第4話 再開3
紗耶が僕と同じように夏を夏として受け入れ、バーベキューの準備を始めた時、圭太がひょこりと顔を出した。結局、ここに来るときに紗耶が話していた圭太が来る前に準備を終わらせるという計画は達成できなかった。
「なんだーまだ準備終わってなかったんだー」
いつもと変わらないのんびりとした口調で話しながら圭太が近づいてくる。身長百八十センチ超、ルックスよし、性格よし、運動神経よし、勉強よしの神が二物を与えまくって出来た史上最強の男子高校生が四谷圭太だ。もちろんファッションセンスも抜群で着ているものがたとえ制服であっても、適度に着崩しをして洒落たアクセサリーをつけているその姿は、原宿か渋谷を歩けば三歩でスカウトが寄ってきそうなほどの輝きを放っている。
「久しぶりだなー拓ー」
「久しぶり、部活頑張ってる?」
「それなりにー。大して上手くもないのにキャプテンなんてやらされて困ってるけどなー」
「それ皮肉?」
一年前の夏、圭太とバスケをして散々負かされたことを思い出しながら僕は苦笑いする。
「いやいや、事実ー。プロバスケなんか見るとつくづく感じるんだよなーこれがー」
「比較相手がプロって時点で圭太はすごいよ」
目の前までやってきた圭太と拳をぶつける。特に意味はないけど、何年か前から、こっちに戻ってきて初めて圭太と会う時に行うようになった儀式の様なものだ。
「紗耶は昨日ぶりー」
「部活お疲れ! 朝からごくろう!」
「おーっす。もう疲れたー。鉄板持ってきたからあとよろしくー」
圭太が自分の乗ってきた自転車に戻り、荷台にくくりつけられた鉄板を紐からはずして、両手で抱えて再びこちらへ。なんでも文化祭の屋台に使う代物をこっそり拝借しているらしい。去年もそうだったから別に驚かないけど、そういえばまだ高校に入学する前、一昨年バーベキューしたときはどうしたっけ? と思いだしたように頭の中に疑問符が浮かぶ。
「そういえば夏はー?」
思い出したかのように圭太が鉄板を僕に渡しながら問う。
「夏ならあそこ――」
指の先にはこちらの様子に気づいて、作っていた竈を放り出して、小走りで近づいてくる夏の姿があった。走ったせいでまた転びそうになり、はにかみながら圭太の正面に立つ。
「圭太、久しぶり」
紗耶の時と変わらないあいさつで夏は圭太のことを出迎えた。
「……」
圭太は何も喋らず夏のことをじっと見つめていた。目があった夏は恥ずかしそうに顔を伏せて、もじもじと圭太が口を開くのを黙って待っている。
圭太が口の端に笑みを浮かべて、夏の頭を撫でた。夏は驚いたように顔をあげる。
「また会えたねー」
のんびり笑う圭太に、夏は今にも泣きだしそうなほど、顔を歪めた。
「あっー! 圭太が夏のこと泣かせてる!」
紗耶が獲物を見つけた虎の如く、圭太に襲い掛かる。
「別にー、夏が勝手に泣いてるだけだしー」
「ひっど! 拓、今の聞いた? 男としてあるまじき発言だよね?」
「えっ? あっ、うん。そうだね」
いきなり話を振られて上手く反応出来ず、とりあえず頷く僕。
「ほらほら、拓もこう言ってる! 悪魔だ! 女の子を泣かせる悪魔がここにいるぞ! 誰か警察! 警察を呼んで!」
「悪魔退治するときってー普通エクソシストだよねー?」
「細かいことは気にしない! 大体現代の日本にエクソシストがいるかっての!」
「それもそうかー」
最終的になぜかエクソシストで落ちついた圭太と紗耶の不思議なコント。それを見て、最初に僕が笑い、次に圭太と紗耶の二人が笑い、最後に夏が控えめに笑い始めた。
昔のままだと僕は思う。いつも、どんな時も四人でいるときは笑顔でいられた。それが今もここにある。お腹が痛くなって笑えなくなるまで笑った。みんなで笑い続けた。
