異世界ネゴシエーター

あさかん

対オーク種族との交渉戦

第1話「外務大臣政策担当秘書官高柳充、異世界に飛ぶ」


 幼少のころから自分は他のやつらより少し頭が良いという自覚はあった。

 俺の親父は会社を立ち上げそこそこの大手にまで成長させた創業者の社長だ。子供は俺と妹のふたりだったので、親父は一族経営を続けるべく男子の俺に英才教育を施していた。


 俺は親父の期待通りに小学校から超難関校に入学して、大学卒業以後はすぐに自分の会社に入社させられた。特にこれといってやりたいことも無かったしそれほど不満があったわけではなかったが、強いて言えば両親が五月蠅くて学生時代に当たり前な青春を謳歌できなかったことくらいだろう。


 問題は親父の会社に入社した以後のことだ。ワンマン社長の親父が立てている企業方針の長期プランが俺にはどう見積もっても転落の一歩を辿る方程式にしか見えなかった。親父は自分の興した会社をそこそこの大手にまで伸し上げたが故に、今まで自分の立てた指針やノウハウを唯一無二の成功論だと信じ込んでいる。

 しかし今はその頃と時代が違うのだ。大きく異なるのはインターネットでのやり取りがビジネスの中枢を占拠しつつあること。旧時代やり方が常勝であってもしてもそれが不敗とは限らない。実際に昨今の経営状況を並べてみると一目瞭然であり、現状の赤字決算がギリギリ誤魔化せていても単にそれを後に後に転ばせているだけのことだった。


 赤の他人であれば上手く説き伏せる自信があった。しかし血の繋がった親子であるが故にどうしてもお互い感情が先行してしまい、話が拗れる度に実績の無い俺の意見が通ることは決して無かった。挙句の果てには『自分の操り人形が欲しかったら、妹の婿にでもその椅子に座らせれば良い』とまで言ってしまう始末。

 流石にそれを直接親父に言ってしまう程ヒステリックになっていたわけではないが、度々俺を自宅に招いては高級な酒を飲ませてくれる母親の弟である外務大臣の叔父さんが俺の溢した愚痴を聞いてこれは捨て置けないと思ったらしい。


「一度義兄さんから離れて、俺の秘書になれ」


 ここまでが俺、高柳充たかやなぎみつる25歳が外務大臣政策担当秘書官になった経緯。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 現職外務大臣の叔父さん、大野六助おおのろくすけの誘いを受け、何となく政策担当秘書試験を受けてみたら一発合格したので、私設ではなく公設秘書として任命された。親父からは勝手に3年との上限を決められたが、正直親父の会社に未練は無かった。秘書官になり1年ほどたってその面白さを感じ始めたからだ。


 率直に言うと叔父さんは頭が悪かった。経営者の資質で見れば今の時代錯誤な親父よりもまだ劣るだろう。無論畑違いの外務大臣としては知識も人脈も申し分なかったが、機転が利かず一度窮地に陥るとそこから抜け出す戦略を自らで打ち出すことができない。ただ親父と違うのは、叔父さんが自分の長所と短所をきちんと認識しており、自分が旗印としての役割に徹して政策に関しては殆ど専門家などのアドバイスに耳を傾けていたところだ。

 勿論俺の考えも真摯に受け止めてくれる。最初こそ小さな政策だったが成功の度にそれを認めてくれて、あっという間に国家間戦略にまで参加させてくれた。


 気がつけば外務大臣としての交渉の殆どは裏で俺がやるようになっていた。


「俺が無能で良かった。俺が有能だったら絶対成功すると解っていても20代そこそこの小僧に任せたりはせんからな」


 大野六助はそれほど時間を要せずに稀代の名政治家として名を馳せる。運の要素も無い訳でも無いが、俺の交渉術が国家間のやりとりで面白いように上手く事を運んでいた。


「充、準備は出来ているな?」

「次は南米でしたっけ?」


 中近東諸国との交渉の合間に南米に渡るのはリスクが高い気もするが、任期満了間近の叔父さんがひとつでも多くの功績を立てておきたい気持ちはわかる。でもこの南米交渉を俺が承諾したのは無茶苦茶個人的な理由もあった。叔父さんの秘書を務めてからというもの殆ど休む暇がなく、自分の趣味に割く時間など在りはしなかった。―――秘境巡り。俺はどうしても南米のとある秘境に一度行ってみたかったんだ。


