第8話 ロボットだから

 僕が大滝村に引っ越してきたから五日が経った。

 お昼ご飯を食べてから家を出た。今日は紗耶に言われたとおりに二学期から僕が通う学校を見学するとともに、圭太のバスケの試合を見に行く予定だ。

 昨日紗耶や圭太が通う学校に電話して学校を見学したい旨を伝えると、事務員の人が二学期から僕の担任となる先生を案内役に早速見学できるように取り計らってくれた。元々東京で通っていた学校がそこそこ有名な進学校だったためか、これから新しく通う学校にはだいぶ歓迎されているらしく(事実七月の終わりの編入手続きのとき学力試験は免除された)ものの数分で話がついてしまった。

 学校見学は一時からの予定だ。現在の時刻は十一時、祖母に早めにご飯を作ってもらったせいかそれなりに余裕がある。しかし、のんびりして二時間に一本しか走らないバスを見逃すわけにもいかないので、炎天下の中バスの停留所がある新田地区に向かった。

 僕がこれから通う高校――県立大滝高校があるのは下山地区という石国地区よりもさらに上に位置する地区だ。地区といってもあるのはもっぱら高校と森林、果樹園だけであまり人は住んでいない。それでもこの大滝高校がある下山地区には周辺の村々からも生徒が集まるので夏休みが明ければそれなりに賑やかになるらしい。ということを昨日僕の電話に対応した事務員から聞かされた。

 ダラダラと歩くこと四十分、新田地区の中心あたりに僕は辿り着く。最後に四人で会ったときにバーベキューの材料を買ったスーパーの前にバスの停留所はあった。


「このバス二山地区まで来ないのかな?」


 大滝村にある四つの地区の内、唯一バスの路線がないのが僕の家がある二山地区である。大滝村駅から新田地区を経由して下山地区に行く路線と、駅から直接下山地区に行く二つの路線があるけど、どちらも室川の先に行くことはない。なぜバスが二山地区に来ないかは僕にはわからないが、来てくれれば便利なことは明白だった。

 停留所で待つこと二十分、十二時ぴったりに小さなバスが車の通りが少ない道路からゆっくりとやってきた。バスは一昔前の先端がとがっているベージュをベースに赤いラインが入っているもので、僕が停留所でバスを待っていることを確認するとゆっくりと停車して前扉を開けた。どうやら料金はどこへ行くにしても一律二百円で先払いらしい。財布から百円玉を二枚取り出し硬貨を入れる箱に入れ、適当に空いている座席に座った。二時間に一本しか来ないバスなので乗客が沢山いるものだと思っていたけど、座席は片手で数えられるほどしか埋まっていなかった。

 バスはスーパーを起点に再び来た道を戻り始め、三国川を渡って石国地区を通り龍天山がかなり近くに見える下山地区へと入って行った。言葉にすると随分短いようだけど、実際には三十分近くバスに揺られている。

 バスは高校に近づくほど急な傾斜を登るようになり、乗客はいつしか僕と大滝高校のものと思われる制服を着た女子生徒だけになっていた。

 バスが終点の大滝高校の名を告げ、ドアを開けた。東京の路線バスに慣れている僕はバスを横から降りることに違和感を覚えながら、校門のほぼ目の前に設置された停留所にローファーを履いた両足を下ろした。一緒に乗っていた女子生徒は僕の着ている他校の制服をチラッと見ただけで何事もなかったかのようにすたすたと歩いていってしまう。

 女子生徒の背中を遠くに見ながら僕は校門をくぐった。山に近いおかげで標高が高いからか、それとも木が生い茂っていているせいか敷地内は大分涼しかった。

 受付を目指しながら学校の施設をざっと見回す。校舎は二棟でどちらとも三階建て、その道中には体育館やテニスコート、プールなどがあり、その先にだだっ広い校庭が広がっていた。僕が今まで通っていた学校よりは校舎が小さく校庭が大きいといった感じ。特に珍しいものなどはなかった。

 受付に辿り着いた僕は、事務員に昨日電話をした転校生だということを告げた。その事務員は昨日僕の電話に対応して人だったらしく、放送ですぐに案内役の先生を呼んでくれた。


「待たせたな」


 受付の前でしばらく突っ立っていると廊下から三十代半ばと思われる男性教師がやってきた。身長は僕より低く、無精ひげを生やしたやや強面、半袖半ズボンのジャージ姿といういかにも体育の先生かスポーツ部の顧問をやっていますという感じの先生だった。


