上がるのは初めてとなる階段を、先頭に立ってはじめは、歩き始めていた。

 踏み段を上がるたびに、独特のきしみの音が聴こえてくる。はじめ以外みんな不安な顔つきをしていた。何が出てくるかわからないような洋館を、ぞろぞろと足並みをそろえムカデがうように上っているからだ。

「そんなにくっつくなよ! 暑苦しいだろ!」

 はじめが先頭に立ち、一歩ずつ階段を上がっていく。右腕にしがみつきながら、柿谷はあたりを警戒するどころか、怯えながら上った。

 階段の踊り場の壁には、この館の主人あるじらしき肖像画が飾られていたようだが、首がそっくり剥がれ落ちている。

 後ろで柿谷が、ボソリと呟いた。

「なんか、出そうな雰囲気だな」


(こいつら、幽霊でも出ようものなら、一目散に逃げそうだな……)


 柿谷は四年生の時に、転入してきた。それ以来はじめとは五年生、六年生と一緒のクラスである。

 柿谷がこんなにも臆病おくびょうだったのかと、この時はじめて知った。遠足や移動教室でも、一緒の班になったことがあったが、全く気がつかなかったようだ。


 柿谷以外の四人の中で、はじめと同じに冷静だったのは、意外にもアンカーを歩くタキザキだった。列の中心にいたまったく動じないカワスミは、むしろワクワクする顔つきをする。


 がらんどうで荒れ果てて壊れた窓から日差しがいっぱいに差し込んでいる。とても怪しい雰囲気にある部屋ではなかった。一同は明るい表情になる。

 奥に脚を進ませると、それは現れた。

 大きい箱がふたつ並んでいる。みるからにゲームから抜け出てきたような、左側は朱色で、黄色い縦縞模様たてじまもよう入りのものだった。右の方はおびただしい真っ黒に包まれた不気味な箱である。毒々しい色だった。ある程度の幅と長さがあり子供が、一人隠れられるほどのスペースのある大きさである。

 どちらの箱にも茶色く『古びた錠前』がしっかりとかかっていた。両方とも子供の力、六人がかりで箱全体を持ち上げようとしても、ビクともせずはじめには悔しさだけが残った。


 はじめは地団駄ぢたんだを踏みながら悔しい顔をあらわにする。

「畜生! この中に絶対なにか入っているに違いないのに……」

 柿谷にははじめの気持ちがわからないでいるようだった。

「そんな箱を開けることに、どうして夢中になるの? はじめ」

「だって、ゲームじゃ大概たいがい、こういう箱は宝があるってきまってるだろっ!」

 柿谷の眼にはムキになるはじめが、この箱の魔力に取り憑かれているように見えている。

 付き合いのみでついてきたタキザキが、

「とりあえず、今回は様子見でいいじゃないか」

 すぐにはじめはタキザキに反論した。

「俺は高望みしても、家じゃすぐには手に入らないんだ! それに……」

 はじめは途中まで言いかけたが、照れ臭くなったのか、それ以上は言葉を発しない。

 柿谷にははじめが焦っているようにみえた。

「はじめ、何を焦ってるんだよ!」

 柿谷の隣にいたカワセが、ぽつねんと呟いた。

「そういや、はじめの親って離婚して暮らしてたンだったな! この前、家に遊びに行った時、いなかったもんな」

「ああ、今、裁判所でを争っているんだ! 今しか」

 柿谷はいぶかしく首を傾ける

?」

 はじめの右隣にいたコミヤも、考え込んでいる。

「父さんと暮らすか、母さんと暮らすかまだ決まっていないんだ!」

 柿谷は合点がてんがいったような顔つきになる。

 コミヤが問いかけた。

「引っ越すかもしれないってこと?」

 こくり、とはじめはうなずいた。

「今、父さんが週に一回顔を見せに来るけど、今年の秋になったら他の町に転校するかもしれない」

 はじめの左隣にいた小太りのカワスミが呟いた。

「ってことは、この館の探索も今のうちなの?」

「ああ……」

 カワスミが、何か言いたそうだったが、

「ふうん……」とだけ呟き、黙ったままだった。

「お前んとこは、家庭が大変なんだな」

 タキザキが皮肉をこめて言い、さらに箱の錠前をにらみながら、

「けどヨォ、鍵がないと、この箱は開けられそうにないぜ!」

 箱の上に頬杖をつき、文句を言う。

「……だよなぁ」

すんなりとはじめは納得をした。

 二階の探索をはじめが担当した。もうひとつ上の階は時間があったら、ということで全会一致になる。探索を始めてから、どのくらいたっただろうか、手分けして探しても結局、鍵らしいものはみつからない。


 残るは三階だとはじめは意気込んだ。しかし、なにげなく壊れた窓から空を眺めると、雲がオレンジ色に映えている。夕方になっているのだろうか、館の中が薄暗くなっていた。不気味な静けさの中で、カラスの鳴き声だけが異常なほどはじめの耳に聴こえてきた。


