第3話 小野寺勇吾を信じる者たちの奮闘

『――武術トーナメントの優勝者、小野寺勇吾ユウゴ、傷害の容疑で逮捕される――』

『――被害者は三人ともその武術トーナメントの出場者――』

『――増長した優勝者が起こした、敗者に対する無慈悲な犯行――』

『――三人の被害者がもたらした衝撃の事実――』


 小野寺勇吾ユウゴが逮捕されたその日の正午、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークに流れたニュース速報は、三面記事の主役さながらの見出しで持ち切りだった。


「――というわけで、改めて訊くわ、イサオ


 それらを一通り脳裏で閲覧し終えたリンは、沈痛な面持ちで前置きする。


「――なんでユウちゃんが逮捕されなきゃならないのよっ!? それもあのいじめっ子三人組の傷害容疑でっ!」


 堪らず本題に入ったのはアイであった。

 三人しかいない警察署の休憩室に悲鳴に等しい声が響きわたる。


「――アンタあの三人の傷害事件を捜査していたんでしょ。途中まで。その時点では勇吾ユウゴが容疑者として浮上してなかったんだよね。アンタでさえ寝耳に水の状態だったんだから」


 リンも落ち着いて事実確認に務めるが、ともすればアイのように噴火しそうな気配である。その証拠に、美女といってもいい顔が怒りで引きつっている。アイはどちらかといえば美少女だが、リンと同様の表情なのは変わりない。いずれにしても、それを見て取ったイサオは、慎重に返答の言葉を、それも短時間で選ぶと、これも慎重に口を開いた。


「……被害者たちの意識が回復したんや。捜査担当を木野枝院このえだいん警視に引き継がせた後に」

「――被害者たちって、あのユウちゃんのいじめっ子三人組のこと?」

「――せや。そして、三人とも口をそろえて証言したんや。自分たちを襲ったのは小野寺勇吾ユウゴやと」

「なんですってェッ?!」


 アイが素っ頓狂な声を上げる。


「――それで勇吾ユウゴが逮捕されたのっ!?」


 リンも驚きと怒りの声を上げるが、それに続いたアイの語気は、その比ではなかった。


「――ユウちゃんに限ってそんなことするわけないでしょうっ! むしろ逆の目に遭ってるわっ! それも何度もっ! あいつらなにトチ狂った寝言ほざいてるのよっ! 記憶操作でもされているんじゃないのっ!」


 鬼気せまるその迫力に押されて、イサオは大きくのけぞる。


「……も、もちろん、それは疑ったさかい、記憶復元治療にかけたで。せやけど、その形跡はどもにもあらへんかったんや」


「……なかったのっ?! 記憶操作された形跡がっ!?」


 愕然となるアイに、イサオはさらに続ける。


「――事件当日のアリバイや目撃情報、それに防犯カメラの記録もあらへんし、おまけにあの三人のイジメに対する復讐という動機まであるもんやから、逮捕するには十分な嫌疑やと警視は判断したんや」

「……そ、そんな……」

「……それが勇吾ユウゴを逮捕した警視の理由や。ワイは反論でけへんかった。もう、どうしようもなくて……」


 そこまで言うと、イサオは口を閉ざず。意気消沈したようにこうべを垂れて。


「――アンタまさか、本気で勇吾ユウゴが犯人だと疑ってるんじゃないでしょうね」


 それを見て、リンが疑惑に満ちた声でイサオを質す。


「んなわけあらへんやろっ! 勇吾ユウゴはワイの友達ダチやでっ! そんな真似せェへんわっ!」


 顔を上げたイサオは声を荒げて即答するものの、


「――せやけど、勇吾ユウゴが犯人ではないという証拠がないのも確かや。そしてそれはどこにもあらへん。このままやと、勇吾ユウゴは濡れ衣を着せられてまう。なんとかせェへんと……」


 そう言ってふたたびこうべを垂れる。今度は途方に暮れて。


『……………………』


 警察署の休憩室に重苦しい沈黙が降りる。

 そこへ――


「――龍堂寺。そこで何をしている」


 それを吹き飛ばすような、威厳のある声が休憩室にとどろいた。

 三人は驚いた表情で休憩室の出入口に視線を揃えると、体格のいい角刈りの男性がそこに立っていた。


「――あいつは――」


 アイが声を上げかける。見覚えのある容貌の持ち主だったからである。

 ――というより、絶対に忘れてはいけない人物であった。

 なぜなら、大切な幼馴染を目の前で逮捕した張本人――


「――こっ、木野枝院このえだいん警視っ!?」


なのだから。


それを認めたイサオは、あわててかしこまった敬礼をほどこす。


「――龍堂寺。私はそこで何をしているのかを訊いているのだ。答えたまえ」


 木野枝院このえだいんは詰問するかのような口調で繰り返しただす。


「……え、えっと、逮捕されたユウ――やない、小野寺のご学友にその説明をしていたところであります」

「――それは貴官とて同様だろう。容疑者の学友だというのは」


 手厳しい口調と内容で木野枝院警視は指摘すると、それはさらに続き、厳しさが増す。


「――まったく、貴官は今までなにを捜査していたんだ。知己とはいえ、容疑者がすぐそばにいたというのに、疑いすらかけぬとは、ずさんとしかいいようがないな。幸い、わたしが容疑者を確保したからよかったものの、警察官の適性を疑われても仕方がないレベルだ」

「――待ってください」


 そこへ、リンが強い声でイサオに対する木野枝院の理不尽な糾弾を止めさせる。


「――勇吾ユウゴは――小野寺は犯人じゃありません。なぜなら、小野寺が三人を復讐する動機が薄いからです」


 そして、小野寺勇吾ユウゴの犯人説をきっぱりと否定する。


「――確かに、小野寺にあの被害者三人を恨む動機はあります。復讐したいだろうと他者が考えるのは至極当然です。ですが、それは武術トーナメントですでに果たしています。三人のうち、二人を自分の手で倒し、なおかつ優勝したのですから。なのに、その経歴に傷がつく危険の高い犯罪行為を犯してまで復讐を続けるのは不自然だと思います」


 しかも、警察の見解に疑義を申し立てる。


「――貴様か。観静リンというのは。超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親、飯塚いいづか佐代子さよこの娘の。連続記憶操作事件によって、自らそれを証明したんだったな」


 横やりを入れられた木野枝院は、上から目線でその事件の顛末を振り返る。


「――それに免じて、ひとことだけ言わせてもらおう。その程度のことで容疑者の気が済むとは限らないぞ。ちがうか」

「――いいえ、それで済むわ。それに、それ以前に、復讐なんて考えてなんかいないわ。勇吾ユウゴはそういう男子よ。第一、勇吾ユウゴにあの三人を負傷させた脳内記憶が残っていたの」

「――そんなの、あるに決まってるだろう。まったく、薄弱きわまる根拠だな。しょせん、知能指数IQは高くても、警察の捜査に関してはまったくの素人。しかも女性特有の感情論まで持ち出している。一般の平民が華族たる警察高官の捜査に口出しするなァッ!! 身分をわきまえろっ!」


 木野枝院の口から休憩室の壁や天井が振動するほどの怒号が放たれる。その迫力に、イサオはひるむが、アイや肝心のリンはその色すら見せずに、木野枝院と正対する。

 だが、木野枝院の視線は、リンを傲然と無視して、その先をイサオに向ける。


「――龍堂寺警部。容疑者の取り調べは私が直々に執り行う。貴官はそこの二人の平民を自宅までお送りしろ。そのくらいなら貴官にもできるだろう。容疑者の確保はできなくても」

「……はっ……」

「――いいか。今後、平民に過ぎない一般人が、華族の警察の捜査に口を出すな。もし手まで出したら公務執行妨害で逮捕するぞ。よく覚えておけ。エスパーダの記録ログに残してでも」


 木野枝院警視はリンアイの順に指さして言い捨てると、足早にその場を去って行った。


「……なによ、アイツ。えらそうに。あったま来るわ……」


 アイが憤怒の声を漏らしたのはしばらく経ってからであった。


「――地位と身分を笠にきた傲慢で無能な華族の子弟の典型テンプレね。こんなヤツが上司じゃ、アンタもざぞ大変でしょう。こういうヤツに振り回されるほど、苦労することはないんだから」


 リンの同情と労りの言葉に皮肉の成分は含まれてない。アイが漏らした感想に対しても心から同意する。そして、リンに労われたイサオも、その通りと言いたげに大きくうなずく。


「――とりあえず、警察署を出ましょう」


 リンにうながされたアイイサオは、そのあとをついていく。そして、真夏の日差しが差す警察署の門をくぐったところで、リンは急に立ち止まり、二人を顧みる。

 その瞳には力強い意志の光が宿っていた。


「――とにかく、勇吾ユウゴの無実を晴らしましょう。あの無能な警視がなんて言おうが、それだけは確かなんだから」

「――そうよ。ユウちゃんがそんなことをする男子じゃないのは、アタシが一番よく知っているわ。だれがあいつの言うことや脅しなんか信じたり屈したりするもんですか。ここは行動あるのみよ」


 アイも力強い口調でリンのそれに応える。


「……せやけどどうやって勇吾ユウゴの冤罪を証明するんや……」


 だがイサオは途方にくれたような表情で問いかける。


「――方法は二つあるわ」


 問いかけられたリンは前置きする形で答える。


「――ひとつは、あの三人の被害者の証言や記憶をひるがすだけの科学的な分析結果を出すこと」

「――もうひとつは?」

「――もちろん、真犯人を見つけることよ」

「……うーん、どちらも至難やなァ……」


 イサオは腕を組む。


「――なに弱気なこと言ってるのよ。アンタ警官なんだから、あの三人の被害者の脳内記憶を科捜研に再検査させることくらい容易でしょ」

「――せやけどリン。ワイにはもうこの件に関する捜査権限は失くなってもうたし、そう簡単には……」

「――それでもなんとかするのよ。少なくても身分が低い上に警察でもないアタシよりはなんとかなるはずだわ。だから、弱気になるんじゃないの。今のアタシたちにはアンタの力が必要なんだから」


 リンが身を乗り出して叱咤激励する。連続記憶操作事件の時もそうだが、事態が八方塞がりになると、弱気になってしまうのがイサオの欠点ないし弱点である。関西人特有の気質と方言に反して。勇吾ユウゴとは別の意味で克服してほしいものである。それまでは自分が両者の尻をひっぱたいてうながさないと、リンは内心で決心するのだった。


