未定・公募予定のもの
尾崎しゃう
第1話10章の前半
────あ、なんだかあの山の向こうの方からすごく強い光を感じる。
やっぱり。今、太陽が山の頂上から少し顔を出した。
その瞬間、なんだか周りの温度が少し上がった気がした。
みるみるうちに周りが光に照らされていく。朝が来たんだ。しかし反対に、さっきまで確かにそこに、はっきりと存在していた夜がどこかへ行ってしまった。
(そうか、また夜が明けたんだ。嫌だな・・・・・・)
そう思いながら今日もまた、日々の普遍性を恨みながら、今まさに登ってきたばかりの太陽に背を向けて家路に着く。
家のドアを開け、壁にかかっている時計を見ると針は午前六時過ぎを示していた。そういえば、さっき時計の鳩が鳴く声がしてたっけ。
あれ?そういえば少し前まで鳩は僕が家に帰って少ししてから鳴いていた気がする。
あぁ、そっか。なるほどね。
鳩のなくタイミングから、日の出の時間が少し遅くなっていることに気づき、秋の訪れを感じた。
秋は一年の中で最も好きな季節だ。
『食欲の秋』や、『読書の秋』。他には『スポーツの秋』だなんて世間一般には言われているけれど、僕はそんな平凡な理由で秋が好きなわけじゃ無い。
ただ単に、常に暑くも寒くもなく、ちょうどいいぐらいの温度が保たれているため、過ごしやすいから好きなのだ。
他には、長期休暇がない、というのも理由の一つ。
それは世間一般の学生からしたらマイナスポイントかもしれないけど、僕にとっては超絶プラスポイントだ。
靴を脱いで丁寧に手を洗った後、部屋の隅っこの方にポツンと置いてある仏壇の前に座り、手を合わせる。もちろん線香に火をつけて。
拝み終わって顔を上にあげると、ちょうど仏壇に立てかけてある遺影と目が合った。
遺影の数は2つ。写っているのは二人の男女の太陽のように眩しい笑顔。
根暗な僕を照らしてくれていた、僕の父と母の顔だ。
この仏壇には二人の骨がまるまる入っている。いわゆる自宅供養というやつだ。
僕の両親が亡くなったのは、ほんの少し前。まだ亡くなってから半年も経っていないほどだ。
両親はかなりのおしどり夫婦で、休日に二人で出かけていくのも日常茶飯事だった。
亡くなった日、両親は車で近くの県に新しく出来た水族館に行く予定だった。母がイルカが大好きだったのだ。
前の日から母は年甲斐もなくとても楽しみにしていて、見ていてとても微笑ましかった。両親が家を出る時、満面の笑みで「楽しんでくるね!」と言っていたのを覚えている。
しかし悲劇は、水族館に着く直前に起こった。父の運転する車が信号を待っているとき、横から大型トラックが突っ込んできたのだ。飲酒運転だった。
僕の家の車は、可愛い小さな軽自動車だったためにひとたまりもなく、僕が現場についた時には原型をとどめていなかった。それに比べて、横に堂々と立っていた大型トラックは、なにかの兵器のように思えた。
事件の後、加害者の遺族から「謝りたいから仏壇を拝ませてほしい」という電話が何度かあったが全て無視した。両親を殺した奴の遺族の顔なんて見たくもなかったし、遺影とはいえ、両親にも見せたくなかった。
そして現在、僕は叔父のおかげでここに引っ越させてもらい、わずかな両親の遺産と加害者から振り込まれたお金で生活している。正直そんなお金なんて使いたくもないけど、自分が生活するためにはしょうがない。
引越しする際、遺骨をお墓に埋めるかどうか悩んだけど、結局自分の手元に持っておくことにした。少しでも、大好きだった両親に近くにいて欲しかったから。
少し前までは、仏壇を見るだけで涙が止まらなくなっていたのだけど、近頃ではもうそんなことはない。嫌な慣れ、というやつだ。
両親の遺影に小さく「おやすみなさい」と声をかけて立ち上がり、仏壇をあとにした。 その後、床の上に脱ぎ捨てられているパジャマを探してそれに着替えた。
