第7話 どっちが大切?
映画を観終わった僕らは近くのファーストフード店で昼食を食べ、ボーリングをした後、紗耶のウインドウショッピングに付き合ったりして、帰路につくべく駅に向かった。
「今日は楽しかったね」
手を胸の前で組んで伸びをしながら紗耶はちょっと疲れたように笑う。
「そうだね。でも映画はあんまり……」
「あー……そうだよね、途中で寝ちゃってたよねー」
純情200パーセントは俗にいう少女漫画的な甘ったるい恋愛劇で、元々他人の色恋沙汰に興味なんて微塵もない僕は上映開始から三十分で寝てしまった。起きた頃にはエンドロールが流れていて、隣に座る紗耶が泣いていたのが意外だった。あんな映画の何が面白くてそんなに泣けるんだろう?
「でも、僕も楽しかったよ?」
取り繕うように少し慌てて口を開く。ボーリングは自己最高スコアの百四十二を叩きだしたし、紗耶がこの辺りのお勧めのお店を色々教えてくれたりもした。昨日、一日中家でダラダラしていたとは思えないほど充実した一日だった。
「そ、そう? あ、あたしでよかったらまた遊びに行く……?」
「うん、今日みたいに楽しいならいつでも」
笑顔で返すと、紗耶も笑顔で返してきた。たまにはこうして紗耶と二人で遊ぶのも悪くないかもしれない。
(でも……二人で遊ぶって夏はどうするんだ?)
今日一日中、頭の片隅に追いやっていた疑問をふとした拍子に思い出した。そうだ、これから夏のことをどうするのか紗耶に訊かないと。
駅前の交差点に差し掛かった時、タイミング良く信号が青から赤に切り替わった。信号を待つ間に夏のことについて聞いてみようと紗耶に声をかける。
「ねぇ、紗耶」
「なに?」
「紗耶はさ……これからなっちゃんとどうしたい?」
「どうしたいって?」
「いや、だから……昔みたいに四人で……」
「無理だよ」
紗耶がこちらを見ずに、冷めた口調で言う。
「無理って……何が?」
「もう昔みたいには戻れないよ。夏はお母さんに嫌われちゃってすごく傷ついてるし、夏自身も私たちに嫌われること怖がってる」
「で、でも……僕たちはなっちゃんのことを嫌いになったりなんて――」
「嫌いにならない保証なんてある? あたしたちは一昨日初めてロボットになった夏に会った。驚くほど変わってなかったけど、明らかに人間とは違うって見せつけられた。いや、ロボットだってことはあたしが見せてもらったんだけど……」
夏の目の奥で動く、機械的な何かが記憶の海から浮かび上がる。それと同時に車道側の信号が青から黄色に変わった。
「まだあたしたちはロボットの夏に気がついていないだけなんだよ。夏が夏じゃないって、夏がロボットだって本当に気が付いたらその時は……」
一瞬だけ歩道と車道、両方の信号が赤になる。
「もう夏のことを夏なんて呼べない」
僕はその言葉を聞いて、それ以上何も言えなくなった。
信号が青に変わる。僕たちの他に信号を待っていた人たちが一斉に対岸へと歩きだす。
「行こ? 信号、青に変わったから」
僕の手を紗耶が握って引っ張り、歩き出す。ついさっきまでの楽しかった気持ちはどこかに消えてしまい、何とも言えない虚無感だけが僕の中に残った。
夏はもう夏じゃない。それはこの目でわかっているはずなのに、僕は気が付かないふりをしていた。夏はどうしようもなくロボットで、人間じゃないのに夏の姿形、行動や喋り方、考え方であれは夏だと脳に無理矢理認めさせていた。
でも夏は一年前と変わらず夏で、他の誰でもなかった。それは僕がしっかり確認したことだ。
けど、それもこの先どうなるかはわからない。例えばふとした拍子に夏が壊れて動かなくなって、修理して、また動きだしたらどうだろう? また今までと同じように「お帰り」と言ってあげられるだろうか?
夏にもう一度会いたい。夏と一年ぶりに会えてうれしかったこの気持ちは、本物で揺ぎ無いものなのに、どうして同じ気持ちでいるはずの紗耶にあそこまで否定されてしまうんだろう?
これから夏とどうしたいかなんて明確な答えがあるわけじゃない。でも、あれでさよならなんて寂し過ぎる。それだけは確かだ。
僕は紗耶に手を引かれたままいつの間にか駅構内にいて、切符を買わされていた。考えることに夢中でここまで来た記憶がない。それほど周りが見えなくなっていた。
改札をくぐりホームに出た。風と共にやってきた電車が僕の前髪をくしゃくしゃにしながら停車して、大きな口を開いた。その中に吸い込まれるように、空いている座席に腰を下ろす。電車は冷たい機械と同じようになにもかも正確に、時刻表通りの時間に発車した。
大滝村についたのは午後六時過ぎで、陽が長い夏休みとはいえ空が赤く染まり始めたころだった。
駅の横にある小さな駐輪場から紗耶の自転車を引っ張り出して、行きと同じように二人乗りで自宅を目指す。
お互いに口を閉じたまま三国川まで差し掛かった時、今まで無言だった紗耶が恐る恐るといった感じに背中から声をかけてきた。
「ね、ねぇ」
「……なに?」
「夏のことまだ納得できない?」
「当たり前じゃん……!」
「……そっか」
僕の態度とは真逆に紗耶の反応は冷めきっていた。なんだよ納得って? それって夏と一緒にいることはもう諦めろって言っているようなものじゃないか!
こみあげてきた怒りを静めるために、再び無言で自転車をこいだ。紗耶は行きよりもずっと控えめに僕の腰に手を回していたけど、その暖かさが今はどこか鬱陶しかった。
「圭太が明後日他校と練習試合やるんだって」
紗耶がまた唐突に会話を切り出す。
「それが何? 夏と何の関係があるの?」
「応援に行ったついでに圭太にも確かめてみたら? きっとあたしと同じこと言うと思うから」
「それで紗耶の言う納得ってやつを僕にしろってこと?」
「別に行かなくてもいいよ。ただ拓も一日中家にいるだけじゃ暇だと思うし、外に出るいい口実にもなるじゃん。それに高校もあたしたちと同じとこ通うんでしょ? ついでに見学もできるじゃん」
悔しいけど紗耶の言う通り明日も明後日もおそらく暇になる。まさに図星だった。
「……わかったよ」
苦いものを呑みこむように頷いた。でも、ほんの少し希望もあった。紗耶の考えは聞いた限りだと簡単には変えられそうにないけど圭太ならまだ分からない。僕と同じようにあのさようならに納得なんてしていないかもしれない。
暗くなる前に紗耶の家に辿り着き、ブレーキをかけて自転車を止めた。紗耶が荷台から降りたのを確認して僕も自転車から降りる。
「ねぇ、拓。どうしてあたしが夏のこと、納得したかわかる?」
「……そんなのわかんないよ」
「あたしはね、生きている人間を大切にしたいし、生きているあたしを大切にしてほしいんだ。だからあんなこと言ったの」
にゃはははっと冗談が成功したときの笑い声をあげる。
「拓は生きている人間と一度死んだ人間、どっちが大切?」
紗耶が問いかける。僕は答えられずに下を向くしかなかった。
「それがわかったら拓もきっと夏のさよならに納得できるよ」
自転車を押して握って紗耶は家の奥へと消えて行った。
僕は何もできずに、紗耶の家に背を向けた。
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