「初めまして本日はお世話になります桂木拓と申します」

「んな硬くなんなよ。俺はこれから桂木が編入されるクラスの担任の中村だ。担当教科は現代文、文芸部の顧問もやってる。よろしくな」


(外見とイメージが一致しない先生だな……)


 初めに抱いた感想はそんなものだった。もっと怖い先生だと思ったらずいぶんフランクだし、表情は終始笑顔だった。しかも部活動の顧問は文芸部……現代文の教師ということを考えれば何一つ不思議ではないけど、外見とのギャップがなかなか激しい先生みたいだ。


「とりあえずこれから桂木が学校生活で必要と思われる場所を適当に案内して行くから、何か質問があったらどんどん聞いてこい」

「はい、わかりました」


 僕が頷くと中村先生は背を向けてそそくさと歩き始めた。

 それから僕が案内されたのは順に図書室、職員室、学食、保健室、PC室、家庭科室、理科室、僕が編入される予定の二年三組だった。この学校はやはり田舎ということもあって各学年三学級百二十人程度しか生徒がいないらしい。


「どうだ? 一通り桂木がこれから使いそうな場所を案内したが」

「はい、中村先生のおかげでなんとか場所を覚えられそうです」

「模範的な解答だな」


 中村先生はそういって小さく笑った。さっきから僕が口を開くたびに敬語の使い方が上手いだとか、話し方が硬いだとか、模範的だなと言われる。どうやらこの先生は友達感覚で自分に接して欲しいタイプらしい。別にこの手の先生は嫌いじゃないけど、やたら厳しい先生が多かった前の学校に慣れてしまっている僕は、この先生に対して砕けた口調で話すのに時間がかかりそうだった。


「さて、最後は体育館か。体育館はもう少しでバスケ部の試合があるらしいからな。早めに見学して――」

「あの」

「うん? なんだ?」

「実は今日、学校見学に来たのもそうなのですがバスケ部の試合を見たいと思っておりまして……」

「なんだ? 友達でもいるのか?」

「はい、祖母の家がこの村にあるのですが幼い頃から頻繁に帰郷していたおかげで親しくなっているバスケ部員がいて……」

「おぉ、そうかそうか。もう友達いるんだな。そいつの名前は?」

「四谷圭太です」

「四谷かーあいつにもこんなに礼儀正しい友達がいたんだな」


 名前を出してすぐに友達の感想を言う程度には圭太も有名らしい。まぁ、生徒数が少ないから一人一人の名前が覚えやすいっていうのもあるんだろうけど。


「僕が礼儀正しいのは年上の人だけですよ? それに四谷は幼馴染です」


 あまり品の良くない笑みを僕は浮かべる。圭太を陥れるわけじゃないけど、なんとなく圭太が学校でどのような扱いを受けているのかわかってしまったので、あえて自分の株が下がるようなことを言って遠まわしに圭太の評価を下げようとしてみた。

それを聞いて中村先生は一瞬呆けた顔をした後、快活に笑った。


「そうか幼馴染か。そりゃいい。とにかく体育館に行くか。案内したら俺は職員室に戻るから試合見終わったら一声かけてくれ」


 笑われただけで随分あっさりと流されてしまった。


「はい、わかりました」


 またしても模範的に返事をして、中村先生の後を追った。

 中村先生に連れられて体育館へ。大きさは僕の通っていた高校と同じものだけど、二階に五列の観客席があった。そこには大滝高校の生徒ではないと思われるバスケ部員が二、三人、まとめて置いてあるエナメルバッグの中から何かを取り出していて、応援に来ているのか先ほどバスの中で見かけた制服を着ている女子生徒が、何人かで固まってタオルで汗をぬぐいながらコートで練習をする選手の姿を見つめていた。


「それじゃ俺は一度職員室に戻るからな。さっき言ったとおりに終わったら声掛けてくれ」

「はい、わかりました」


 今日何度目かわからない先生に対する模範的な肯定「はい、わかりました」を使い、中村先生が立ち去るのを見送ってから、二階に上がった。大滝高校でも対戦相手の高校とも違う制服を着ている僕は、観客の女子生徒たちから少し注目を浴びたけど、少し離れた場所に座るとそれ以上僕に視線が向けられることはなかった。

 大滝高校と敵校のバスケ部員たちは体育館を半面に区切ったコートでしばらく練習した後、お互いのコートを隔てていたネットを取り払ってモップをかけ始めた。レギュラー選手と思われる背番号がついたユニフォームを着ている部員はそれぞれベンチに集まって監督らしき顧問の先生から何か指示を受けている。