もう、何もいらない。心からそう思えた。
それから圭太が持ってきた鉄板で肉を焼き、焼きそばを作った。食べ物を食べない(というか食べられない)夏以外はとりあうようにしてこれを食べ、その後は水着に着替えて川で遊ぶことになった。遊ぶといってもこの辺りは泳ぐほどの深さはないのでもっぱら水のかけあいや、ビーチバレーならぬ川原バレーがメインだ。
そして僕たちは女子たちが着替えに行く間待機中というわけだ。
「ねぇー拓」
「なに圭太?」
「覗きにでも行くー?」
圭太がまったく普段と変わらない口調でそんなことを言うので、コンビニ行く? とか聞かれているノリで思わず頷きそうになってしまった。
「ばっ! 何言ってるんだよ! それはまずいって!」
「でもーあの二人なら覗いたとしても何となく許してくれそー」
「そんなわけあるか! 大体紗耶にばれたらマジでヤバいよ」
昨夜の会話にあった通り紗耶は部活で柔道をやっている。いくら僕や圭太といえどもそう簡単には勝てないだろう。それどころか、関節なんて決められたら命が危ない。
「だねー背負い投げ百本とかやられそー」
「やめようよ。それでなくとも紗耶の冗談で疲れてるんだから」
主に精神的に。と、心の中でつけ足す。
「でもーやっぱりロマンだよねー」
「やすいロマンだな」
「やすくていいよーそれじゃレッツゴー」
「人の話聞いてる圭太?」
「本当は覗きたいんでしょ?」
「それは……まぁ」
思春期の男子たる者の偽りなき気持ちである。
「へぇー覗きたいんだ」
その言葉は圭太のものでも、もちろん僕のものでもなく紗耶のものだった。
「わっ! さ、紗耶? いつの間に――」
「圭太の、本当は覗きたいんでしょ? のところから。やっぱり拓は……はぁー」
「ちがうって! それ絶対圭太の誘導じゃん! ねぇ、圭太」
「でもー言ったのは拓だしー」
「だからそれは……あー、もういいや、はいはい本当は覗きたかったですよ! これでいいんでしょ?」
面倒だからあきらめた。
「きゃー! 夏、聞いた今の? 覗き魔がいるよ覗き魔が! 早く素肌を隠して」
紗耶の言葉をどこまで間に受けたかは知らないけど、夏が本当にバスタオルで体を覆い隠すので、僕は少しショックを受けた。別に本当はそこまで覗きたくないのに――それでも覗けたら覗くかもしれないけど。
「自分たちから水着になったくせにー素肌隠してとか矛盾してるー」
それもそうだと頷きながら、まだはっきりとは見てなかった二人の姿を見る。紗耶の方は去年と同じ格好でパレオ風の布面積が多いエメラルドグリーンの水着。夏の方は、ロボットの姿になってから買い替えたのか白と黒の水玉模様のビキニ。去年までは水着を着ても上からTシャツを着たり、スカートみたいなヒラヒラがついているものを着ていたので少しだけどきっとしてしまう。
「あー、拓がエロい目で夏のこと見てるー」
さすがと言うべきか、僕がが二人を見つめていることにいち早く気付いた紗耶がさっそくいじりにかかる。
「べ、別にそんなことないって……」
「声裏返ってるよ、やっぱり拓は変態だね。東京で何してたんだか。ねぇー夏」
「う、うん」
今度はバスタオルで体を隠すだけではなく紗耶の後ろに隠れる夏。猫が物陰から様子を窺うようなジト目で僕を不審そうに見つめてくる。別にそういう意味で見てないんだけどなー……でも下手に弁明すると、また紗耶に何か言われそうなので本題を切り出す。
「それより早く遊ぼうよ。僕たち夏と紗耶が着替えるのずっと待ってたんだから」
