは保留をうながす。


「――もし、あの緑川という少年のエスパーダに、佐味寺三兄弟のようなギアプやマインドウイルスが入っていたら――」


 その仮定を聞いて、一同は息をのむ。


「……充分に考えられるわね、それ……」


 肯定する亜紀アキの頬に一筋の冷や汗が流れる。


「――だとしても、やはり海音寺には勝てないわ。現にそれらを使った佐味寺兄弟の長男は負けちゃったし」

「……それはわかりませんよ、アイちゃん」


 勇吾ユウゴが険しい表情と厳しい口調で留保を求める。


「――佐味寺兄弟の三男を吹き飛ばしたあの力、もし緑川くんのものだとしたら、佐味寺三兄弟のそれとは異なる力かもしれません」


 それにともない、勇吾ユウゴの背筋が凍り始める。

 凍らずにはいられないのだ。

 緑川健司ケンジを見ていると。

 アレ《・・》は三日前の神社で会った緑川健司ケンジではない。

 まるで別人のような、そして禍々しいまでの雰囲気オーラを全身から放っている。

 嫌な予感が止まらない。

 危険な匂いが収まらない。

 それらが勇吾ユウゴうちで急速に増大し、臨界に達した、次の瞬間――


「……逃げましょう……」


 勇吾ユウゴは静かな声で一同に伝える。


「――ここから逃げましょう、みなさんっ! 見物人や負傷者を連れてっ! 早くっ!!」


 これほどせっぱつまった勇吾ユウゴの叫びを聞いたのは、一同は初めてであった。それは勇吾ユウゴの幼馴染であるアイですら例外ではない。


「――どうしたのよ、小野寺くん。突然、声を上げて」


 亜紀アキが驚きと困惑の表情で尋ねる。


「――いったいなにが起きようと――」

「――話はあとですっ! 窪津院くぼついんさんっ! 急いでみんなを避難させないと、大変なことに――」

「……ユウ、ちゃん……」


 か細い声で呼び止めたのは、だが、アイではなかった。勇吾ユウゴの腕で横たわっているショートカットの少女――


「――リンちゃんっ!」


 である。


「――よかった。気がついたのですね」


 勇吾ユウゴが安堵の声を上げると、リンは朦朧とした両眼で自分の右耳に装着しているエスパーダをはずし、勇吾ユウゴの左耳に装着させようと右腕を上げる。


「……こ、これを……」


 声とその腕を震わせながら。

 ――その頃、涼子リョウコは新たに現れた一人の乱入者と対峙していた。

 うさんくさげな表情と眼光で。


「――だれだか知らねェが、見物なら壁際まで退がってくれねェか。決闘の邪魔なんだよ。あの三兄弟と同じく」


 そして、歯牙にもかけぬと態度と口調で健司ケンジに対して手を振る。

 野良犬でも追い払うかのように。


「~~どうやら本気で覚えてねェようだな。ホント、ムカつくヤロウだぜェ~~」


 健司ケンジは憎しみに震えた声を押し出す。涼子リョウコを睨む眼光に更なる憎悪の輝きが加わる。


「――いいからどけって。オレはあいつと決着をつけにここへ着たんだ。てめェのような貧弱なオトコどもなんざお呼びじゃねェんだよ」

「――あいつっていうのは、もしかして平崎院とかいう華族の子女のことか?」

「――そうだよ。オレはそいつが戻って来るを待ってんだ」

「――そうか。そいつだったのか」


 憎悪に歪んていだ健司ケンジの表情に、初めて愉快げな笑みがひらめく。


「――いいからどけってんだっ!」


 一向に立ち去る気配のない健司ケンジに、涼子リョウコは苛立ちの声を放つ。


「――さっさとしねェと、てめェも――」

「――それは残念だったな」


 健司ケンジが優越感に委ねた表情と口調で涼子リョウコのセリフをさえぎる。


「――お前が闘いたがっていたそいつなら――」


 そして、右手を頭部の高さまで上げると、そこで指を鳴らす。

 その後であった。

 対峙する涼子リョウコ健司ケンジの間に、何かが投げ込まれたのは。

 屋敷の向こうから、放物線を描いて。

 庭園の地面を二転三転して止まったそれは、人間の姿と形をなしていた。

 ……かろうじて。

 よく目を凝らさなければ、ボロ雑巾と見間違えそうな有様であった。

 平崎院の取り巻き女子三人組でさえ、ここまでひどくなかった。

 涼子リョウコは目を細めて更に凝視すると、誰よりもよく知っている人物であることに気づき、


「……まさか……」


 という思いが胸中を占め始める。そしてそれが確信の領域にまで達した瞬間、


「――平崎院っ?!」


 驚愕の叫びとともにその人物の名を呼んだ。


「――このザマだ」


 健司ケンジはおどけた態度と表情で告げる。涼子リョウコはしばらくの間、茫然と自失するが、やがて我に返ると、薄笑みをたたえている健司ケンジを睨みつける。


「~~てめェの仕業か~~」


 今度は涼子リョウコが憎悪に身も心もゆだねる番となった。別に平崎院タエに対して好感情などこれっぽっちも抱いてないが、ようやく実現するはずであった平崎院タエとの決闘を台無しにされたことに、涼子リョウコは激しく怒り、健司ケンジに対して歯牙にもかけなった態度を一変させたのだった。

