第16話 好きです

 橋の上で散々泣いた僕らは、二山地区側――僕と紗耶の家があるほうの橋の入り口の隅で紗耶の乗ってきた自転車を囲むように談笑していた。


「あー目が痛い……」

「紗耶はー泣くとき目擦り過ぎなんだよー」

「しょ、しょうがないじゃん! 涙が止まんないんだから!」

「目の周り赤いー。赤パンダみたいー」

「なんだよ赤パンダって……」


 僕は思わず突っ込む。


「知らないのー? 最近中国の四川省で発見された普通の白黒のパンダの亜種でー……」

「えっ? うっそ、本当にそんなのいるの?」


 紗耶が思わず反応する。


「なんてーそんなのいるわけないじゃんー」

「はぁ? なに本当に存在するみたいに言ってるの! 信じそうになったじゃん!」

「そんなの信じる人いないー。拓はー信じなかったでしょー?」

「当たり前でしょそんなの」


 僕は呆れながらも圭太の嘘を本当に信じそうになった紗耶を見つめる。


「ふっ、二人ともグルだったのかー! な、夏! 男二人があたしに巧妙な手口で詐欺を――」

「紗耶、それはさすがに騙されないよ?」


 夏が笑顔で言うと、拗ねたのか紗耶は橋の上で体育座りをして泣き始めた。もちろん嘘泣きだから、三人で笑いながらその様子を見つめる。


「また目の周り赤くなるよ? 赤パンダ」

「うっさい! 拓の馬鹿ッ! ばーっか!」


 それに今度は四人で笑って、お互いに赤く腫れ上がってしまった目で見つめ合った。夏だけは泣く前も泣いた後も瞳の色は変わっていない。それがなんだか妙に安心できて、僕は一人別の意味でくすっと笑ってしまった。


「あっ、たっくんなに笑ってるの?」

「え、あ、いやなんでも?」

「なんで疑問形なの……?」


 ジト目で見つめてくる夏。それに今度ははぐらかすような笑みを返す。すると、いつの間にか背後に回っていた圭太が僕の肩を叩いて小声で耳打ちした。


「今ならー告白のチャンスだよー」

「えっ!」

「いけるってー。もう昔みたいにチキンじゃないだろー?」

「えっ、本当に今? しなくちゃ駄目? ていうか告白なんてするタイミング?」


 小声で圭太と話しながら、横目でチラチラと夏の方を見る。


「そうだよー。紗耶は俺が引き受けるからーあとは頑張れー」

「えっ、ちょ! 僕まだ告白の言葉とか考えてないよ!」


 圭太は僕を鮮やかに無視。にやっと笑いかけると紗耶のことを呼んだ。


「紗耶ーちょっと一緒に来てー」

「なんで?」

「いいからー夏のためにー飲み物でも買ってこようよー」


 紗耶は圭太を見て、次に夏のことを見て、最後に僕のことを見た。僕の表情で何かを察したのか、紗耶も圭太と同じようにニヤッと笑う。


「あっ、いやちょっと――」

「ねぇねぇ夏ー。夏は飲み物何が飲みたいー?」

「えっ? わ、私、飲み物飲めないよ?」

「了解っ。圭太ー夏はオレンジジュース、拓はコカコーラのゼロだって」

「そっかー……ここら辺は自動販売機ないしー新田地区のコンビニまで行かないと駄目だなー」

「そうだねっ、それじゃ行こうか。圭太! 自転車漕いで!」

「わかったー」

「えっ、嘘? 二人とも本当に行くの?」


 いきなり告白とか本当に無理なんですけど!


