第2話 力の誘惑に抗えない持たざる者たちの苦悩

「――それまでっ!」


 昼過ぎの真夏の青空に、鋭い声と、それを発した者の手が上がった。


「――勝者、海音寺かいおんじ涼子リョウコっ!」


 その声と手を上げた者――武野寺たけのじ勝枝カツエは、上げた手を右斜めの位置にいる、癖のあるショートカットの女子生徒に向ける。


「――ふん、他愛もない。やはり」


 涼子リョウコは身につけている訓練用野戦服のホコリを払いながら言い捨てると、踵を返して校庭に設置された試合場を降りる。

 その背後には、涼子リョウコとの模擬戦闘で敗北した対戦相手が尻餅をついて座っていた。


「……あ~あぁ、負けちゃった……」


 試合場を取り巻いている訓練中の生徒たちの一人――鈴村アイが、落胆の声を漏らす。


「……武術トーナメントじゃ、瞬殺で勝ったのにィ……」


 表情もとても残念そうである。


「――そりゃ当然だろう。その大会で優勝したのはマグレ以外の何物でもないんだから」


 隣にいる男子生徒が嘲笑まじりに応えるが、アイは聞いていなかった。涼子リョウコと入れ替わりに試合場に上がると、尻餅をついている糸目の男子生徒に駆け寄る。


「――負けちゃった、アイちゃん」


 糸目の男子生徒――小野寺勇吾ユウゴは、肩越しに振り向く。

 苦笑とも微笑ともつかぬ表情で。


(――やはりこうなったか。当然だな。早斬りのネタが完全に割れたのだから、対策や攻略法を編み出されるのも時間の問題だった――)


 そんな勇吾ユウゴを見やりながら、武野寺|先生は内心でつぶやく。本日の陸上防衛高等学校歩兵科一年の午後の授業は、一対一の模擬戦闘で、実技担当の武野寺勝枝カツエ教諭が訓練を指導していた。そしてその仕上げとして、小野寺勇吾ユウゴと海音寺涼子リョウコの対戦が組まれ、その結果、海音寺涼子リョウコが勝利したのだった。


(――とはいえ、この短期間で誰よりも早く小野寺の早斬りを破れたのは、海音寺ならではでしょうね)


 そこまでつぶやいた武野寺先生の視線は、ようやく立ち上がった小野寺勇吾ユウゴから、周囲の同級生クラスメートからもてはやされている海音寺涼子リョウコに転じていた。


「――よほど熱心に研究されたのね。あの闘いぶりから見て」


 もてはやす同級生クラスメートたちの異なり、沈着な表情と冷静な声でそれをかけたのは、艶のあるストレートロングの女子生徒――平崎院ひらさきいんタエである。


「――当然だろう。一瞬でも早く汚名を返上したかったんだからな」


 涼子リョウコは歯ぎしりまじりに応じる。


「――それに、別に難しくなんかなかったさ。アイツの早斬りを攻略するのは――」

「――そうね。ただひたすら耐えながら間合いを詰めればいいだけだもの」


 タエは冷めた眼差しと口調で述べる。勇吾ユウゴの早斬りは確かに速い上に連撃も効くが、攻撃力は、ボクシングでいえばジャブみたいなもので、ストレートほどではない。にも関わらず、ストレートのような威力を発揮するのは、反応ができない状態で喰らうからである。回避や防御はおろか、『喰らう』という判断や覚悟作りすら間に合わずに。『喰らう』という覚悟をするとしないとでは、同じ攻撃力でも、貰うダメージが段違いなのである。そこで涼子リョウコは、試合開始前から、あらかじめどの部位に早斬りを貰っても構わない覚悟を作って臨み、試合開始直後に全身に硬氣功を張り巡らせた状態にしたのだ。これなら、武術トーナメントの時のように、想定外の足払いやアゴへの攻撃で失神することはない。あとはひたすら相手の早斬りに耐えながら前に踏み込めば、それだけで相手は戦意を喪失する。そして、その通りの試合展開となったのである。


(――けど、誰にでもできる攻略法じゃないわ。海音寺と平崎院以外にそれで小野寺に勝てた生徒はいないから――)


 武野寺先生はその二人の女子生徒を眺めやりながら、今日の午後の授業を振り返る。


(――でもこれからは、早斬りが届かない距離まで試合開始線の間を取った方がいいね。これじゃ、試合にも訓練にもならないわ。小野寺もその対戦相手も――)


 そして、そのように今後の授業の指導内容の変更ないし修正を考えるのだった。

 そんな武野寺先生をよそに、涼子リョウコタエのにらみ合いは続いている。


「――これでオレが最強だということが証明された。周囲にもそれを認知させることができた。あとは平崎院、お前だけだ」

「――いいですわ。三日後、わたくしの屋敷でわたくしの武芸のお披露目会を開催いたします。その集大成の相手として、あなたとの試合を組んでおきますわ」

「――なるほど、お前との決着にふさわしい舞台だぜ。小野寺なんかにはもったいねェ。やはりここで小野寺と決着をつけたのが、小野寺のヤロウにとっては分相応ってもんだ」

「――そうですね。どうやらわたくしは彼を買いかぶっていたようですし」


 タエ勇吾ユウゴを一瞥するが、すぐに視線を涼子リョウコに戻すと、


「――それでは、楽しみに待っていますわ。わたくしの武芸のお披露目会を。むろん、わたくしの引き立て役として、ね」


 挑発的な口調で告げる。


「――それはこっちのセリフだぜ。お前をひいきにするヤツらの前で完膚なきまでに叩きのめしてやる。絶対にな」


 敵意を剥き出しにして宣言する涼子リョウコの背後で、勇吾ユウゴアイとともに試合場を降りるが、見向きする同級生クラスメートはほどんどいなかった。いたとしても、それは侮蔑に満ちた眼差しであった。

 特に、佐味寺さみでら三兄弟のそれは、一段と色濃かった。

 涼子リョウコは話題を変える。


「――そういや、お前を慕っていたあの三人組の女子どもは暴漢に襲われて入院しちまったそうだが」

「――ええ、そうなのよ。ゲガは復氣功で全快したけど、意識が戻らなくて……」

「……何者だろう、その暴漢。あの三人組、オレほどではないが、そこそこは強いのに……」

「……警察の捜査ではどうやら複数で襲われたそうだけど……」

「――けっ、ざまァ見ろってんだ」


 最後のセリフは、遠巻きで二人を眺めやっている佐味寺さみでら三兄弟の長男、佐味寺一朗太イチロウタが小声で吐き捨てたものであった。


「――これ以上、お前らオンナどもにデカいツラをさせてたまるかよ」

「――今度はお前らの番だぜ。三日後を楽しみにしてな」


 長男の左右に控えている次男の二郎太ジロウタと三男の三郎太サブロウタが、それに続いた。


「――だいじょうぶ、ユウちゃん」


 アイがいたわりと心配の声をかける。校舎屋上のベンチに座っている幼馴染に。実技の授業が終了した放課後である。なので、三人は学生服ブレザーに着替えている。


「……うん、だいじょうぶ……」


 勇吾ユウゴは笑みを浮かべて応えるが、あまり元気はないように、隣に座っているアイには見える。


「――仕方ないわ。ついに攻略されたんだから。勇吾ユウゴの早斬りが」


 ため息まじりに言ったのは、アイ勇吾ユウゴと同じベンチに腰を下ろしている観静リンであった。先程まで、勇吾ユウゴ京子キョウコ、および勇吾ユウゴタエの模擬戦闘の映像を、自分の脳裏に投影させて視聴していたのだ。その映像データ元は、そばで観戦していたアイの見聞記録ログである。アイリンに見せたくてテレメールで送ってきたのだ。


「――ま、時間の問題だったけどね」

「……うん……」


 勇吾ユウゴは否定せずにうなずく。


「――『うん』じゃないわっ! どォーするのよっ!? いったいっ!」


 アイが声を高めて問いただす


「――次の模擬戦では武術トーナメント以上に成績にひびく実技試験なのよっ! その日までそんなに時間はないっていうのに……」

「……やはり胆力をつけるしかないわね。どのみち、学年首席で卒業するには、不可欠な要素なんだから」


 リンがそのように結論づけるが、その表情には苦渋のシワが寄っていた。


「……そう簡単につくものなら苦労はしないわ」


 アイが口をすぼませてぼやく。まるで自分のことのように。


「……こうなったら、最後の手段よ。禍々しい名称だから、口にするのもおぞましいけど、もうこれしかないわ……」

「……アイちゃん?」


 顔を上げた勇吾ユウゴが不安そうな表情で幼馴染を見やる。


「――アレを使うわ。一周目時代の二十一世紀日本を生きた男の子なら、だれもが宿していたと云われる、あの力を――」

「……なに、ソレ? またありもしない霊能力的な力でそれを引き出す気?」


 尋ねたリンの表情も不安に揺れている。


「――今回は霊能力は用いないわ。これはそれらとは別次元とも言える力なんだから」

「……で、その力の名は?」

「――邪気眼よ」

『…………………………………………』

「――ユウちゃんも男の子である以上、必ず秘めているはずだわ。これに目醒めれば、気弱なユウちゃんでも気が強く――」

「――ならんわっ!」


 リンがあらん限りの声でツッコむ。


「もったいぶるから何かと思えば、単なる中二病の一種じゃないっ! それもポピュラーなっ! そんなもんに目醒めたところで、気が強くなんかならないわっ! 気が強くなったように周囲に見せかけるだけでっ! とどのつまり虚勢よっ!」