最近は、ほとんど普通の服のまま寝ていたから、パジャマで寝るのは久しぶりだ。
着替え終わったらすぐにベッドに潜り込み、眠りにつこうとしたけど、目を閉じた途端に、ガタンゴトン、ガタンゴトンと、家のすぐ近くを通っている線路を、電車が通り過ぎていく音が聞こえた。始発の電車だ。
今となっては聞き慣れたこの音に親近感、愛着、そして安心感を感じる。最初の方は音が気になってなかなか寝付けなかったのが懐かしく思えるほどに。──いつまでも聞いていられそうだ。
電車の通る時間は季節によって早くなったり遅くなったりしないから好きだ。
少しでも時間の流れを感じなくて済むから。
時間の流れは誰にとってもそんなにいいものではない。そう思うのは僕だけだろうか。
聞こえる時間が決まっているこの音は、寝る時間のいい目安になる。そしていいBGMにもにも。まぁ、聞こえる時間はとても短いけれど。
とにもかくにも、この音のおかげで僕はここに引っ越してから間、ほぼ毎日同じくらいの時間に寝ることが出来ている。
聞こえてくる電車の音の中でも特に、自分との最短地点から段々と遠ざかっていく時の音が好きだ。あの聞こえると思えばはっきりと聞こえるし、聞こえないと思えば何も聞こえないくら位の距離の時の。
まぁ大体本当は聞こえていなくて、頭の中で作られた音が聞こえているだけだけど。
電車の音が聞こえなくなった。やはり少し寂しい。この辺りは県の中でもそんなに都会な方ではないから電車の通るペースがかなり遅いのだ。次に通るのはおそらく三十分後ぐらいだろう。
一体さっきの電車にはどんな人が乗っていたのだろうか。なんて、ふと考えてしまう。始発だからあんまり人は乗っていないはずだ。人が少ないということは、もしかしたらそういう状況を好む指名手配犯とか、はたまたアイドルとかが乗ってたりするのかもしれないな...・・・。
なんてことを考えていると、思い出したかのように一気に強烈な眠気が僕を襲ってきた。
どうやら僕の体はもう寝ないとまずいみたいだ。そう感じた僕は、先程電車が走り去った方に体を向けた。
「今の電車に乗ってこれからどこかへ行く人、行ってらっしゃい。頑張ってね。悪いけど僕は今から寝るよ、おやすみなさい」
もはや習慣化したその言葉を呟き、目を閉じる。
1人で暮らしている僕にとって声を出す数少ない時だ。
眠気がピークに達し、ほとんど何も考えることが出来なくなる。しかしそんな中でも僕は一つだけ、あることを願う。
次寝たら最後、二度と目が覚めなければ良いな──。
頭の中にその文が浮かぶと同時に意識が飛び、今日も世界からログアウトする。
────ガタンゴトン、ガタンゴトン────。
僕はその音で目を覚まし、残念なことにまた世界にログインしてしまった。現実はいつも、僕の寝る前の願いを裏切る。慣れたとはいえ、やはりまだ絶望感を感じてしまう。
そんな最悪な心内環境に対して体の調子、つまり目覚めは最高だった。
電車の音は時間の目安だけではなく、良い目覚ましにもなる。
うるさいと思うほど大きな音ではないため、ちょうど眠りが浅い時────気持ち良く起きることが出来る時に、目を覚まさせてくれるからだ。
身体を起こしてすぐ、枕もとに置いてあるスマホの電源をつけて時間を確認すると、ぴったり18:00と表示されていて、その瞬間思わずにやけてしまった。
特にその時間に起きたいと思っていたわけではないのだけど、スマホの画面に綺麗に【18:00】と表示されているのを見ると、なんだか少し良い気持ちになる。整っているものを見ると、自分自身も整う気がするから。
時間を確認したらすぐ、そのまま立ち上がりキッチンに立ち寄って冷蔵庫の中身を確認した後、風呂場へと向かった。
起きたあとに風呂に入り、その後でご飯を作るのが最近の習慣になっている。