僕と圭太が着替えを終えたのは五分程度前で、肌を陽が最も強いこの時間に直接曝け出していたため、汗が滝のように流れ出しそうになっていた。ちなみに圭太が着ている水着は赤いアロハシャツをそのまま半ズボンにしたような水着で、僕が着ているのは腰のあたりが青色で下に行くにつれて色がどんどん薄まっていくグラデーションタイプのものである。どちらもデパートに行けば二~三千円で手に入る安物だ。
「だねー。熱くて溶けそうだよー」
「わかった、わかった。私たちの着替えが遅くてごめんね。それじゃまず何から始める? バレー?」
「その前にこれは?」
そう言い残すと夏は自分の持ってきた荷物のほうへ、そして中から四丁の水鉄砲をとりだすとそれぞれに手渡す。
「たまにはこういうのもいいかなって……」
「えらいぞ夏! これで男どもを粉砕できるね」
「いや、ちょっと待って。なんで女子側の水鉄砲はそんなバズーカみたいにいかついやつなの?」
僕と圭太が渡されたのは百円ショップで見かける拳銃タイプの水鉄砲で、夏と紗耶が持つのはたっぷり三リットルもの水が入る、ありとあらゆる水鉄砲の中でもかなりの破壊力を持つものだ。おもちゃとはいえ、至近距離で当たればなかなか痛いだろう。
「えっ? 君たちの持つ水鉄砲と何か違う?」
紗耶がとぼけた顔をして見せる。
「全然違うよ! 絶対痛いって!」
「でも……これを乗り越えたら強くなるよ。がんばってね二人とも」
夏は水鉄砲をこちらに向けポーズを決めた。
「おー夏がなんかかっこいいー」
「えへへっ……」
「えへへっ、じゃないよ! せめて一つはこっちに……」
「だって拓、私達のこと卑猥な目つきで見るんだもん。仕返し、仕返しっ」
夏は小悪魔的な笑顔を僕にむける。
「あっ! ちょ!」
僕が止める間もなく頷き合った夏と紗耶は、水鉄砲についているペットボトル並みの大きさの水を溜めるタンクを外し川の方へ。右手が虚空を泳ぎ、何かを言いかけた口は変な形に開いたまま動きを止める。
「まー、どんまいー」
「目とかに入ったら絶対痛いよね、あれ」
「うーんー……避けるしかない。あるいは反撃ー」
引き金を引けば壊れてしまいそうなしょぼい水鉄砲を指先で弄ぶ圭太。圭太は異常に運動神経いいから出来るかもしれないけど、僕はそうもいかないだろう。
「そうだよね。頑張ってよければいいんだよね。それじゃ――」
「隙あり!」
川に向かって歩き出そうとした瞬間、夏と紗耶が放った一撃は見事な直線を描いて僕の両目を直撃した。
もちろんその後、僕の悲鳴が龍天山をこだましたのはいうまでもない。
男子対女子の水鉄砲対決はいうまでもなく男子の劣勢だった。
「とりゃ!」
「うわっ! なんで紗耶は僕ばっかり狙うの?」
「だって圭太狙っても避けられちゃうし、ねぇー圭太」
「うんーその程度のスピードじゃーまともには当たらないー」
「ほらね」
「ほらね、じゃないよ!」
「たっくん頑張って」
「なっちゃんは頑張ってって言いながら水かけないでよ! ていうか圭太も僕のこと狙ってくるんですけど!」
いつの間にか背後に回り込んだ圭太が後頭部を狙ってくる。
「だってー拓が邪魔でー女子たちに当たらないー」
「もう! 僕に味方はいないの?」
自分一人が狙われているのは正直気分がいいものではないけど、みんなが去年と同じように笑っているだけで僕は何だか楽しかった。
今さらだけど高校生にもなって、膝程度の深さの川でここまではしゃげるのは我ながらすごいと思う。しかも男子と女子が混ざってこういうことが出来るのは、せいぜい小学生くらいまでだと思うし、そういう風に考えるとやっぱりこの幼馴染たちは特別だ。
ただ、楽しい時間も体力が限界に近付けばだんだん疲れてくる。
「痛っ!」
三人からの集中攻撃でさすがに息の上がった僕は水中のちょっとした石につまずいてしまい、大量の水を跳ねあげて尻もちをついた。
