第10話 傷つきたくない

 大滝村駅の無人改札を抜けた僕は、まばらな乗客と一緒にバスに乗り圭太の高校に行った時と同じようにスーパー前の停留所まで向かった。乗客はスーパー前に行くまでに一人、また一人と減って行き、ついには僕だけになった。

僕は夏にメールを打ち終わってからずっとスマホを握りしめていた。いつ夏からメールがきてもいいように、きたらすぐに返信できるように真っ暗な画面をじっと見つめていた。しかし、見つめていればいるほど不安ばかりがつのり、もう二度と夏に会えないんじゃないかと考えてしまう。僕はスマホを握る手をなんとか緩めてポケットに押し入れた。

スマホを仕舞った僕は代わりに窓の外の景色を眺めた。点々と立ち並ぶ民家はピースの足りないジグソーパズルを眺めているようで、幼馴染という僕らのピースもこれくらいすかすかなのかな、まだ完成は出来ないのかな、どうすれば埋まるのかなとごちゃごちゃになった感情と共に見つめていた。

 その景色に白い花が咲いた。


「なっちゃん?」


 一週間前川原でバーベキューをしたときと同じワンピースを着た夏が曲がり角を曲がるバスとすれ違った。


「すいません! 止めてください!」

「うぉ!」


 僕が鋭く叫ぶと、運転手は驚いた声と共に状況もよくわからないまま急ブレーキをかけた。そして勢い良くバスが停車すると同時にドアが開いた。おそらく運転手が混乱したまま反射的に開けてしまったのだと思うけど、僕は構わずにそのままドアから飛び出して夏が歩いて行った方向へ猛然と走り出した。突然降りて行った乗客に運転手は驚いているだろうけど、お金は先払いだし問題はないはずだ。

 先ほどバスが右に曲がった角を、全力疾走で左に曲がる。夏の小さな背中が見えた。


「なっちゃん!」


 走りながらも、出来る限り大きな声で夏のことを呼んだ。その声は、夏に届いただろうけど、夏は僕と同じように走って――おそらく逃げている。


「なっちゃん待ってよ!」


 夏はカツカツと小気味いい音を鳴らしながらヒールの高いサンダルで必死に走っているが、スニーカーを履いている僕は二十メートルも行かないうちに夏に追いつく。


「待ってよ!」


 夏の腕を掴んだ僕は少し息を乱しながら、掴んだ腕をそのまま引っ張って僕の方に向かせる。


「放してよ……もうお別れしたでしょ?」


 下を向いたまま、か細い声で夏は告げる。


「お別れって……僕はあんなの認めてないよ!」

「認めたくなくても認めてよ……私はもうこれ以上傷つきたくないんだから……」

「なっちゃんが傷ついてるのはわかったし、夏がこれ以上傷つきたくないのも今のなっちゃんを見てれば十分に伝わってくるよ!」

「なら放してよ! たっくんが私の腕掴んでるせいで私はまた傷つくかも知れないのに!」


 声を荒らげて、夏は僕の腕を振り払う。


「で、でも……」

「もう本当にやめてよっ! なんで私がこれ以上つらい思いしなくちゃいけないの!」


 顔を勢い良くあげた夏の顔は、涙が出るなら今すぐにでも零れ落ちそうになるほど歪んでいた。


「私はもう悲しくても涙も出ないの! 泣きたくて泣きたくて、どんなにつらくても、どんなに苦しくても涙が出ないの! そんな私の気持ちたっくんにわかるの? ねぇ、わかったうえで傷ついてるのわかってるとか、傷つきたくないとか言ってるの? たっくんはわかってるの……?」

「そんなの……わかってるよ……」


 本当はこれっぽっちもわからない。僕は全身くまなく全てが人間の体で出来ている。夏のように脳以外全部機械なんてことはない。機械の気持ちを、例えば僕が持っているスマホが僕にどのような気持ちで扱われているのか知り得ることが出来ないように、僕とは決定的に違うロボットの夏のことはどんなにわかった気になっても知ることができない。


「だいたい……事故にあったのだってたっくんのせいじゃん……」


 夏にいきなりそんなことを言われた。


「はぁ? なんで? 僕、夏が事故にあったとき東京にいたじゃん。なのに――」

「もういい」


 夏は身を翻すと小走りに走り去って行った。

 事故に会ったのが僕のせい? 夏の事故と僕がどうして関係しているのかその時の僕はわかるはずもなく、ただ夏が去り際に残したやつあたり程度にしか思わなかった。



 紗耶からメールが来たのはその夜のことだった。


To 桂木拓      From 桐峰紗耶

 今から会える?


 ベッドの上でまるで死んだように沈んでいた僕は、自分が何時間か前に夏に送ったメールが何かの手違いで自分に戻って来たのかと思った。けど、送り主の名前は紗耶になっていて「明日」の部分が「今から」になっていた。


(今からってもう十時だぞ……?)


 別に紗耶の家は遠くない。歩いてたった五分でつく。いや、距離だけじゃなくて時間も夜の十時なら高校生にとっては遅いかって聞かれると「いや……」と言い淀んでしまう時間帯だ。紗耶に呼び出される理由が特に思いつかないけど、こんな時間に呼び出すなんてそれなりの理由があるはずだし……悩んでも仕方ない。とりあえず「大丈夫」と返信を返す。すると一分もしないうちに紗耶から返事が来た。


To 桂木拓      From 桐峰紗耶

 それじゃ出てきて。今拓の家の前にいるから。


「えっ?」


 ベッドの上で体を回転させて、窓に向き、カーテンを開け放つ。そこには僕を見て微笑む紗耶の姿があった。

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