18 展示、半ばを過ぎて 後編

・1月30日


 行くよ、と言ってくれていた職場の上司が本当に来てくれた。来てくれただけならまだしも、雑多に突っ込まれたポストカードをすべてそろえていってくれた。兄貴、スタッフじゃないんですぜ。

 また同日、新進気鋭のアートおにいさん(neccoにもよく来る)が結構長くいてくれて、お客さん不在の暇を囲っていた吾輩を助けてくれた。しかも原画も買っていってくれた。きみ、きっと徳積んだぞ。


・1月31日


 一方的に吾輩が悪くてケンカ別れをした元友人が来てくれた。案外、わだかまりなく話ができた。もう1人同年代の作家さんがいて、彼女と元友人の嗜好もわりあい似ていたため、完全に飲み会だった。

 でも、みんなそれぞれ吾輩に気を遣ってくれていたに違いない。感謝しかない。


・2月1日


 吾輩が、勝手に「重鎮」だと思っている方ばかり次々いらっしゃって、それはもう気をもんだ。

 いつ話しかければと変なこと言ってないかな、のあれだ。

 向こうさんがどう取ったかはわからないが、特にトラブルが起きることはなかった。ありがとうございます。

 終盤はとってもしみじみしていて、いい空気だった。

 と、思う。

 うれしかった。


・2月2日


 土曜日なので、昼営業だ。

 この日まさかの来場者ゼロを記録する。

 しかし、決して悲観的な気持ちに傾かなかったのは謎である。

 1時間半ばかり経っても誰も来なかったので、吾輩は酒を飲み(有料。ちゃんとギャラリーさんにお金を払っている)、ツマミをやり(差し入れ。ありがてえ)、ストーブそばのソファに寝っ転がって文庫を読んだ。さらに1時間経っても誰も来なかったので、もうひと缶開けて、その後の行動は一緒だ。

 Twitterにも書いたが、なぜそれが”贅沢”なのか。

 引用しよう。

 

”好きな服を着て酒とツマミをやり、好きな本をストーブそばのソファでごろごろしながら読む。好きな歌が始終流れている。

顔を上げれば自分の作品がいっぱいいる。

これが贅沢でなくてなんなのか。”


 自分の作品が「ある」ではなく「いる」と表記しているところからわかるとおり、吾輩は自分の作品を単なる”絵”とは断じがたいところがある。しかし”我が子のよう”とも思わないのだ。

 マッドサイエンティストがヤバげなロボットやホムンクルスを「作品」と称する気持ちにこれは近いのかも知れない。


 このあとはますます忙しくなるので、更新は引っ越し後になるかもしれないし、ならないかもしれない。

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