「ちょ、ちょっと休憩……」
「えーもう?」
紗耶が不満そうに口をとがらせる。
「僕は圭太や紗耶みたいにそこまで体力ある方じゃなんだよ」
平均より多少は運動神経がよくても、体力というものは別次元である。
「わ、私も久しぶりにはしゃいで疲れたから……休憩……」
夏が手をあげて降参のポーズをする。
「そっか、それじゃあたしは圭太と決着をつけるよ」
言うが早いか、紗耶は水鉄砲の引き金を引く。顔を狙った射撃を圭太は首を軽く動かすだけで避ける。
「俺とー勝負するってことー?」
「そうだよ。この前、体育の授業のPK対決では一点差で負けたからね。次こそは負かしてあげる!」
「うんー別にいいよー。夏ー水鉄砲ー」
「えっ? あっ、はい」
夏が小さな体には大きすぎた水鉄砲を、圭太が今まで持っていたしょぼいものと交換する。
「じゃー始めるー?」
「後悔しないでよ!」
「しないよー」
圭太ののんびりとした口調を皮切りに、水上での激しい打ち合いが始まった。というか水鉄砲の撃ち合いってどうやって勝敗つけるんだろ?
二人の動きが徐々に加速して、ぶつかりそうになってきたので僕は夏に声をかける。
「危ないから上がってよ」
「うん」
すっかりずぶ濡れになった髪をかきあげる。夏も同じように長い髪を背中に追いやって、自分の荷物からバスタオルを出して肩にかけた。
「はぁー疲れた」
「うん、そだね」
川原に座り込み何気なしに呟いたら、夏が返事をして僕の隣に腰を下ろした。
「そういえばなっちゃんはどうして川から上がったの?」
ロボット何だから別に疲れないんじゃ? その言葉は当然飲み込む。
「あんまりはしゃぐと充電切れちゃうから。そしたらみんなと一緒に残り少ない楽しい時間、過ごせないし」
充電が切れるなんて携帯電話みたいなことをさらっと言ったことにも驚いたが、僕が気にしたことはもっと別のことだった。
「残り少ない楽しい時間って……昨日言ってた……」
「うん、もうみんなと会うのはこれで終わり。楽しい最後にしたいから……」
「なんで? 二人とも、もちろん僕も今のなっちゃんのこと受け入れてるよ? これからも今まで通りに――」
「ならないよ」
小さな、でもはっきりとした意思を持って夏は言う。
「みんな同じだもん……みんな逃げて行くもん……」
「どうしてそんなこと言うの? 僕は本当に……」
「お母さんは逃げた」
夏は淡く微笑んだ。
「元々一人娘の私が死んだだけで精神的にまいってたの。そこにロボットになった私が現れた時どうしたと思う? 泣いてくれたんだよ。泣いて喜んでくれたの。でも、少しずつお母さんは人間だった私の方じゃなくて、ロボットになった私の方を見るようになった」
「……」
「私が昔の私とはっきり違うって気付いたお母さんはね、出ていったの。最後に人間じゃない夏ならいらないって言って」
「そんな……」
僕は後に続く言葉を見つけられない。
「ねぇ、わかる? 私がこの世で一番愛してたお母さんが私のこといらないって言ったんだよ? それなのにどうして私に会えてうれしいとか、そんなこと簡単に言えるの?」
顔を背けて、夏は続ける。
「たっくん達が言ったこと、どうやったら信じられるの? 教えてよ……どうしたら私は今まで通りに生きていけるの?」
「それは――」
よくわからない。それが僕の結論だった。
大切な人が死ねば悲しいし、生き返れば多分うれしい。それはみんな同じだと思う。けど、夏みたいにロボットなんて不完全な状態で生き返ってしまったら、それは結局今生きている人にもつらいだろうし、死んだ人にもつらいと思う。言葉で理解できても、僕はそこがまだよくわかっていないと思う。
