第9話 お父さん

 市立市原病院。臨床工学技士、錦戸雅夫。

 圭太からもらった情報を元に僕は今、市原病院がある県境の町に向かっていた。大滝村から電車に揺られること二時間、ようやくその街に辿り着く。


(臨床工学技士……生命維持装置の操作および保守点検が主な業務か……)


 電車の中、スマホのネット検索で調べた情報を頭の中で復習する。臨床工学技士は簡単にいえば医療機器を管理する人のことで人工呼吸器や血液透析を行う機械などを医者の指示を受けて操作、点検するらしい。他にも色々と小難しいことが書いてあったけど、夏の父親の仕事にそこまで感心があったわけじゃないのでそれ以上のことは調べなかった。

 市原病院は駅から徒歩十分の場所にあった。駅からほぼ一直線だったので迷うこともなく簡単に辿り着く。市原病院外科から内科まで様々な専門医師がいる総合病院で、県内随一の大型病院ということもあってか病院前のバスターミナルには花やお見舞いの品が入っていると思われる花や紙袋を抱えた人たちや、腕を包帯で吊っている男性、点滴をつけた子供、車いすに座っている女性などをはじめここの病院に入院中と思われる人もたくさんいた。

 病院の正面入り口から入ってすぐの総合受付で夏の父親、錦戸雅夫と待ち合わせをしていることを伝えると受付にいた女性は内線で受話器の向こう側にいると思われる夏の父親と短いやり取りをした。しばらくしたらここに来ると言われたので、受付から少し離れた観葉植物の前に立って夏の父親を待つことにする。


「けど五日か……」


 夏の父親と約束を取り付けるのに五日もかかってしまった。電話自体は学校見学の後すぐにしたのだが手術の立ち会いや、医療機器メーカーとの打ち合わせがあるなどなかなか時間が空いていなかったようで、無理を言って三十分だけでもいいからお話をさせてくださいと頼みこんで今日この日の約束となった。

 夏の父親は僕のことをどう思っているのだろう? もしかしたら夏とはもう関わらないでくれと言われて追い返されるかもしれない。そんなネガティブな想像もしたけど、ふらりと僕の目の前に現れた夏の父親は僕に対してこれ以上ないほど優しかった。


「君が桂木拓君かい?」


 長身痩躯、眼鏡にやや疲れ切った顔、白衣といういかにも理系という感じのこの男性が夏の父親らしい。


「あ、はい。桂木拓と申します。本日はお忙しい中わざわざありがとうございます」


 内心で容姿は夏とあまり似てないなと思いながら深々と頭を下げた。


「夏のことを心配して来てくれたんだろう? それならこちらは大歓迎だよ。悪いが今日は私の都合で時間があまりとれない。さっそく君の思っていることを聞かせてもらおう」

「はい、わかりました」

「売店前の飲食スペースなら今の時間はすいている。そちらに移動しよう」


 夏の父親は僕の返事を待たずに、白衣を翻してすたすたと病院の奥へ向かう。かなり早いその足取りを必死で追う。階を一つ上がり辿り着いた売店は、店内面積の何倍もの空白のスペースにいくつも四人掛けのテーブルが並べられていた。その内の一つ、一番隅に設置された目立たないものに向かいあって腰を下ろす。


「さて、単刀直入に聞こう。君は私に何を訊きにきたんだい?」

「少し話が長くなりますが聞いてください」


 若干緊張しながら僕はその後を続けた。


「もしかしたら知っているかも知れませんが、僕と夏さん、それに四谷圭太と桐峰紗耶は幼い頃から仲が良くてよく一緒に遊んでいました。それは去年の夏、夏さんが事故にあうまでも変わらず、僕はずっとこの関係が続くと思っていました」


 夏の父親は無言で僕の話に耳を傾ける。


「夏さんが事故でお亡くなりになられて、ロボットとして僕たちの前に再び現れました。僕は大滝村の者ではなく母親の転勤で今月の初めに引っ越してきたのですが……これはロボットとして生き返った夏さんに会うためでした」

