37.も、もしかして私って……ヘタレ、なのか……?

「……(アモルちゃんとは、これから一緒に暮らすことになる……んだよね? だったらやっぱり、どうにかして仲直りしたいなぁ……ハロちゃん、相談乗ってくれるかな)」


 ――がちゃり。


 フィリアの唇が私のそれに触れるまで、あと数ミリ。

 そんな一瞬の隙間を縫うように、部屋の扉が開く音がした。

 私もフィリアも、お互いがお互いに集中していたせいで、予期しない出来事にビクッと肩が震える。

 今、アモルは私が与えた部屋で休んでいるはずだ。なら、いったい誰がやってきたのか。

 アモルを除く二人の同居人のうちの一人、フィリアがここにいる以上、その答えは自明のことだった。


「……(それからできれば、わたしも……一緒にお風呂、入ろうって誘ったり……とか。と、友達ならそういうことしても不思議じゃないよね? うぅ、緊張するけど……ハ、ハロちゃんなら、きっと……き、っと…………?)」


 部屋に入ってきたのは、血をかぶったかのような赤い髪が印象的な少女、シィナだ。

 意気揚々と部屋の中に入ってきた彼女は、その赤い眼で私たちを捉えると、ピタリとその場に静止する。

 シィナの訪問という突然の事態に、私もフィリアも、その場から一歩も動けていなかった。

 つまり、キスをする直前の状態で止まってしまっていたということである。


「シ、シィナっ? ど、どうして……い、いや、そうじゃなくて、これはその、えっと……」


 あまりに絶妙なタイミングだったため、後ろめたいことを知られたかのようにあたふたとしてしまう。

 い、いやっ、別に私とフィリアは本当にそういう関係じゃないけどね?

 ただ……それは今はまだということであって……もしかしたらそのうち……。

 だってほら、その、こんな色っぽいフィリアは今まで見たことがなかったし。

 フィリアの言う好きが、もし私みたいに不純な意味合いも含むのなら……。


 ……な、なんだか顔が熱くなってきたぞ。


「…………(えっ、と……今もしかして……キス……して、た? …………え。え……? は、ハロちゃんとフィリアちゃんって、そういう……? …………え……?)」


 まるで時間が停止したかのように、私とフィリア、シィナの視線が混じり合う。

 シィナはあいかわらず無表情なのでよくわからないが、フィリアはどういうわけか意外と落ちついているように見えた。

 せいぜいが、むむむ、と少し不満そうに唇を尖らせていたくらいだ。


「…………(………………お、お邪魔……しました……)」


 そんな中、動きを見せたのはシィナだった。

 正直私は、シィナが私とフィリアを引き剥がしに来ると思っていた。

 なにせ彼女は若干ヤンデレの気質があるし、こんな私を良かれ悪しかれ慕ってくれている。

 かつて「大丈夫だから」とその場の勢いで抱きしめた時には、「あなたはもうわたしのもの」などと言われた事実もある。

 こんなところを見られてしまったら、フィリアを邪険に扱っても不思議じゃない。

 しかしそんな私の予想に反して、シィナの行動はひどくおとなしいものだった。

 なにを言うでもなく、まるで時間を巻き戻すかのようにトテトテと後ろ歩きで戻っていったかと思うと、扉の取っ手に手をかけて、そうっと閉める。

 ふらふらと立ち去っていく音もして、扉の向こうからシィナの気配は完全に消えてしまった。


 あ、あれ……なんか行動が予想と全然違うぞ。

 っていうか一言も発さずにどっか行っちゃったけど、いったいなにしにきたんだ……?


「むぅ……シィナちゃん、やりますね。せっかく良い雰囲気だったのに……でも、これで一歩リードです」


 私にはシィナがなにをしに来たのかまったくわからなかったが、フィリアはなんかわかったらしい。

 シィナの乱入でそういう空気ではなくなってしまったこともあってか、フィリアが私から離れていく。


「あ……」


 ……べ、別に残念がってなんかないぞ?


「お師匠さま。私、アモルちゃんと仲良くなれるよう頑張ってみます。せっかく一緒に暮らすんですし、いつまでも気まずいままじゃ嫌ですから」

「あ、う、うむ……そうだな、それがいい」

「はい! それじゃあ私、魔法の勉強をしてきますね! 少しでもお師匠さまに近づきたいですから!」

「え」


 やる気に満ちた元気のいい声を上げると、フィリアは上機嫌に私の部屋を去っていった。

 ……去っていった。


 …………え。

 え……。


 あれ、ほんとに行っちゃった?

 あれで終わりなの? キ、キスの続きは?


「…………」


 な、なんで引き止めなかったんだ私は!


 これ以上ないチャンスだったぞ! 今まさにゴールインしてにゃんにゃんできる寸前だったぞ!

 フィリアの言う好きが、私と同じ種類のものとは限らなかったけど……いやいや! なにを弱気になってるんだ! キスまでされそうになっておいて!