それなのに夏に会えてうれしいという気持ちだけで、今の夏にどうやって、どんな気持ちで接すればいいのかなんてわからない。
「結局たっくんもそうなるんだよ。いつか死んだ私が生きているのが当たり前になったとき、人間じゃない私に気がつくんだよ」
どうすることもできなくなって、僕も顔を背けた。
「あーあ。また負けちゃった……」
ちょうどその時、完璧なタイミングで圭太と紗耶が川から上がってきた。
「やっぱりー紗耶はー俺には敵わないー」
「そんなことないって、あともうちょっとだったって」
「でもー勝ちは勝ちー」
「はいはい、今回はあたしが負けました。これでいいんでしょ? 次やるときは覚えといてね。ん? 夏どうかした?」
会話をしながら近づいてきていた二人が、夏の様子がおかしいことに気がつく。
「ううん、大丈夫」
「本当に? あっ! まさか拓に何かされた?」
そう言うと紗耶は夏のことを後ろから抱きしめて、僕のことを睨む。
「何もしてないよ」
なるべくいつもの通りに振る舞って、苦笑いしてみる。苦笑いなら、どんなに苦しい時も出来るからとても便利だ。
「本当に? 夏に何かしたら許さないからね」
紗耶は白い歯を一瞬だけ見せて、それ以上僕に関わろうとはとせずに、圭太と共にクーラーボックスの中に入っているお茶を飲みに行った。
「たっくん……なんかごめんね、気つかわせちゃって。でも、もう本当に最後だから四人で楽しく笑ってよ。ねっ?」
夏のその言葉に、僕は頷くことが出来なかった。
夕方、空が赤くなるまで僕たちは川で遊んだ。
そして帰る前に花火をやることになって、紗耶と一緒にスーパーで買ったたくさんの花火が入った袋を開けた。
「見て見て! 鼠花火まであるよ!」
「プロペラ花火だってーこれどんな花火ー?」
「それは火をつけると回りながら飛んでいくやつ」
「へぇー」
紗耶と圭太が話をしているのを遠目に見ながら、僕は袋の中に入っていた蝋燭にチャッカマンで火を付けた。これでみんな一斉に花火に火がつけられる。
「ねぇ、たっくん。何か水入れるものあるかな?」
「うーん……あ、確か空のペットボトルがあるよ」
確か持ってきていたお茶はみんなで飲みきったはずだ。
「クーラーボックスの中?」
「そうだよ」
「わかった。ありがと」
おそらく花火の火消しに使うのだろう。夏はそちらの方へ駆けていく。
(本当にもう終わりなのかな……?)
僕はまだ信じられずにいた。この時間が、四人の幼馴染との時間がこれで終わってしまうなんて。確かに一度は夏の死という決定的な別れがあったかもしれないけど……夏が今ここにいるにもかかわらずこれで終わりなんて――絶対に嫌だ。
けど母親に見捨てられてしまった夏を慰める言葉なんて、都合よく僕の中にあるわけがなかった。きっとそんなものは魔法の言葉か呪文かなにかだろう。夏の傷ついた心は、おそらく一生治らない。
「どうしたのたっくん?」
いつの間にか川から水を汲んで来た夏が僕の隣に立っていた。
「なんでもない」
無理矢理笑って見せる。その笑顔を夏はどう理解したかわからないけど、同じように笑ってくれた。
「おーい! 始めるよ!」
紗耶が僕たち二人の方へ花火の袋を抱えてやってきた。
「それじゃまずは普通のからね。はい、これは夏の」
「ありがと」
「これは圭太の」
「んー、さんきゅー」
「んで、こっちは拓の」
渡された花火を無言で見つめる。何の変哲もない、普通の花火だった。
「よっし! それじゃ一斉に火つけるよ! みんな準備して!」
紗耶の掛け声に四人が蝋燭を囲むように立つ。
「いっせーの! せっ!」
四人が同時に花火を蝋燭の火に近づけた。最初に紗耶のが、次に圭太が、僕のが、最後に夏の花火に火がついてそれぞれ違う色の光をあげた。
