第4話 保津川舟下りの事件

「…団体さんと一緒の舟でも良ければ、すぐに乗れますよ!」

 舟下りのチケットを買うと、窓口の人にそう言われたので、じゃあそれで良いです、と応えて私とユージは早速舟に乗りました。

 …渓流の川岸に待っていた舟は、長さが10メートル少しの大きさで、舳先と後尾に船頭さんが1人づつ、一艘44人乗りで、私とユージは関西弁の賑やかなおじさん団体の後ろに座りました。

「ほな、行きますよ~!」

 船頭さんがそう言って棹を出し、舟は川岸を離れ、流れに乗ってのどかな田園風景の中の渓流を嵐山へと下り始めました。

 舟の滑り出しとともに団体のおっちゃんらは子供のようにはしゃいでいっそう賑やかになりました。

(…関西弁のおっちゃんらホンマやかましいわ~ !! )

 私は思わず胸中で呟きました。

 舟下りの途中、鮎を釣っている釣り人には、

「おっちゃん、釣れとるか~?ぎょうさん釣って稼いでや~!」

 水遊びをしている子供には、

「お~い!あの高い岩から飛び込んで見せたら100円やるで~ !! 」

 など、なんちゃらかんちゃら言うとりました。

 …そのうちに川の流れはだんだんと速まり、舟は岩場の早瀬を水しぶきを上げて進みます。

 さらに川の両側には切り立った岩壁が迫って来て、保津川下りはスリルと緊張のハイライトである峡谷ゾーンに突入して行きました。

 そしてその直後、予想もしなかった大変な事態が起きたのです!


 …保津川下りは佳境に入り、舟は激流の中を右に左に前に後ろに揺れながら進みます。

 …行く手を阻むかのような水しぶく岩!

 …逆巻く渦流!

 …果敢に流れを乗り切り下って行く舟!

 …懸命に棹を操り、躍る船頭!

 その時でした。

「船頭さん、舟を停めてくれ~っ !! 」

 舳先で必死に舟を制している船頭さんの足元で、最前列の舟客が叫んでいます。

「ええっ !? この状況で何言いますねん?冗談キツイわ、お客さん!」

 船頭さんは今、舟を操るのに必死なのでそう言いました。…しかしその客はさらに訴えたのです。

「そやけどワテかてさっきから気持ち悪なってもうアカンのや!死んでまうわ!降ろして~っ !! 」

 …確かによく見るとその人はすでに顔色は青ざめ、辛そうな涙目になっているようでした。

 しかし周りの人たちは、

「何や、船酔いしたんかいな?…そやけどアンさん、こんな所で何処に降りられるっちゅうんや?もうちょっとガマンしいや~、船頭さん困ってはるで~ !! 」

 と口々に言いました。…しかし船酔い客は頑として、

「分かってるがな!無理を承知で言うてんねや!アカンわ~!ホンマ死ぬで~!吐いて死ぬわ~!何でも良いから早う降ろして~ !! 」

 と、降りるの一点張りです。

 そしてついに船頭さんは乗客に向かって言ったのでした。

「分かりました!そしたら舟を停めますわ !! 皆さん、しっかり何かに掴まっといて下さいよ~!」

 切り立つ岩崖の峡谷の流れの中、しぶきを上げる岩を避けながら、船頭さんは巧みな棹さばきで舟を川の右岸に寄せて行きました。

 舟底が川の中の石床に当たってゴツゴツと擦れる感触があり、私たちに不安と怖さを感じさせます。

 さらに船頭さんは棹をトツトツと川底に差してブレーキをかけて行きました。…そしてついに舟を右岸の崖下の大きな丸い岩に接けて停めたのです!

「おお~っ !! 」

 …激流の中で舟を停めた船頭さんの技に乗客からは思わず歓声が上がりました。

 最前列の船酔い客は這い出るように舟から降りると、丸岩の上に移ってうずくまったのでした。

 しかしそんな所に降りたとて、上は崖だし川は激流…いったいどうするつもりなのでしょうか?

 おそらく他の乗客らもそう思うであろう中、

「お客さ~ん!大丈夫ですか~?舟は行きますよ~!ホンマによろしいんでんな~っ?」

 船頭さんは念を押しつつ舟を発進させたのでした。

 下船したおっちゃんは岩の上で弱々しく片手を上げて私たちを見送っていました。…


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