 ちょうどそれが終わったとき、僕から見てちょうど反対側のベンチにいる圭太が僕の姿に気づいたようで「おー」と言いながら手を振ってきた。それを見たからか観客席にいる女子生徒たちが僕に羨望の眼差しを向けてきた。どうやら圭太のことが目当てらしい。今さらながらモテるなあいつ。

 しばらくしてホイッスルと同時に試合が始まった。ジャンプボールを飛んだのは両チームの中でも断トツで背が高い圭太だ。相手チームもそれなりに身長は高いけど、あっさりと圭太にボールをとられてしまう。

 味方が圭太のはじいたジャンプボールをとり、コートに散った他の選手へパスを回す。そのパスが圭太に回った瞬間、ものすごい勢いでドリブル、相手をかわしてあっさりとレイアップシュートを決めた。開始僅か六秒で二点が入る。


「きゃー! 圭太君かっこいい!」「こっち見てー!」「ナイスシュート!」


 女子生徒たちから歓声が飛ぶ。それに対して手をあげる圭太はいかにも余裕という表情をしていた。心の中で思いっきり舌打ちをして、かっこよすぎる幼馴染の姿を見続けた。

 そのまま圭太が無双状態で第一ピリオドが終了した。圭太はレイアップを含む二点シュートを五本、スリーポイントも二本も決めていて点差は早くも開いていた。


(これって見るまでもなく勝敗決まってるんじゃ?)


 紗耶に言われてわざわざ圭太の試合を応援しに来たことを少しだけ後悔した。男として圧倒的に負けていることを改めて感じたこと以外、収穫がないんじゃないのかとさえ思う。

 けど、この試合が終わったら圭太に夏のことを聞かなければならない。本来の目的を思い出して、どういう風に圭太に夏のことを聞こうかと僕は考え始める。


「ピーッ!」


 思考に夢中になっていると、いつの間にか第四ピリオド終了を告げるホイッスルが鳴った。スコアは96―43で大滝高校の圧勝。しかもその内の半分以上が圭太のシュートなのだから驚きだ。

 再び体育館にモップがかけ始められた時、圭太が観客席の下の方まで来て僕の名前を呼んだ。


「拓ー今なら少しだけ話せるから下来てー」

「わかった」


 帰りの支度を始めた女子生徒たちからまた羨望の眼差しが向けられる。女子って男にも嫉妬するのかな? いや、そういう言い方するとなんだか僕が圭太のこと好きみたいに聞こえる。そういうのは全然ないからと、弁明するような視線を女子生徒たちに向けておく。何やってるんだ僕は……

 一階のコートへ降りる。階段を降りたところに圭太が立っていて、何も言わずにすたすたと歩き、僕のことを誘導するかのように体育館の外へ。そのまま体育館に沿って陽の当らない壁際に二人並んで座りこんだ。


「お疲れ。試合見てたけど圭太がすごいってことしかわかんなかったよ」

「そりゃどうもー。でも今日は何本か外したしーあんまり調子よくなかったかもー」

「そうなの? 決めるたびに女子に向かって手あげてたじゃん」

「あーしないと先輩に怒られたんだよ昔はー。今は俺が先輩だけどー癖で治らないー」

「ファンサービスじゃないんだ」

「別にー。あいつら全員ミーハーだしー」

「何だよそれ?」

「何だろー?」


 圭太が首にかけているタオルで汗を拭いた。それに合わせて何となく会話終了。けど、僕の方は話さなくちゃいけない話題があるのでしばらく間を置いてから圭太の方を見て探る様に口を開く。


「なっちゃんの……ことなんだけどさ」

「んー」

「圭太はこれからどうするつもり?」

「どうするつもりってー?」

「もう一度四人で昔みたいに仲良くできないかってこと」

「無理じゃないー」

「……なんで?」

「だってー夏はお母さんのことで傷ついてるしーそもそも俺たちに会いたくないみたいだしー」

「で、でもそれっていわゆる人間不信みたいなものでしょ? 僕たちがもう一度しっかり夏と新しい関係を築けばきっと夏だってあんなさよならもうしないと思うし……」

「新しい関係ってー?」

「ロボットになった夏ともう一度幼馴染の関係を作って」

「作ってどうするのー?」

「どうするのって……最初に言ったじゃん。昔みたいにまた四人で仲良く――」

「ならないんじゃないー?」


 圭太は僕の方へ全く顔を向けない。なんで圭太も紗耶みたいに何もしないで夏のことあきらめるんだろう?