一時期はご飯を作ってから風呂に入っていたのだけど、寝ぼけながら料理をした結果、火傷してしまうという大失態を犯してしまった。
それ以来、風呂に入って完全に目を覚ましてから料理をすることにしている。あの痛みは忘れない、もう味わいたくない。
シャワーを浴びながら、冷蔵庫に入っていたものを思い浮かべて何を作るか考える。
特に食べたいものは無いため、材料やレシピには拘らず、余っている食材を使いきれるようなものを考えよう。
そうだ、そろそろナスが傷み始めそうだったから今日は何か茄子料理を作ろう
風呂から上がり、体を拭き終わったところで着替えを持ってくるのを忘れたことに気づいた。やってしまった・・・・・・。
今度からは絶対忘れないようにしよう。そう心に決めながら、しょうがなく裸のまま脱衣所を出て着替えを取りに行くことにした。
窓を開けっぱなしにしている部屋は裸で入っても全く寒くなく、むしろ暑いぐらいだった。そんな些細なことだけど、そこに夏の小さな抵抗を感じた。感じることが出来たのは裸のおかげだ。ありがとう、僕の裸。大好きだよ、僕の裸。
自分の裸に感謝しつつ、着替えを取り出すためにクローゼットを開けると、僕が本来なら通っているはずの高校の制服の姿が目に入った。最悪だ。いつもはなるべく見ないようにしているのに。
青いネクタイに、校章が胸元にプリントされているカッターシャツ二枚。そして黒い縦縞の入ったグレーの夏ズボン。僕はこれだけしか持っていない。
なぜ夏服ばかりで冬服がないかと言うと、単純にまだ買ってないからだ。もちろんこれから買うつもりは一切ない。学校関連のものは限界まで少なくしたいからだ。
そういえば、どこにでもありそうなありふれ夏服に反して冬服の方は確か他校に比べて圧倒的にかっこいい、ということで生徒達から大人気だったはずだ。制服のために入学してくる生徒もいるとどこかで聞いた気もする。
今となってはもうどんなデザインだったのか忘れてしまったけれど。
僕はこんなもの今すぐにでも捨てたいのに何故か捨てられないでいる。
「高校」というものにまだ未練があるからだろうか。
そのようなことを一瞬考えてしまったため、先程までいつもと比べれば少し高かった僕のテンションも一気に下がってしまった。
そしてさらに僕のテンションを下げたのは、着替えて台所に向かう途中に聞こえたカタンッという、郵便受けに何かが投函された音だった。
音が聞こえた瞬間、ハッとしてカレンダーを確認する。
そしてすべてを悟った。
「今日は月曜日なんだ……」
それは思わず声が漏れてしまう程に、嫌な事実だった。
大体何が入っているのかは予想できるけど、一応、念の為郵便受けから先程投函されたものを取り出すために玄関へと向かう。
玄関に着き、郵便受けを開けた僕の目に入ったのは予想通り【雨城無空君へ】と、僕の名前が表に大きな字で書かれているA4サイズぐらいの封筒。
切手は貼られていない。貼る必要が無いからだろう。
これは、僕のクラスの人が学校からのプリントなどを入れて、学校のある日は毎日律儀にも家まで持ってくる封筒。
ほとんど毎日(学校のある日にしか届かない)僕が起きて活動を開始してすぐに届くため、僕はこれをこっそり『負のログインボーナス』と呼んでいる。
僕は封筒を手に取って少し歩くと、その中身を見たりすることなく近くのゴミ箱に突っ込んだ。最初の方はきちんと見ていたのだけど、その中身はちっとも感情のこもっていない文字で『早くクラスのみんなに顔を見せに来てね!』というような内容が入った紙が1枚と、あとはただの業務連絡だったためすぐに見るのをやめて捨てるようにした。
本当は燃やしたいのだけど、僕が住んでいるのは一軒家ではなく火気厳禁のアパートだから、残念なことにそれは出来ない。
封筒のことなどさっさと忘れてキッチンに行き、料理をして気を取り直そうと思ったのだけどどうにもやる気が出ない。
