ソラミミのニコ

真野てん

プロローグ

 あれからどれだけ経ったのだろう。

 必死に逃げてきたのでもう帰り道も分からない。

 足が疲れた。ちょっと休もう。道端のベンチで膝を抱えてうずくまる。ここはどこだろうと周囲を見渡しても、前も後ろも同じ風景が続くだけ。

 誰も迎えにこない。ずっとひとり。

 少年は涙を堪え切れなかった。

 もう自分は誰からも忘れられてしまったのだと、そう思う。少年はこころから願った。もう生きていたくないと。

 雨が降ってきた。

 少年の丸い頬で雫がはねる。気が付けば耳の中は雨音でいっぱいだった。少年にはもう他の何者の声であろうと耳を傾ける余裕すらない。ただ時間だけが過ぎる。


 ヤァ、あなたでしたか。さっきから私を呼んでいたのは――。


 なんとも優しい声。

 不意に聞こえたその声に顔を上げると、そこには見知らぬ青年の笑顔があった。彼は雨に濡れないようにと、自分の着ているコートを少年の頭から被せてくれた。

 突然のことに少年が呆気に取られていると、身体が油断したのか、お腹の奥でクゥと鳴る。少年はあまりの気恥ずかしさに頬を赤らめた。

 すると青年は懐からビスケットを取り出しこう言った。


 お腹がすくのは生きてる証拠です。どんなに哀しくても身体は生きよう、生きようとするのですね。さ、お食べなさい――。


 その日食べたビスケットの味を少年は忘れない。

 甘く儚い人生の味。

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