「圭太は夏とのさよならがあれでいいの? せっかく戻ってきてくれたのにあんなのないじゃん!」

「拓さーなんか勘違いしてるみたいだけどさー夏はもう死んでるんだよー?」

「死んでるって……」

「夏はー夏らしきものは今も動いてこの村にいるかもしれないけどーあれは夏じゃないでしょー? 夏じゃないロボットと昔みたいにどうやって仲良くできるわけー?」

「な、なっちゃんは生きてるよ!」


 なんだよそれ……圭太も、紗耶も、夏がたとえロボットでも戻ってきてくれてうれしくないのかよ。


「死んでるよー。御葬式でお別れもしたじゃんー」

「それじゃこの前の川原でのバーベキューはなんだったんだよ!」


 僕は思わず立ち上がって圭太の胸倉を掴んでしまう。その事実に慌てる僕を圭太はいつも通り優しい瞳で見つめて、諭すように続ける。


「あれはー夏が俺たちとちゃんとお別れしたいっていうからセッティングしたんじゃんー。俺たちはーお葬式の時にさよならしたけどー夏はできなかっただろー?」

「そ、それなら圭太はもう夏のことどうでもいいって言うのかよ!」

「どうでもいいなんて言ってないよー? ただあれは夏じゃないー。僕たちの幼馴染の夏は一年前の事故で死にましたーただそれだけー」

「ふざけんなっ! それじゃ僕はなんのためにこの村に来たんだよ!」

「それはー拓が勝手にーこの村に引っ越してきただけー」


 圭太の胸倉を掴む手から力が抜けた。そのまま元の位置にへたり込む。

 圭太の言うことは全部正論だった。夏が僕たちと仲良くしようとしないのは、圭太や紗耶が夏と仲良くしようとしないのは、自分の母親の時と同じように傷つきたくないから。夏は死んだからもういない、今いる夏のロボットとは仲良くできない、僕が引っ越してきたのはもう一度夏に会えると、仲良くなれると勝手に期待したから――全部正しい。紙一枚通らないほど隙がない。逆にそれが腹立たしい。


「なんで……なんでよ……どうしてみんなバラバラになっちゃうの?」

「バラバラじゃないよー。夏が俺たちの幼馴染っていう輪の中から抜けただけー」

「でも、それでも……!」

「拓ー。もう夏はいないんだよー? それだけは理解しなくちゃー」

「そんなもん理解できないよ! 夏が今この村にいるんだよ! ロボットでもなんでも夏はいるんだよ!」


 再び興奮して、圭太を睨んで叫ぶ。


「いないよー。あれはロボット。夏じゃないー。生きていない夏は夏じゃないー」

「うるさい! ロボットだろうが生きてなかろうが夏は夏なんだよ! ロボットで夏じゃなくても、あの頭の中には夏が生きてるんだよ!」

「あのー……」


 その時、先ほど試合に出ていた大滝高校のバスケ部員が手刀を切りながら僕と圭太の間に入ってきた。


「ちょっとこれからミーティングなんで……」


 バスケ部員は困惑した様子で僕のことを見ていたけど、僕の視線は一度もそちらに向くことはなかった。


「拓ー悪いけどまだ部活の途中だからー」

「……」

「納得できないー?」

「当たり前だろ! 何だよ圭太も紗耶みたいに納得、納得って!」

「うーんーしょうがないなー。それじゃ夏の父親にでも会いに行けばー?」

「はぁ?」


 いきなり夏の父親が話に出てきて鳩に豆鉄砲状態になる僕。なんで夏の父親が?


「夏のロボット作ったのー夏の父親なんだよ?」

「えっ?」


 知らなかった事実に驚愕した。でも、よくよく思い出してみると夏が「お父さんの研究のために生きる」とかなんとかバーベキューの時に言っていた気がする。


「夏の父親ならーどうして夏を作ったのかー俺たちにどうしてほしいのかー製作者として答えてくれると思うよー」


 圭太は立ち上がり、僕のことを見下ろしながらとある病院の名前と夏の父親がそこでどんな仕事をしているのか教えてくれた。


「行くときはちゃんとアポとってから行けよー」


 圭太はバスケ部員と一緒に体育館へ戻って行った。僕は圭太から聞いた病院名、夏の父親の仕事、名前を頭の中で何度も反芻して、小走りに職員室へ向かった。今すぐにでも夏の父親に会って話がしたかったけどそれは無理なことだ。けど、体はそんな現実を無視して加速し続け、職員室の扉を開けた時には息はこれ以上ないほど乱れていて、中村先生が驚いた顔で僕のことを見つめていた。

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