「ええっ!? そうなのっ! 」

「そうよっ! まったく、相変わらずの中二思考ね。いい加減、卒業しなさい」

「……そんなァ。超常特区に住み続ければ、それに限らず、どんな力でも目醒めるって言われてるのにィ……」

「……アンタねェ。力に目醒めるといっても、せいぜい、人間の脳機能や知能指数IQの向上、もしくは実用にはほど遠い超能力や超脳力に覚醒するだけで、身体能力の向上や胆力がつくまでの効果はないのよ。第一、これらだって、科学的に証明されたわけじゃないし」

「……そんなこといったって、今となってはもうこれにかけるしかないのよ。ユウちゃんを強くするには……」


 アイは今にも泣き崩れそうな表情になる。


(――本当はそれにかける必要があるほど弱くはないんだけどね――)


 それを見やりながら、リンは内心で述べる。ぶっちゃっけた話、勇吾ユウゴは第二次幕末の志士なみに強い。それだけの資質があるし、事実、『ヤマトタケル』としてなら、これまでの戦闘でその力が十全に発揮されている。問題なのはその力を制御コントロールすることができない点にある。力の強さに心のそれが追いついていないのだ。なので、今の勇吾が解決すべき課題は心を強くすることなのだが、


(……それがあれば苦労はしないわ……)


 と、さきほどのアイのぼやきに立ち戻る。今回にかぎらず、ヤマトタケルの正体を知ってから、これまで何度も繰り返している思いなので、もはや恒例の無限ループと化している。それだけに惜しいのだ。


「――あ、もしもし」


 不意に勇吾ユウゴが声を出す。それを間近で耳にしたリンはあらためて勇吾ユウゴの横顔を見やると、右耳に装着してある三日月状の小型機器に手を置いている姿が映った。どうやらエスパーダの精神感応テレパシー通話に出ているようである。別に声に出さなくても通話は可能だが、それに出たことを二人の女子に知らせるためにあえてそうしたのであろう。

 とはいえ、通話相手の声までは聴こえないので、リンアイが誰なんだろうと首を傾げながら思った矢先、


「――下村さん」


 であった。


(――どうだった。午後の授業は。戦闘訓練だったんでしょ。一対一の。で、結果は――)

(――うん、負けちゃいました。海音寺さんと平崎院さんに――)


 勇吾ユウゴは頭をかいて苦笑する。


(――でしょうね。そんなもんでしょ。アンタの実力は。武術トーナメントで優勝できたのは、運とマグレのおかげだったのよ。やはり、アタシの目に狂いはなかったわ――)


 下村明美アケミは愉快そうに断定する。


(――ちょっとォ! アンタなにユウちゃんにテレ通してるのよっ!)


 二人の精神感応テレパシー通話の間に、アイが割り込む。


(――気安くかけて来ないでほしいわね。第一、なんでここの生徒でもない部外者のアンタが、今日の勇吾ユウゴの戦闘訓練の結果を知ってるのよ――)


 それにリンが続く。勇吾ユウゴの通話相手を知って不安になったので、アイともども両者の通話に参加したのだ。


(――感覚同調フィーリングリンクしていたのよ。その戦闘訓練の授業に参加していた生徒の一人に。もちろん、リアルタイムで――)


 明美アケミは澄ました口調で答える。リンはなおも質す。


(――だれよ。アンタの視聴覚に感覚同調フィーリングリンクさせてやったのは――)

(――そんなの教えるわけないでしょ。ジャーナリストのはしくれであるアタシが、情報元の名を――)

(――なにがジャーナリストよ。節操と倫理観にとぼしいマスゴミが――)


 と、ののしってやりたいリンであったが、実行してもさしたる痛痒を感じないだろうと思いなおしたので、精神波に乗せて伝えたりはしなかった。


(――で、勇吾ユウゴになんの用よ。戦闘訓練の結果を笑いにテレ通したのならただちに切らせるわ。アタシとの賭けに負けた意趣返しをしたいのならアタシにしなさい。いつでも受けて立つから――)

(――そうケンカ腰にならないでよ。そんな小野寺にうってつけな情報を入手したんだから――)

『…………………………………………』


 それを聞いたリンアイの眉が限界までひそまる。


(――なんですか?)


 ただ、勇吾ユウゴだけが興味ありげな表情でうながすが。


(――これはアタシ独自の情報網で入手した貴重な情報よ。忘れずにちゃんと見聞記録ログに残しておきなさい――)

(――もったいつけてないで、あるならさっさと言いなさい。どうせガセなんでしょう――)


 リンも挑発まじりにうながす。


(――ガセじゃないわよっ! ジャーナリストのアタシをナメないでちょうだいっ!)


 明美アケミが激怒の声を上げて前置きすると、一刀両断の口調で単刀直入に告げる。


(――ギアプよ)

(……ギアプ?)

(――そう。技能付与アプリケーションよ。これを使えば、一発で――)


 ピッ

 勇吾ユウゴはためらいなく精神感応テレパシー通話を切った。


(――ちょっとォ! なにいきなり切るのよっ!?)


 再度即座につないだ明美アケミは、精神感応テレパシー通話を切った張本人に声を荒げて質す。


(……だって、効果がないんだもん。家事のギアプを使っても、全然だし。ギアプなんて、大嫌いだ……)


 勇吾ユウゴねた子供のような口調で言い捨てる。


(……確かに、従来のギアプは、使用者の相性や適性、そして仕様スペックの高さに左右されるから、効果がない場合があるけど、今度のは違うわ。その開発者だってそう言ってるし――)

(――だれ? その開発者って――)


 怪訝そうな表情と口調でうながしたのは観静リンである。


(――貝塚かいづかシュンっていう名前よ――)

(――貝塚シュン? 聞いたことない名前ね――)


 それを聞いて、リンは怪訝そうな表情を一段と深ませる。


(――そりゃそうよ。アタシの情報網は、そんじゃそこいらのジャーナリストとは次元が違うんだから――)


 明美アケミは自慢げに言ってのける。男よりもない胸をそらしている光景が目に浮かぶような、それは姿勢である。


(――彼が開発したギアプは、従来のそれでは適合しなかった人でも適合する適合性の高い改良版だそうよ。これなら、臆病者チキンでも実力を発揮することができるわ――)


 明美アケミの説明に、リンは懐疑的だった。


(――超心理工学メタ・サイコロジニクスの第一人者の娘として言わせてもらうけど、ギアプはそう簡単に改良できるソフトウェアじゃないわ。ましてや、臆病者チキンでも実力を発揮することができる戦闘系ギアプなんて、理論上、不か――)

(――ホントですかっ?! 明美アケミさんっ!?)


 不審がぬぐえないリンの言葉をさえぎって、勇吾ユウゴが食いつく。


(――もちろんよ。それじゃ、改良版ギアプが入手できる場所や時間などの詳細な記憶情報をテレメールで送信するわ。情報料と引き換えに、だけど――)


 明美アケミは条件を出すが、


(――うん、いいよ。後で払うから――)