 激変と言い換えてもいいほどに。


「――だれがそいつをボロボロにしていいと言ったァッ!! それが許されるのはこのオレだけだっ! それをテメェはァ~~」

「はーっはっハッはッハっ! 残念だったなァ。せっかくの愉しみをオレに奪われてェ。ざまァ見ろってんだ。ハーッはっハッはッハっ!」


 健司ケンジは痛快な表情をたたえて笑う。

 腹の底から来るような笑いであった。


「――で、どうするんだ。この後」


 そして、一通り笑い終えると、おちょくるような口調で尋ねる。


「~~決まってんだろう~~」


 それに答えた涼子リョウコの口調と表情は、怒りと憎しみに支配されていた。


「~~てめェをブッ倒すっ!! 平崎院のように、徹底的になァッ!!」


 バーサーカーのマインドウイルスに感染したかのような咆哮を上げて、涼子リョウコは右手に持っている光線剣レイ・ソードの端末孔から青白色の刀身を伸ばし、その切っ先を健司ケンジに向ける。

 殺人的なまでの眼光とともに。

 常人ならたちまち萎縮して身動きできなくなるだろう。

 蛇に睨まれた蛙の如く。

 だが、正対する健司ケンジの表情には、脅えや怯みの色すらない。

 それどころか、不敵な笑みを浮かべて見返している。

 ふてぶてしいこの上なかった。


「――それは不可能だぜ。海音寺」


 その上、言動も侮蔑に満ちている。

 もはや、二日前までの緑川健司ケンジとは思えない態度である。


「――てめェはオレに触れることすらできずに終わる。大敗、惨敗、完敗という結果でな。そう、そこの平崎院とかいう華族の子女のように」

「なんだとっ?!」


 涼子リョウコはうなり声を上げて睨みつける。睨みつけられた健司ケンジは、余裕綽々しゃくしゃくの表情と口調でさらに続ける。


「――なぜなら、オレは相手に触れることなく倒すことができるからだ。その力の前では、誰も敵わない。第二次幕末の女傑たちでさえも――」

「――ふざけるなっ! ちょっと力をつけたくらいの貴様が、西園寺千鶴子ちづこを筆頭とする女傑たちに敵うわけねェだろうがっ! つけあがるのもいい加減にしろォッ!! オトコのくせにっ!」

「――なら試してみるがいい。その女傑たちよりも弱いお前の力が、オレに通用するかどうか――」


 健司ケンジ禁忌タブーを犯した。

 涼子リョウコに対して、言ってはいけない言葉キーワードを。

 それは、『弱い』という二字であった。

 涼子リョウコはキレた。

 ――瞬間、振り上げた光線剣レイ・ソードを諸手唐竹で振り下ろす。

 相手の距離まで青白色の刀身を伸長させて。

 先程の抜刀術を上回る速度スピードであった。

 勇吾ユウゴの早斬りに迫るといっても過言ではなかった。

 健司ケンジ一朗太イチロウタのように頭から庭園の地面に叩き伏せられ――

 ……なかった。

 涼子リョウコが振り下ろした青白色の刀身は、健司ケンジの頭上で寸止めされていた。

 ――否、させられたのだ。

 健司ケンジの力によって。


「……な、なんだ、これは、腕が、動かねェ……」


 思いもかけぬ事態に、涼子リョウコは戸惑いながらも歯を食いしばって両腕に力を込めるが、微動だにしない。そして、


「……腕だけじゃねェ。身体も……」


 そのことにも気づく。まるで全身を万力で鷲掴みにされたかのような感覚に襲われて身動きができない。


「――どうした、海音寺。このオレをブッ倒すんじゃなかったのか。その得物で」


 健司ケンジは嘲りに満ちた口調で言いながら、宙で静止したままの長大な青白い刀身を、いったん右側に避けてから涼子リョウコへと歩いていく。


「……てめェ、このオレになにをしやがった……」


 涼子リョウコが苦しげな声で質すのは、アゴを動かす労力すら多大であったからである。

 それだけ涼子リョウコの全身にかかっている正体不明の力が絶大だったのだ。


「――フフフフ。知りてェか、オイ」


 身動きできない涼子リョウコの前まで来た健司ケンジの反問と表情は心地よい優越感で満たされていた。


「……あの少年、よりによってなんて力に目醒めたんだ……」


 まだみんなと庭園に留まっている良樹ヨシキが、戦慄に凍てついた声を漏らす。


「――蓬莱院ほうらいいんさん」

「――君の言う通りだ、小野寺くん。急いで避難しよう。みんな、この場にいると、巻き込まれるぞっ!」

「――ちょっとどうしたのよ、良樹ヨシキ。アンタまで――」

「――まだわからんのか、亜紀アキっ! あの少年の力をっ!」

「――ねェ、どんな力なの、それ?」


 そう尋ねたアイも首をかしげていた。


「……一周目時代じゃ、精神感応テレパシー空間転移テレポートとニャらんで有名ニャ三大超能力のひとつニャ……」


 答えを知っている有芽ユメが二人にヒントを出す。

 顔を真っ青にして。


「……それって……」

「……まさか……」


 ようやく悟った亜紀アキアイの表情も青ざめる。

 そして、それに幾重いくえにも輪をかけてたたえているユイが、つぶやくように口を開いた。


「……念動力サイコキネシス……」


 と。

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