しおらしく黙ってしまった柿谷は、スマホをポケットから取り出し眺めた。

「あれっ?」

「どうした?」


 スマホの電源ボタンやホームボタンを、押しても黒い画面のままだった。ウンともスンとも言わない装置に向かって柿谷は、右往左往して混乱する。

「壊れちゃったのかな? 急に画面がちらつき始めて……」

 その時だった。どこからか信じられないような突風が、スマホを投げ出させた。思わず柿谷は床に落としてしまった。

「あっ……」

 ただでさえ暗闇の中なので、手元が狂ったのだろうと、はじめは安易に考えていた。スマホを手にしようとした、柿谷の仕草に驚いた。スマホから遠のく。声にならない言葉で後ずさりし、はじめに抱きついた。

 柿谷の顔がひどくおびえ歪んだ。女の子が怖いものを見るような顔だった。

「ど、どうしただんだよ? タカ!」

 落ちたスマホに柿谷は指を差している。不安な顔で腕にしっかりとしがみついてきた。

「ス、ス、ス、スマ、スマホ……」

 スマホがバックライトの光りに照らされ、暗闇に不気味に浮かび上がっている。稲光りと轟があたりに響き渡った

 はじめがスマホを拾おうとしたとき、黒背景色の文面に何か赤い文字が記されているのがわかった。


『ハコニハ チカヅクナ ハコヲアケルナ』


 見た瞬間、はじめは背筋に悪寒が走った。警告文ともとれるその文面に絶句した。

「はじめ、やっぱり引き返そう! おれ、ずぶ濡れになってもいいから早いところここから出たい」

 がっしりと柿谷は、はじめの二の腕を掴んで離そうとしなかった。

「タカ、こ、こんなものに、惑わされるなよ」

 声が上ずり震えながらもはじめは、スマホを柿谷にかえす。


(じょ…上等じゃねぇか……)


 その時だった。一匹の蜘蛛が懐中電灯の明かりの下を横切った。危うくはじめは踏み潰しそうになった。

 蜘蛛ははじめの行動を知ってか知らずか、一時的に立ち止まり様子を窺い、再び歩き始めていた。

 空き家になってから、半年以上も経っているのだから。蜘蛛がいても不思議はないとはじめは、あまり気にしていなかった。


 リュックサックから殺虫剤のスプレーとモデルガンにBB弾を用意し、柿谷に持たせた。

「タカ、一番奥の部屋を見たら、すぐ引き返してくる。降りて待ってろ!」

「は、はじめ……」

 柿谷の手を解くと、

「大丈夫だよ。俺を信じろ!」

 ゆっくりと足元を気にしながらはじめは、懐中電灯で右奥に見える扉を目指し、歩を進めた。この辺に来ると蜘蛛の巣が無数に存在し、はじめの歩みを阻んでいる。

 蜘蛛たちは侵入してきたはじめに、慌ただしくうろたえている。

 巣を振り払い、ドアの前まで来たものの、ガチャガチャとドアノブを何度も回そうとするが開きそうにない。

「畜生! ここまで来て、また鍵か……」

 諦め引き返そうとしたとき、反対側にも扉があることに気づいた。試しにノブを回してみると、

「……!? 開くぞ」

 こっちは入れそうだと、恐るおそる懐中電灯を片手に中を覗いた。小さい部屋であることはすぐにわかった。明かりを右から左へと動かしたとき、あり得ないものがあることにはじめは言葉を失う。突然の稲光にあの漆黒の箱が、浮かび上がったからだった。


(こんなところに……どうやって?)


 箱をくまなく調べるがやはり、錠前がしっかりとかかっている。おそらく柿谷が、鍵が合わないと言っていた箱のようだ。

 すぐに柿谷のもとへと急いだ。



 柿谷は二階に降り階段の隅でうずくまったままだった。

「おい、タカ、タカ! どうしたんだよ! しっかりしろ!」

 我に返ったかのように「はじめ」と叫んでいた。

「タカ、見つけたぞ! 例のもう片方の箱!」

「だめだ! あの漆黒の箱を開けちゃ!」

「タカ、なんで、そんなことを言うんだ!」

 物凄い力で両腕を掴み、柿谷ははじめを睨んでいた。

「お、おい、タカ」

「あの箱は、絶対!」

「お前、まさか」

 稲光とともに雷鳴がはしる。

「……のか?」

 轟音によりはじめの声がかき消された。

 もし、あの黒く覆われた箱を開けたと言うのなら、前に言っていたことと違うと、はじめは気がついた。地下でみつけたという鍵は、両方の錠をあけることができたことになる。

「おまえ、両方の箱をあけたのか? なあ、答えろっ!」

「鍵はかぎ穴に差して開けようとした。でも、その前に、タキザキが無理やり箱を開けようとして、近くにいた蜘蛛にまれたらしいんだ」

 またも稲光がはしった。はじめと柿谷の影を映し出す。

「はじめなら、図書館でいろいろ調べていたから期待していたんだ! あの巨大な蜘蛛をやっつけてくれるって」

 怯えながら柿谷はこたえた。

「これで辻褄が合う」

「それって、どういう」

「これはあくまでも、おれの勝手な想像だけど」

 はじめは、図書館で調べたことを柿谷に掻い摘んで話し始めた。この館は、もともと蜘蛛を育てる専用の場所だったらしいのだ。つまり所有者にとっては別宅であった。その所有者は目的が不明だが蜘蛛をバイオ化して、巨大にする研究をしていたようだった。