「――特に、真犯人の発見は冤罪証明の一番の近道よ。それと並行しないわけにはいかないわ」

「……でも、その手掛かりは……」

「――あるわ、アイ


 リンは断言する。


「――貝塚シュンよ」


 と。

 

「――えっ!? あいつが?」


 アイは意外さを隠せない声で想起する。


「――せやけどそいつ、この事件ヤマと関係あらへんとちゃうか? 確かにおまいらの話を聞く限り、怪しいやっちゃやけど」


 イサオも首をひねるが、次に告げたリンの言葉に、


「――そいつ、勇吾ユウゴが逮捕された時にいたのよ。『ハーフムーン』の店内に」

「ええっ!?」

「なんやてェッ!?」


 アイイサオは驚きの声を上げる。リンは続ける。


「――偶然、この逮捕劇に居合わせたとは考えにくいわ。その証拠に、それを見届けると、この店に用がないとばかりに立ち去って行ったわ。アタシたちも含めて、店内の客は何が起きたのかすぐにはわからず騒然としていたのに、貝塚だけはまるでこの逮捕劇を待っていたかのような反応リアクションと行動だったわ。アタシも狼狽していたから、危うく見逃すところだったけど」

「――それじゃ、そいつが真犯人なのねっ!」

「――少なくても、真犯人に繋がる手掛かりを握っているのは確かね。今にして思えば」

「――じゃ、さっそくそいつを捜さないと――」

「――待って、アイちゃん」


 リンが制止の声をかける。


「――アンタ一人で行かせるわけにはいかないわ」

「――一人? どうして」」

「――アタシはあの三人の被害者の脳内記憶を再分析しなければならないからよ。一応、超心理工学メタ・サイコロジニクスには詳しいからね。そのためには警察官としての権限を持つイサオの協力が必要なの。となると、必然的にアンタだけになるわ。アンタだけだと不安なのよ。っていうより、不安しかない」

「なんですってっ!?」


声を上げたアイの表情が不本意に塗れる。


「――それじゃ、アタシだけじゃ頼りないっていうのっ!?」

「ええ、そうよ」


 リンに即答されて、アイは絶句するが、反論の余地はなかった。冷静に考えると、まったくその通りなので。


「――だから応援を要請しといたわ。警察署を出るまでの間に。アイちゃんはその人たちと一緒に行動して。もっとも、応じてくれればの話だけど」

「――応援って、いったい――」


 アイがそこまで言った時、


「――話は感覚同調フィーリングリンクで聞いたニャ」


 聞き覚えのある声が、突如アイの隣から発せられた。


「……ホント、なの? 小野寺、くんが、逮捕、された、のは……」


 それも複数の。

 アイは驚いた表情で声が聴こえた方角を見やると、猫耳セミショートの少女と、毛先が内巻きのボブカットの少女が、いつの間にかそこに並んで立っていた。

 この二人もまた武術トーナメントに出場した陸上防衛高等学校の生徒である。

 猫田ねこた有芽ユメ浜崎寺はまざきじユイである。

 二人とも、他の三人と同様、涼し気な夏の私服を着ている。


「――有芽ユメちゃん、ユイちゃんっ?!」


 アイは驚きと嬉しさが交わった声で二人の名を呼ぶ。


「――ええ、本当よ。詳細はテレメールや感覚同調フィーリングリンクで聞いた通り。けど、よく来てくれたわ。それもテレタクで。正直ぶっちゃけ、あまり期待してなかったんだけど……」


 リンも意外さを禁じえない口調で述べる。


「――ニャにを言うニャ。友達がピンチなのにそ知らぬふりをするほど、アタイは薄情じゃニャいニャ」

「……アタシも、よ……」


 有芽ユメは闊達に、ユイは苦しげに、それぞれ不本意な表情で言い募る。言い募られた方は申し訳なさそうな表情で、


「――ゴメン。それじゃ、アイちゃんの力になってくれる?」

「もちろんニャ」


 有芽ユメは快諾する。


「……行こう。アイ、ちゃん……」


 ユイも助っ人でありながら率先してうながす。


「――うんっ!」


 アイは嬉しそうな表情で大きくうなずく。


「――それじゃ、三人は貝塚の行方を追って。見つけたら一度こっちに連絡して。その時の状況を知りたいから」

「――わかったわ。じゃ、二人とも行きましょう」

「――うんっ、行くニャ」

「……行こう……」


 ――こうして、鈴村アイ、猫田有芽ユメ、浜崎寺ユイの三人は、ただちに行動を開始した。

 真犯人を見つけるために。


「……せやけど見つけられるんやろか。あの三人で」


 しばらくの間、無言で四人の女子たちのやり取りを聞いていたイサオが、その場からテレタクの移動で消えた三人の女子の姿を見送ると、おもむろにリンに問いただす。


「……正直ぶっちゃけ、無理でしょう。けど、アイから目を離すといつどこへ暴走するかわからないからね。ボディガート兼お目付け役よ。有芽ユメユイは」

「……………………」


 問いただしたイサオは、どう応じたらいいのかわからず、沈黙する。リンはさらに言う。


「――連続記憶操作事件の時は散々振り回されて大変だったわ。あんな目にあうのは二度とゴメンよ。幸い、身代わりが駆けつけてきてくれたから助かったけど」

「……おまい、最初から猫田はんと浜崎寺はんに押し付けるつもりやったんか。鈴村はんのお守りを」


 イサオは非難がましい目つきでふたたび問いただす。


「――そうよ」


 リンはあっさりと認める。


「……うわァ、ヒドいやっちゃなァ。なんちゅうオンナや……」

「――そんなことを言うなら、イサオが二人に代わってアイちゃんのお守りをして。こっちは一人でなんとかするから」

「ああっ! ごめんゴメン。前言を撤回するさかい、堪忍して」


 イサオは慌てて両手を合わせてリンに謝罪する。


「――うん。わかればよろしい。それじゃ、行きましょう」


 リンはもっともらしくうなずくと、こちらもイサオとともに行動を開始するのだった。




「……うーん、どうやら留守みたいニャ……」


 猫田有芽ユメがネコミミに形どった髪をいじりながら、途方に暮れたように言う。

 居住区島に点在する、とある二階建てアパートの二階の廊下で。

 目の前にあるドアには、『貝塚瞬』という横文字の名札が貼られてある。


「……いったい、どこに、いるん、だろう……」


 そのドアをノックした浜崎寺ユイも、顔色の悪い表情に、消沈な面持ちを漂わせている。


「……一刻も早くそいつに会って真偽を確かめたいのに、どうしてどこにもいないのよ……」


 アイですらカラ元気を絞り出せずに立ち尽くしている。

 外気にさらされた廊下から頭上を見上げると、すじ雲状の青空が、夕闇のそれに代わりつつあった。。

 リンたちと別行動を取ってから、アイたち三人は、事前にイサオから渡された貝塚シュンに関する情報を元に、超常特区中をテレタクで東西奔走していた。その際、下村明美アケミが収集した貝塚シュンのそれと照合したが、特に差異はなく、怪しい点もなかった。だが、リンの見立て通りなら、必ず裏の顔があるはずである。先日の集団イジメの件といい、無害な人物とは到底思えない。


「……どう、する?」


 ユイが今後の方針をただした、その時――


「――お前は――」


 という驚きの声が上がった。

 それを耳にした三人は、声が上がった方角に視線を向けると、一人の少年が、のぼり切った鉄細工の階段の横の廊下で立ち止まっている姿があった。


「――アンタは――」


 それを認めたアイも、驚きを隠し切れない声を上げる。

 陰気で暗いその顔つきに、見覚えがあったからである。

 緑川健司ケンジであった。


「――知り合いニャのか?」

「――ええ、一応……」


 有芽ユメの問いに、アイは制服姿の陰気な少年に視線を固定させたまま答える。


「――なんでおまえが貝塚の自宅の前にいるんだよっ!?」


 健司ケンジが警戒と嫌悪をないまぜた表情と口調で問いただす。


「――それはこっちのセリフよっ!」


 アイも相手と似たり寄ったりな表情と口調で答える。


「てめェがいるとロクな目に遭わねェんだっ! どっかいけっ!」


 健司ケンジは叫ぶように指図する。


「~~ムむぅ~ッ。生意気な少年ニャ。年下が年上の人にきく口じゃニャいニャ」


 有芽ユメが憤慨するが、口調が口調なので、本気で怒っているようには聴こえない。


「……あなたも、貝塚に、用が、あるの?」


 ユイがたどたどしい口調で尋ねる。


「――おまえたちには関係ないだろっ!」


 健司ケンジは腕を振り払って答えるが、アイは引き下がらない。


「――いいえ、大ありだわ。アタシたちはどうしてもそいつに会わなくちゃならないの。その口ぶりからして、どこにいるのか知っているみたいね。教えてちょうだい」

「――ヤダね。なんでおまえたちに教えなきゃならないんだよ」

「……知ってる、のね。貝塚の、居場所……」


 ユイの指摘に健司ケンジは狼狽するが、かえってそれを証明するハメになってしまった。


「――語るに落ちるとはまさにこの事ニャ」


 有芽ユメの言う通りである。


「――おおかた、貝塚のパシリとしてその自宅まで来たんでしょ。でなきゃ、あのセリフは出ないニャ」

「……う、うっ、うるさいっ! いいからどっか行けってっ!」


 健司ケンジはふたたび腕を振り払うが、それで引き下がる三人の少女たちではなかった。むしろ、さらに詰め寄る結果となった。


「――そうはいかないわ。こっちはアタシの大切な幼馴染が警察に逮捕されたのよ。無実の罪でね。それを証明するためには、どうしても貝塚に会わなくちゃいけないの。だから教えなさい」


 アイは真剣な表情で再度問いただす。


「――ふんっ。リア充はいいよなァ。困ったことがあっても、おまえらが助けてくれるんだから。あんな目にあって、いい気味だぜ」


 だが、健司ケンジはそれに答えるどころか、勇吾ユウゴの不幸をせせら笑う。


「……なんで士族とは名ばかりのアイツがおまえらオンナどもにチヤホヤされるんだ。身分は違っても、本質はオレと同じ人種のはずなのに……」


 そして、嫉妬と憎悪に歪んだつぶやきをこぼす。それを聞き取ったアイは目をむき、


「――アンタと一緒にしないでっ! アタシの幼馴染をっ!」


 激烈な怒声を健司ケンジに対してぶつける。


「――ユウちゃんはあんな目に遭わせたアンタをこれっぽちも恨んでなんかなかったわっ! むしろアンタに同情していたほどよっ! それに対して、アンタはユウちゃんの悪口を言うだけじゃないっ! もし同じ人種だというなら、ユウちゃんの逮捕を愉快に思ったりなんかしないはずだわっ!」