 勇吾ユウゴは二つ返事で了承して、明美アケミとの精神感応テレパシー通話を終えた。


「――やったァッ! これでもう家事のできなさに悩まなくて済むっ! 解決したも同然だっ! ありがとう、下村さんっ!」

「……ちょ、ちょっと、ユウちゃん……」


 ベンチから立ち上がって狂喜乱舞する幼馴染に、アイが心配そうな表情で声をかける。


「……いいの。アイツの言うことを信じて……」

「――そうよ。アイツに関わったり、アイツがもたらす情報を鵜呑みにすると、ロクな目に遭わないわ」


 リンアイの忠告に同調する。だが、


「――改良版ギアプってどんなものかな。ボクのうちに秘めている家事の才能を最大限に引き出せたらいいんだけど」


 まったく聞いてなかった。完全に上の空であった。


「……しかも悩みの論点がズレている」


 リンはめまいを覚える。


「……どうする。リンちゃん……」


 アイが困惑した表情で尋ねる。


「……つき合うしかないでしょう。アタシたちが止めても、全力で振り切って行くのは目に見えているし……」

「……たしかに……」

「――こうなったら、勇吾ユウゴの欠点が解決するようなものであることを祈りましょう、アイちゃん……」


 まだ喜んでいる勇吾ユウゴを、諦観に似た眼差しで見やりながら、リンは答えるのだった。


「……………………」


 屋上の物陰から自分と同じ対象を眺めている一個の人影に気づかないまま……。

 その眼差しは嫌悪と侮蔑に満ちていた。




 夕焼けの光が満遍なく降り注いでいる。

 常に頭上に浮かんでいる陽月からである。

 陽月を公転している浮遊大陸や浮遊島は例外なくその陽光を受けている。

 それはダース単位の浮遊群島で構成されている超常特区も例外ではなかった。


「……本当に、ここなの?」


 頭上の陽光を浴びながら、アイは問いただす。


「――うん、そうだよ」


 問いただされた勇吾ユウゴはうなずいて答える。


「……下村がテレメールで送信した記憶情報ではね……」


 リンが不審とも不機嫌ともつかぬ表情でつけ加える。


「――それにしても、なんでここなのかしら。改良版ギアプの発表会の場所と配布が――」


 そのあと、周囲を見渡しながら、首をひねる。

 いま勇吾ユウゴたち三人は、超常特区の中では一番面積が狭い第八浮遊小島に祀られた神社の広場に固まって立っている。街中の研究所か会場だと思っていたリンは意外さを禁じえない。しかも、ここに集まっている十数人の少年少女たちの表情は陰気で暗く、メディア関係者や普通の傍観者には見えなかった。隣人と談話するわけでもなく、それを忌避するかのようにまばらに立っている。卑屈で劣等感の強いイジメられっ子のような雰囲気オーラを、リンアイは感じる。色やデザインの異なる、多種多彩な在学校指定の学生服を、それぞれ身にまとっているが、それだけに色あせた印象を受ける。


「……なんか、アタシたちだけ浮いてない?」


 アイが不安げな表情と口調でリンにささやきかける。


「……そうみたいね。技術的に改良の難しいギアプの発表会だというのに……」


 リンはうなずくが、かといって今更この場から立ち去るわけにはいかない。勇吾ユウゴが改良版ギアプを受け取るまでこの場を離れないのは目に見えているし、なによりも手ぶらで立ち去りたくはなかった。ここへ来るにはテレタクしか交通手段がなく、その距離を考えたら決して安くない運賃を払ったのだから、それなりの収穫を得たかった。たとえ骨折り損のくたびれ儲けで終わることになっても。


「……今ごろ気づいたのかよ……」


 か細いが吐き捨てるような声が、リンアイの背中と鼓膜を撫でた。二人は肩越しに振り向くと、そこには一人の男子が立っていた。

 リンアイよりも一、二歳年下の少年だが、ここに参集している少年少女たちの例に漏れず、陰気で暗い表情をしている。おまけに目つきも悪い。全体的に鬱屈した負の雰囲気オーラを、ここの誰よりも一段と感じさせる少年である。


「……ここはお前たちのようなリア充が来るところじゃねェんだ。バカにしに来たんならさっさとどっかへ行け」


 言動も卑屈と侮蔑に歪んでいる。


「――なによ、アンタ。別にいいじゃない。アタシたちが改良版ギアプの発表会を観に来ても。なんか文句あるの」


 それにカチンと来たアイは少年に詰め寄る。


「……………………」


 少年は顔をそらして沈黙するが、その瞳には蔑みと怯えが入り混じっていた。


「――それじゃ、どんな人たちが来ていいところなの。この発表会に参加資格なんてものがあるならどんなものなのか教えてちょうだい」


 リンもそれに続く。


「……………………」


 少年はこれも沈黙で応える。


「――ちょっと、何とか言いなさいよっ!」


 愛が声を荒げて要求するが、少年は何も言わない。その様子を見て、リンは、


「――ほっときましょう、アイちゃん。自分の言動に責任を持たない子の言うことなんて」


 冷淡に言って少年から視線をはずす。


「……そうね」


 しばらく間を置いてから応じたアイも、視線を正面に戻す。


「~~~~~~~~」


 すると、少年は殺人的な眼光で年上の少女二人の背中を睨みつける。しかし、それから間もなく、発信者不明の精神感応テレパシー通話が来たため、しぶしぶとエスパーダに触れて出るが、その途端、少年の顔がこれ以上ないくらいに青ざめた。


「――なんだったのかしら、あの子」


 アイが不快そうに首をかしげる。


「――忠告のつもりで言ってきたんでしょう。なんの忠告なのかまではわからないけど」


 リンは言い捨てる。


「――でも、それはボクたちを気遣ってのことではないでしょうか。忠告なら」


 三人のやり取りを一部始終を聞いていた勇吾ユウゴが、控えめだが好意的な疑問を呈する。

 それに対して、リンアイがなにか言おうとしたその時、


「――ようこそ、お集まりのみなさん」


 よく通る声が神社の広場に行き渡った。

 三人は声が聞こえた方角に視線を動かすと、神社の賽銭箱さいせんばこを背後に、声の主である一人の男性が立っていた。

 神社の広場に集まっている人たちに呼びかけた言動から、どうやらこの人が改良版ギアプの発表会の主催者のようである。つまり、


「――あれが貝塚かいづかシュン――」


 その姿を見て、リンが何気なくつぶやく。クールカットの髪型をした、勇吾ユウゴたちよりも二、三歳年上の青年だが、大半が陰気で暗い表情を湛えている参加者たちとは対照的に、明朗でさわやか、コミュ障とは無縁な顔つきで、参加者たちからの注目を浴びている。自信に満ちあふれているとも言えるその態度と存在感は、鬱屈した参加者にとってはさぞ鼻につくであろう。

 下村明美アケミが提供した情報では、彼は公立梨野しなの工学高等学校の三年生で、超心理工学メタ・サイコロジニクス科のクラスに在学している。学業のかたわら、超心理工学メタ・サイコロジニクス関連の部活動に明け暮れ、卒業後は超心理工学メタ・サイコロジニクスの部がある大学に進学し、超心理工学メタ・サイコロジニクスを専攻するという、まさに、絵にかいたような超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学者を志す青年である。経歴上、後ろ暗いものは特にない。だが、情報の提供者があの下村明美アケミでは、あまり当てにならない。それなら警察や探偵の方がまだましである。警察には中学からの知り合いである龍堂寺イサオが職務に従事している。その気になれば私的な経路ルートで警察からの紹介で探偵に依頼することも可能だが、今は小野寺勇吾ユウゴのいじめっ子三人組の傷害事件に追われて忙しいので、まずは直接本人に会うことにしたのだ。


「――本日はわたしの招待に応じていだたき、ありがとうございます。みなさまにとってはとても良い一日になるでしょう」


 その第一印象としては、良くも悪くも学者肌の青年に見えるが、果たして、真実はどんな姿と形を成しているのか。


「――今の第二日本国は、憲法上の身分制度による絶対的な社会格差が横たわっています。そのため、身分の低い者は身分の高い者から不当な扱いを受け、虐げられています。どんなにがんばって努力しても、報われるのはほんの一握りだけ。限りなく0%に近い。これが第二日本国の現状です。不平等極まりない社会というべきでしょう。一周目時代の二十一世紀日本では、憲法上の平等が約束されていたというのに、第二次幕末の動乱になんの貢献も果たさなかったというだけでこの社会的待遇。嘆かわしい限りです。これが先進国のすることなのでしょうか?」

「……なに、この社会批判演説。改良版ギアプの発表に何の関係がある前置きなの?」


 リンが眉間にしわを寄せる。


「――やっぱりガゼだったみたいね。しょせんは下村の情報。当てにならないわ」


 アイリンと同じ表情でこき下ろす。その直後、


「ええェーッ! それじゃ、家事の改良版ギアプは入手できないのォ!?」


 勇吾ユウゴが泣きそうな表情で声を上げる。


「アンタ目的をはき違えてるんじゃないわよっ!」


 アイがツッコむように叫ぶ。

 二人の大声に、演説者を含めた聴衆一同がジト目で注目するが、リンが愛想笑いを周囲に振りまきながらペコペコと頭を下げたので、貝塚は中断した演説を再開し、聴衆もそれに耳を傾ける。


「――特に、平民はそれが顕著です。士族や華族からの差別や迫害などは日常茶飯事。それはここにいるみなさんも身をもって味わっているはずです。士族や華族の子弟子女から身分差や力の差による虐めを受けているみなさんなら――」