「それじゃれっつごー」


 早くも荷台に乗った紗耶がスタンドをあげた、それと同時に圭太がサドルに跨って風のように消えて行く。夏はなにがなんだかわからず唖然。僕はいきなり夏と二人きりになったことに少し戸惑った。


「ふ、二人ともどうしちゃたんだろ? 自動販売機なら近くにあるのに……」

「はははっ、そうだね……」


 乾いた笑いで夏に返事をする。


 しばらくお互いに無言が続いた。夏は僕が口を開くのを待っているんだろうけど……ほ、本当に今このタイミングで告白なんかしていいのだろうか? それにしたとして夏が頷いてくれるかどうか……


「ねぇ、たっくん……」

「どうしたの?」

「私、謝らなくちゃいけないことがあるんだ……」


 その表情がひどく暗いものになっていることに気がついた僕は、まさか僕が告白することを悟られて予め断られるのでは? という謎の恐怖心にかられた。そんなことあるわけないだろと心の中で否定するけど、二人の内どちらかが夏に僕が告白することを告げ口していたなら……?


「な、なに?」

「この前たっくんに会ったとき……私、事故にあったのたっくんのせいにした……」

「えっ、あ、あぁ。なんだそのこと?」


 てっきり告白する前に拒否されるのかと思った。やっぱり僕が告白するなんてことを知らない夏がそんなことするはずなかった。少し安心。


「私、たっくんからもらった――」

「知ってるよ? 僕のあげた麦わら帽子追いかけて事故にあったんでしょ?」

「えっ? どうして……?」

「紗耶から聞いた」

「そ、そうなんだ……ごめんね? 車がきてるのに追いかけた私が悪いのに……あんなこと言って……」

「ううん、全然。むしろうれしいよ」

「うれしい?」

「うん、だってあんな昔にあげた麦わら帽子まだ使っててくれたんだし。お礼言いたいくらいだよ」

「そ、そんなお礼なんて……」


 夏は急に赤くなって手を顔の前でぶんぶん振った。


「でもたっくんからもらった麦わら帽子汚しちゃった……」


 夏はまた暗い顔になる


「大丈夫だよそんなの。洗えば落ちるよ」

「麦わら帽子って洗えるの?」

「うーん……多分洗えると思うよ」


 子供の頃、僕が汚してきた麦わら帽子を母親が水で綺麗に洗ってくれたのを思い出す。その時洗った麦わら帽子は無事だった記憶があるので、多分問題ないだろう。


「そっか……ならよかった」


 夏は控えめに微笑んだ。


「でもさ、今まで僕があげた麦わら帽子かぶっててくれたんだよね? どうして僕がいる前ではかぶらなかったの?」


 夏があの麦わら帽子をかぶっている記憶は小学校の高学年になる前あたりで途切れてしまっている。僕はずっとサイズがあわないものだと思っていたけど……


「あ、そ、それはね……恥ずかしかったから……」


 夏は頬をほんのり朱色に染めた。


「あー……あの麦わら帽子が子供っぽかったからってこと?」

「ち、違うよっ! そうじゃなくて……ただたっくんにうざいと思われると思って……」

「なんで?」

「だって……小さい頃にもらったものずっと使ってたらなんかおもいでしょ?」

「そ、そんなことないよ! うれしいよ! だって――」


 言葉に詰まる。鼓動が異様に早まる。全身の筋肉が固まったように緊張する。告白するなら今かもしれない。頭の中で誰かが早く言っちゃえよ! と僕のことをはやし立てる。言うのか? 言わないのか? で、でも……言わなかったら絶対に後悔する。で、でも断られても後悔する。

 え、えぇい! もう言うしかない! 僕は夏のことを真っすぐ見つめた。夏も真っ直ぐに見つめ返してくる。

 深呼吸してから、僕はついに言った。


「なっちゃんのこと、しゅ、好きだから!」


 ……噛んだ。噛んでしまった。一世一代とまではいかなくても人生の大きな転換点になるかもしれない夏への告白で……噛んでしまった……

 僕が絶望的な気分で、それでも期待するような表情で夏から目をそらさずに返事を待った。夏は再び顔を真っ赤にして、目をあちらこちらに泳がせる。それからしばらくして、今まで泳いでいた二つの機械の目が僕の人間の目とあった。


「わ、私も……たっくんのこと好きです……」


 夏は無垢な笑顔を僕に向けた。

 その笑顔は僕から麦わら帽子をもらったあの時と同じものだった。

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