「バイオ化した蜘蛛?」

「うん、市役所の職員、それに学校の先生がここに入ってきたっていうけど、行方不明になった人たちは蜘蛛にまれて蜘蛛のエサにされたんじゃないのかな? だとしたら、タキザキは大蜘蛛に操られて」

「地下に連れ去られた?」

 所有者が行方不明になるという新聞記事を、はじめは図書館で見つけた。以来、屋敷は荒れ果て、蜘蛛の巣だらけになった。

 館に入ったときに感じた違和感は、蜘蛛の巣の数だった。市役所の職員や小学校の教諭が入ったにしては、巣が多かったのだ。警察が来たときに蜘蛛なら糸を使って目眩しにすることも可能だ。


 だが、巨大な蜘蛛にしても腑に落ちないところが、はじめにはあった。どうやってあの2つの箱のうちの片方の漆黒の箱を持って行ったかだ。片方の中身は一体。本当に柿谷が言うように、もう片方には白骨化した遺体だったのだろう。ならば、なぜ、子供六人で持ち上がらなかったのか。

 考えていても仕方がない。もう箱のことはどうでもいい。蜘蛛に咬まれたら、操られ、餌にされるかもしれない。今は行方不明になっている人の救出だと、はじめは目標を変更した。可能性のあるほうを最優先すべきだと方向転換したのだ。

「タカ、案内しろ!」

「どこへだよ?」

 柿谷がいぶかしく首をかしげる。

「地下に決まってるだろ! まだタキザキを、まゆになって生きている人を助けることができるかもしれない」

「無茶だよ!!」

 柿谷は正面に向き合い、なんとか止めようと説得を試みる。

「まだ、間に合うかもしれないだろ!」

「危ないって!!」

 柿谷には生きて帰って来れないという予感があった。

「俺に期待していたンじゃないのかよ!」

 はじめの強い口調に、柿谷は言い返すまでに時間がかかる。

「だからって今じゃなくたって」

「今以外にいつ行くって言うんだ! 俺はこれが最後なんだ!」

 もうここに来ることはない。

 そういうはじめの強い訴えかけは、柿谷には初めてだった。

 落ち着いた表情で、柿谷ははじめをみつめる。

「裁判、決着が着いたの?」

「ああ、夏休み中に、引っ越すことが決まった。 もう今日しかないんだ! この家の真相を知りたいんだ!」

「はじめ……わかったよ。わかったから落ち着いて」

 柿谷がはじめの興奮をやわらげる。

「おれにも、責任の一環はある。タキザキだけでも救えたらって。でも、きちんと準備しないと危ないだろっ!」

「タカ! 行こう!」


 地下通路に続く扉からの空気が、一階にいたはじめたちの鼻に鋭く攻撃していた。以前にかいだ腐った匂いだった。

 我慢に耐えながら地下へとはじめは降り立ち、リュックから武器になりそうなものと折り畳みジャックナイフを用意した。柿谷に案内されるがままに右通路から奥へと入っていった。途中蜘蛛の巣があちらこちらに張り巡らされている。


 正面に鉄の扉がひしゃげて壊れ、部屋の一部が見える。

 研究室だったのだろうか、試験管や動物のケージなど実験に必要なものが散乱している。

 はじめの表情に硬いものがあった。研究用のベッド、大型の機械にゆっくりと歩み寄りおぼろげな記憶がよみがえってくる。

「じいさん……まさか、ゆりを……」

 ベッドの前でつぶやき、泣き崩れた。

 その実験器具を根城にしているのか無数の蜘蛛の糸が見てとれた。

 忍び足で部屋の前まで来た柿谷は小声で、はじめに呼びかけた。 

「この部屋の中だよ! 気をつけて! 大蜘蛛がいることがある!」

 数個の殺虫スプレーとナイフ、そしてモデルガンの連射式のガス銃と大量BB弾を用意し、あたりを警戒しながら部屋へと入った。

 そこには、柿谷の言うように人型で繭状に包まれているものが、いくつも転がっている。中には繭状のミイラ化した干からびた人型と人骨もあった。ものすごい異臭を放っている。

「はじめ……」

「タカ、生きている人を捜そう」

「うん!」

 どうやら、大蜘蛛は、人間を糸で繭状にした後、時間を置いて生気を吸っているようだった。さながら、大蜘蛛にとっての食事の場か、食糧倉庫にちがいない。

 繭を数えてみると市役所の職員の数名分と小学校の教諭、そして小さい繭が数個あった。

「誰か、生きている人、いませんか?」

 柿谷が声を発した。次いで、はじめも声を発する。

「誰か? 生きている人? いませんか? おーい、タキザキ、生きてたら返事してくれ!」

 その声に反応したのか一つの繭がかすかに動いたのを柿谷は見逃さなかった。

「はじめ! この繭が動いた!」

 直ぐに駆け寄るとナイフで、繭になった糸を切り「大丈夫か?」と声をかけた。

 中からは、はじめたちと同じ年齢とみられる男の子がでてきた。柿谷はすぐに友達の一人であることに気づき、意識があるかを確認した。タキザキだった。

「あれっ? かきたに……?」

「よかった! タキザキ、気がついたか」

「早いところここを出よう!」

「……もうダメだ。ここで……おれたち死ぬんだ」

 弱腰で恐怖に駆られた タキザキの表情は、絶望に満ちていた。もうすぐ、人食い蜘蛛の餌食にされてしまうという不安感だった。

「バカヤロウ、何を弱気になってるんだ!」

 はじめは必死になって繭を解き、タキザキに激をとばした。 

「絶対助けてやる! 早く立ち上がれ!」

 巣を払い、部屋を出ようとしたとき、ミイラ化した繭から奇妙な音が聴こえてきた。


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