「これだけ探しても、見つからないから今日は諦めようか……」

 柿谷が安堵のある声を上げる。

「そうだよ! 薄暗くもなってきたし」

 柿谷よりも怖がりなコミヤが人一倍大声で賛成をうながした。

 結局、苦労して何も得られないまま帰ることに、はじめには悔しさがこみ上げてくる。みんなからは疲労の色だけが窺えた。しかし、彼にはわだかまりがありよほど納得できなかった様子である。


 そろって一階に降りた後、外に出ようと扉を開こうとしたはじめは、柿谷が立ち止まってる視線にある方向を何気なく見る。そこには地下に降りる階段があった。はじめは思わず階段に向かって指をさす。

「はじめ、どうしたの?」

 不思議な顔つきで柿谷はいった。


  

 気になり柿谷が、指の方向に振り返る。ゴクリ、とつばを飲み込んだ。

「タカ 、探索途中で気がつかなかったよな?」

「うん、別の場所に夢中になってて見落としたのかも?」

 はじめは、初めてこの館の異質さを目の当たりにしたように感じた。久々に訪れたものの、2年前のことを思い返しても、地下に降りる階段などなかったように記憶していたからだ。



 早々と階段を下りるはじめ。懐中電灯をあて扉を調べる。扉板には『……ヲアケルナ』となぐり書きで彫られた文字が読めた。

「? ……をあけるな? 何だ、これ?」と気にも留めず、試しにドアノブを回してみる。

 鈍くこすれる音と共に扉は開いた。

「……? 開くぞ」

「やめとこうよ、はじめ」

 柿谷がいうには今から地下を探索するのは、得策ではないと、はじめを説得する。夕方からこの館を探索するのは柿谷にとっては、いやな予感がつきまとう時刻であるに違いないと直感で思ったのだろう。

「はじめ、この地下、ヤバイって。ウチのばあちゃんが、夕方からはお化けが目覚めるっていうんだ!」

 はじめは彼の説得をだまって聞いていた。


 一階階段の上からタキザキが、地下の扉前にいたふたりに手を振った。

「おーい、はじめ、タカ、先に帰るぞ!」

 ああ、じゃあな……、とはじめは友達四人が手を振り、扉から外に出るのを確認した。

「タカ、行くぞ! 第二ラウンドだ!」

「えっ? 帰るンじゃ? やっぱり行くの?」

「何も得られないまま帰りたくねぇんだよ、せめて鍵だけでも……」

「でも、もし鍵を見つけたら、真っ先に箱を開けにいくんだろ!」

 ニタリと柿谷に笑ってみせる。

「まったく」

 柿谷が諦めた表情を浮かべ、肩をすくませ、

「はじめの好奇心には『怖い』という感情がないみたいだね」

 ため息をつき言い放った。半分諦め顔で、

「わかった、付き合うよ。でも少しだけにしよう。この地下の空気って一階の空気と全然違うから」

 はじめは訝しく表情を硬くし、柿谷に振り返る。

「空気が違う?」

「うん、なんていうのかな……言葉じゃうまく言えないンだけど」

「……」

 しばらくの沈黙の後、はじめは「わかった」とひとこと言った。


 柿谷の言う『空気が違う』というのが、はじめには全く理解できなかった。だが、今まで柿谷といるときに危険な目に遭ったことが、そういえば、一度もないことに気がついた。柿谷には、事前に危険とわかると回避できる能力があるのではと、はじめは想像した。

 地下に降りたはじめは驚いた。どこから漏れているかわからないが、地下水まで流れ込み、水溜りもできている。懐中電灯を片手に人工的に土を削って造られた通路が、右と左に別れていたからだ。これはやはり柿谷の言うとおり、少し探索して再度、出直したほうが賢明だろうかと考えた。


 先頭に電灯を照らしながら進み、周りを調べ振り返ったとき、柿谷が何かに気がつき、前かがみにしゃがんでいたように思えた。

「ん? タカ、どうしたんだ?」

「ん? 別に、なんでもないよ」

 と、柿谷は、はじめに悟られないように、何かを隠した。

 通路は左右どちらとも奥まで続いているようで、漆黒に包まれ見通せなかった。

「この地下って、思っていたよりも深そうだな!」

 今にも通路の奥からモンスターか、クリーチャーが現れそうな雰囲気が、そこにはあった。薄暗く、陰気だった。

 はじめは急に立ち止まった。何かが腐ったような無気味な匂いが、鼻をツンとつついたのだ。

 どうやら柿谷も気がついたようだ。

「何だろう、この匂い?」

 と、思わず手で鼻を押さえた。

やめとこう、と脳が反応するよりも早く体が反応した。漆黒の闇から後戻りし、はじめたちは早々と一階に引き返した。


 入るときの好奇心に満ちた顔が、上空のカラスの鳴き声に連れて行かれたように、不安に満ちた顔に変化した。

 はじめは不思議に思っていた。十歳のときに初めてこの館に入ったことがあった。当時は全く恐怖心や不安感がなく、単なる遊び場として思っていた。しかし、二年経って館のことをすっかり忘れている間に、自分に芽生えた恐怖心や不安感が増していたのだ。館全体が遊園地のホラーハウス以上のようにさえ感じた。

 無事に館を出られたが、心残りがあった。二階のあの大きな箱のことだ。どうしても頭から離れず、家に帰ってからも寝るときにも、あのことを考え続けていた。



 

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