週末が過ぎ、何事もなかったかのように、次の一週間が過ぎる。

 箱のことを忘れかけていたはじめだったが、翌週の水曜日が小学校の創立記念日で休みであった。

 学習塾の帰り際。はじめは、偶然に座った後ろの席で、小学校の廊下ですれ違う、タキザキと同じクラスの女子が、熱心に話している噂に何気なく耳を傾けていた。

 数日前、『あの洋館』に行ったまま行方知れずになっているクラスメイトがいるというのだった。『あの洋館』とは、はじめも柿谷と訪れた例の洋館のようである。興味を持ったはじめは、さりげなくその女子にく。

「……もしかして、その行方不明の子って、何か情報があって行ったのかな?」

「詳しいことはわかンないけど……でも、怖いよね」

 それ以上のことはその子からは訊きだすことはできず、はじめにはわだかまりが残る。

 明日にでも柿谷に訊いてみようか、とはじめはスマホでメールを送信した。


 翌日、柿谷に隣のクラスのやつらが、館に行ったまま帰ってこないことをはじめは話題にした。柿谷は青ざめた表情をみせる。明らかに狼狽した。

「おい、タカ、おまえ、何か知ってるのか?」

 柿谷は正直に話し始めた。はじめ抜きで、館に行った事。隣のクラスの数人の友達とコミヤも同行して、もう一度館におもむいたという。目的は館の二階で見た箱を開けることだった。箱の鍵は地下で拾ったと告白した。

「それで、中身は、なんだったんだ?」

 はじめは柿谷にせまった。

 左側にあった箱の中身は白骨化した遺体だったという。白骨化した遺体は、身体が小さかったらしい。右の黒い箱の錠前には、鍵が合わなかったと柿谷は言った。

 柿谷は、タキザキから『鍵』のことをしつこく訊かれたため、館に地下があることをもらしてしまったというのだ。

 遺体を眺める中で、タキザキが、地下も探検してみようと言い出し始めたらしい。勝手に彼は階段に向かい始める。彼を止めようと必死になったが、あろうことか、いきなりあっという間に地下一階の扉を潜ってしまったそうだ。彼を追って柿谷たちも地下一階に降りてしまったという。そのまま、タキザキの行方はわからなくなった。


 タキザキを追っていき地下の奥で目にしたのは、『巨大な人食い蜘蛛』だった。太く丈夫な糸を吐き、行方不明者を繭状まゆじょうにして生気を吸っている姿だった。タキザキを残して柿谷たちは命からがら、屋敷を脱出してきたというのだ。すぐに交番にいき警官とともに館を訪れ、箱の中を確認したが、何もなく、地下に降りる階段すら見つからなかったという。


 柿谷の語る言葉が、はじめには信じられなかった。

 何故こんなにも行方不明があの館から出ているのか、はじめは気になりだし、塾の課題そっちのけで調べ始める。自分がまさかこんな形で、あの館のことについて興味を持つことを、不思議に感じた。


 次の日、授業が終わるや図書室に向かう。館のことを洗いざらい頭に入れ、更にその数日後、市内の郷土資料館や市立図書館へと足を運ぶようになる。普段、学校の図書室など利用しないことを知っていた柿谷は、はじめが、本に夢中になり本棚のそばで、集中しているのを、珍しい顔で見つめていた。




 噂を聞いてから二週間が過ぎようとしていた。

 職員室では慌しくなっていた。タキザキの失踪により両親が学校に乗り込んできたからだった。その光景にはじめは責任を感じていた。柿谷やはじめは、固唾を呑んで見守っているほかなかった。

 市民プールのオープンを間近に控え、夏祭りのチラシポスターを横目に、自転車を漕いで炎天下を、小学校に向かってはじめは走らせた。

 あの日以来、館に向かうのは二度目である。

 今度こそ、箱の中身と行方不明になっている謎を解いてやる。

 はじめは、意気揚々と自転車を走らせた。前日のうちにタキザキたちには声をかけたが反応は薄かった。当然、柿谷にも、もう一度館に行かないか、と誘った。



「あれっ?」

 と、はじめは約束の時間を過ぎて、柿谷しかいないことに驚いた。

「はじめ、やっと来たか……」

「タカだけ……? 他は?」

 と、はじめは呟くと、柿谷は肩をすくめ、『お手上げ』の仕草を見せた。

「メール、見てないのか?」

「メール?」

 館のことで頭がいっぱいになっていて、スマホに友達からの新規メールが届いていたことに気づかなかった。新規受信メールには、いくつものメールが届いている。

「みんな来ないってさ……親に行くな、って止められたみたい」

「だよな。カワスミの親が学校に来たからっていうのがあるかもしれないな」

 残念そうにはじめはうなだれた。

 無理もないか。行方不明者続出の館になんか、危険だ、と普通の親は行かせてはくれない。わかっていたことだが、みんなが集まることを期待していた自分がいたことに、今更ながら気づいた。

