第4章―2
それがなければ、パラシュートで森の中に下りることにはならなかった、とリシュームは思った。飛行機が墜ちなければ。墜とされなければ。
三機は予定された地点に降り立ち、そこから全員が決められたポイントに合流することになっていた。その先は、先ほどシキが冗談半分で口にしたとおりだ。
けれども、そうはならなかった。
先導していた一機が、先に墜ちた。それからほどなく、並列して飛んでいた機体が姿を消した。
「俺が何かやったのか、ということについては……三割くらいは正解。残り七割は不正解」
「茶化さないで」
思わず、リシュームは短く返す。
彼女が乗っていた機体のパイロットは、自分たちの機体も危険だと思ったのだろう。リシュームは、パラシュート降下を指示された。下は枯れ木ばかりの森で、素人が降下するのに適した場所ではない。急がなければ、という判断だろう。あのパイロットは、先ほどの話から考えて、どうやら死んだらしい。痛ましくは思う。一方で、彼女にとって軍は、決して、快く護衛を頼める存在ではなかった。好ましい感情を抱いていなかった、と言ってもいい。だから、感傷のようなものは、今の彼女の中には無かった。
ただ、自分が知らないことを、それと分かるように隠しているようなシキの態度だけが、不愉快だった。
「完全な正解は、存在しない。完全な間違いは存在するけれどな」
シキは、そんなことを言った。
「急に、他の二機とはぐれたの。あんな兵器は見たことがない。これでも昔は、軍の技術解析室にいたのよ。敵の新兵器を研究するところ。でも、あんなのは――」
「かなり入り組んだシステムだよ。あれは昔、この森がまだ生きていた頃から、ずっと森を守り続けている。言うなれば、森の守り神だな。神がいるとは思っていないけど」
「守り神……」
まるでおとぎ話だ。
「密猟や、不法な森林伐採から、森を守るためのシステムだった。ソースを見たが、恐らく……同じ言語を使っているシステムはもう、世界中どこを探しても無いだろうな。三世代か四世代前のプログラム言語に近いが、システム構築を担当した誰かさんの自作だろう。メンテナンス出来る人間はいない。今となっては、ロストテクノロジーに近い。それが、戦争が激しくなってからは、戦火から森林資源を守るためのものになった。確かに、神話だ」
結局は守りきれずに、森は死んだ。セキュリティだけが生きている。皮肉だ。
「ドクの案内がなければ、あんただって危なかった」
イェンが地図に書き込んだ、いくつもの円を思い出す。彼も、この森のセキュリティシステムについて、シキと似たようなことを言っていた。
「そうね。……それについては、イェンさんには感謝しているわ」
仮にイェンと出会わなかったとして、どんな死に方をしたのかは、聞きたいとも思わない。
「話が逸れたな。それで」
「水源病って、聞いたことあるでしょう?」
リシュームが口にした言葉に、シキは答えない。ただわずかに、視線をこちらに向けた。
「都市部での罹患率は年々上昇している病気よ。もともとは、どっかの医学者の名前で呼ばれていたけれども、少し前にそういう名前になった。汚染された水が原因だと結論づけられて、それで、分かりやすい病名にしたのね」
シキは、黙って聞いている。特に相槌を打つわけでもなく、かといって、否定的な表情でもない。
「飲み水が足りないのよ。無駄に使える水なんてないの」
「それで」
どうしたいんだ、とシキは問う。
「もうやめますと言えば、あんたは帰ってくれるのか。それとも、首都まで足を運んで出頭しろというのか、あるいはこれまで使った水ぜんぶ返せっていうのか」
そうして、シキは目を伏せ、軽くかぶりを振った。拗ねたように、そっぽを向く。
「大勢が、死んでいるのよ。せめて、説明は必要でしょう?」
彼を責めているわけではない。
リシュームはふと、そう自覚した。
彼女はただ、台本を読んでいるに過ぎない。派遣された調査官としての彼女に、ふさわしい言葉を述べているだけだ。
他人がいくら病もうが、死のうが、リシュームが心を痛めることはない。それを、彼女は今、自覚していた。ここで何が行われていたとしても、本当に興味を持って調べようとは思わない。
それは恐らく、シキにも伝わったのだろう。