「君はあの村にずっと住んでいたんじゃないんだね?」

「はい。祖母の家が大滝村にあるので毎年夏と冬には必ず帰郷していて、そこで夏さんや他の幼馴染と仲良くなりました」

「なるほど、続けてくれ」

「はい、それでここからが肝心なのですが……夏さんはこの前僕たち四人が全員集まったときに突然もうみんなとは会わないと告げたのです。正直困惑しました。夏さんに会うために、もう一度幼馴染としてやり直す為に大滝村に引っ越してきたのにどうしていきなり別れがくるのだろうと。そして僕以外の二人はもう夏には会わないと言っています」


 口の中にたまった唾を飲み込む。


「夏さんの父親としての意見を聞きます。僕は……まだ夏さんに会いたいと思っている僕は間違いなのでしょうか? そして……おじさんはどうして夏をロボットにしたのですか?」


 夏の父親のことをどう呼ぶが迷ったけど、とりあえずおじさんと呼称しておいた。

 しばらく沈黙が続いた。夏の父親は虚空のある一点を見つめるようにして視線も、そして口も動かさなかった。緊張のあまりそれがどれだけ続いたかはわからないけど、夏の父親はいつの間にかぽつぽつと口を開き始めていた。


「まず夏をどうしてロボットにしたかだが……これは自己満足と研究が半々だ」

「自己満足と研究……」

「私は臨床工学技士として医療機器メーカーと強い繋がりを持っている。その繋がりがある医療機器メーカーの一つが研究を進めていたのが、私の娘……夏の脳が収まっているロボットだ。死んだ人間を蘇らすことは現代の医学では不可能だ。しかし、脳の機能を維持しそれを機械によって生きながらえさせることは可能だ」

「そのロボットに夏の脳を移植したということですか?」

「そうだ。しかしその時点では研究は未完成で、ロボットとして限りなく人間に近い動き、視覚や聴覚などの五感、その他様々な人間に必要な機能が実装されていなかった。私はコネとツテを最大限に使い人間に近い動きが出来るような細かい関節、感情を表現する精神連動表情筋、脳からの命令を体の隅々に伝える疑似神経系、視覚、聴覚、痛覚などを脳に伝える装置を開発し、夏がこれから最低限ロボットとして生きていくのに必要な機能をそのロボットに搭載した。それをすべて終えるまでに半年以上の時間がかかったよ。それが夏の脳を使用したロボットNA―TSUだ」


 夏の父親は今まで淡々と話していたのが一転して、暗い顔になって余命を告げる医者のように重苦しい表情を見せ始めた。


「しかし娘が初めて目を開けた時私は罪悪感を覚えてしまった。夏は本来なら事故で死ぬはずだった。それを医学と化学いう神をも凌駕する方法である意味生き返らせてしまった。娘ともう一度会えてうれしいはずが、素直に喜べなかった」

「おじさんは夏さんともう一度会いたかったから夏をロボットにしたのですよね? それなのになぜ罪悪感を……」

「生き返るといっても生身の体で生き返るわけじゃない。夏は体の九十パーセントが機械だ。その体でこれから成長もせず、子供も授かれず脳が限界を迎えるまで生きろというのはあまりにも残酷じゃないかい?」


 ロボットとして生きるのは残酷。それは確かにそうかもしれない。


 僕は、普通の人間は、心臓が体中に血液を送って、呼吸をして、食事をして、運動をして、睡眠をして生きている。しかしロボットはその全てを必要としないし、生殖機能がない以上子供をつくることもできない。それは人間として生を授かった以上残酷な仕打ちかもしれない。


「確かにそうかもしれませんが……」


 言葉が続かなかった。


「それにあの子は母親にロボットとして生きる以上に残酷な仕打ちを受けてしまった。自分が戻ってくるのを一番待っていたであろう実の母親から……ロボットという理由だけで拒絶されてしまった。本当は普通の人間として生きるべきはずだった時間を生かさせてあげたかっただけなのに……それは叶わなくなってしまった」

「……」

「少し話がそれたな。私が夏を生き返らそうと、ロボットにしようと思った理由は父親として娘に生きる時間を与えてやりたかったからだ。それと、夏の成功例を皮切りにこのロボットが実用化して欲しいと心から願ったからだ」