 訴えかけるような貝塚の演説に、聴衆は無念と悔しさに歯を噛む。


「――なるほど、それでか――」


 聴衆の様子を見て、リンは得心する。


「――どういうことですか?」


 勇吾ユウゴに訊かれたリンは説明する。

 よく考えたら、身分差による迫害や虐めは、第二日本国では別に珍しくない。少年期での虐めの原因第一位は身分差なのである。陸上防衛高等学校では、身分差に関係なく実力重視で評価される上に、現在入院中の勇吾ユウゴのいじめっ子三人組や佐味寺三兄弟が、同じ身分の勇吾ユウゴユイをイジメたりすることがあるので、実感が薄いが、そこ以外の学校ではそれが当たり前なのだ。常識といっても差しつかえがないほどに。以前、連続記憶操作事件を起こした主犯以外の従犯たちの動機も、根源的にはそれだったのだから。しかし、平民のアイが士族の勇吾ユウゴを七年にわたってイジメ続けていたのは極めて希少レア事例ケースであるが。

 つまり、ここに集まっている聴衆は、士族や華族の子弟子女から虐めを受けている平民の少年少女たちなのである。


「――いずれにしても、イヤですね、イジメは。みんなかわいそうに……」

「……イヤ、それはアンタもでしょう……」


 リンがツッコミ気味に指摘している間にも、貝塚の演説は続いている。


「――その気持ち、よくわかります。わたしも平民だという理由だけで士族や華族から不当な扱いを受けていますから。こんな社会、いつかくつがえる時が来るとしても、それは今すぐではありません。そう、今。今こそが重要なのです。身分の高い者たちの迫害や虐めから逃れたいのは。そのためには、やはり力しかありません。第二次幕末の動乱で身分の低い者たちが身分の高い者を力で打倒したように。ですが、力のない者には不可能ですし、そう簡単に力がつくものではありません。戦闘系のギアプも、仕様スペックや適合性によっては使えない場合が多いので、同様です。ここにいるみなさんも、すでに試していると思いますが」

「――あ、やっと本題に入りそう」


 演説の流れを察したリンが、期待を込めてつぶやく。


「――しかし、わたしが開発した改良版ギアプなら、その心配はありません。適合性が限りなく一〇〇%に近い上に、誰もが秘めている力を最大限に引き出せるものを選択チョイスしたのですから――」


 それを聞いた途端、今まで暗かった聴衆たちの表情が陽月のように明るくなる。勇吾ユウゴたち三人と一人の少年をのぞいて。貝塚はさらに言う。


「――これは使えば、みなさんが置かれている現状を打破することができます。そして、自分を虐げる者たちに思い知らせてください。この新型の氣功術のギアプで――」

『――――――――!!』


 勇吾ユウゴたち三人は驚愕する。声が出ないほどに。それほどまでに意表を突かれたのだ。改良版ギアプというものが。


「……新型の氣功術のギアプ。それがあったか……」


 リンが絞り出すような声で自分の浅慮を呪う。新型の氣功術なら、旧型のそれとは異なり、技術が確立している。そして、新型の氣功術の使用に必要な肺と氣脈は誰もが持っている器官。使用者の肺活量と氣脈の伝導効率次第とはいえ、これなら、適合性の高い改良版ギアプの開発は難しくない。しかも、新型の氣功術の会得と使用が解禁されてからおよそ一ヶ月という短期間で完成にこぎ着けるとは。


「……貝塚シュン……いったい何者なの……」


 リンの背筋に戦慄の冷や汗が流れる。記憶復元治療装置を開発した自分に匹敵する技術力と開発力である。

 ただし、それが本当ならばの話だが。


「――それでは、これからこのギアプをテレメールでみなさんに配信します。みなさんはそれを受信する準備を――」

「――へェー、そんないいもんができたんだ。すげェな、オイ」


 貝塚の指示を、感嘆に似た感想がさえぎった。

 だが、その声調は決して好意的ではなかった。

 それを聞いた途端、聴衆の表情が恐怖に青ざめ、恐る恐る声が聴こえた方角に振り向く。

 勇吾ユウゴたち三人も振り向くと、ここの聴衆とは別の少年少女たちが、広場の端に固まってこちらを見ていた。

 その数は三十人強。すでに広場に集まっている少年少女たちの倍で、卑屈で劣等感の強い彼らとは真逆の雰囲気オーラを醸し出している。

 優越感と嗜虐性サディスティックに満ちた雰囲気オーラを。


「……な、なに、この人たち?」


 アイが突如現れた少年少女たちの集団を見てひるむ。こちらも多種多彩な学生服を着ている。


「――どうやら噂のイジメっ子たちのようね。ここに集まっている子たちの」


 それに答えたのはリンであった。


「……でも、なぜ、このタイミングで……」


 勇吾ユウゴが疑問を抱く。


「――よう、緑川みどりがわ。よく教えてくれたなァ。礼を言うぜェ」


 突如現れた少年少女たちの中心にいる一人の男子が、聴衆の一人である少年の名を呼ぶ。


「……………………」


 名を呼ばれた少年は相手から視線を背けてうつむく。

 先ほど、リンアイに悪態をついた少年である。

 勇吾たち三人と聴衆は名を呼ばれた少年に視線を集中させる。


「――俺は信じていたぜェ。他のヤツらならともかく、まさかお前がそんなことに加担するわけねェからなァ。お前ら下民どもが、畏れ多くも、俺たち華族さまに反抗しようと企んでいるなんてよォ」

「――――――――!」


 広場の聴衆に驚愕の戦慄が走る。


「――そのことを知ったお前はそれを阻止するために、オレたちにチクったんだよなァ。反抗に使うためにここで入手ゲットしようとしていた新型のギアプのことをォ」


 その男子は緑川という少年に向けてさらに言う。

 あからさまなまでにに声を高めて。

 この場にいる全員に聞かせるのが明らかな、品位ガラの悪い口調の大声である。


「――そうだよなァ。健司ケンジちゃ~ん」

「……………………」

「――返事しろよォ。でねェと、勘弁してやらねェぞォ」

「~~~~~~~~」


 緑川健司ケンジは窒息しそうな表情で、だが、短くうなずく。


「――キャハハハハハッ! 認めちゃったよォッ コイツマジウケルぅ~っ!」


 言葉を発する華族の子弟の隣で、華族の子女が緑川を指さして笑い出す。こちらもその子弟に劣らず軽薄で品性に欠けている。


「――ハハハッ! なんてヒデェヤロウだァ。自分と同じ境遇のヤツを売りわたすなんてよォ。下民にふさわしい最低な所業だぜェ」


 その華族の子弟も、隣の子女に同調してあざ笑う。

「――そう思わねぇかァ、みんなァ。コイツ憎いだろォ。俺たちにチクったんだからァ」


 そして、緑川以外の、緑川と同じ境遇の聴衆にも同意を求める。


「……………………」


 だが、求められた少年少女たちはうつむいたまま沈黙している。内心ではどんな心情が渦巻いているか、勇吾ユウゴたちにはうかがい知れないが、いずれにしても、それを言語化しようとする者は一人もいなかった。


「――これで思い知ったろう。お前ら下民どもは永遠に俺たち華族の下僕だということが。下僕のクセに俺たち華族に逆らおうとすんじゃねェッ!!」


 その華族の子弟は怒鳴りつける。さきほどまでのチンピラのような口調を一転させて。その激語に、下僕呼ばわりされた少年少女たちは一段と萎縮する。


「――そんな気を二度と起こさせねェように、みっちりとヤキを入れねェとなァ。オイ、やっちまおうぜェ」


 その華族の子弟にけしかけられた、他の華族の子弟や子女たちは、待ってましたと言わんばかりに一斉に歩き出す。

 それぞれイジメの対象になっている少年少女たちに向かって。


「……は、話が違うじゃないか。正直に話せば、今回は勘弁してやるって」


 緑川健司ケンジが驚いた表情で抗議の声を上げる。


「――ああ、確かに勘弁してやるって言ったぜ。人間サンドバックでな。今までと比べたら優しい方じゃねェか」

「……そ、そんなァ……」


 健司ケンジは愕然となる。そうしている間にも、他の平民の少年少女たちは、それぞれの場所で、自分と同じ学生服を着た華族の子弟や子女たちから暴力を振るわれようとしている。同性同士の集団グループもいれば、異性同士の組み合わせもいる。いずれにしても、神聖なる神社の広場は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化そうとしていた。警察に精神感応テレパシー通話での通報を試みても、なぜか繋がらない。


「……僕はだれにもしゃべってないはずなのに、いったいだれが、この事を、華族に……」

 うろたえながら発した健司ケンジの疑問に、


「――貝塚じゃないの?」


 誰かが答えた。

 健司ケンジは声がした方角に顔ごと視線を動かすと、ショートカットの少女が近くに佇んでいた。

 観静リンであった。

 その左右には小野寺勇吾ユウゴと鈴村アイもいる。


「……と、どうして、貝塚なんだ?」


 健司ケンジは怯えた声で問いただす。


「――だって、イジメる相手とイジメられる相手の対象がもれなくセットでそろっているもの。両者の学生服から見て。改良版ギアプの発表会の参加者が誰なのか把握している者でなければまず起こらない事象よ」