 アイの剣幕に、健司ケンジは息をのみ、後ずさる。アイはさらに続ける。


「――そんな性根だからアンタはイジメられるのよっ! 身分なんて関係ないわっ! でもユウちゃんは身分に関係なく等しく接してくれる。好かれて当然よ。そんなユウちゃんがアンタと同類なわけないでしょっ! 少なくてもアタシは絶対に思えないっ! たとえユウちゃんが思っても――」

「――あたいも同感ニャ」

「……アタシ、も……」


 有芽ユメユイアイの断言にうなずく。


「――さァ、案内しなさい。貝塚のところまで。知ってるんでしょ。現在位置を――」


 アイは恫喝まがいの口調で健司ケンジに要求する。


「――いっとくけど、案内してくれるまで付きまとうニャ。どこまでも、いつまでも」

「……絶対に、逃がさない……」


 有芽ユメユイ健司ケンジにせまる。


「……ううっ……」


 三人の女子に詰め寄られた健司ケンジは、その迫力に反駁の声もなく、さらに後ずさる。だが、その後の廊下は行き止まりなので、そこに到達すると、それ以上、下がれなくなる。


「……………………」


 進退をきわまった健司ケンジは、三人の女子から目を背けて沈黙するが、いつまでもそれが持つわけがなかった。

 ――結局、緑川健司ケンジは、鈴村アイたちの要求にしたがった。




「――それじゃ、勇吾ユウゴはロクな脳内記憶検査も受けさせてもらえずに容疑者として厳しく取り調べられているっていうのっ!」


 リンが警察署の休憩室で上げた声は、怒りと不可解さに溢れていた。


「……せや。証拠は被害者たち三人の記憶で十分やから、鑑識や科捜研に回す必要はあらへんって……」


 そのように説明したイサオの声も、怒りと悔しさに震えていた。


「……そんなの、一方的じゃないっ! 最初から勇吾ユウゴが容疑者だと決めてかかっているとしか思えない行動ねっ! 職務怠慢もいいところよっ!」


 リンは事件の最高責任者を手厳しく非難する。


「――あの木野枝院このえだいん輝彦テルヒコとかいう警視って、勇吾ユウゴになんか個人的な恨みでもあるの? たしか面識はないはずだけど……」

「……だぶん、武術トーナメントやろな」


 イサオリンの疑問に答える。


「……なにぶん、あんな手で優勝したやからな。警視に限らず、それを認めない輩はぎょうさんおるから。ましてや昨日、武術トーナメントでは勝ったはずの海音寺に惨敗した実戦訓練の感覚同調フィーリングリンク動画が、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークに流れたさかい、それはひとしおやろう」

「……あのマスゴミが。余計な真似ばかりして……」


 リンは舌打ちと歯ぎしりを同時に行う。のちに知ったが、冒頭にあった小野寺勇吾ユウゴ逮捕の見出しも、明美アケミが作成したものである。さすがに全部ではなかったが。


「――それに、警視は公私混同が激しく、私情で動くタイプや。最近入ったばかりやのに警視にまで昇進できたのも、華族の身分がものをいったからで、警察官としての能力が高いからやあらへん。それはギアプでも補正しきれないほど。おまいの言う通り、傲慢で無能な華族の子弟の典型テンプレや」


 イサオのぼやきを聞いて、リンはめまいを覚える。


「……そんなヤツがアンタの上司じゃ、勇吾ユウゴの無実を晴らすなんて、到底無理ね。ホント、地位と権力を笠に着るヤツほど苦労させられる相手はいないわ……」

「……どないする、リン。警視に勇吾ユウゴとの面会を申し込んでも許可が下りないのは目に見えておるし……」


 問うた方も問われた方も苦悶の表情でやり取りする。その姿は、傍から見ても痛々しかった。やがてリンが、眉間を押さえていた手を離すと、意を決したように口を開く。


「……あまりやりたくないけど、あの警視と同等かそれ以上の地位と身分を持つ人物に助力を請うしかないわね。ああいうタイプは、そういうヤツに弱いから」


 リンの提案に、だが、イサオは首を横に振る。


「……そないなヤツ、警察署ここにはおらんで。士族の署長ですら警視の独断専行に掣肘を加えられへんのやから、警察以外の人物でないと無理やで」

「……そうは言われても、アタシたちに力を貸してくれそうな地位と身分のある人物なんていないわ。そんな人脈、アタシでさえないし……」

「……それを言うたらワイかて同じや……」

 

 イサオが弱気な口調で言うと、リンはそれに引きずられるようにうなだれる。


「……こんなことになるんなら、その方面の人脈づくりをすべきだったわ。アタシやアタシの母の知名度ネームバリューがあるっていうのに、それを忌避したばかりに……」

「……リンの卓越した頭脳を自分おのれの利益に利用したがる連中ばっかやからな。忌避するのも無理あらへん。それ抜きで接してくれる物好きな華族なんておらへんやろうし……」

「――あら、そんなことないわよ」


 最後のセリフは、リンが発したものではなかった。


「――我ら同志のことを忘れるとは、超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘の名が泣くぞ。観静リン


 このセリフも、イサオが言ったものではなかった。

 リンイサオは聞き覚えのある複数の声のした方角に振り向くと、


「……アンタらは――」

「……そうだったわ。あなたたちがいたわっ!」


 暗く沈んでいたリンイサオの表情に生気と活力が戻った。


「――いい加減認めたらどうだっ!」


 警察の取調室に怒号が轟いた。

 それに遅れて、机を叩く音が鳴り響く。

 木野枝院このえだいん輝彦テルヒコはこれらを駆使して椅子に座っている容疑者を心理的に追い詰め、吐かせようと試みている。

 容疑者――小野寺勇吾ユウゴの供述を。

 むろん、その内容は容疑者が自身の罪を認める供述である。


「――こっちはもうわかってんだっ! 三人の被害者を襲ったのはお前だということがっ!」


 木野枝院警視は覗き込むように、うつむいたまま口を閉ざしている小野寺勇吾ユウゴの顔に自分のそれを近づける。


「……………………」


 だが、近づけられた方は亀のように小柄な身体を縮こませ、沈黙を続ける。

 とはいえ、勇吾ユウゴも最初から沈黙を守っていたわけではなかった。

 取り調べが始まった時には、偏見と先入観で三人の傷害事件の犯人だと決めつけられたことに対して、さすがに立腹し、否定や反論をしたが、自分が犯人だと信じて疑わない木野枝院警視の言動と態度に、次第に反抗する意思や意欲を失い、沈黙するようになった。それを黙秘と受け取った木野枝院警視はムキになり、893よろしくのやり方で強引に自供を引き出そうとした。それでも沈黙を守る容疑者に対して、あらかた嫌疑の語彙を言い尽くすと、容疑者の心が折れるまで、ひたすら同じセリフで恫喝するだけの作業に終始していた。


「――くそっ、思いのほかしぶとい。まぐれで武術トーナメントに優勝した名ばかりの士族の子弟とは思えない忍耐力だ……」


 木野枝院は息を切らしながらつぶやく。

 勇吾ユウゴにとって、このような罵詈雑言を浴びせられるのは、実は慣れている。イジメの一環である言葉の暴力よって。正確には慣らされたのだが、いずれにしても、この程度のことで身に覚えのない罪を認めたりはしなかった。


「――よし、こうなったら――」


 業を煮やした木野枝院は、拳を鳴らしながら勇吾ユウゴに近づくと、容疑者の胸倉を掴み、拳を振り上げる。

 そして、そのまま勇吾ユウゴの顔面に叩きこもうと振り下ろしたその時――


「――やめなさいっ!」


 怒号に似た制止の声が、取調室に鋭く行きわたった。


「――市民を守る警察官ともあろうものが、その市民に抵抗できない暴力を振るうなんて、自分でも最低だと思わないの。木野枝院輝彦テルヒコ男爵」


 それも女性の声である。


「~~なんだとォ~ッ」


 木野枝院はうなり声を上げながら女性の声が聴こえた方角に振り向く。その際、振り上げた拳と胸倉を掴んだ勇吾ユウゴはいったん下ろし、出入口にたたずむその女性と正対する。


「――だれだ、キサマはっ!」

「――あら、そんな口の訊き方をしていいのかしら、このアタシ――窪津院くぼついん亜紀アキ子爵に対して――」


 セミロングの髪をわずらわしげに払いのけながら、その女性はエラそうに答えた。


「――っ?! しっ、子爵っ!?」


 それを聞いた途端、木野枝院は激しく狼狽する。


「――まっ、まさか、その方は……」

「――そうだ、輝彦テルヒコ男爵。この方は大神十二巫女衆の一人、窪津院くぼついん亜紀アキ子爵であらせられるぞ。頭が高い。控えおろうっ!」

「――ちっがぁーうっ! なにアイちゃんの中二設定をアタシの紹介に盛り込んでるのよっ! この須佐十二闘将の一人、蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキ男爵っ!」


 亜紀アキも隣に立つボサボサ髪の男性に自分と同様の紹介のされ方で報いる。

 二人とも私服の上に裾の長い白衣を纏っている。


「――こっ、これは子爵どの。いったいなんの御用でこちらに……」


 木野枝院は大柄な身体を縮こませてご機嫌と共にうかがう。ついさっきまで勇吾ユウゴに対して取っていた傲慢で強気な態度とは打って変わっての卑屈さである。


「――輝彦テルヒコ男爵。警察署ここで聞いた話では、あなた、見込み捜査で無実の人間に罪を着せようとしているわね。それも、部下の進言を頭ごなしに無視して」

「……そ、そんなことはございません。ただ……」

「――ただ? なに?」

「…………いえ、その…………」


 言葉に詰まる木野枝院に、亜紀アキは厳しい表情と口調で言う。


「――ウソはよくないわね、男爵。子爵たるアタシに対して、偽りを言うるのは」

「もっ、申し訳ございませんっ!」


 木野枝院は床に額がつきかねないほどに何度も頭を下げる。


「――なんや、木野枝院警視。窪津院はんとは同じ華族の身分やのに、どしてあそこまでペコペコしとるんやろ?」

「――爵位が違うからよ、イサオ


 イサオとともに傍観しているリンが、その疑問に答える。

 爵位とは勅旨によって授与される華族の称号で、位の高い順からこうこうはくだんの五等爵がある。木野枝院輝彦テルヒコが男爵なのに対して、窪津院亜紀アキは子爵なので、爵位では後者が上なのである。


