4 誰も答えない

 狭い納屋は、姉と二人で篭るのに、ちょうどいいサイズだった。


 母が畑仕事に出ている間、ぼくは家の中を練り歩いていた。毎日過ごしていた家を、改めて注意深く見て回るのはどこか新鮮だ。昔は姉と、家の中のかくれんぼうもしていたっけ。たぶんそれ以来、こんなに真剣に何かを探すことなんてしていない。自室で眠る祖母の寝息を聞いてから、ぼくはさてと袖を捲った。

 父と母の寝室は、久しく足を踏み入れていない。息を潜めて覗き込めば、開け放たれた窓から風が舞い込んだ。継ぎ接ぎの淡いカーテンが揺れている。寝台は几帳面に整えられていて、脇のカウチにも枕とブランケット。こちらは無造作に放り投げられていた。同じ部屋で寝ているのに、別々の世界を生きているみたいだ。

 その隣の部屋が、ぼくの部屋だ。姉がいた頃は、一緒に過ごしていた、と思う。姉のクローゼットもぼくのものになったのは、いつの頃からだったろうか。

 姉の衣装は、肌と同じく色素の薄いものばかりだった。軽やかなワンピースはいつもふわふわと踊っていて、その上から母のエプロンを身に付ける様はアンバランスだった。白く細い身体は幻想的で、ベールを纏っているようだったから。

 そういえば、そんな衣装もまとめてどこかへ消えてしまった。姉が持って行ったのだとばかり思っていたけれど、誰かが処分したんだ。その誰かが、わかれば早いのに。

 そうして思いついたことを姉の石灰で黒板に記していれば、両親の寝室で書いたメモに目を見張る。

「パステルの、カーテン」

 継ぎ接ぎに縫われた痕。淡く透き通る生地。慌てて寝室に駆け込んで、それを剥ぎ取った。これは

「お姉ちゃんのワンピースだ」


 白い粉は、黒い木板によく映えた。

 新しい習慣に、ぼくの手は真っ白に染まっていく。まるで昔のお姉ちゃんの手のようだ。そう思ってぼくは、カーテンと一緒に白い粉を頭から被った。

「ひいっ」

 お母さんが悲鳴を上げた。黒い頭の大きな人が、林のほうへ歩いていった。

「うわあっ」

 お父さんが悲鳴を上げた。カルダミネさんと一緒だった。

「ふふ」

 おばあちゃんは笑った。耄碌してるから、目の前がよく見えていないんだ。

 寝室の下手くそなカーテンは、母が拵えたのではないかと思う。けれど、父が母に頼んだ可能性だってある。もしかしたら祖母が、耄碌しながら縫ったかもしれない。ひとりひとりと顔を合わせても、ひとりひとりを責め立てても、ぼくには判断がつかなかった。ただ見ているだけでは、わからなかった。姉ならば、わかったのだろうか。

 けれど、母と一緒にいた黒い頭の人や、父と一緒にいたカルダミネさんなら、わかるのかもしれない。なんだか二人はとても、特別な大人な気がしたから。カルダミネさんはぼくに黒板をくれたし、黒い頭の人はぼくと同じ髪色だったから。

 たぶん、二人は全部、知っていたんだと思う。ぼくが知りたいことも、姉の知っていたことも、全部、全部。


 ぼくにはまだわからないんだ。姉を殺した理由が。

 姉は、ぼくより外を知らないはずなのに、ぼくより世界のことに詳しかった。母から話を聞いて、父から話を聞いて、時折寝室に忍び込んで父の仕事の本も読んでいた。ぼくはまるきり難しくて読めなかったけれど、姉は難しい言葉もよく知っていた。

 いつだったか、母からぼくには姉が他にもいた、という話を聞かされて。姉にその話をしたら、「わたしは妹たちの分もたくさん知識が必要なのよ」と笑っていた。ぼくにはそんなことを考えられない。いなくなった姉たちの分も、ぼくはみんなに愛されるのが仕事なんだ、とも姉は言っていた。

 優しくて、頭が良くて、可愛くて、姉が外へ出ていたら、きっとみんな放っておかない。愛されるのは姉のほうだと思ったし、姉にはすぐにカレシができるだろうなあ、と思った。

「彼氏かあ…… そんなものができたら、きみはどうなるの?」

 言われてぼくは泣きそうになってしまった。

 姉とぼくの名前は、二人で一つ。ぼくがいないと姉は姉じゃないし、姉がいないとぼくはぼくじゃない。

「きみがもっと大きかったら、彼氏ができそうになっても守ってもらえるのにね」

 そうか、ぼくがお兄ちゃんになればいいんだ!

 その日、ぼくは、姉の兄になると決めた。そうしたら、順番通りにもなるもんね。

 狭い納屋で、日の当たらない小さな小屋で、ぼくらはひそひそと笑い合った。


「あ…… そうか……」

 ぼくが最初に、そう言ったんだ。

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