「……そ、それが、貝塚というのか?」

「――そうよ。彼がこの発表会の開催者なんだから、そんなの容易でしょう。それに、その貝塚はいつの間にか姿を消しているし」

「――ホントだ。どこにもいない」


 神社の賽銭箱さいせんばこの前を始め、辺りを見回していた勇吾ユウゴが、確認の言葉を告げる。


「……それじゃ、改良版ギアプは、改良版家事のギアプは……」

「……おそらく、嘘っぱちでしょう」


 リンは断定を避けつつも、断言するような口調で答える。それを聞いて激しく落胆する勇吾ユウゴを他所に、リンは続ける。


「――要するに、こいつらと仲間グルだったのよ、貝塚シュンは。この発表会は、自分たち華族に歯向かおうとしているイジメられっ子たちの行動を口実に、神社ここに集まったイジメられっ子たちをまとめてイジメるための催し。改良版ギアプなんて、仮にあったとしても、配信するつもりなんてなかったのよ。そんなもの存在するかどうかすら怪しいし。そうでしょ」


 最後の確認の質問は、目の前にいる華族の子弟に対してであった。


「――ふんっ。さすが超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘。平民とはいえ、たいした洞察力だぜ」


 華族の子弟は吐き捨てるような口調で認める。


「――今すぐやめなさいっ! こんなことっ! 人として恥ずかしく思わないのっ!」


 アイが怒りの震わせた声で問いかける。


「……なにが恥ずかしいんだよ? オイ」


 だが、華族の子弟は悪びれもなく、覗き込むように反問する。


「――弱いヤツは強いヤツに何をされても文句は言えねェんだよォ。それが弱肉強食というものだろォ。なら、せいぜい有効活用するのが賢い使い方ってものさ。せっかく生まれながらの格差――身分という力の差を保証してくれるありがたい制度があるんだから」

「~~なんですってっ?!」


 アイはうなり声をあげる。


「……なっ、なぜイジメる。そ、そんなことして、な、なにが楽しいんだ?」


 続いて勇吾ユウゴも、おびえながらも問いただす。


「――おっ、お前はたしか、あの武術トーナメントを優勝した小野寺勇吾ユウゴじゃねェか」


 だが、華族の子弟はそれに取り合わず、愉悦に歪ませた表情で驚きの声を上げる。


「――間近で見ると、やっぱ下民の雰囲気がプンプンするぜ。士族とは思えないほどのな」

「……………………」

「――決めた。お前も緑川共々人間サンドバックにしてやるぜ。どうせマグレで優勝したんだ。俺たちよりも弱いんだろう」


 華族の子弟は愉快そうにあざ笑う。そこへ、


「――そんなこと、アタシがさせないわっ!」


 そう叫んで勇吾ユウゴの前に立ちはだかったのは鈴村アイである。


「――なんだァ。このオレとるのか。武術トーナメントでは一回戦負けした、小野寺よりも弱いヤツがァ」


 華族の子弟は子バカにした口調で嘲笑しながら前に進み出る。アイはさらに叫ぶ。


「――近づかないでっ! アタシの右腕には悪邪鬼王キシガオの邪気眼を宿してあるわ。近づくとなにをしでかすかわからない、おぞましく邪悪な力を。これは大神十二巫女衆の筆頭であるアタシが禁呪法で編み出した禁忌の力よっ! そうとは知らずに近づいて死んでも知らないからねっ!」

「……そんなハッタリ、通用するわけないでしょう……」


 リンが呆れたようにつぶやく。


「――はんっ! 邪気眼だとォ? それがどうしたってんだよォッ!」


 だが、相手はまったくひるまなかった。


「……そ、そんなァ……」


 アイは愕然とも悄然ともつかない表情で立ち尽くす。


「――ほらね」


 リンは肩をすくめる。だが、そんなやり取りをしている場合ではないことに気づくと、気と顔を引き締めて周囲を見回す。広場のあちこちで平民の少年少女たちに対する華族の子弟や子女のイジメが始まっている。平民一人に対して、華族は二人以上。人数的に考えても、対抗できるわけがない。ましてや、日々のイジメに、抵抗する意思や気力など皆無。なす術もなく無慈悲な暴言や暴力にさらされる。見ているだけで痛々しい光景である。

 そしてそれは、アイたち三人や緑川という年少の少年も例外ではなくなりつつあった。四人の平民と士族を包囲した七人の華族の子弟たちは、相変わらず優越感と嗜虐性サディステックに満ちた薄笑みをたたえている。無抵抗で暴力を受けると信じて疑ってない表情である。


「……お、お前らのせいだ。お前らのせいで、こんなことになったんだ。お前らさえ来なければ、こんなことにならなかったんだ。どうしてくれるんだよ。なんとかしろよォ……」


 健司ケンジ勇吾ユウゴにすがりつきながら、だが、難詰し、対処を求める。別にこの事態に陥ったのは勇吾ユウゴたち三人の責任ではない。因果関係は完全に把握しているわけではないが、それだけはたしかである。なのに、あたかも諸悪の根源のように勇吾ユウゴたちを責め立てるのは、明らかに的外れであり、卑劣漢な言動である。むしろそれは逆であろうに。


「……こんな性根じゃ、こいつらじゃなくてもイジメたくなるわよ……」


 リンは冷淡な口調で感想をつぶやく。包囲した相手から目を離さずに。先ほどから相手にテレハックを試みているが、まったく通用しない。精神感応テレパシー通話で警察に通報できないことといい、どうやら精神感応テレパシー通信手段を封じるESPジャマーを、この一帯にいつの間にか散布されているようである。


「――まったくだ。だから、この俺が正義の鉄拳を喰らわせてやるぜ」


 諸悪の根源である華族の子弟の一人が鼻で笑うと、健司ケンジに対して拳を大きく振り上げる。緩慢な動きのそれは、素人丸出しの典型的なテレフォンパンチである。少しでも格闘の心得がある者なら、隙だらけに見えるだろう。そして、平均的な格闘能力のある者なら、喰らう前にカウンターが入れられる。だが、拳を振り上げた華族の子弟は、相手が反撃してくることなどまったく想定していない。反撃などできるわけないとタカをくくっているのである。ましてや、横から飛来した飛び横蹴りの足刀が、自分のこめかみに直撃し、激しく転倒するなど、想定外の極致であったろう。


「――なっ?!」


 予想だにしない事態に、六人の華族の子弟は驚愕の表情でうろたえる。そして、六人の視線は、仲間を蹴り倒した一個の人影の背に向けられる。オールバックの髪型に陸上防衛高等学校の学生服姿を着たその少年は――


「――ヤマトタケルっ!」


 アイがその少年の名を叫んだ。オールバックの少年はゆっくりと振り向き、六人の華族の子弟と正対する。


「……ヤ、やまとたけるだとぉっ!?」


 華族の子弟の一人がうわずった声をはく。


「――ヤマトタケルっていや、そこの小野寺ってヤツの陰で付き従っていう配下の通称じゃねェか」

「――この前の連続記憶操作事件だって、コイツ一人で解決したっていう話だぜ」

「……ウソだろ。それってウワサや都市伝説じゃなかったのかよ」


 あからさまにひるむ残り六人の華族の子弟たち。だが、


「……だ、だからなんだっていうんだよ。俺たち華族に歯向かったことに変わりはねェんだ。どうなるか思い知らせねェと、示しがつかねェ。平民や士族は永遠に華族の下民だということを」


 嗜虐的サディステックな表情を引きつらせながらも報復を宣誓する。


「……………………」


 タケルは無言で自分を取り囲んだ華族の子弟たちを睨みまわす。


「……いまさら謝ってももう遅いぜ。せいぜい良い声で泣き喚けェッ!」


 華族の子弟の一人が咆えながらテレフォンパンチを繰り出すが、


「ひぎゃああああああァッ?!」


 良い声で泣き喚いたのはその華族の子弟であった。タケルが放ったカウンターで。実戦経験が豊富なタケルにとって、素人のテレフォンパンチに合わせてそれを入れることなど造作もなかった。その華族の子弟は、叩き込まれた顔面から鼻血をまき散らしながら地面に倒れ込む。