「――なるほど、せやから窪津院はんに対してあないな態度になったんか」


 イサオはしきりにうなずくと、


「――ってことは、華族の中では一番の下ってことやないかっ!? 木野枝院警視はっ!」


 その事実に気づいて驚愕する。


「――爵位の上ではね」


 と、リンはつけ加える。


「――でも、まさか亜紀アキさんが子爵なのは驚きだったわ。身分制度と同じく、爵位も高くなればなるほどその人数は少なくなるのに」

「――そないに珍しいんか?」

「――そうよ。子爵なんてよほどの功績を上げない限り授与されない爵位よ。第二日本国では。ましてや十代で。男爵ならともかく」

「……へェ、そないに凄いんや。いったいどないな功績を上げて授与されたんやろ」

「――もちろん、遺失技術ロストテクノロジーの再現よ」


 イサオの疑問に答えたのは、当の本人である窪津院亜紀アキだった。突然の返答に驚いたリンは、とまどいながらも、


「――それってもしかして……」


 おそるおそる亜紀アキに尋ねると、


「――ええ。スイーツの再現よ。一周目時代の二十一世紀日本のね」


 亜紀アキは誇らしげな表情で答えた。リンアイよりも豊満な胸をそらして。


「ええェェェ~ッ。あないなもんで子爵になれるんかいっ!」


 イサオが驚愕の声を張り上げる。


「――えらい簡単やなァ~……」

「――いや、爵位授与の審査基準がおかしいだけだ」


 強い口調で否定の断言をしたのは蓬莱院良樹ヨシキである。


「――あのような愚にもつかぬもので爵位が上がるくらいなら、このわたしだって上がってしかるべきではないか。わたしは『アキバ系文化』という、一周目時代の日本のオタク文化の聖地の再現に成功したというのに、その功績を認めないとは、嘆かわしい限りだ」


 そしてその嘆きぶりを身ぶり手ぶりで表現する。


「――なに言ってるのよ。あんなキモいもんで爵位が上がったら、それこそ爵位授与の審査基準がおかしいわ」


 それに対して、亜紀アキが反論する。


「――だいたいなによ、アンタのいう『アキバ系文化』って。オトコだけにこびへつらったものばかりじゃない。萌え絵といい、フィギュアといい」

「――そっちこそなにを言うか。ちゃんと女子向けのものだって再現しているぞ。『腐女子』という女子向けのものを」

「――そんなニッチでマニアックなものに女性が夢中になるわけないでしょ! オンナをバカにしないでっ!」

「――ほう。そこまで言うなら、腐女子であれば必ず夢中になるという記憶書籍をキサマに進呈しよう。BL《ボーイズラブ》というジャンルの記憶書籍を。それを読破した後でも言えるかな、今のセリフ」

「――いいわ。じゃんじゃんアタシのエスパーダに寄こしなさい。鼻で笑って上げるから」

「……あ、あの。亜紀アキさん……」


 最後のセリフは、観静リンが、これもおそるおそるの態で声をかけたものである。


「……どないなったんや。警視とは……」


 龍堂寺イサオもそれに続く。


「――あ、そうだった。つい忘れてしまったわ。良樹ヨシキとのくだらない口論に熱中して――」

「――くだらないとはなんだ、亜紀アキ。わたしの功績を侮辱す――」

「まぁマァまァマぁ。蓬莱院|はん。それは後ほどにして――」


 イサオが諫めると同時に会話の進展をうながす。


「――亜紀アキさん。警視との話は――」

「――ええ、ついたわ。リンちゃん」

「――それじゃ――」

「――この事件の捜査は龍堂寺警部に一任するって――」

「――おおっ! ホンマかっ!? 窪津院はんっ!」


 イサオが驚きと嬉しさに溢れた声を上げる。


「――ウソ言ってどうするのよ。これで小野寺くんの冤罪を晴らせるわよね」

「――おうっ! 捜査権限さえあればこっちのもんやっ!」


 イサオは握り拳をつくって自分の胸をたたく。自信満々といっても過言ではなかった。


「――まずは勇吾ユウゴを釈放――」

「――してはダメだって。勇吾ユウゴの無実が証明されない限り。それが全権委任の条件だって。あと面会も」

「げっ。そんな……」


 亜紀に釘をさされて、イサオは思わず声を漏らす。


「――当然でしょ。勇吾ユウゴが容疑者である証拠はあっても、勇吾ユウゴが容疑者ではないという証拠はなにひとつ揃ってないんだから」


 眉をしかめてイサオに注意したのはリンである。


「――そのくらい察しなさいよ。警官なんでしょ、アンタ」

「……ううっ、面目ない……」

「――ほら、しょげてないで、始めるわよ。勇吾ユウゴの無実を晴らす捜査を」


 リンイサオをリードする。


「――それに、アンタだけじゃ、やはり頼りないからね。アタシのことは一市民による警察公認の捜査協力者という名目で周囲に説明しときなさい」

「――ア・タ・シ・た《・》・ち《・》、よ。リンちゃん」


 そこへ、亜紀アキが訂正を求める。


「――ここまで関わった以上、知らんぷりなんてできないからね。アタシも協力するわ。警察署ここへ来たのも、そのためだったんだし。あの男子がそんなことするはずないもの。小野寺くん逮捕の報道ニュースを知った時、そう思ったわ」

「――亜紀アキの言う通りだ。小野寺の無実を晴らすために、我らも手を貸そうではないか」


 良樹ヨシキも協力を表明する。


「――おおきに、お二人はんっ! 助かるで」


 イサオが相手の手を取らんばかりの勢いで感謝する。


「――このインテリ感に満ちた顔ぶれメンツなら、科捜研を上回る成果が期待できる。ほな、さっそくそこへ行くで」

「――一般人アタシたちに対する捜査情報の閲覧許可の取得も忘れずにね」


 リンが先頭を歩くイサオに要求する。


「――おお、せやったせやった。それも申請しとかへんと。さァ、忙しくなるでェ」


 思い出したかのようにイサオが応えると、やる気に満ちた表情と足取りで、三人の捜査協力者を率いるのだった。




 すでに空は漆黒の闇夜に変わっていた。

 頭上にある陽月も月明かり並の光度で地上を照らしている。

 だが、その光も、人気のない陸上競技場の屋内までには届かない。

 ゆえに、あかりのないその廊下を歩く四人の少年少女の手には、ライト様式モードにした光線剣レイ・ソートが握られている。


「――本当にここにいるんでしょうね。貝塚っていう男は」


 その集団の一人である鈴村アイが、猜疑心に尖った口調でただす。


「……………………」


 質された緑川健司ケンジは、集団の先頭を歩きながら、無反応ノーリアクションでそれに報いる。

 相変わらず陰気で暗い顔つきである。

 灯りライトの照射角度によっては、幽霊と誤認されても文句は言えないくらいに。

 もっとも、それを言うなら、常に顔色の悪い浜崎寺ユイの方が確率的には高いが。


「――ちょっと、黙ってないで返事しなさいよっ!」


 無視されたアイは気分を害したような声を上げる。

 無人の廊下にアイの声が木霊する。


「……ああ。まちがいなくここにいるよ」


 ぶっきらぼうに、もしくはふてくされた口調で、健司ケンジはしぶしぶ答える。


「……ここである実験をするって言ってたから……」

「――ここって、この陸上競技場で?」

「――丸ごと貸し切っているそうだ」

「丸ごと貸し切りィっ?!」


 今度は素っ頓狂な声を、アイは上げる。後続のユイ有芽ユメも驚きを隠せない表情で互いの顔を見合わせる。


「……でも、これだけの施設だと、その使用料もバカにニャらニャいニャ」

「……とても、個人の、資産で、払える、とは、思え、ない……」


 しかし、それが収まると、そんな疑問が二人の首をもたげる。


「――知らねェよっ! そんなことっ!」


 健司ケンジはわずらわしげに叫ぶ。


「――オレはただ貝塚に言われた通りにやっているだけだっ! そうすれば、今度こそ力をくれるって言うから――」


 その後に、弁解じみた言い回しでつけ加えられる。それを聞いて、有芽ユメはひとつうなずく。


「――ふむ、どうやら貝塚とかいうヤツの背後バックには、資金が豊富ニャ資金提供者スポンサーがいるようだニャ」

「……つまり、華族、ね。華族は、金持ちが、多い、から……」

 

 ユイの要約に、有芽ユメは会心の笑みを浮かべてふたたびうなずく。


「――それも、緑川のいじめっ子どもニャ。リンたんの推測どおりニャ」

「――それじゃ、そいつらがユウちゃんに無実の罪を着せた真犯人なのね」

「――おそらくそうニャ、アイたん」


 有芽ユメは慎重に言葉を選んではやアイに答えたが、内心では確信に近い自信を抱いている。


「――貝塚の自宅前で緑川に出会えたのは僥倖ラッキーだったニャ。これで小野寺たんに着せられた濡れ衣を脱がせることができるニャ」

「――そのためには、そいつら真犯人どもとをとっ捕まえて白状させないと。昨日の発表会の時は、タケルさまにされた華族の子弟や子女を放置したまま立ち去ってしまったけど、今度はそうはいかないわ。相手の抵抗と昨日のような危機ピンチに備えて、ちゃんと光線剣レイ・ソート光線銃レイ・ガンも持ってきたし、これでもうユウちゃんの無実は晴らしたも同然よ」


 アイは無邪気にはしゃぐ。


「……でも、変、ね……」


 そこへ、ユイが水を差す。顔色の悪いその表情には、どこか釈然としないものが浮かんでいる。


「……小野寺くんの、いじめっ子、三人組が、事件に、遭った、のは、発表会の、時よりも、前のこと。その時点、では、緑川のいじめっ子、たちと、小野寺くんとの、接点、は、ない、はず……」