 もし仮にフィリアの好きが、家族としてのものだけだったかもしれなくても……あそこからなら、なんか勢いでベッドインまで行けたはずだ!


 そもそもなんで私はキスされるのを待ってたんだ! 雰囲気を察して自分から行っていればシィナが来る前にキスまで行けたはずだというのに!

 そうすればきっと今頃、フィリアとベッドの上で……上で……。


「っ……」


 フィリアとそういうことをする想像をしようとすると、嫌でも蘇る。

 鮮やかな赤みを帯びた頬。色気を醸し出す艷やかな微笑み、息遣い。


 フィリアとにゃんにゃんする妄想は今までも何度もしてきた。してきたけど……。

 私が今思い浮かべているフィリアの鮮やかな姿は、私の想像だけのものじゃない。

 ついさきほど私に向けられた、現実のものだ。

 それを意識するだけで、胸の中がドキドキと高鳴って、萎縮する。

 顔だけでなくて耳まで熱を持ち始めて、言葉がうまく出なくなる。


 う、うぅ。なんだこれは……。


 せめて妄想の中ではヘタレまいと、妄想の中のフィリアに何度も襲いかかってみる。


『お師匠さま、可愛いです……』

『ふふ。ここが弱いんですか?』

『大丈夫ですよ……私がなんでもしてあげますから』


 ……襲いかかってみたものの、そのことごとくにおいて容易く撃退され、逆に攻められた。

 お、おかしいな……攻められる未来しか見えないぞ……。

 も、もっと頑張れ妄想の中の私! もっと押せ! なんでされるがままになってるんだ!


「……も、もしかして私って……ヘタレ、なのか……?」


 フィリアを買ったあの日から今日に至るまで、未だ一度としてえっちなことがしたいと言い出せない。

 今まさにこれ以上ないチャンスだったというのに、一言も呼び止められなかった。

 現実のフィリアとそういう行為に及ぶと想像するだけで、くらくらと脳が揺れる。


 薄々もしかしたら、あるいはよしんばそうかもしれないんじゃないかと、心のどこかでほんのちょっとばかり疑ってはいたが……。


「い、いや! そんなはずはない! そんなはずは……」


 そうだ。

 チャンスを掴む人というものは、自分が立つ場所までチャンスが落ちてくるのをただ待っているわけではない。

 チャンスが落ちてくるかもしれない場所を見極めて、自分から向かって行くものなのだ。

 そう、受け身なだけではいつまで経っても状況は変わらない。変えられない……!

 ヘタレてばかりいては、どんなに望んだって願いは叶わないんだ!


 私はそれを理解しているはずだ。

 恥を忍び、フィリアを買うという行動から始め……恐怖に耐え、シィナと一緒に住むことを自分の意思で受け入れて……。

 淫魔の液体薬とかスライム大作戦とか、密かに手を尽くしてきた。


 これまでと同じように行動を起こせばいいだけだ。

 次にフィリアと良い感じの雰囲気で二人きりになった時に、ただ一言、「フィリアのことが一人の女の子として好きだ」と伝えればいい。恋愛的な意味で好きだ、と。

 そうすれば後はきっと流れで行ける!

 そして私が主導権を握り、攻めの権利を手に入れる……!


「よし……!」


 頬を叩き、気合いを入れ直す。

 私は決してヘタレなどではない。次にフィリアと良い感じで二人きりになった時、必ずそれを証明してみせる……!


「……とは言え……私も今日は、少し疲れたな……」


 今日だけでいろいろあったので、だいぶ疲れが溜まっている。

 私はエルフなので、肉体的にはかなり貧弱なのだ。


 部屋のライトを消して、ごろんとベッドに寝転がる。


 アモルがこの家に馴染めるためにはどうするか考えなくてはならないが……フィリアとの仲に関しては、フィリアが去り際にアモルと仲良くなれるよう頑張ってみると言っていたし、そんなに心配はいらない気もしてきた。

 ただ一途に目標に向かって頑張り続けられるのがフィリアの魅力だ。そのフィリアが頑張ると言ったのなら、きっと成し遂げてみせるだろう。


 問題はアモルとシィナの仲だけど……うーむ……。

 シィナと一度、面と向かって話してみる……というのが一番よさそうな気がする。


 正直なことを言うと、私は最近、もしかしたらシィナのことを正しく理解できていないのではないかと思えてきたのだ。


 これまでは、凄惨な過去によって精神が病んでしまった、ヤンデレの女の子だと思ってきた。

 生き物の血が大好きで、獲物を前にすると思わず狂気的な笑顔を浮かべてしまう。

 ペットが主人に懐くような感じで私を慕ってくれていて、私や彼女自身に害為す者には一切の容赦をしない……。


 ……そんな風に思ってきたのだが、実のところシィナが身内に害を及ぼしたことは一度としてない。

 確かに敵対者には一切合切の容赦はしないし、その時のシィナはマジで怖いのだが、フィリアともなんだかんだ仲良くやってくれているし、私の願いを聞き入れてアモルにトドメを刺さずにいてくれた。