「……て、てめェッ! よくもォッ!」


 残りの五人が数を頼んで一斉に襲い掛かる。だが、先に倒された二人と同様、素人丸出しの動きなので、むろん、ヤマトタケルの敵ではなかった。

 ――こうして、勇吾ユウゴたちに絡んできた華族の子弟たちは全員殴り倒された。


「――ま、当然の結果ね」


 勇吾ユウゴアイ、そして健司ケンジとともに、ヤマトタケルの闘いぶりを傍観していたリンが、肩をすくめながら独語する。

 そばにいる勇吾ユウゴを横目で見やりながら。

 むろん、このヤマトタケルは、小野寺勇吾ユウゴ精神体分身の術アストラル・アバターで作り出した精神アストラル体で、いささか登場が遅れたのは、遠隔で作り出していたために時間がかかったのと、他のイジメられっ子たちを先に助けていたからである。もっとも、ヤマトタケルのような助っ人がもう一人この場に現れなければ、もっと遅れていたかもしれない。

 ――そういうわけで、神社の広場に立っているのは、いじめられっ子を含めた三人の被害者や助っ人たちだけで、加害者であるいじめっ子たちは、一人残らず地面に横たわっていた。


「――ふんっ! 身分の威を借る下衆どもが」


 鼻息とともに吐き捨てたのは、そのもう一人の助っ人である。

 癖のあるショートカットの髪型に、男勝りで好戦的な雰囲気オーラをまとったその少女は――


「――海音寺っ!?」


 アイが驚きの声を発する。


「――どうせ借るなら己の力にしろ。平崎院のように」


 海音寺涼子リョウコは汚物でも見るかのよな眼差しで地面に倒れている華族の子弟たちを見下ろす。

 その間、華族の子弟や子女たちにイジメられていた平民のイジメられっ子たちは、だれ一人、助けられた二人の助っ人に対して、礼のひとつも残さずにその場を走り去って行く。


「――どうしてアンタがここにいるのよ。アンタにとっては無縁な集会のはずなのに」


 リンが不思議そうに尋ねる。


「――興味があったからさ」

「――興味?」

「――ああ。だましだましで凌ぎつつも、ついに万策尽きてに敗北したお前が、いったいどうやってそれを挽回するのかをな」


 涼子リョウコは腕を組んで答える。自身の手で敗北させた小野寺勇吾ユウゴを見やりながら。


「――が、興ざめだったな。結局、ギアプ頼りなんだから。安直もいいところだぜ。世の中ギアプなしでは実力を発揮できないとのたまうヤツが結構いるが、オトコならそんなもんに頼るんじゃねェってんだ」

「……で、でも、ボクにはどうしても必要だったんだ。ボクの夢をかなえるには。そのためなら、なりふりなんて構ってられないっ! それのなにがいけないって言うんだァッ!!」


 勇吾ユウゴ慟哭どうこくのように叫ぶが、


「――はんっ! どうしようもないヤツだね。ギアプなんてものはエスパーダがないと使えない代物だっていうのに、結局はそれの依存に帰結するとは、しょせん、お前も佐味寺たちオトコの士族と同じ考えというわけか。ギアプを使わないと、ギアプなしのアタシたちオンナにかなわないないなんて、オトコの風上にも置けないぜ」


 涼子リョウコは鼻で笑って一蹴するが、


『……話が噛み合ってない……』


 事実を、リンアイは声に出して同時につぶやく。


「――けど、お前以上に風上におけないオトコが、そこにいるがな」


 涼子リョウコは視線の矛先を、勇吾ユウゴからその傍に立っている年下の少年に移す。


「――緑川とかいっていたたな。我が身可愛さに自分と同じ境遇の平民を売るなんて、勇吾ユウゴ以上にクズなヤロウだぜ」

「……なっ?! な、なんだって?!」


 不本意な表情でどもる健司ケンジに、涼子リョウコはさらに言う。


「――オレはな、お前のような恥も外聞もない卑怯で卑劣なオトコが一番大っ嫌いなんだ。イジメられて当然だぜ。助けるどころか、生きる価値すらねェ。さっさと死んでしまえ」


 汚物でも見るような視線と暴言を叩きつけられた緑川健司ケンジは、それが折れんばかりに歯ぎしりする。

 自分の不甲斐なさではなく、暴言を叩きつけた相手に対して。


「……おまえに何がわかる……」

「――ああん?」

「――おまえに何がわかるってんっだァッ!!」


 健司ケンジが憎しみににえたぎった表情で叫ぶ。


「ボクだって密告したくてしたわけじゃないんだっ! そうしないと、もっと酷いイジメをされるんだっ! しかたないだろっ!」

「――それで密告されたヤツらは納得するのか」

「ああ、納得するさ」


 健司ケンジは断言する。


「――この世の中はなァ、身分制度のおかげで、弱いヤツは強いヤツにいいようにされても仕方ないようになってんだ。弱肉強食ってヤツさ。弱いボクの気持ちなんか、わかるどころか、考えたことすらねェんだろっ! そりゃそうだろうなっ! 弱肉強食の身分構成ヒエラルキーにおいて、常に上位を保持キープしているお前なんかにとって、その底辺にいる僕の気持ちなんか絶対にわかりっこないんだっ!」

「ああ、全然わからねェな。我が身可愛さに自分と同じ境遇の平民を売るヤツの気持ちなんざ、わかりたくもねェ。ましてや、自分の弱さと身分差を克服しようともしねェ向上心のねェヤツなら、なおさらだぜっ!」

「~~~~~~~~っ!!」


 健司ケンジが殺人的なまでの眼光で涼子リョウコをにらみつけるが、にらみつけられた方はまったく痛痒を感じさせない表情で無視スルーする。健司ケンジに向けられていた視線の矛先を、オールバックの少年に変えることで。


「――アンタか。ヤマトタケルっていうのは。顔を合わせるのは、これが初めてだな。噂は色々と聞いてるぜ。なんでも、そこの小野寺の影の従者だそうだが、そいつよりもそこそこ強いらしいじゃねェか。それも、ギアプに依存した強さじゃなくて。オトコでなければ、平崎院と同等のライバルとして認めたかったぜ」

「……………………」

「――だから忠告しといてやる。こんなヤツの従者なんかやめちまえ」

「なっ?!」


 詰まったような声を上げたのは鈴村アイである。涼子リョウコはさらに続ける。


「――だってそうだろ。お前よりはるかに弱いのに、なんで主人としてあおがなくちゃならねェんだよ。小野寺をつけあがらせるだけだぜ。そしてお前はその強さを間違った使い方で無駄遣いさせられる。どっちのためにもならねェってんだ」

「……つまり、お前の方が自分の強さを正しく使えているというのか」


 ヤマトタケルが初めて口を動かした。むろん、小野寺勇吾ユウゴの腹話術で。


「――もちろん」


 涼子リョウコの返答も簡潔である。


「――女子だけイジメから助けるのがか」

「――ああ、そうだとも。オトコは助ける義理も価値もねェからな。そんなに助かりけりゃ自力で助かりな」


 この返答も酷薄に満ちている。表情も平然そのものである。


「……………………」

「――不服そうな表情かおだな。オトコも助けたお前としては、理解しがたいといったところか」

「……………………」

「――まぁ、いい。別に無理強いはしねェさ。所詮、お前もオトコだからな。そうやって自分の強さを弱いヤツのために使っていればいい。報われやしない無駄な努力だとわからずにな」


 涼子リョウコは興ざめの態で言って捨てる。


「~~思い知らせてやるゥ~~」


 呪詛のようなうなり声が、涼子リョウコと対面している四人の中から上がった。

 緑川健司ケンジの声である。


「~~お前のみたいな思い上がったヤツは、徹底的に思い知らせてやるゥ。お前以上の力と強さを手に入れて、お前の力の無さと弱さをこれでもかと味わせることでなァ。その時になって泣いて謝っても絶対に許さねェからなァ~~」


 憎悪と怨念を丹念にすり潰した宣戦布告を、だが、海音寺涼子リョウコは失笑に似たため息をつく。真に受けるのもバカバカしいと言いたげに。


「――ああ、そうかい。ま、せいぜいがんばりな。ヤマトタケルと同様、そんなに無駄な努力がしたいんなら。お前らのようなヤツらが、オレより強くなれるわけなんか、絶対にないのになァ。オトコってどうしてこうも不可能ごとに挑みたがるんだろう。ホント、理解に苦しむぜ」