「わー、きれいだね」
夏が飛び散る様々な色の軌跡を見ながら言う。
紗耶の花火は赤色に輝いていて、圭太は青色、夏のは緑色で、僕が白色だった。
しゅわしゅわと炭酸が弾けるように花火が燃えていく。その花火の先から飛んで消えていく火の粉は流れ星や蛍を連想させた。いつかは終わってしまう。そんな儚さをはらんでいるような一時の淡い光だった。
花火は一分するかしないかのうちに消え、それぞれが手に持つ花火をペットボトルに入れて火を消すと、紗耶がすかさず次の花火を渡した。
「よーしどんどんいこう! 完全に暗くなっちゃうと帰れなくなるからね」
僕たちは火が消えるたびに間髪いれずに花火に火を付けた。いつの間にか四人同時に人つけることはしなくなっていて、みるみるうちに花火はなくなっていった。ペットボトルは火薬がなくなった花火の燃え滓でいっぱいになった。
そして、終わりを告げるように線香花火が始まった。
「えっと……十二本あるから一人四本ずつだね」
今までの花火とは比べ物にならないほど細くひ弱な花火が配られる。
「これでー終わりかー」
「……そうだね。もう全部終わりなんだね……」
(なんだ……今の?)
僕は紗耶の言葉に違和感を覚えた。具体的には説明できないけど――何かがおかしい。
「たっくん? またぼーっとしてるよ? みんな花火に火つけちゃうよ?」
「えっ? あ、うん……」
違和感は夏の言葉に頭の隅に押し流されてしまう。なんだったんだ? 今のは……
「そういえばこれでも勝負できるじゃん!」
紗耶が圭太を見てにやりと笑う。
「また勝負するのー? どっちにしろ俺には勝てないよー?」
「そんなのわかんないじゃん線香花火なんだし。運だよ運! よっし! そうと決まれば誰が一番早く花火が落ちるか競争ね!」
「俺はいいけどー……二人もやる?」
「うん、やってみる。いつも紗耶と圭太の二人で何かと勝負、勝負だったし。私もやってみたかったの」
「わかったー。拓はー?」
「……僕もやるよ」
最初と同じように紗耶の掛け声で花火に一斉に火を付けた。最初の数十秒間は激しく燃え上がった火の球も、時間が経つにつれてどんどん勢いを無くしていき、そしてついには落ちていく。最初に夏が、次に紗耶が、圭太が、そして僕が。こういうどうでもいい時だけ、僕は二人に勝ってしまう。
「俺のー勝ちだねー」
「むっ、また負けた~。これって運動神経とか関係ないよね?」
「もしかしたらー指先の震えとかが関係してるかもよー」
「はっ! それだ! よっし、震えを止めれば……!」
「いや、関係ないと思うよ。それに勝ったの僕だし……」
もちろん二人は聞いていない。いつの間にかいつもの紗耶対圭太の勝負が始まっていた。
「なんだかいつも通りだね……」
「そうだね……」
夏と勝負が好きな二人を見ながらため息交じりに頷き合った。でも、そのため息は呆れからくるものじゃなくて、もっと心地いいものだった。
「よっし! 勝ったー!」
「あーあー。負けたー」
二本目は珍しく紗耶が圭太に勝った。その勝負にはもはや関係ないが、同時に火を付けた僕と夏は最初の数十秒でほぼ同時に火の球を落とした。
「線香花火は四本だからー次が最終勝負かなー?」
「三本勝負ってこと? いいの? あたし圭太に勝っちゃうよ?」
「全然ー遠慮しなくても俺が勝つしー」
「ふんっ、後悔しても知らないから」
再び四人同時に火をともす。開始三十秒で、どこからともなく吹いてきた風に僕の火の球が落とされた。次に夏の火の玉がぽとりと石の上に落ち、最後に紗耶と圭太の花火が残った。
「今回は絶対に勝つからね……!」
「どうかなー?」
十秒、二十秒と時間は過ぎていき、遂に火の玉が落ちた。
「あっ、あぁあああああああ!」
