第17話 未来を信じて

 九月一日。今日から新学期が始まる。

 自分の部屋で真新しい大滝高校の制服に身を包んだ僕は洗面台の鏡の前で身だしなみを確認して、祖母にいってきますと声をかけて外に出た。


「暑い……」


 九月になっても夏の暑さは和らぐことを知らず、カンカン照りの太陽は容赦なく僕に日光を浴びせてくる。ここから大滝高校に行くにはバスしかない。そのバス停まで歩いて四十分はかかる。東京にいた頃は冷房の効いた電車とバスで登校していたので、バス停までの道のりは地獄のように感じられた。

 それでも汗を流しながら歩いていると、後ろで自転車のベルが鳴った。振り返ると半袖のYシャツに身を包んだ紗耶がいた。


「早くしないとバス行ちゃうよ?」

「これでも頑張って歩いてるんだよ……」

「ふーん……それじゃ頑張って」


 紗耶はそれだけ言い残すと本当に、僕のことを追いぬかして去ってしまう。


「えっ! 嘘でしょ? 二人乗りさせてくれたりしないの?」

「そんなことしたら夏に怒れらちゃうでしょ? じゃ、頑張って」


 紗耶は振り向くこともなくひらひらと手を振ってそのまま行ってしまった。いや、確かに夏に何か言われるかもしれないけどさ……いや、でも二人乗りくらい幼馴染なら許容範囲でしょ?

 しかたなく徒歩でバス停に向かう。色々な出来事があった室川に架かる橋を越えて、新田地区へ。バス停のあるスーパーまで辿りつく。バス停には誰もおらず、乗客は僕一人だけだった。


「みんな自転車で学校まで行ってるのか……」


 紗耶も圭太も通学は自転車だ。多分バス停も少なくて時間がかかるバスは不便なんだろう。他の生徒も自転車登校に違いない。今度僕も自転車を買いに行こう。でも、この村には自転車屋なんてないから隣の村まで行かなくちゃいけない。それに自転車を買うほどお金があるかどうかもわからない。今度祖母に言って買ってもらうか……

 そんなことを考えているうちにあの旧式のバスがのろのろとやってくる。


「やっときた……」


 バスを待っている間も陽射しの下に居たのでまだ登校前だというのに制服はすっかり汗で湿っていた。折角の新品なのにこれじゃ意味ないなと溜息をつきながら、目の前で開いたバスに足をかける。


「たっくんー!」


 その時、バスのやってきた方とは反対の方から夏の声がした。


「なっちゃん?」


 足を引き戻す。運転手は何事かと僕のことを見るけど、僕の視線はもう既に麦わら帽子をかぶった夏の方を向いていた。


「よ、よかったー……ま、間にあった」


 夏は息を乱して膝に手をつく。


「ど、どうしたの? そんなに急いで?」

「み、見送りにきたの……初登校だから……」

「そ、そんなことしてくれなくてよかったのに……」

「で、でも……たっくんの制服姿も見たかったし……」


 夏は暑さや息切れ以外で頬を赤らめた。それを麦わら帽子で隠すように深くかぶる。その夏の姿に僕も何となく恥ずかしくなって顔を伏せる。夏と付き合うことになってもう二週間が経つのに、未だにこうした小さなことでお互いに恥ずかしがる日々が続いている。だからまだ手も繋げていない。いや、それは僕が臆病だからか。


「……たっくんの制服姿かっこいいね」

「本当?」

「うん」

「そう、よかった……」


 もう汗まみれだけどね、と心の中で付け加える。それでも夏にかっこいいと言われたのは純粋にうれしかった。


「それじゃ行くね。バス待たせてるから」


 先ほどから運転手の早くしてくれオーラを感じていた僕は、夏と離れたくない気持ちを抑えながらバスに乗り込んだ。


「うん……じゃあねたっくん。学校終わったら連絡してね」

「わかった。それじゃまたあとで」


 手を振り別れる。バスの料金入れに百円玉を二枚入れる。バスの扉が閉まる音がして――


「たっくん!」


 再び夏が僕のことを呼んで、閉まりかけた扉はまた開いた。運転手の顔を見ずにすいませんと頭を下げて、バスにのったまま夏のそばへ。


「耳貸して?」

「えっ?」


 何か小声で話さなくちゃいけないことがあるんだろうかと耳を傾けると、頬に柔らかいものが触れた。

 キスされたのだと気付くのに少し時間がかかった。


「いってらっしゃい、たっくん」


 驚いて顔を放したのと同時に、扉が閉まった。どうやら運転手も我慢の限界らしい。ちゃんと時間通りにバスを走らせなくちゃいけないのは分かるけど、もう少し待って欲しかった。けど、そんな僕のことを知ってか知らずか、バスは無情にも走り始めた。慌てて窓に近寄る。微笑む夏がどんどん遠ざかって行くのを見つめながら、僕は頬に残る淡い感触を指先で確かめた。

 キスされたという事実をようやく飲み込み始めた僕は顔を赤くして、大滝高校の制服を着た女子生徒がイヤホンを耳につけながら一人で二人用の座席を占領して寝ているのを横目に見ながら、適当な座席に腰掛けた。

 バスは少し荒い運転で進んで行く。多分、僕が時間をとらせたからだと反省。それでも頬に残る感触に僕は一人でニヤつく。多分他の人が見たら気味悪が悪いと言われるだろう。

 しばらくバスに揺られた僕は、ふとこれから夏と、紗耶と、圭太と、四人でどうなるんだろうと考えた。けど、四人での未来は思ったよりも不透明で、明日もどうなるかもわからないほどに曇っていた。

 いつの間にかバスが大滝高校に着いていた。女子生徒がそそくさと降りていくのを追うようにして僕もバスから降りる。再び陽射しが僕のことを突き刺した。でも、その暑さは不思議とバスに乗る前ほど不快じゃなかった。

 僕は歩き出した。新しい学校へ、これから夏と、幼馴染四人で進む未来へ。

 どんなことがあってもきっと大丈夫なはずだ。先ほど現れた不安をもみ消すように心に言い聞かせる。前が見えないほど曇っていても、今の僕たちならつらいことも、悲しいことも、楽しいことも、全てわけあって背負っていけるはずだ。そう信じられた。

 だって僕たちはあの夏をこえたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

NA―TSU  夏鎖 @natusa_meu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