 言いたい放題とはまさにことである。そして、踵を返した涼子リョウコは、彼氏を振った彼女のようにその場を立ち去って行った。


「~~バカにしやがってェッ!!」


 緑川健司ケンジが叫んだ声は、ありとあらゆる負の感情を高密度で圧縮されたそれであった。


「~~絶対に強くなってやるゥ。そのためなら、どんな手段も選ばねェ~~」

「――そんなこといったって、いったいどうやって強くなるのよ」


 老婆心ながらに質問したのは鈴村アイである。


「――言っとくけど、ギアプなしじゃ、短期間では不可能よ。超常特区ならではの超能力や超脳力の覚醒は、ほとんど運試しのようなものだし」

「……や、やめた方がいいよ。力で思い知らせるなんて。そんなことで強くなったって、だれのためにもならないし、だれ一人よろこばないよ」


 勇吾ユウゴも思いとどまらせる形でそれに続く。


「――うるさいっ! お前のようなリア充になにがわかるっ!」


 だが、健司ケンジは振り払うようにそれをはねのける。勇吾ユウゴはひるみながらも口を動かす。


「……で、でも、短期間で強くなる方法なんて……」

「――なに言ってやがる。さっきあいつが言ってたじゃないか」

「……………………?」

「――改良版ギアプだ。これなら、このボクにだって短期間で――」

「――アンタ、まさか貝塚が言ってたことをまだ信じてるのっ!?」


 リンが驚いた表情で問いただす。


「――当たり前だろう」


 健司ケンジは当然と言いたげに答える。リンは呆れたとしたいいようがない表情で口を開く。


「――さっさアタシが言っていたことを聞いてなかったの。貝塚シュンは、アンタたち平民を虐げる華族の子弟や子女たちに、アンタたちの動向をリークして売ったのよ。そんなヤツを――」

「そんな証拠どこにあるっ! 全部お前の妄想だろうっ! もし本当だったらどうするんだよっ! お前責任取ってくれるのかっ! ええっ! お前ならオレを短期間で強くしてくれるとでもいうのかっ! 他人事だからって気軽に言うなっ! どうぜそんなことできやしないくせにっ! 超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘が聞いてあきれるぜっ!」


 相手の忠告を否定した挙句、激しく難詰する健司ケンジ


「――あっ、そう。じゃ、勝手にしなさいっ! その代わりどうなっても知らないから。念のために言っておくけど、この件に関して、こっちは一切責任は取らないからねっ!」


 これにはさすがのリンもカチンときた。語気を荒げて宣告する。


「――ああ、勝手にするさっ! お前らこそボクの邪魔をするなよっ! いいなっ!」


 売り言葉に買い言葉としか形容のしようがないやり取りを終えると、緑川健司ケンジは、ケンカ別れ同然の別れ方でリンたちから姿を消した。


「……行っちゃった……」


 森の奥へ去った健司ケンジの後姿を見て、勇吾ユウゴがつぶやく。


「……だいじょうぶかな?」


 それも心配そうな口調で。


「――ほっときなさい」


 険のある表情と声で言ったのは観静リンであった。


「――また今回のようなことになっても、本人の自業自得よ。こっちが罪悪感を抱く必要なんて、これっぽちもないわ」

「――そうよ。せっかくのリンちゃんの忠告をあんな形で激しく否定するなんて、恩知らずもいいところよ」


 それに鈴村アイが同調する。


「……うん。たしかに、ボクもあれはないと思ったけど……」


 勇吾ユウゴも二人の女子に同調するものの、完全とは言いがたい口調で応じる。


「――しかも、助けてもらったくせに、一言の礼すら言わないなんて、ホント、恩知らずの上に礼儀知らずな子ね。将来、社会人になっても、絶対にやってはいけないわ」

「――でも、実際に助けたのはヤマトタケルと海音寺よ、アイちゃん。アタシたちじゃないわ」


 リンに指摘されたアイは、その途端、全身をピクンと硬直させる。

 顔中がみるみると真っ赤に染まる。


「――アイちゃん?」


 リンが怪訝そうに親友の名を呼ぶと、あることを思い出す。


(……あ、そうだった。アイちゃん、オンナとして好意を持つようになったんだっけ。『ヤマトタケル』に……)


 それも、ヤマトタケルの正体が自分の幼馴染だという事実を知らずに。

 つまり、幼馴染と同等の好意を、『ヤマトタケル』に対しても抱いているのだ。

 その結果、同一人物である両者の板挟みになってしまったのである。


(……どうしよう。また助けてもらっちゃった……)


 アイはタケルを直視できず、不審者のような挙動であたふたする。


(――とりあえず、助けれてくれた礼を言わないと。でないと、あの子と同類になってしまうわ――)


 そこまで考え、実行に移そうとしたが、


(――でも、ユウちゃん嫉妬しないかな。いくらおおらかなユウちゃんでも、タケルに対するアタシの態度を見たら、心穏やかにしていられないでしょうし――)

「――ちょっと、アイちゃん。アイちゃん」

(――かといって、礼は言わないわけにはいかないし、ああん、どうしたらいいのォ――)

「――アイちゃんってばっ!」

「――なによ、リンちゃん。アタシは今、ユウちゃんの前でタケルさまにお礼を言うべきかどうかさんざん迷って――」

「――タケルならもういないわよ」

「――へっ!?」


 アイは間抜けな表情で間抜けな声を漏らす。リンは語を継ぐ。


「――アタシたちが緑川健司あの子と言い争っている間に、どこかへ行っちゃったわ」

「……そ、そうなんだ……」


 アイはとても複雑そうな表情で応じる。胸中もそれに準じているのは明白であった。


「……………………」


 しかし、それを察したリンの心境も複雑であった。小野寺勇吾ユウゴとヤマトタケルは同一人物なのに、そうとは知らずに好意を持った両者の板挟みで苦しんでいる友達を、リンうれうべきなのか、それとも笑うべきなのか……。


『……………………』


 二人の女子はそろって沈黙する。


「……………………?」


 その間に立っている勇吾ユウゴは、そんな両者を不思議そうな表情で、だが、なにも言わずに交互に見やるのだった。




「――で、結局、その新型の氣功術のギアプとやらは手に入らへんかったっちゅうわけか」


 龍堂寺イサオが、昨晩の第八浮遊小島で起きた出来事を、三人の親友から聞いたのは、その翌朝の喫茶店『ハーフムーン』内の一角であった。今日は休日の上に非番なので、陸上防衛高等学校や警察に通学・通勤する必要もなく、服装も学生服ブレザーではなく、青色を基調とした半袖のTシャツとジーパンの私服である。

 そしてこのセリフは、最後までそれを聞き終えたイサオが、コーヒーカップを片手に持って述べた総括的な感想であった。


「――そうなのよ、まったく。なのに、危ない目には遭うわ、文句や理不尽なことは言われるわ、忠告は無視された挙句逆に噛みつかれるわで、とにかく、さんざんだったわ。いくら骨折り損のくたびれ儲けで終わると覚悟していたからって、ここまで骨を折らせるなんて、さぞ儲かったでしょうね。くたびれの疫病神は」


 イサオの隣に座っているリンは、一通りグチをこぼし終えると、半ばヤケ気味に、切り分けたパンケーキを次々に口へと詰め込む。こちらも緑色を基調したスカートツーピースの私服である。


「――こんな時こそ警察の出番なのに、その時にかぎって来ないなんて、ホント役立たずね。やはりアタシたち大神十二巫女衆や須佐十二闘将がいないと、この世の中は絶対に良くならないわ」

「……おまい、まだ治っとらんのか。その中二病……」


 イサオはあきれた表情でテーブル越しに対面しているアイに言う。アイの私服も茶系統の色で占められたスカートツーピースである。


「――でも、真面目な話、そう思われても仕方ないわよ。いくら通報がなかったとはいえ、集団イジメを看過したんだから」

「……………………」


 イサオは一言も反論できなかった。仮に警察がイジメの現場を押さえられたとしても、できることと言えば、華族の子弟や子女たちを、傷害の現行犯として逮捕するのが精一杯であり、しかも、そのあと華族の特権を振りかざして、即時釈放を余儀なくされるのは目に見えている。そして反省の色もなく、平民に対するイジメを平然と繰り返し、それを警察が――の無限ループになる事も。それが現状なのだが、それを口にするのはあまりにも情けなさ過ぎるので、リンの批判を無言で受け止めるしかなかった。


「――このままじゃ、ホントに冗談シャレ抜きの話、アイちゃんの言うような中二組織が結成されて、警察としての役目が単なる事後処理あとしまつという脇役的存在になり下がってしまうわよ。典型テンプレな中二作品よろしく」

「――でも、観静さん。龍堂寺さんも龍堂寺さんなりに頑張っていますよ。現に龍堂寺さんが追っている例の傷害事件は進展しているのでしょう」


 そこへ、アイの隣に座っている小野寺勇吾ユウゴが、同性の親友を擁護する。なぜか勇吾だけは私服ではなく、陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着ている。


「――せや、その事件なら順調に捜査が進んどる。後はそれを引き継いだ華族の警視が動いとるさかい、容疑者逮捕も時間の問題やな」

「――大丈夫なのですか? 途中で事件の捜査担当を変わっても。変わったたのですか?」

「――そりゃ交代制やからさ。警察の勤務は。それは事件の捜査だって同様や。二十四時間フルタイムで働くなんて不可能やからな。事件捜査の引き継ぎも、その時までエスパーダの各種記録ログに蓄積していた捜査情報を、交代する相手に渡すだけで済むさかい、なんの支障もなく事件の捜査を続行することができるんや。二十四時間フルタイムでな」