先程不覚にも学生服を見てしまったせいだろうか……。
『やる気が出ない時には何をしても無駄』というのが僕のポリシーだ。
1時間程寝てから料理を作ろう。
そう決めた僕はすぐにベットに潜り込み、夢の世界にログインすることにした。
一旦さようなら、現実世界。
────ラノベの主人公みたいな高校生活を送りたかった。
心を許せてなんでも話し合える友達がいて。
とっても可愛い素敵な彼女がいて。
毎日ちょっとした事件が身の回りで起きたりして。
学校めんどくさいね、なんていいながら仲良しグループで学校に通い、なんだかんだで真面目に授業を受けて。
昼休みにはパシリを決めるじゃんけんをして、みんなで笑い会いながらご飯を食べる。 体育の時間には女子を覗きに行こうとして先生に怒られたり。
放課後は部活で汗を流す。いや、文化部に入ってゆっくりするのも楽しいかもしれないな。
帰り道も友達と一緒に。
「家帰ったら速攻寝たい…」
「いやいや、課題出されたじゃんかwやれよw」
「そんなのいいからお前ら、カラオケいこうぜ!」
なんて会話を繰り広げて夜遅くまで遊んだ結果、家に帰ったら親に軽く怒られる。
テスト前には学校帰りのファミレスによってみんなで試験勉強をする。
でも勉強するのはいつもファミレスってわけではなくて。
たまに女友達の部屋におじゃまして少しドキドキしながら勉強したり。
休日に図書館でするのもいいかもしれない。
他にも、色々、色々、色々………。
そんなことありえるわけが無い、ということを悟ったのはいつの事だったっけ。
ラノベやアニメにハマったのは確か中学校2年生の頃。当時仲の良かった友達の影響だった。
最初の頃は僕も興味本位だったのだけど、多くの作品を知るうちにどんどん深みにはまっていった。使い古された表現だけど、僕にとってその世界は『底なし沼』だった。
もっとも、僕はアニメはあまり好きになれず、ラノベを読み続けていたけど。
そうして大量にラノベを読んだ結果、僕は中学三年生になる頃には立派なオタクとなっていた。
僕はラノベの中でも言わゆる『異世界転生俺TUEEEE系』よりも、少し落ち着いた、現実にも有り得なくはなさそうな『学園ラブコメ系』を溺愛していた。
そのせいか当時の僕の高校生への憧れはとても強いものだった。きっと高校生になればラノベの主人公みたいな生活が送れる、そう思い込んでいた。信じていた。
しかしそんな淡い期待に反し、頑張って勉強をして入った第1志望の高校で僕は現実というものを知らされた。現実というものを突き付けられた。
そこには、僕の頭の中を埋めつくしていた『高校像』はどこにもなかった。
いや、「どこにも」というのは少し語弊があるかもしれない。
確かにラノベみたいなところもあった。
でもそれは、僕がラノベの中だけであって欲しいと思っていた類のものだった。
クラス内でのヒエラルキー。いわゆる『スクールカースト』というやつだ。
僕が見てきた学園系ラノベの中にも、半分ぐらいは存在していたもの。そのラノベの中でも大半、いや、ほとんど100%の確率でクラスのカースト上位を『リア充グループ』が占め、下位に位置づけされ、そして迫害されるのは『オタクグループ』だった。
現実でも大差はないと思っていたから、当然のように僕が入っていた『オタクグループ』もひどい目にあわされることを覚悟していたけど、それはただの杞憂であり、特に迫害されたりすることはなく、平穏な学校生活を送ることが出来ていた。
グループについてだけど、雰囲気的な、大体のグループ分けは、最初の二週間ぐらいで完了していた。『オタクグループ』の他のメンバーは全員違う中学校の出身で、高校で知り合った奴らだった。やはり共通の趣味があるということは大きく、すぐに打ち解けることが出来た。