「――つまり、緑川のいじめっ子たちに、小野寺たんに濡れ衣を着せる動機が、その時点ではニャいと言うわけかニャ」

「……うん……」

「……確かに、言われてみれば、そうだニャ」


 有芽ユメは首を傾げる。


「……となると、小野寺に濡れ衣を着せた真犯人は……」

「――この際、どっちでもいいわ」


 アイユイ有芽ユメの会話に割り込む。


「――背後にだれがいようと、そこに貝塚がいることに変わりはないわ。そいつもとっちめて吐かせれは、だれが真犯人なのか自ずとわかる事だし」

「……それもそうニャ」

「……そう、ね……」


 有芽ユメユイはワンテンポ遅れてそれぞれ応じる。


「――で、貝塚のところにはまだ着かないの?」


 アイは先頭を歩く緑川健司ケンジに問いただす。


「――もうすぐだ――」


 答えた方の口調はあからさまに不機嫌だった。アイは不審そうに眉をしかめる。


「――さっきもそう言ってなかった? もしアタシたちを欺いているんなら――」

「――着いたよ」


 アイの言葉をさえぎって告げた健司ケンジは、目の前にあるドアのノブに手をかけてそれを開き、ドアの向こうへと足を踏み入れる。


「――ここは――」


 それに続いたアイは、闇夜と陽月の光に染まった周囲を見回す。

 そこには、万単位の観客を収容できる階段状の観客席が、自分たちが踏みしめている広大なトラックに沿って設置されていた。


「――競技場のトラックじゃニャいか――」


 有芽ユメアイと同じ動作をして言う。薄暗いので断言できないが、どの席も無人のようである。


「……二人、とも、前、を、見て……」


 ユイに呼びかけられたアイ有芽ユメは、言われた通りの方角に視線を向ける。

 トラックの中心に。

 そこには、一個の人影がこちらに向かって佇んでいた。

 遠い上に薄暗いので、誰なのかは判然としない。

 三人の女子には。

 しかし、一人だけはわかったようである。


「――貝塚っ!」


 健司ケンジが大声でさけぶと、そこへ一人で駆け寄る。


「――言われた通り、こいつらを連れて来たぞ。早く力を寄こせっ!」


 そして性急なまでに要求する。


「――やっと会えたわね。貝塚っ!」


 健司ケンジに遅れて到着したアイが、健司ケンジごしに相手を指さす。


「――さァ、洗いざらい白状しなさいっ! ユウちゃんに着せた濡れ衣を――」


 こちらも健司ケンジのそれに劣らないせっかちさである。


「――こいつが貝塚かニャ?」

「……そう、みたい。鈴村、さんが、見せて、くれた、見聞、記録ログと、同じ、顔つき……」


 続いて到着した有芽ユメユイが確認の言葉を交わす。容姿といい、白衣の私服といい、間違いなかった。


「――まァ、落ち着きたまえ、二人とも。そんなに力が欲しいのなら、差し上げよう、緑川くん。そして、鈴村くんの要求にもできるだけ応えよう」


 貝塚は落ち着き払った口調と表情と態度で両者に対応する。それを聞いた両者は、先を争うかのように貝塚に詰め寄ろうとする。

 ――その時だった。


「――緑川っ!」


 怨嗟に満ちた呼び声が側面から放たれて来たのは。

 呼ばれた健司ケンジは、そちらを見やると、一個の集団が自分を睨んでいた。

 その人数は二十人に近い。

 全員、デザインの異なる制服や私服をそれぞれ着ている。


「……この子たちは……」


 その集団の顔ぶれに、アイは見覚えがあった。昨日、神社での発表会に集まっていた平民のいじめられっ子たちであった。

 しかし、表情があの時や健司ケンジとちがって憎悪にゆがんでいたので、気づくのに多少の時間を要したが。


「……な、なんでお前たちがここにいるんだ?」


 健司ケンジはたじろぎながらも問いただす。


「――よくもあの時ボクたちを売ってくれたなっ! あの時にボクたちが遭った酷い目を、お前にも味合わせてやるっ!」


 だが、健司ケンジによく似た声と表情の男のいじめられっ子は、それに答えず宣戦布告すると、自分と同じ境遇の少年少女たちを率いて健司ケンジに歩み寄る。健司ケンジはさらに後ずさる。


「――ま、まさか、こいつらも呼んだのかっ!? 貝塚」

「――もちろん。あの時約束したからな。彼らにも」


 貝塚は平然と答える。それを聞いて、健司ケンジは激しく動揺する。


「……き、聞いてないぞっ! そんなことっ!」

「――訊かなかったからな。そんなこと。承知の上のことだと思って」

「……ううっ……」


 健司ケンジは貝塚を難詰したかったが、復讐に燃える平民のイジメられっ子たちが近づいて来るのを見ると、慌てて身をひるがえして逃走する。だが、逃走に邪魔な三人の女子たちを払いのけて突破したその先には、平民のイジメられっ子たちが立ちはだかっていた。

 いつの間にか先回りして。


「――速いっ!」


 その速度スピードに、アイは驚く。そして、さきほど宣戦布告した少年が、目の前で制止しかけていた健司ケンジの首を片手で掴み、そのまま持ち上げる。健司ケンジは自分の首を絞めるその手を掴み、引きはがそうとするが、びくともしない。ゆえに、うめき声すら出せず、みるみると顔色が紫色になる。とても脆弱なイジメられっ子たちの動きと膂力とは思えなかった。


「――ふむ、どうやら実験は成功のようだな」


 その光景を見て、貝塚は満足げな表情をたたえてうなずく。


「――実験って、なんのっ?!」


 アイが焦りの表情と声で貝塚に問いただす。本来なら健司ケンジの自業自得ともいうべき事態に対して、愉快や痛快を覚えるところだが、いまはそれを堪能している場合でははなかった。


「――彼らに配布したのだよ。新型の氣功術のギアプを――」

「なんですってェッ?!」


 今度は驚愕するアイ


「――話がちがうじゃないのよっ! リンちゃんっ! 新型の氣功術のギアプは客寄せのために貝塚がでっち上げたブラフだって――」


 そして、この場にいない本人に向かって非難の叫びを上げる。しかしその後、その本人から、貝塚を発見したら連絡するように言われていたことを思い出し、実行に移そうとする。

 だが、


「――通じないっ!?」


 ふたたび叫び声を上げる。


「――あたいも通じないニャッ!」

「……アタシ、も……」


 有芽ユメユイも同様の報告をする。三人そろって精神感応テレパシー通話が通じない以上、考えれられるのは、


「……ESPジャマー……」


 しかなかった。これでは通信はおろか、現在の位置情報を知らせることもできない。


「――へへ、また会ったな」


 そこへ、別の声が三人の女子の背後から聴こえた。


「……アンタたちは……」


 身体ごと振り向いたアイの視線には、平民のいじめられっ子たちとは別の、これも面識のある集団が並んで佇んでいた。その人数かずは平民のイジメられっ子たちの倍以上である。


 そして、衣装も平民のそれよりも派手であった。


「――知ってるのか? アイたん」


 遅れて振り向いた有芽ユメが尋ねる。


「――ええ。あの平民のイジメられっ子たちのイジメっ子どもよ」


 アイは苦々しく答える。集団の先頭にいるのは、あの時、自分たちに暴力を振るおうとしていた、あの華族の子弟である。


「……あの、三人の、男子の、いじめっ子、たちと、同じ、雰囲気オーラを、感じる……」


 続いた振り向いたユイの口調も苦々しさに満ちていた。むろん、ユイが上げた『あの三人の男子』とは、日頃、浜崎寺ユイをイジメる佐味寺三兄弟のことである。


「――あいつら――!」


 健司ケンジの首を絞めていた平民のイジメられっ子の少年が、三人の女子に遅れてその集団を視認すると、健司ケンジを投げ捨てて速足で歩み寄る。

 他の平民のイジメられっ子もそれに続く。

 全員、復讐と憎悪に双瞳をぎらつかせて。

 両集団はトラックの中央で対峙する。


「~~よくも、よくも今までイジメてくれてたなっ! 今すぐ報復しかえししてやるっ!」


 健司ケンジの首を絞めていた少年が、相手の集団の代表者に指を突き付けて宣戦布告する。


「――やれやれ、簡単に力が手に入った途端、牙をむくか。いいのか、平民ごとぎがオレたち華族に歯向かっても」


 それに対して、その代表者たる華族の子弟は、肩をすくめて、だが身分を持ち出して威嚇する。


「――うるさいっ! お前たちをボコボコにしない限り、気が収まらないんだっ! お前たちに散々味わさられたあのつらい思いを、お前たちにも味わせてやるっ! 倍返しでなっ!」


 慟哭に似た叫びを放って、そのいじめられっ子は相手に向かって突進する。

 拳を大きく振りかぶって。

 素人丸出しのテレフォンパンチだが、迫力と力強さはあるので、それだけなら素人相手でも十分通用する。

 素人相手なら。

 だが、


「ぐはっ!」


 顔面を殴り飛ばされ、トラックに横たわったのは、先にテレフォンパンチを放った平民のイジメられっ子の方であった。


「――なっ?! どっ、どうして……」


 予想だにしない事態に、他の平民のイジメられっ子たちはあからさまにひるむ。


「――カウンターニャ」


 その疑問に答えるかのように独語したのは猫田有芽ユメである。平民のイジメられっ子が振るったテレフォンパンチが、相手に到達するよりも早く、華族のイジメっ子が放ったパンチが先に当たったのだ。

 それも、予備動作モーションの小さい、鋭くて速いパンチを。

 予備動作モーションの大きいテレフォンパンチでは、先に当てられて当然であった。

 とはいえ、カウンターは素人が意図的に成立させられるほど簡単な技術ではない。

 格闘の玄人かそれ以上の達人でもない限り。


「……それじゃ、あの、イジメっ子、たち、は……」

「――ユイたんの想像通りニャ。あの華族どもは新型の氣功術だけじゃニャく、戦闘のギアプもエスパーダにインストールしているニャ」

「――なんですってぇっ!?」


 アイが驚きの声を上げる。有芽ユメは続ける。


「――あれでは華族のイジメっ子たちに対抗できニャいニャ。氣功術のギアプだけじゃ、戦闘力はそこまで向上しニャいニャ。戦闘のギアプニャしじゃ」


 そう言っている間にも、華族のイジメっ子たちは、平民のイジメられっ子たちに逆襲しようと迫る。人数的にも戦闘力的にも、平民のイジメられっ子たちの方が圧倒的に不利である。


