第1章

「軍用機」

 彼が部屋に入るなり、青年の呟きが聞こえてきた。

 薄暗い部屋だ。壁には幾つものディスプレイが並び、青白い無機質な光を放っている。ほかに明かりはない。コーヒーと、煙草の匂いがしていた。

 ディスプレイの一つを、青年はじっと見ている。その光のせいか、顔は蝋のように白く見えていた。咥えたままの煙草の灰が、ぱらぱらと、ふたつみっつ落ちる。椅子の上にあぐらをかき、膝の上に分厚い本を広げている。調べ物でもしていたのだろう。何度言っても、部屋の照明は点けない。照明どころか、空調も最低限の換気のみで、エアコンも空気清浄機も止まっている。ここには夏も春も関係なく、いつも寒く、埃っぽい。

「それとも、偵察機か? なあ、ドク」

 床は、足の踏み場もないほど散らかっている。資料庫から持ち出した文献やファイル、記録メディア。付箋がいくつも貼られ、書き込みがされ、ページを開いたまま積み重ねられては、バランスを失い崩れている。彼――ドクは、踏まないよう気をつけながら、青年のすぐ後ろまで行き、ディスプレイに目を向ける。ほとんどは、彼らがいるこの建物の周辺の森と空を映していた。

 青年が見ているのは、そのうちの一つ、上空を映したものだった。カメラは、小さな機影を捉えている。映像は静止している。少し前の録画を、確認のために止めているらしい。

「いや、攻撃機だよ。この遠さでは、細かいところまでは分からないけれど」

 彼は、シルエットからそう判断した。

「放っておけばいい。まだ、こちらに手出しはできないはずだから」

 青年は、考えこむように首を傾げている。何か気に掛かることがあるらしい。ドクは笑って、その頭を軽く二回、叩いた。

「僕が、帰りに様子を見ておくよ。何かあったら知らせる。それでいいだろ」

 青年は、静かに頷く。そして、短くなった煙草を、手近な空き缶で揉み消した。

 ドクはその返事に、ほっとしたような表情を浮かべた。それから、青年の肩を掴んで、ぐい、と引き寄せる。空いている手を、青年の額に当てる。そして、そのまま親指で下目蓋を引く。青年は、されるままに任せていた。

「微熱があるよ。貧血も、見て分かるくらい悪化している。僕が渡している薬は飲んでいるよね」

「飲んでるけどさ、効いてるのか分からないからなあ」

「これだけ好きに動き回っていて、よく言う。病状が安定しているということじゃないか」

 それから、慣れた手付きで、青年が着ているシャツのボタンを外した。ポケットから聴診器を取り出し、胸の音を聴く。

「とはいえ、無理しすぎだと思うよ。焦るのは分かるけれど」

 ちらりと、ディスプレイに視線を投げ、また青年に戻す。

「少しは、休んだ方がいい。身体に障る」

 青年は、黙る。男から目を逸らす。そうして、呟く。

「治る病気じゃない」

 それから、ふと悔いるようにまた、ドクの方を見る。

「医者に言う言葉じゃなかった」

 忘れてくれ、と。

 その言葉に、ドクは、気付かれないよう静かに笑った。

「痛み止めを、少し多めに置いていくから。でも、あまり多く飲み過ぎないように」

 青年は椅子に座り直し、ディスプレイをざっと見渡す。軍用機が映っている画面は、三つに増えていた。それぞれが、別の角度からとらえている。

「……高度が低い。人を下ろすつもりなのか、それとも不時着できる場所を探しているのか」

「まだ、潰し合いの戦争をするつもりかな」

 ドクは皮肉めいた調子でそう言ったが、表情にはどこか諦めのようなものが浮かんでいた。

 青年は、微かに笑った。

「潰し合えばいい。人間なんて、潰し合って、滅びればいいんだよ」

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