 後々考えてみると、この邪な考えが行けなかったのかもしれない。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「よくやった!本当によくこの交渉を取りまとめてくれた!」

「結果論ですがね、実際は結構リスクもありましたよ」

「どの道、選挙で野党に負ければ退任だ。リスク以上の成果はあった」

「まあ、上手くいって良かったです。……それで叔父さん、約束の―――」

「ああ、秘境巡りだったか? 俺は首相に報告せねばならんので一足先に帰国するが、お前は数日間滞在したいんだったよな」

「はい、済みませんね。ご褒美とでも思って貰えれば」

「構わんよ。今の時代は問題が起こってもネットでどんなやり取りもできるからな」


 叔父さんはインターネットが万能と思っているようだ。俺がこれから行く場所にもしそんなインフラが整っていたら絶対に秘境と呼ぶことはできないだろう。少し考えれば誰でもピンとくると思うのだが、そこに思い当たらないところが叔父さんらしいと言えば叔父さんらしい。しかし俺はそんなことを指摘してやるほど善人ではないし、無欲な男でもない。結局俺は少し苦笑いをして叔父さんを見送った。


 そして翌日。現地のガイドを雇って目的の秘境へ足を運ぶ。行けるところまでは車で行くが、道なき道を進むには徒歩でしか不可能だ。基本的に俺は誰だろうが人と接するときはスーツを着用する。それがオフの日で相手が海外のガイドであってもだ。今の時代は情報が一気に加速し拡散される。交渉事なんて如何に相手の足を掬えるかどうかの転ばし合いなので、少しの油断も禁物だった。


 だからこの気温と湿度の中でスーツ姿の俺にガイドが『この人馬鹿なんじゃないの?』という目をチラチラ向けているが決して気にしてはいけない。馬鹿で結構。……それにしても熱ぃ。


 十二分に水分を補給しながらジャングルの中を歩くこと2時間、ようやくお目当ての場所に辿り着いた。何度も何度もネットで写真を見た景色が目前にある。まさに心が洗われるようだった。

 俺は心身共に酔うためにこの場所で光景を眺めながら酒を飲むと決めており、好物の果実酒を持参していた。それを実行に移す前にやっておかなければいけないことがある。それは身も心もスッキリさせておくこと。つまり用を足したい。俺はガイドにそれを伝え便所の無い秘境で立ちションをするためにその人から少し離れた場所に一人で向かった。


「自然に囲まれた場所で野ションをするのも乙なもんだな」


 尿意から解放された俺は自分の大事なモノをしまうためにカチャカチャとスラックスのチャックとベルトを締めながら感嘆の声を上げていた。


 するとその時だった。


 呪文のような音。目の先にある洞窟から聞こえてくるのは人間が発する声とは違い、自然が奏でる音が発声しているかのようだった。長時間ガイドから離れるのは危険だということくらい十分に理解していた筈なのだが、その時の俺は好奇心からだろうか、まるで操られているかのようにそこに向けて足が勝手に動く。


 俺は自分の目を疑った。その洞窟は浅く、ただの洞穴のような6畳程度の窪みだったのだが、その中央に円を描いた魔法陣の光が宙を浮いている。まるでその中に入れと言わんばかりに。


 駄目だ! 駄目だ! 頭でそう自分の体に命令しているのも関わらず俺の歩みは止まらない。既に好奇心などは微塵もなく恐怖に変わっていた。体の制御が効かずそれを制止する術は存在しなかった。


「あ、あっ、ああ……」


 結局、その宙に浮く光り輝く輪の中にすっぽりと入り込んでしまい、魔法陣のようなソレは一旦地面に降りると再び俺の頭に向けて上昇し始めた。上がってくる円の下を見ると、光の粒に弾けて体が消え去っており、首から下が無くなったところまでは確認できたが、その後はプツッと意識が飛んでしまう。


 再び意識が戻ったとき、そこは洞穴ではなく、ギリシャ神話に出て来るような円柱の柱で囲まれた神殿のような場所だった。


 そしてその中には見上げるほど大きな竜と小さな少女がいて、俺の方をジッと見ていた。


 多分どんな馬鹿でも解るだろう、此処は―――異世界だと。

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