 さっきだって、私が抱いていた人物像通りなら、嫉妬に狂ってフィリアを追い出したりしても不思議じゃなかった。


 もしかしたら案外、ただ凄まじく口下手なだけの寂しがり屋な女の子だったりするんじゃなかろうか。

 や、もちろんこんなのたとえ話に過ぎないけどさ。

 あなたは私のものだとか堂々と言ってくる子が実はただの口下手って、どんだけこじらせてるんだよって話だし。

 さすがにありえんでしょ。もはやコミュ障の権化じゃん。


 とにかくそういうわけなので、一度シィナの本心を真っ向から聞いてみるというのは一つの手として大いにありだ。

 その内容によっては、もしかしたら二人の仲を取り持つことができるかもしれない。


「……とりあえず……そんな、感じで……」


 横になっているうちに、段々と意識が朦朧としてきた。

 うつらうつらとして、思考も靄がかかったものになっていく。


 それから私が眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。






 ……ん……んん……?

 なんか……苦しいぞ……?


 確か……少し休もうと思って、ベッドの上に寝転がったところまでは覚えてるけど……。

 うっ……なんでこんなに寝苦しいんだ……?


「……やっと、起きた? ……お姉、ちゃん」

「…………え……」


 パチリと目を開けると、視線の先にアモルの顔があった。

 闇の中で妖しく輝く朱が混じった瞳が、私の顔を覗き込んできている。

 いつの間にか嵐は止んでいて、窓から差し込む月明かりだけが、彼女の姿をかすかに照らしていた。


「ア、モル……?」


 寝苦しかった理由は、アモルが私の上に布団越しに馬乗りになっているからだった。

 私が名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに口元を緩める。


「……一人で寝ちゃうなんて……ひどい」

「……えっ、と……」


 ほんの数センチ先のところまで、アモルの顔が迫る。

 今度は少し不満そうに頬を膨らませていて、なんとも可愛らしい。

 最初こそ、なぜアモルがこんなことをしてくるのかわからなかったが、アモルの反応から一つの憶測が思い浮かぶ。


「……もしかして……一緒に寝たかったのかい?」

「ん……」


 こくり、とアモルは頷いた。

 それでようやく私も合点がいく。

 一人にしてあげた方が心置きなく休めるだろうと思って私はアモルに空き部屋を与えたけれど、アモルの精神はまだ子どもだ。

 仲間たちに疎まれ、だけどその仲間さえ殺されて、一人ぼっちで恐怖に耐えて、今日まで必死に冒険者たちから逃げ回ってきた。

 だからきっと、まだ一人は寂しかったのだろう。

 それならば納得だ。


 可愛い妹が甘えてくる時の姉の気持ちはこんな感じなのだろうか、なんて思いながら、私はアモルを安心させるように微笑んだ。


「ふふ……じゃあ、一緒に寝ようか。おいで、アモル」

「…………ん……」


 ポンポンと隣を指し示すと、アモルは私の上から降りて、布団に手をかけた。

 そして布団の中にアモルが潜り込んでくるような形で、一緒に眠る――そんな未来を私は軽く予想していた。

 だけどアモルは私の布団に手をかけた後、その中に自分が入るのではなく、バッと一気に剥ぎ取ってしまった。

 えっ、と私が目を丸くする中、再びアモルが私の上に馬乗りになる。


「……一緒に……寝よ? お姉ちゃん」


 言いながら彼女は、パチ、パチ、パチ――と。

 上から一つずつ、アモルは自分の寝間着のボタンを外していく。


「……!? ア……アモルっ……!?」


 私が呆然としている間にアモルはすべてのボタンを外して、静かに上着を脱ぎ去った。

 アモルの心の純粋さを表すかのような白い下着と、妖艶な褐色の肌、そして淫魔の証たる紋様があらわになる。


 寝る時は下着になって寝る派なのかとか、そんな予想が頭をよぎるが、脱いだ理由がただそれだけであったならどんなによかっただろう。

 ……もしかしたら、と。もう一つ思い浮かんでしまった最悪の予想の可能性の方が高いであろうことは、想像に難くなかった。


 アモルは自分の唇に人差し指を添えると、その艷やかな頬を朱に染め、照れるようにして微笑んだ。


「……わたし……初めてだけど……頑張る、ね……」

「っ――――」


 馬乗りになったまま、アモルは私の方に上半身を倒して、体を密着させてくる。

 服越しに触れるアモルの体はどこもかしこも柔らかくて、私はロリコンではないはずだというのに、一気に自分の体温が上がるのを感じた。


 もはや疑う余地はない。

 これは……これは……!


「……わたしがお姉ちゃんを……気持ちよくしてあげる」


 よ、よよ……夜這いだこれーっ!?

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