第5話 別れ
夕焼けが空を覆う範囲はいつの間にか小さくなり、暗闇が空の端から押し寄せてきていた。もう何分かすれば辺りは完全に闇に染まる。早く帰らなければ、街灯もない暗い帰り道で迷ってしまうかもしれない。それなのに、僕は未だに動けずにいた。
「たっくん……早く帰ろう……ねっ?」
体育座りで顔を伏せる僕に夏が上から声を降らせてくる。その声に僕は頷けない。
紗耶と圭太は二人で先に帰ってしまった。それはもちろんこの場を動かない僕への気遣いなんだろうけど、それでもどこか二人の態度は冷たく感じられた。
(なんで二人ともこんなにあっさり夏とさよならなんて出来るの……?)
疑問が頭の中を駆け巡る。夏が事故で死んで、御葬式でもう二度と開くことのない夏の瞼や、血の気のない白い肌を見たときは僕だって、紗耶や圭太だって散々泣いた。それなのに、どうしてだろう。もう一度会えてうれしいはずなのに、どうしてもうさよならなんだろう。
「たっくん……最後だから二人で楽しく話しながら帰ろう? そうしたらきっとたっくんも――」
「ふざけないでよ」
自分の口から信じられないほど冷たい言葉が出た。
「夏は勝手だよ。自分の都合ばっかり。戻ってきてくれたと思ったら会っていきなりさよならなんて……そんなの納得できるわけないじゃん……!」
顔をあげて夏を見つめる。夏は困惑しきった表情でこちらを見ていた。
「たっくん? あのね……」
「やめてよ! 言い訳なんて聞きたくない! 僕は! 他の人は知らないけど僕はずっと夏に会いたかった! 帰ってきて欲しかった! 死んでも! もうこの世にはいないってわかってても会いたかった!」
荒ぶる感情を抑制するように大きく息をついて続ける。
「結局夏は生きて帰りを待っていた人のことなんてどうでもいいんだね……」
「待って……! それは――」
「僕、馬鹿みたいじゃん。夏に会えて一人だけどこか浮足立って……」
「……」
「ねぇ、どうして夏に会ったらいけないの? 僕は夏のことなんて絶対に裏切らな――」
い。その言葉は口から出ることなく、口内を彷徨って、喉を通ってどこかに消えた。
「私のこと抱きしめて」
いきなり夏が僕の腰に手をまわして抱きつき、上目づかいで僕を見る。
「な、夏? ど、どうしたの急に――」
「いいから、早くして」
夏はそれ以上何も言わず腰にまわす手に力を込めた。どうしたらいいかわからなくなって、緊張して鼓動が早まってきた僕は、頭に血が上って周りが見えなくなりかけたけど言われたとおりに夏を弱い力で抱きしめた。
「鼓動の音、聞こえる?」
僕の中から何かが壊れる音がした。それはきっと重大なことに気がついてしまった証だ。
「体温、感じる?」
夏が続ける。
「私の目、ちゃんと見れる?」
夏の目を覗く。瞳孔の奥で何かが機械的な動きで収縮を繰り返した。
「もう分かってでしょ?」
夏が僕の腕を優しく解いて離れる。
「私はどうしようもなくロボットなの。心臓なんてものはないし、体温なんて機能は機械にとっては邪魔でしかない。目は義眼の奥にカメラがついている偽物……本当に人間なのはここだけ……」
夏は自分の頭を指差した。
「わかる? 私はもう人間じゃないの。たっくんやみんなが帰ってきて欲しかったのは生きた人間の――生身の私でしょ? 不完全な今の私じゃないはずだよ」
「そ、それでも……」
「私は今のこの体に生きる意味なんて見いだせない。お母さんはいなくなっちゃったし、お父さんはロボットの私を出来るだけ長く維持させて、その上で人間に近づけることしか考えてない」
夏は笑って僕の手をとって、川原の入口へと導いていく。
「だから最後なの。私はお父さんの研究のために生きられるだけ生きて、それで何もかも、全部とさよならするの」
今まで僕の前に立って右手を引いていた夏が振り向いて笑う。
「帰ろう」
その後のことはよく覚えていない。何か会話があったのかもしれないし、ひたすら無言で夏に連れられるまま家路を淡々と歩いていたのかもしれない。
けど気付いた時には新しく僕の家となった祖母の家の前に立っていて、夏の手が包み込んでいたはずの右手は空っぽになっていた。
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