「タカは? 親に内緒で来たのか?」

「おれんち、お前と同じで共働きだから、家に帰っても誰も居ないンだ!」

 共働きか、と呟き嬉しそうな表情を見せる。

「……サンキューな、来てくれて」

 はじめは手を広げ、柿谷に抱きつこうとするが、

「な、なんだよ急に……。気持ち悪いな」

 柿谷は迷惑そうに照れくさく、彼の行為をこばんだ。

「おれ一人でも行くつもりだったけど……タカが来てくれたおかげで、勇気を貰った気がするんだ」

「はじめ……水臭いな、オレたち親友だろ!」

 と、柿谷はポンと肩を叩いた。


「ところで……?」

 自転車のかごから、はじめは重たそうなリュックサックを持つと、背中に背負い始めた。

「はじめ、重そうだな……一体何が入っているんだ?」

「秘密道具! これから行くところは異世界のホラーハウスだからね」

「異世界のホラーハウス?」

 はじめ自身、ネーミングを考えていたようだ。ほくそ笑んでいた。

 洋館にまつわる出来事を図書館で見た。当時の悲惨な事件記事をみたはじめには、生きて出られないような理由がほんの少し解った気がしたのだ。


 洋館の前まで来たはじめと柿谷は、改めて洋館の表玄関を見上げた。伸び放題に伸びた雑草や、苔と蔦が幾度も重なり合って雑木林の薄暗さに拍車をかけているほど暗闇に覆われている。空が暗雲にたちこめ、時折、冷たく湿った風が肌にまとわりついてくる。全体像がこんなにも不気味なものとは、知らなかったことに仰天した。

 学校の校庭は、鉄板の上にいるように暑さがこみ上げてきたのだが、洋館の入り口付近はそれが嘘のようで、しかも肌寒く感じていた。明らかに別世界で異質だった。

 禍々まがまがしい雰囲気が、館から放出されているようだった。

「この間来た時と、なんか雰囲気が違くね?! マジ、異世界のホラーハウスっぽい」

「うん……」

 いつの間にか暗雲が立ち込めていた。近くからはゴロゴロと、雷鳴らしき音までする。

 そよ風が吹くたびに、ぞくりと背筋に走る何かを感じた。

 惰弱そうな表情を浮かべながら、柿谷ははじめの顔を真剣に見て、呟く。

「やっぱり、入るのか?」

 柿谷の顔が一層、はじめにモチベーションを下げさせていた。

「ここまで来ておいて入らない気かよ?」

「いや、そうじゃないけど……」

 見栄を張る柿谷が物腰の低い言葉の前後に矛盾があるようにきこえた。不安と怖れが読み取れたのだ。

「今から校庭に戻るとなると、帰る頃には夕立にあうかもなぁ」

 柿谷の様子に意地悪な物言いをした。

「いやな事言うなよ」

「じゃあ、覚悟を決めろよ!」

 覚悟したのか、柿谷は大きく鼻を鳴らし、気合を入れていた。はじめも、心で反芻はんすうした。

 ごくりと生唾を飲み込む柿谷を目にし、

「準備はいいか?」

 と、はじめはつぶやく。

 心臓の鼓動が大きくなっていることがわかった。

「うん!」

 はじめは洋館の扉を開き、中に入った。


 入るなり違和感を持つ。はじめたちは、直接二階のある例の『大きな箱』の部屋へと向かった。驚くべき事に、以前と違いその部屋に『大きい箱』がなかった。ふたりは仰天した。

「そんなはずは……」

 箱のあった場所をはじめは丹念に調べる。白い糸くずのような長い蜘蛛の糸が周囲に散乱していた。

「ジョロウグモ……?」

「ジョロウグモ? そんな……まさか箱をエサにタキザキを地下に?!」

「タカ、タキザキが連れて行かれる時、無数の糸で釣り上げていたとしたらどうだ?」

「あ、そういえば……」

 その時、突然外が光った。雷鳴だった。すさまじい轟音ごうおんが響く。物凄い音を立て雨が降り出していた。

「夢中で追いかけていたけど、白い糸のようなものが……」

「……だろっ!」

「でも、箱は?」


 それでもはじめには腑に落ちないことがあった。だが、今ある推測はそれ以外考えられなかった。しかも、何の目的があって、あの『大きな箱』を動かさなければならなかったのか、それがさっぱりだった。

「そ、そうかもね。でも、どこに持っていったんだろう?  あんなの外に持って行ったなんて思えないし」

「まだ、この館内にあるかもしれない」

「まさか、探すつもり?」

「そのまさかに決まっているだろ!」

 はじめの強い口調に、柿谷が苦悶の表情を浮かべる。ただでさえ、漆黒の箱が消えたことで怖いと感じているのに、と不安の表情を隠せない様子である。


 ふたりして部屋を出た後、3階に通じる階段の前まで来た。懐中電灯で奥を照らすが、窓がないらしく漆黒に包まれた空間があった。

「変わったね、はじめ」

 柿谷が声をかけた。

 はじめには身に覚えがなかった。自分は以前よりなにか変わったことがあったのだろうか、と疑問に感じる。

「?」

「前は一つのことに、そんなにのめりこむ事、ほとんどなかったのに……」

 たしかに、柿谷の言うとおりだった、とはじめは思った。

「お前もな」

「えっ!?」

「昔からオカルト本好きなタカが、まさかこんなに怖がりで、心配性だとは思ってなかったよ」

「わるかったな……心配性で」

 ねている柿谷の顔を見ながら、

「俺の場合、スマホにばかり興味がいって、今の現実を見つめてないのかもな」

 と、上り始める中で、はじめはポツリと呟いた。

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