「――へェー、そうなんですか。それじゃ、その事件もすぐに解決できますね。よかった。これで被害者も報われて」

「……勇吾ユウゴ。アンタ、よくそんなセリフが言えるわねェ」


 そこへ、フォークの動きを止めたリンが、眉をしかめて言う。


「……?」


 首を傾げる勇吾ユウゴに、リンは苛立ちを覚えながらも理由を説明する。


「――アンタが口に出して言っているその被害者って、アンタのイジメっ子たちなのよ。ざまァ見ろと思いこそはすれど、気遣う義理なんてないはずよ」

「――えっ!? ……ああ、そうですね。たしかに、観静さんの言う通りです。でも、いざ、その人たちがそういう目に遭ったことを知ると、愉快な気分になるよりも、大丈夫かなっていう心配が、どうしても先立ってしまって……」

「……………………」

「――リンちゃん。残念だけど、ユウちゃんはそういう為人なの。自分より他人の心配を優先するとてもやさしい男子なの。たとえその他人からどんな目にあわされていたとしても。あの子とは大違いだわ」

「――アイちゃん。あの子って? 」


 勇吾ユウゴが首を傾けて尋ねる。


「――もちろん、緑川健司ケンジという名の少年のことよ。アタシが今まで出会った男の子の中じゃ、最低最悪な性格の人間ね。海音寺じゃなくても軽蔑したくなるわ。ユウちゃんだってそう思うでしょ」

「――でも、アイちゃん。あの子はアイちゃんやリンちゃんと同じ平民です。士族のボクよりも身分や立場が低い社会的弱者です。確かに性格や言動は決して褒められたものではありませんが、そうなってしまった根源的な原因は、現在いまの第二日本国の社会じゃないでしょうか。それも、法的に制度化された身分差による格差社会。その恩恵を士族として受けている僕に、海音寺さんのようにあの子を軽蔑する権利や資格はありません。たとえ、同じ境遇だとしても……」

「……そ、それは、そうだけど……」

「――もちろん、だからってイジメはよくありません。やはり、身分の高い人たちには、そういったイジメは絶対にすべきでありません。それができないのなら、身分制度自体、廃止すべきです。この件がなくても」


 勇吾ユウゴは強い口調で断言する。


「――へェ、意外やなァ。勇吾ユウゴ現在いまの第二日本国に対して社会的で批判的な実情を述べるやなんて。結構色々と考えとるんやな」


 今まで口を閉ざしていたイサオが、感心したような口調でそれを開く。


「――全部、父さんの受け売りです。父さんも現在いまの第二日本国の社会に疑問を持っていますから。特に身分制度は。ボクもそう思います。生まれながらに格差があるのは、どう考えてもおかしいですし」

「――へェー、そうなんだ」


 リンも同様に感心する。勇吾ユウゴはさらに熱弁をふるう。


「――それに、もっとおかしいのは、弱肉強食の考えです。しょせん、この世は弱肉強食、力こそがすべて、それが自然の摂理だと、よく華族や士族が唱える論理です。たしかに、力なしでは、現在に繋がる、第二次幕末で獲得した変革の成果は得られなかったでしょう。でも、力だけでは、決して得られなかった成果だったはずです。力以外のものがあってこそ得られた成果だと、ボクは今でも信じています」

「……………………」


 しばらくの間、四人の空間に沈黙の空気が漂う。


「……すごい、すごいわ、ユウちゃんっ!」


 それを破ったのは鈴村アイの興奮した声であった。


「……さすが須佐十二闘将の一人っ! 言うことが身分の差やその力を振りかざすだけのイジメっ子どもとは全然違うわっ! いずれ警察に代わってユウちゃんが大活躍する日が必ず来るっ! 今の演説を聞いて確信したっ! そんな男子をイジメるなんて、あのイジメっ子三人組の女子どもも見る目がないわね」

「――なに言ってるのよ。それを言ったら、アンタだって勇吾ユウゴをイジメてたじゃない。それも七年にわたって」

「ああっ! それは言わないてっ! リンちゃんっ! アタシにとってそれは黒歴史なんだから」


 痛いところを突かれたアイは、テーブルを顔を伏してうずくまる。


(――それに、警察に代わっての大活躍なら、すでになし遂げているわ。この前の連続記憶操作事件を始め――)


 そんなアイを見やりながら、リンは内心で独語する。


(――ただし、ヤマトタケルとして、だけど――)


 と、つけ加えた時の視線は、すでに糸目の少年に転じられていたが。


「……アカン。このままやと、ホンマに鈴村の妄想が実現してしまいそうや……」


 その隣の席で、龍堂寺イサオが危機感を募らせた表情でつぶやく。腕を組み、床に視線を落としているので、その姿は深刻そのものであった。

 そんなイサオの視界に、物々しい足音を立てながらこちらへ歩いてくる複数の脚が見えたので、イサオは顔を上げる。

 ――と、イサオの表情が、驚きのそれに取って代わり、すぐさま席から立ち上がって敬礼をほどこす。


「――こっ、これは、木野枝院このえだいん警視っ!」


 他校の制服を着た大柄な上司の名を、緊張のはらんだ声で呼ぶ。

 きっちり整えた八二分けの髪型が印象的な木野枝院このえだいんは、動揺を隠せないでいる部下のイサオを一瞥しただけで、戻した視線の先に警察手帳を示すと、顔つきと体格にふさわしい、威厳と格調のある口調でこう告げた。


「――小野寺勇吾ユウゴ。一ノいちのじ恵美エミ二伊寺にいでら代美ヨミ三木寺みきでら由美ユミの傷害の容疑で逮捕する」

『……………………へ?』


 四人は間の抜けた声を漏らす。

 思いもかけぬ宣告に。


「――連行しろ」


 木野枝院このえだいんは背後に従えている二人の部下にノールックで命令すると、そっけなく踵を返して歩き出す。

 勇吾ユウゴに手錠をかけた部下二人と、その勇吾ユウゴを引き連れて。

 そして、店を出たその場に立ち止まると、四人の姿がその場から消失した。テレタクによる移動である。


『……………………』


 残った三人は茫然とその一部始終を見つめていた。


「――はっ!?」


 その中で誰よりも真っ先に我に返ったのは鈴村アイであった。


「――ちょっとォッ! いったいどーなってんのっ!?」

「――なんで勇吾ユウゴが傷害の容疑で逮捕されなきゃならないのっ! しかもあの三人組のっ!?」


 続いて我に返ったリンもそれに続く。無論、二人の女子が向けた詰問の矛先は、龍堂寺イサオである。


「――へっ!? えっ?! エッ!? へっ?!」


 だが、その龍堂寺イサオも、二人に劣らず狼狽していた。

 なにが起きたのかわからずに。


(――どうですか――)


 突然の店内での逮捕劇に、客たちがざわつく中、カウンターに座っているクールカットの青年が、そんな三人を見やっている。

 エスパーダで精神感応テレパシー通話しながら。


(――ああ、上出来だ。よくやった――)


 通話相手は、青年の視覚に感覚同調フィーリングリンクして、それを確認する。


(――ありがとうございます。昨晩、この依頼とは別の方々からの依頼を遂行していたあの場に、その標的ターゲットが現れたのは想定外でしたが、工作に支障はきたしませんでした――)

(――そうか、それはご苦労だったな。どっちにしても、これであいつは終わりだ。それもこれも、あんな方法で武術トーナメントに優勝するからだ。少しは思い知れってんだ。オレたちの悔しさと身の程を――)


 通話相手は歯ぎしりせんばかりに吐き捨てる。クールカットの青年は話を続ける。


(――では、報酬は例のところへテレタクで転送してください――)

(――ああ、わかった。しかし、お前の擬態カムフラージュはホント完璧だったぜ――)

(――恐れ入ります。こういった類の工作はわたくしの得意分野なので、これからもどうかご贔屓に――)


 そう言ってクールカットの青年は精神感応テレパシー通話を切り、カウンターに小銭を三枚置くと、その場からそのまま店を出て行った。


「――ん? あいつは――」


 その時、店を背に歩いて行く青年の姿を、たまたまその近くを通りすがった一人の少年が目撃する。

 陰気で暗い顔つきをしたその少年は、緑川健司ケンジであった。

 健司ケンジは足を止めてクールカットの青年を凝視すると、


「――間違いないっ! あいつだっ!」


 声に出して断言する。

 それは、緑川健司ケンジが昨日から必死に捜し回っていた人物であった。

 健司ケンジはショッピングモールのひとごみをかき分けながら、大声でクールカットの青年の名を呼んだ。


「――待ってくれ、貝塚シュン――」

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