「――まさか、これは――」


 アイはあることに気づくと、平然とした表情でその光景を眺めている青年を顧みる。


「――貝塚、アンタの仕業ねっ! こうなるようにここでの一連の出来事を仕組んだのはっ!」

「――さて、どうかな」


 貝塚はとぼける。


「――それよりも、わたしから知りたいことを聞き出したかったのではないのかね」

「――はっ! そうだったっ!」


 アイは我に返ったかのように思い出す。


「――さァ、洗いざらい白状しなさいっ! ユウちゃんに着せた濡れ衣を――」

「――なるほど、このわたしを疑っているわけか。あの傷害事件の容疑者として」

「そうよっ! 他に誰がいるっていうのっ! アタシは知ってるんだからねっ! ユウちゃんが逮捕された時、アンタがそのそばでそれを見物していたことをっ!」

「――ほう。それは驚いた。私にそっくりな人間が、君たちのそばにいたとはな」

「しらばっくれないでっ!」


 アイの声が激する。だが、貝塚に堪えた様子は欠片もなかった。飄々とした態度で、相手を斜で眺めやる。


「――だが、それだけで私を真犯人と決めつけるのは、短絡的にすぎるのではないかな?」

「それだけじゃないわっ! 他にも怪しい点はいっぱいあるんだからっ!」

「――そうか。だが、いちいちそれを列挙するのは、いささか面倒ではないか。どのみち決定的な証拠はないのだろう」

「それは今からアンタを締め上げて吐かせることで得るわっ!」


 アイは私服の後腰に差している光線銃レイ・ガンを抜き取り、貝塚に粗点を定める。


「――随分と乱暴だなァ。ここの警察もここまで手荒ではないぞ」

「いいから吐きなさいっ! でないと、撃つわよっ! いくら麻痺様式パラライズモードでも、激痛はするんだからっ!」

「――それはイヤだなァ。わかった。白状しよう」


 貝塚は悠然と両手を上げて言う。それを聞いて、アイは目をみはる。


「――それじゃ、アンタが――」

「――きみの言う真犯人が、あの三人の女子を負傷させた人物のことを指すのなら、まったくの見当ちがいだよ。残念だけど」

「ウソをいいなさいっ! 自分で白状しておきながら、往生際が悪いわよっ!」


 アイは一足分相手に詰め寄って威嚇する。


「――仕方ないだろう。そういう意味では、私は真犯人ではないのだから」


 貝塚は両手を上げたまま肩をすくめる。


「――だが、代わりに私は知っている。あの三人の女子を負傷させた人物なら――」

「――誰なのよっ!? 教えなさいっ!」


アイのせっぱつまった要求に、貝塚は余裕の表情で少し考えてから口を開く。


「――そうだな。二日後に開催される平崎院タエの武芸のお披露目会に、招待されてもいない武芸者が乱入する。そいつが真犯人だ」

「――なによっ! そのもったいぶった言い回しはっ! 予言者じゃあるまいしっ! 真犯人を知ってるんならはっきりと――」


 アイのセリフは、だが、最後まで言い終えられなかった。

 ユイ光線銃レイ・ガンを構えた状態のアイを押し倒したからである。

 その直後、アイのいた空間に一条の青白い閃光が貫いた。


「……アイちゃん、気を、つけて……」


 身を挺して友人をかばったユイは、のしかかっているアイを起き上がらせると、閃光が放たれた方角に視線を向け、ファイティングポーズを取る。


「――ヤツらがこっちに標的ターゲットを変えたニャ」


 有芽ユメもまた真剣な眼差しでユイと同じ方角を睨んでいる。ただ、構えが鶴のそれなので、そこに関しては不真面目さが目立つが。


「――ヤツらって――」


 アイも言いながら二人が向けている視線に合わせる。

 その先を見ると、例の華族のイジメっ子たちが、こちらに向かって歩み寄りつつあった。

 それも、前と左右の三方から。

 その足元や背後には、復讐を遂げようとしてあえなく返り討ちにされた平民のイジメられっ子たちが、顔に無念の涙と血を流しながら横たわっていた。


「――よかったぜ。まだ逃げてなくて」


 華族の子弟の一人が、拳を鳴らしながら安堵と舌なめずりの声を出す。


「――警察マッポにチクられると面倒だからな。ただのうっぷん晴らしに親の手をわずらわせるとその親がうるせェし」


 口調も相変わらず粗野である。


「――で、具体的にどうするんだよ?」


 隣に並ぶもう一人の華族の子弟が尋ねる。


「――なに、簡単さ。衣服をひん剥いて、その真っ裸すがたを見聞記録ログに記憶すればいい。もし警察マッポにチクったら、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークにそれを流すぞと脅ちまえば、それで何もできなくなる。昨日は余計な邪魔が入ってし損ねちまったが、幸い、警察マッポはそれで動いてはねェようだし」

「――そうか。それは良かったぜ」

「――相手はあの武術トーナメントで準優勝したヤツと、あの海音寺と互角の勝負をしたヤツがいるが、なに、この人数とこの二種類のギアプなら大丈夫さ。残りの一人は一回戦で敗けたヤツだし」

「……くっ……」


 そのアイ光線銃レイ・ガンを構えながら後ずさるが、相手も同様の武器でこちらに狙いを定めている者がいるので、それによる威嚇の効果はなく、それ以外の者は遠慮なく進んで来る。ユイ有芽ユメも、左右からせまり来る華族の子弟や子女たちに対してじりじりと後退する。

 三人は図らずも背中合わせになる。


「――動かないでっ!」


 アイはなおも威嚇の叫びを放ちながら構えなおすが、横合いからほとばしって来た青白色の閃光によって、アイ光線銃レイ・ガンが弾き飛ばされてしまう。

 華族の子弟が放った光線銃レイ・ガンの閃弾である。

 同じ得物で構えている正面の相手に気を取られていたため、側面にまで注意と警戒が回らなかったのだ。


「――アイたんっ、大丈夫かニャッ!」


 有芽ユメが悲鳴に似た声を上げる。


「……だいじょう、ぶ……」


 アイは苦痛を堪える表情でそれに応える。弾き飛ばされた衝撃で、アイの両手は痛みと痺れに震えている。だが、それに耐えながら、ぎこちない動きで、後腰に差してある光線剣レイ・ソードを取り出し、青白い刀身を出して構える。


「……これで、なんとか戦えるから……」


 そうは言ったものの、アイに剣術の心得はおろか、白兵戦自体苦手なのだ。ギアプに適合しないほどに。ユイも守勢は得意だが、攻勢は苦手で、その点だけを上げれば、アイと大差ない。病弱で虚弱な体質に反して、戦闘への意気込みは十二分にあるのだが、この状況では空回りしそうである。となると、


「――あたいがやるしかないニャ……」


 有芽ユメは決然とした表情でつぶやくが、氣功術と戦闘のギアプを装備した華族の子弟や子女たちの戦闘力は、個人差はあれど、決して侮れない。正直、この組み合わせコンボは強烈にして強力である。海音寺や平崎院に匹敵すると言ってもいいくらいに。なので、有芽ユメ一人で全員を倒すのは厳しい。ユイ支援サポートを考慮に入れても。

 ――と、その時、


「ぐはっ!」


 華族の子弟の一人が叫び声を上げた。

 陸上競技場のトラックにいる少年少女たちは、それが上がった方角に視線を転じると、一人の少年がそこに佇んでいた。

 その足元には、華族の子弟の一人が、苦悶の表情でうずくまっている。

 両手で腹部を押さえているのは、みぞおちにボディブローを喰らったからである。

 華族のイジメっ子でも平民のイジメられっ子でもない、精悍な顔立ちをした士族風の少年に。


「――なんだ、てめェ」


 華族の子弟の一人が、見慣れない風体の少年を睨みつけながら威嚇するように歩み寄る。華族の子弟と相対するその少年もまた、非友好的な眼差しで睨み返すと、右手に持つもので一閃させた。

 相手の間合いまで瞬間的に伸長させた光線剣レイ・ソードの青白い剣閃であった。

 歩み寄ろうとしていた華族の子弟は、自分の身に何が起きたのかわからないまま、左わき腹から右肩にかけて刻み込まれた一直線の打痕を残してそのまま倒れ伏した。


「――なっ?!」


 問答無用としかいいようのない相手の攻撃に、華族の子弟や子女たちはあからさまに驚き、鼻白む。陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着ているので、自分たちと同じ仲間だとは思ってなかったが、まさか不意打ちに等しい敵対行為で応えるとは、想像だにしてなかったのだ。

 ツリ目にオールバックの髪型をした、士族風の少年に。


「――ヤマトタケルさまっ!」


 その容貌を視認した瞬間、アイが歓喜の声を上げる。


「……あの子が……」

「……ヤマト、タケル……」


 有芽ユメユイがまじまじとその少年を見つめながらそれぞれつぶやく。二人の女子にとって、『裏小野』という、噂によく聞く、小野寺家に仕える一族の末裔を、初めて肉眼で見た瞬間であった。むろん、その情報源はそばにいる鈴村アイからであるが、


「……どこかで……」

「……見た、こと、が……」


 という印象がぬぐえない。情報源が情報源なので、怪しい点はいくらでもある。だが、いずれにしても、こちらの味方になってくれるのは確かである。彼の活躍は、超常特区では有名で、特にあの連続記憶操作事件では、その解決に大きく寄与した。この状況下での加勢は、これほど心強いものはなかった。


「……ヤマトタケルだと。あいつが……」


 同時に、三人の女子と敵対している華族の子弟や子女たちにとっては、これ以上ないほどの脅威の出現であった。そして、今になってようやく気づく。先日、第八浮遊小島の広場で自分たちを不意打ちで倒した人物と同一であることを。三人の女子を半包囲していた華族の子弟や子女たちは、左側面から突如現れたヤマトタケルに対して、どう処すればいいか、いまだ定まっていない。否、敵対行動を取るところまでは定まっているが、そこから先の攻略法が定まってないのだ。なにせ攻略に成功した者が皆無なので。

 華族の子弟や子女たちが逡巡している間でも、ヤマトタケルはその隙を逃さずに突いた。左手にある光線銃レイ・ガンの三連射で、三人の華族の子弟を撃ち倒す。


「……やっ、やっちまえっ!」


 その光景を見て、華族の子弟の一人がうわずった声で健在の仲間をけしかける。このままでは無抵抗で倒されてしまう。とにかく、攻撃するしかなかった。この人数と得物と戦闘力なら、負けるわけがないのだから。それを思い出した他の華族の子弟や子女たちも、それらに任せてヤマトタケルに襲いかかる。