「……話くらいは聞くって、約束だったな」
そう言って、シキは先ほどリシュームから盗んだIDカードを差し出した。
「やはり、あなたは関係しているのね?」
「大抵のことは、大抵の人間に、何かしら関係があるさ」
「私が気に食わないのね」
「よく分かったな」
シキは笑いながら、煙草に火を点ける。
「ばれた、ってことは、あのおっさんは捕まったのか」
「どの人のことを言っているのか、分からないわね。逮捕者はひとりやふたりじゃないし」
「そうか」
そして、シキは大きなため息をついた。
「大きな事件になっているのよ。ここでは、外の情報は手に入らないの?」
「ネットは見ていないな。興味もない」
リシュームは、携帯端末を取り出す。
圏外だ。
そんな馬鹿な、と。
たぶん、そんな顔をしているのだろうと、自覚する。この地球上に、ネットワークに繋がらない場所があるなど、考えたこともなかった。
「……さっきのセキュリティシステムが、何かやっているの?」
「たぶんな。俺はよく知らないけど、前にドクがそんなことを言っていた」
リシュームは、ため息をついた。
「じゃあ、本当に、何も知らないのね?」
「あんたが、当然知っているべきだと思っていることは、俺にとってはどうでもいいことなんだろうな」
「『どうでもいい』」
「そうだよ。人間が何人死ねば、この森は元に戻る?」
「そういう話をしているわけじゃ」
「そういう話だ。……そういう話なんだよ」
落ち着け、と。
リシュームは、自分に言い聞かせる。
自分が持っている情報を、整理する。
今回の事件では、何人もの逮捕者が出た。
彼女は、調査委員として何度か逮捕者の取調べにも同席した。ふと、その中の主犯とされていた男性のことを思い出す。シキは、おっさん、と言った。恐らくは彼のことだろう。確かに、気のいい中年の男性だった。
「私の仕事は――。いえ、私が知りたいのは、横流しされた水の使い道について。あなたが中心的に何かをしていたというなら、首都に同行してもらうことになるかもしれない。でもともかく、そういうのは話を聞いてからにしようと思ってる」
「…………」
「答えてくれるの?」
シキは、少し迷っているようだった。リシュームは黙って、答えを待った。
「さっきも言ったが」
声は少しばかり掠れているように聞こえた。
「政府はもう、知っているはずだ」
「どういうこと?」
「ここはもともと、国も関わっていた研究施設だ。当然、ここで行われていたことは政府も知っている。ただ、こんな状況になっちまって、簡単には踏み込めなくなった」
「それで、私を派遣したというの?」
リシュームは、納得できないという顔で言う。
何も知らない公務員ひとりを送り込んで、状況が変わるとは思えない。
それをそのまま伝える。シキは、ただ首を横に振って、否定した。
「あんたは、なんていうか、素直だな」
「は?」
「そういうところが」
笑っているように見える。
リシュームは、わざとらしく眉をひそめてみせた。
「証拠が欲しいだけなんだよ」
「証拠?」
シキは、腕組みをして、小さく唸る。
「あんたを門前払いした方が、面白い展開になったかもしれねえなあ」
「あのねえ……説明してくれるの、くれないの?」
あなたはいちいち言葉が足りない、と。リシュームは、疲れた声でぼやいた。
シキはそれには答えず、誤魔化すように別なことを口にする。
「あんたとは、少しばかり気が合うような気がするんだよ」
少しだけな、と。
「そんなことを、今、言われても」
よく分からない。
つい先刻会ったばかりで、気が合うもなにもないと、リシュームは思っていた。シキは、そんな彼女の疑問には答えなかった。もとより、ただの独り言だったのかもしれない。
そこでまた少し、沈黙があった。
何か予感めいた沈黙だった。
何か、大切なことを言う、その前触れのような。
シキはそっぽを向き、どこか遠くに目をやったまま、口を開いた。
「ここには、森がある」
そのために水が必要だ――そう、シキは静かに言った。
「森?」
シキの目は、ディスプレイを見つめていた。
「あんな、死んだ森じゃない。生きている森だ」
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