 夏の父親が言う自己満足と研究のためとは、父親としての愛情。そしてこのようなロボットの普及。別に何一つ間違ってない正当な理由だった。


「夏さんに生きてほしいと思われたのは父親としては間違っていなかったと思います」


 正直な感想を口にする。


「ありがとう。しかしそれも今じゃ自己満足に過ぎなかったと思うよ」


 夏の父親は乾いた笑いを見せた。


「あと君は私に夏とこれ以上会うのは間違いかと訊いたが……それは決して間違ってなどいない」

「おじさんもそう思いますか?」

「私は夏に人として生きる時間を与えるために夏をロボットにした。しかし、それは逆をいえば夏の周りにいる人にもう一度夏と一緒にいるはずだった時間を与えるということにもなる」

「つまり夏さんを生き返らせた理由は夏さん自身のためでもあり、夏さんの周りにいる人のためでもあると」

「そういうことだ。結局人間は一人でなんて生きていけない。今の夏はもっとそうだ。体のメンテナンスは定期的に行わないといつ壊れてしまうかもわからないし、充電だって一人では出来ない。だから余計に誰かの協力が今の夏には必要になる」

「そうなんですか?」


 あまりにも人間に近い夏のことだから一人で何でもできると勝手に思い込んでいたけど、どうやらそれは違うらしい。


「桂木君が夏と会いたいと思うのならこれからも娘と仲良くしてやって欲しい。それは君の幸せにもなるはずだし夏の幸せにもなるはずだ」

「はい、ありがとうございます」


 笑顔で僕は深々と頭を下げた。これを聞けただけでも今日ここに来た甲斐があったというものだ。


「私からも一つ質問があるのだが……」

「はい、何でしょうか?」

「君がさっき名前を出していた他の二人は夏のことをどう思っているのか……差し支えなければ教えてほしい」


 胸にちくりとした痛みが走った。


「はい……まず桐峰紗耶の方ですが彼女は夏さんのことをロボットとして認識してしまえばもう元の関係には戻れないし、今生きている人を大切にしたいと……四谷圭太はロボットの夏さんは生きていた頃の夏さんとは違うのだから、夏さんでない以上仲良くは出来ないと言っています……それとこれは二人とも同意見ですがこれ以上夏さんが傷つくならもう会わないほうがいいとも……」

「なるほど。二人の主張は正しいな」


「えっ?」


「あ、いや君が間違っているというわけじゃない。ただ二人の感情はもっともなものだ。脳だけあれば体は別物でも、人間のものでなくとも生きていた頃と同じなのか。それはおそらく君だって考えたことだろう。私だって悩んだ」

「僕は……夏が夏ならロボットでも何でも戻ってきてよかったと思っています」

「私も同意見だ。しかし、その問いを乗り越えた先の結論が二人の様なものでもそれを否定することは出来ない」

「そうですね……」

「それに夏をこれ以上傷つけたくないのは私も同じだ。傷つかないために仲のよかった友達と合わないという選択肢は正しいかもしれない」

「僕が夏さんに会うことで夏さんはまた傷ついてしまうのでしょうか?」

「わからない。ただ、これだけは言っておきたい。夏は母親の、私の妻のことで確かに傷ついたかもしれないが、夏のことを小さい時から知っている君たちならその傷を乗り越えるために手を貸せるかもしれない」

「手を貸す……」

「そうだ。傷ついた人間をそのまま放置するというのは曲がりなりにも医療関係の仕事に就くものとしては心苦しいところがある。私は夏の体をメンテナンスすることはできるがそれ以外は何もできない。だから君たちがその傷を埋める薬として夏のことを支えてくれると助かる」


 夏の父親はさっき僕がしたように深々と頭を下げた。


「あ、頭なんて下げないでください。もちろん僕はこれからも夏さんと仲良くしていきますし、他の二人もなんとか説得してみせます!」

「本当かい?」

「はい。そのためにまず夏さんに僕がもう一度会ってちゃんと話をします。だから安心してください」

「そうか……それじゃ頼むよ」


 夏の父親が最後に見せた表情を、僕は一生忘れないだろう。



 話しが終わると夏の父親は仕事があるといってすぐに立ち去ってしまった。正直、夏について訊きたいことはまだたくさんあったけど、仕事が忙しい以上それは仕方ない。なので、夏の父親に約束した通り僕は明日にでも夏に会いに行こうと、帰りの電車に揺られながら夏にメールを打った。


To 錦戸夏      From 桂木拓

 明日、会えるかな?


 絵文字も何もないそっけない疑問形のメール。これに果たして夏が返事をくれるか、それすらもわからないまま、何もしないよりはましだと思いきって送信した

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