 だが、その認識は甘かったというしかなかった。ヤマトタケルこと小野寺勇吾ユウゴは、多人数相手での戦闘に特化した、鈴村アイいわく、小野寺流光学兵器ビームウエポン全距離マルチレンジ型戦闘術、『ケン=ジュウ』の使い手なのだ。複数の動作を単数のそれと変わらぬ速度スピードでこなせる『並列処理マルチタスク』を基礎ベースに、『十手じゅって』という近接武器にも変形が可能な複合武器マルチプル・ウエポン光線銃レイ・ガンと、刀身の伸縮が自在な光線剣レイ・ソードを、それぞれ同時に駆使することで、様々な得物や戦闘スタイルで闘う複数の相手を同時に対処することができるのだ。今回の相手は、新型の氣功術と戦闘のギアプをエスパーダにインストールした華族の子弟や子女だが、その戦闘力は黒巾党ブラック・パーズよりも上である。その時のヤマトタケルであったなら、苦戦は必至だっただろう。しかし、今のヤマトタケルには、これも鈴村アイいわく、小野寺流光線剣レイ・ソード遠距離ロングレンジ型斬撃術、『ハヤブサ斬り』という、目にすら映らぬ早斬りがあり、これを『ケン=ジュウ』に織り交ぜた結果、その戦闘力は飛躍的に向上したのである。そうとは知らずに無秩序な攻撃を繰り返す華族の子弟や子女たちは、ヤマトタケルの変幻自在な攻撃と防御、射撃と斬撃、移動と回避の同時実行に対処できず、次々と倒されていく。


「……す、すごいニャ……」


 猫田有芽ユメは感嘆の声を漏らす。


「……これが、ヤマト、タケルの、実力……」


 浜崎寺ユイも驚きを隠せない。二人とも構えを解いて、茫然とヤマトタケルの戦いぶりを傍観している。その戦闘力は、自分たちをはるかに凌駕している。即席とはいえ、相手は新型の氣功術と戦闘のギアプを装備した強者ぞろいの集団なのに、互角以上に闘えているのだ。まさしく、脅威的と言うしかなかった。


「――さすがヤマトタケルさま。須佐すさ十二闘将最強の呼び声は伊達じゃないわ」


 鈴村アイの方は興奮にみなぎった表情と口調で賞賛する。もっとも、その凄さを正しく認識しているようには、ユイの目には映らなかったが。


「――でも、ニャんでヤマトタケルも早斬りが使えるんニャ? あれは勇吾ユウゴが編み出した、勇吾ユウゴしか使えニャい斬撃のはずじゃ――」


 有芽ユメが首を傾げる。


「――きっとユウちゃんが伝授したんだわ。固い絆で結ばれた主従関係にあるんだもの。タケルさまが使えても不思議はないわ」


 アイがその疑問に喜々として答える。両者が同一人物だという事実を知らないがゆえの、断定に等しい推測である。

 そうしている間に、陸上競技場のトラックで繰り広げられていた多対一の戦闘は、瞬く間に終わった。

 ヤマトタケルの勝利で。

 敗北した華族の子弟や子女たちは、毅然とたたずんでいる一人の勝者を中心に、一人残らず様々な姿勢でトラックに横たわっている。

 だれ一人身動きする気配はないが、むろん、だれ一人死んではいない。光線や光剣を麻痺様式パラライズモードにして倒したので、気絶しているだけである。とはいえ、無痛ではないため、その表情は安らかからほど遠いが。

 それを確認したヤマトタケルは、その場から無言で立ち去ろうとするが、


「――待つニャ!」


 有芽ユメが飛ばした制止の声に、その足を止める。そして、快速を飛ばして走って来た有芽ユメに対して、タケルは背を向けたまま肩越しに振り向く。有芽ユメの背後には、それに遅れて来たアイユイが、有芽ユメの左右に並ぶ。


「――アンタ、ヤマトタケルじゃニャいニャ。その名前は偽名ニャ」


 きっぱりと断言した有芽ユメの瞳に、確信に似た光が宿る。


「……偽名……確かに……」


 ユイ有芽ユメの推測を肯定する。


「――ちょっと二人とも、なに言ってるのよ」


 そこへ、アイが待ったをかける。


「――この人はヤマトタケルよ。間違いないわ。だってアタシがヤマトタケルですかって尋ねたらそうだって答えてくれたんだから」

「……単に便乗したんじゃニャいか。アイたんがそう尋ねたから」


 この推測も的を射ていた。


「……………………」


 ――ので、タケルは反論もせずに沈黙を守っている。アイもまた反論の言葉もなく口を閉ざす。

「――助けてくれたことには礼を言うニャ。でも、どうしてアタイたちが陸上競技場ここにいることがわかったんニャ? どうして正体を隠すのニャ? 小野寺」

「……………………」


 さりげなく投げかけられた猫田有芽ユメの爆弾質問に、ヤマトタケルこと小野寺勇吾ユウゴは微塵も動揺を示さなかった。気分が高揚している状態――いわく、『ヤマトタケル様式モード』がまだ持続しているので。通常の小野寺勇吾ユウゴの精神・心理状態なら、たちまちボロを出していたであろう。

 だが、それでも、ヤマトタケルと称する少年の不自然な沈黙に、有芽ユメは不自然さを感じ取っていた。それはユイも同様であった。感じ取ってないのはアイだけで、『アンタなに言っているの?』と言いたげな表情で有芽ユメの横顔を見つめている。その有芽ユメがさらに言おうと口を開きかけたその時――


「――アイちゃんっ! みなさんっ! 大丈夫ですかっ!」


 聞き覚えのある大声が、三人の女子の鼓膜を叩いた。

 三人の女子はそれが聴こえた方角に振り向くと、こちらに駆け寄ってくる一人の少年の姿が、それぞれの瞳に映った。

 それを認めた瞬間――


「――ユウちゃんっ!」


 アイがふたたび歓喜に似た声を上げる。マッシュショートの髪型に瞳が見えない程の糸目をした端整な顔つきの容姿は、間違いなく鈴村アイの幼馴染、小野寺勇吾ユウゴであった。


「にゃニャ?!」


 それに対して、有芽ユメの方は驚愕の声を上げる。ユイは声こそ上げなかったが、今にも死にそうな顔つきに、驚きを禁じえない表情が重なる。いずれにしても、予想外の事態に、二人の女子は、前後にいるヤマトタケルと小野寺勇吾ユウゴの姿を交互に見やる。


「――ユウちゃんこそ無事釈放されたのね。よかった。ホント、よかったわ……」


 そんな二人をよそに、幼馴染と対面したアイは嬉しさに涙ぐむ。


「――でも、どうしてアタシたちの居場所がわかったの?」


 この質問は、猫田有芽ユメが『ヤマトタケル』に対して投げかけたそれと同じ内容であった。この陸上競技場に散布されたESPジャマーは、一切の精神感応テレパシー通信を妨害するため、その中からでは、精神感応テレパシー通話も位置情報の発信も不能の状態になる。にも関わらず、三人の居場所を特定し、駆けつけて来たのだから、不思議に思っても無理はなかった。

 その疑問に対して、勇吾ユウゴははっきりと答えた。


「――蓬莱院さんの物体探知装置を借りて使ったのです」

「……物体探知装置?」


 それを聞いてアイはいぶかしげな表情で首をひねる。


「――ええ、タケルさんから聞いたのです。アイちゃんにはタケルさんからもらった鷹のバッジを持っていると」

「――ああっ! それでわかったのね。アタシの居場所が」


 アイは得心する。以前、怪盗と自称する久川比呂ヒロという空間転移能力者テレポーターに盗られた鷹のバッジを取り戻すために、その装置を使ったことがあるのだ。アイが鷹のバッジを所持してさえいれば、その装置で鈴村アイの現在位置を特定するのは容易である。幸い、鷹のバッジの関する形状情報は、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の補助記憶装置ストレージに保存してあったので、問題なかった。また、物体探知装置が放つ精神波は、ESPジャマーの干渉を受けない性質なので、それで妨害される恐れもなく発見することができたのだった。

 ちなみに、本体は『ヤマトタケル』で、アイの目の前に立っている『小野寺勇吾ユウゴ』は、そのように外見を彩色した『精神体分身の術アストラスアバター』の精神アストラル体である。通常、精神体分身の術アストラスアバターの使用中は、使用者である本体の身体は動かせない状態になるのだが、小野寺勇吾ユウゴは例の『並列処理マルチタスク』という超脳力も有しているので、それと併用すれば、本来精神アストラル体しか動かせない仕様の精神体分身の術アストラスアバターでも、使用者である本体の身体も同時に動かすことができるのだ。ヤマトタケルの正体を見破った有芽ユメも、それに感づきかけていたユイも、そこまで看破することができなかったため、結局、ヤマトタケルイコール小野寺勇吾ユウゴ説は、自ら否定することと相なった。ただ、本体と精神アストラル体を繋ぐ精神感応テレパシー通信ケーブルの存在に気づかれたら、その限りではなかったかもしれない。ESPジャマーの影響下では、直接接続ダイレクトアクセスでの精神感応テレパシー通信も不可能なので、本体から精神アストラル体を遠隔操作リモートコントロールするには、肉眼でも見える有線を使うしかなかったのだ。だが、トラックを照らす夜の陽月の明かり程度では、真昼ほどの明るさには遠く及ばず、また、三人の女子を迂回するようにケーブルを這わしているので、発見される心配はなさそうである。