「俺のー勝ちだねー」
結果は何となくわかっていたけど圭太が勝った。
「嘘でしょ! ほとんど運が頼りなはずなのに……!」
「やっぱりー指先の震えだよー」
「そんな! くっ! こうなったら明日からは柔道の練習よりも指先の震えを無くす練習をしなくちゃ駄目ね!」
「いや、そんなことしても意味ないし指先の震えなんて関係ないから……」
二人とも聞く気もないだろうけど、僕は一応補足しておいた。
「それじゃ、勝負もケリついたし、最後の一本始めますか」
紗耶が案外早く敗北から立ち直り、全員の最後の一本に火がともされた。
しばらく四人で火を見つめた。それは数秒だったか、数十秒だったかそれはわからない。けど、その間はなぜか誰も口を開こうとはしなかった。
「今日はありがと」
不意に静寂を破って夏が口を開く。それと同時に紗耶と圭太が顔を伏せた。
「えっ?」
今度は疑問が口に出た。夏が今日を最後にもう会わないと言ったのは確かだ。だから夏の言っていることは正しい。けど二人の反応は――
「本当はたっくんの歓迎会のはずだったのに私のお別れ会になっちゃたね。ごめんね二人とも……それにたっくんも……」
紗耶の瞳から涙が落ちるのを見た。圭太も何かを耐えるように唇を噛みしめている。なんだよ、なんだよ……これ。
「みんな今までありがと。最後に私に会いに来てくれてありがとっ……ね……」
今にも泣きそうな表情で夏が言いきると、今まであんなに長く落ちずにいた二人の火の玉が見計らったかのように落ちていった。
「どういうこと? ねぇ、どういうこと!」
僕は思わず叫んで立ち上がる。それと同時に火の玉が落ちる。
「たっくん……ごめんね。心配してくれてうれしかったよ」
ごめんね? どうしてそんなこと言うの? だって、だってこれからじゃん! 四人でこれからまたたくさん思い出作って、一年後も、五年後も、十年後も、いつまでもいられるまではずっと一緒に――
「あたしも……今日はっ、夏に会えて……本当にうれしかった……!」
「俺もー……ありがとうなー夏ー」
「待ってよ! なにこれ? 僕こんなの聞いてないよ!」
立ち上がって声を荒らげる。
「なんで紗耶も圭太もこれでお別れみたいなこと言ってるの? そんなこと聞いてないよ! ふざけないでよ!」
「……聞いてないって……どういうこと?」
紗耶は涙が流れた跡が残る顔をこちらに向ける。
「だって、二人とも夏がロボットになってから今日初めて会ったんでしょ? なのにもう――」
「今日で夏に会うのは最後って、ずっと前から決まってたじゃん? どうしたの急に?」
「えっ――」
僕は絶句した。なんだよそれ……
「夏はロボットになってから今日まで大変な思いしてきたでしょ? だから今日は四人で最後に楽しい思い出作って、夏にちゃんとさよなら言うって、ずっと前から決めてたでしょ?」
「そうだぞ拓ー。悲しいのはわかるけどーいきなり取り乱すなよー」
僕はようやく夏の顔を見た。夏は笑っていた。いつかの笑顔で。
「それじゃ最後にみんなで夏に今までありがとうってちゃんと伝えよ? せーのでいくよ」
紗耶が圭太と僕に言う。涙のせいで僕がこの状況を理解していないことをわかっていないのか、それは着々と進んで行く。
「ちょ! まっ――」
「「夏! 今までありがとう! そしてさよなら!」」
僕の声は二人のまるで示し合わせたかのような声に重なって、掻き消されてしまった。
「うん、私の方こそ今までありがとう……」
この時、僕は初めて知った。
幼馴染の友情や絆なんてものは、とっくに崩れ去っていたことを
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