「――アイちゃんも浜崎寺さんも猫田さんも無事でよかったです。僕の無実を晴らすために動いてくれて、とても嬉しいです。ホント、ありがとうございます」


 勇吾ユウゴは嬉しくてたまらない表情と口調で三人の女子に礼を述べる。むろん、そういった事情はおくびにも出さずに。


「――なに言ってるのよ、ユウちゃん。アタシとあなたの仲でしょ。礼なんていらないわ」


 アイもまた満面の笑みを浮かべてそれに応える。


「――それにしても、危ないところだったみたいですね」

「――ええ。ユウちゃんがタケルさまを連れて来なかったら、無事ではすまなかったわ、アタシたち」

「……でも、華族にイジメられている平民の人たちまでは間に合いませんでした……」

「……そうね。かわいそうに。緑川とちがって性根は腐ってないのに、貝塚の甘い言葉に乗せられたばかりにこんな目に遭って……」


 と、そこまで言った時、


「――はっ! そうだわっ! 貝塚はどこっ!? 緑川もっ!」


 その二人の存在を思い出し、叫びながら周囲を見回す。


「――どこにもいないニャ。二人とも」


 有芽ユメアイと同じ動作をしながらそれに応じる。


「……どうやら、逃げた、みたい。戦闘の、どさくさに、まぎれて……」


 周囲を見回し終えたユイが、そのように結論づける。


「ええェっ! そんなァ……」


 アイは落胆の声を上げる。


「……緑川はともかく、貝塚は絶対に捕まえなきゃならなかったのにィ……」

「――ぜいたく言うニャ。あの華族どもにフルボッコされニャかっただけでも儲けものニャ」


 有芽ユメがたしなめるような口調で言う。実際、ヤマトタケルが助けに来なかったら、有芽ユメの言った通りの事態になっていたかもしれなかったのだから。


「……そうね。それに、その華族どもをタケルさまが一人残らず叩きのめしてくれたんだし、これで満足しないと」


 トラック中に横たわっている華族の子弟や子女たちを眺めやりながら、アイは自分に言い聞かせる。


「――前回はそのまま放置してしまったけど、今回はそうはいかないわ。ESPジャマーが消え次第、警察に通報して逮捕してもらわないと――」

「――警察ならもうすぐ到着します」


 勇吾ユウゴが幼馴染に告げる。


「――あと、復氣功が使える救急隊も呼びましょう。あそこにいる人たちがゲガをしていますから」


 それは、その華族の子弟や子女たちから暴力を振るわれ、うずくまっている平民の少年少女たちであった。彼らのエスパーダには、気功術のひとつ、復氣功のギアプもインストールしているのだが、それで自身を治療する様子はなかった。おそらく、復讐に失敗したショックで、そこまで考えが及ばない心理状態にあるからだろう。無理もない。念願の力を手にいれ、自分たちをイジメる華族たちに報復すべく、挑んだ結果、返り討ちにされてしまったのだから。氣功術のギアプだけでは、それに加えて戦闘のギアプも装備した華族の子弟や子女たちには太刀打ちできなかったのである。


「……アタシ、治療、してくる。復氣功、使える、から……」


 ユイが弱々しい口調で伝えると、これも弱々しい足取りで歩いて行く。今に始まったことではないが、治療が必要なのは、今にも倒れそうな当の本人ではないかと、伝えられた者たち思う。病弱で虚弱な体質の身体のはずなのに、よくこの前の武術トーナメントで決勝戦まで勝ち上がれたものだと、本気で感心する。そのくせ好戦的な性格をしているのだから、人間というものはわからない。しかし同時に、気質は勇吾ユウゴと同じなので、傷ついた弱者を見ると、手助けしたい気持ちが先走るのだ。イジメられっ子という、共通した境遇が作用しているかもしれない。とはいえ、緑川のような人種も存在するので、一概には言えないが。


「――アタイも手伝うニャ」


 そう言って有芽ユメユイの後を追う。アイもそれに続こうとして、あることに気づき、足を止めたまま周囲を見回す。


「――あれ? タケルさまは」

「――彼なら行きましたよ。貝塚のあとを追いに行くと行って」


 となりにいる勇吾ユウゴが答えると、アイは複雑な表情を浮かべる。


「……また助けてくれた礼を言いそびれてしまったわ。貝塚を追って行ったのはうれしいけど……」


 むろん、それは嘘である。本体である『ヤマトタケル』は、すでに精神アストラル体である『小野寺勇吾ユウゴ』と一体化していたのだ。アイたちの注意が『ヤマトタケル』からそれている間に、回り込むように移動して。その際、精神アストラル体と繋がっているケーブルは巻き取って回収した。釈放された勇吾ユウゴが、陸上競技場の選手入場ゲートをくぐって、アイたちがいるトラックに到着した時には、貝塚シュンの姿はどこにもなく、追跡のしようがなかった。もっとも、仮にいたとしても、勇吾ユウゴは放置しただろう。アイたちが危機ピンチに陥っている状況に直面していては、どちらを優先するか、自明の理であったのだから。


「……………………」


 それに対して、勇吾ユウゴは応じずに口を閉ざすが、


「――あ、警察が到着しましたよ、アイちゃん」


 選手入場ゲートから現れた、龍堂寺イサオが率いる警察官たちの姿を認めると、ごまかすように幼馴染に教える。


「――これで一安心できますね。ボクたちはあの人たちの治療をしましょう。あそこに倒れている華族たちは警察に任せて」

「――そうね」


 幼馴染の嘘に気づく様子もなく応じたアイに、勇吾ユウゴは罪悪感を覚えながらも安堵すると、その幼馴染とともに、負傷しているイジメられっ子たちのところへ駆け寄るのだった。




「――クソッ! なんでこんなことになるんだよっ!」


 緑川健司ケンジは押し殺した声で叫ぶ。

 陸上競技場の中段の観客席の一角から、トラックの様子を窺いながら。

 本来なら警察から逃げる必要はないのだが、警官に難詰されるのを嫌がって雲隠れしているのだ。保護された鈴村アイたちが、警察の事情聴取で自分のことを悪く言うに違いないので。偏見といえば偏見だが、事実、鈴村アイは、現場に到着した刑事の一人、龍堂寺イサオに自分のことを悪く言っているので、決して誤りではなかった。加えて、その刑事はしきりにうなずいている。ますます出るに出られない状況であった。


「~~オレは被害者なんだぞっ! あのヤロウにダマされただけなんだっ! なのに、あのオンナ、あることないことしゃべりやがってェ~~」


 逆恨みに等しい怒りが胸中から声とともにせり上がる。


「――それなら、警察にありのままを話せばいいではないですか」


 突然、背後から話しかけられた。

 それもすぐ近くで。

 驚いた健司ケンジは息をのむ思いで慌てて振り向くと、観客席のひとつに腰を下ろしている一個の人影を、そこに見出す。


「――お前は――」


 闇夜に覆われているため、多少の時間がかかったが、クールカットの髪型にさわやかな顔つきを視認した途端、


「――貝塚っ!?」


 という大声を上げたら、警察に発見される事態をまねくことに、寸前で気づいたので、かろうじて抑制した。


「――せっかく氣功術と戦闘のギアプを同時に提供したというのに、こうもあっさり倒されてしまうとは。彼らではこの最強の組み合わせを使いこなせるだけの適合性に欠けていたのか、それともあのヤマトタケルとやらが強すぎるのか。ま、両方というのが妥当なところでしょうね」


 貝塚の方は警察に見つかることを恐れてないのか、悠然とした態度で評している。


「――オイッ! 話が違うじゃねェかっ!? お前の言うとおりにすれば、力をやるって。なのになんであいつらがいるんだよっ! それも、オレが欲しがってる力をやりやがってっ!」


 トラックで仕事をしている警官たちに聴こえないよう、抑制した、だが激発寸前の怒声で貝塚シュンを難詰する。


「――確かに、私の言うとおりにすれば、その見返りとしてあなたに力を与えると言いましたけど、あなただけとまでは言ってませんよ。力が欲しいのはあなただけではありませんし、その時と場所をあなたに教える必要はないと判断していましたからね」


 貝塚は悠然とも平然ともつかない表情と口調で答えるが、そんなことで健司ケンジの怒りは収まらなかった。むしろその不実な態度と言動が、かえって火に油をそそぐ結果となった。


「うるせェッ! よくも約束を破りやがってっ! どうしてくれるんだよっ!」


 健司ケンジはついに大声を上げて貝塚に詰め寄る。


「――あいつらを逮捕しても、どうせすぐに釈放される。華族なんだからな。それに必要な特権を振りかざすに決まっている。そしたら、あいつらにイジメられる地獄の日々がふたたびやってくる。今までよりもさらにヒドい地獄の日々が……。その上、あいつに思い知らせることもできねェ。全部てめェのせいだぞっ! てめェがでまかせを言いやがるから、こんなことに……」


 そして、涙まじりにうなだれる。


「――やれやれ。誤解もはなはだしいですねェ――」


 それに対して、貝塚は肩をすくめて嘆息する。


「――約束はまだ履行してないだけで、破ってはないというのに」

「――どういう意味だっ!?」

「――今から与えると言っているのですよ。あなたが欲して止まない力を」


 そのセリフに、健司ケンジは身を乗り出して食いつく。


「ホントかっ!?」

「――ええ、もちろんですとも」


 貝塚は満面の笑みを浮かべてうなずく。


「よしっ! ならさっさと寄こせっ! その力を――」


 健司ケンジは性急に、かつ図々しく要求する。その両眼は完全に力への渇望で血走っていた。


「――だけど、あいつらのような力はダメだぜ。あいつらを倒したヤマトタケルよりもはるかに強い力じゃねェと」

「――おやおや、ずいぶんと欲張りですね。氣功術と戦闘のギアプの組み合わせよりも強い力が欲するなんて」

「当たり前だ。力を貰っても、あいつらよりも弱いんじゃ意味がねェからな。もしあのイジメられっ子どもにやったような力をオレにやるつもりなら、オレはいらねぇぜ」

「――確かに」


 貝塚は苦笑する。


「――では差し上げましょう。あなたが喉から手が出るほどに欲しい、その力を――」


 それを聞いた瞬間、健司ケンジの血走った両眼が大きく見開く。


「――でも、その前に――」


 貝塚がそう言った直後、


「――オイ、だれかいるのか?」


 誰何すいかの声が上がった。

 それは、紫色の腕章を嵌めた警察官の誰何であった。

 右手にはライト様式にした光線剣レイ・ソートが握られている。

 その警官は貝塚と緑川の会話が聴こえた方角に青白色の光を向けるが、


「……あれ? いない?」


 無人の観客席しか見出せなかった。


「……変だな。たしかにこの席のあたりから聴こえたんだか……」


 警官は首をかしげる。


「――どうだ。だれかいたか?」


 そこへ、もう一人の警察官が尋ねながら駆けつけて来る。


「……いや、だれも……」


 尋ねられた警察官は首をかしげたまま答える。


「――そんなはずはない。あの大声だ。絶対にだれかがそこにいたはずだぞ。いないわけが……」

「――そうはいっても、現にいないぜ。この通り」


そう言って尋ねられた警察官は手でその場所を指し示す。


「……………………」


尋ねた警察官は口を閉ざしたまま沈黙する。


「――どうする?」


質された警察官は、口惜しげな表情でしばらくの間その場所を見つめていたが、


「……この闇夜じゃ、どうしようもない。ありのままを龍堂寺警部に報告するしかないだろう」

「……そうだな」


 二人の警官が残念そうに結論を下すと、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にするしかなかった。

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