僕達『オタクグループ』はもちろん、『リア充グループ』も特にこちらに干渉してくることはなかあったため、対立したりすることなんて有り得なかった。
しかし問題は僕がちょうど「理想とは違うけど三年間楽しくやっていけそうだな」と思い始めていた頃に起こった。
その引き金となったのはとあるラノベ作品。
その作品は僕が高校に入ったくらいから、いい意味でも悪い意味でもかなりの頻度で話題になっていて、色々な方面から注目を集めていた。
注目を集めていた原因はその内容。
大まかに説明すると、「いじめられっ子がいじめっ子に復讐していく」というものだ。 ただ単にいじめられっ子がいじめっ子に復讐する、というだけの作品なら世の中に星粒ほど散らばっているし、そんなに話題になることは無かっただろう。でも、その作品は同じような内容の作品と比べて圧倒的に違う点が二点あった。
一点目は、作品内でおこるいじめの描写がとてもリアルだという点。それは、読んでいる自分がいじめを受けているように度々錯覚してしまう程だった。
普通、一般的に認識されているいじめと言えば机への落書き、一斉無視、靴を隠されるなどだけど、その作品に描かれているいじめはそれらとは全く違ったものだった。
自分だけが入っていないクラスのチャットグループで自分の悪口が言われる。自分の根も葉もない悪評を流される。学校行事の打ち上げの時には、自分だけが違う集合場所を伝えられて一日中待ちぼうけをくらう。等々、見ているこっちが胸糞悪くなるようなものばかりだった。
また、書かれているいじめの方法を模倣したいじめが全国のいくつかの中学、高校で行われたために出版停止を求める声が上がったりもした。
結局出版停止にはならなかったけど。
二点目は、復讐の方法が非人道的すぎるという点。
一般的にそういう内容のラノベでは、いじめられっ子が人助けをすることでどんどん仲間を増やしていき、最終的にいじめっ子を見返すというのが常道だ。
だけど、その作品の主人公は人助けをして仲間を作るなんて生温いことなんて決してしなかった。人を助けるという行為を知らないのかと思ってしまう程に、一人で復讐をし続けた。
ある時にはいじめっ子のペットを殺して生首を家に送り付けたり。ある時はいじめっ子の携帯を軽く乗っ取ってチャットグループに入り、いじめっ子同士の関係をめちゃくちゃに壊したり。
正直少しいじめっ子に同情してしまうぐらいひどい内容だったけど、見ていてとても気持ちよかったのも事実だった。謎の中毒性があった。
そしてこの作品はシリーズ作品だったため、新刊が出る度に常にネットニュースに載っていたのはとても印象に残っている。(全五巻で完結した)
他に特別的だったのは、内容が内容であるためにその作品のファンとアンチの戦いは凄かったということ。
聞いた話だけど、その作品が完結する頃には幾つもの大学のオタサーがファン派とアンチ派で二分割してしまっていたらしい。
でも、その事実を他人事として笑い飛ばすことが当時の僕には出来なかった。する余裕がなかった。
そう、僕のクラスのオタクグループも二つに別れてしまっていたのだ。これはある程度予想通りだった。それぐらい、賛否が別れる内容だと僕も感じていた。
しかし一つだけ予想できていなかったことがあった。
それは、僕達オタクグループの中でファン派は僕だけだったということ。
ファン、というだけだったのに僕は…………
「ああああああああああ!!!」
大きな叫び声とともに、体にかけていたシーツを吹き飛ばして上半身を起こした。
そのまましばらくの間││おそらく十分程度、頭の中を整理することに必死になった。 嫌な、夢だった。本当に嫌な夢。
僕が見ていたのは夢といっても、比較的最近の僕の記憶だ。ちょうど両親が事故で死んでしまう少し前ぐらいまでの記憶。
今にも鮮明に思い浮かべることが出来る、あの情景。
あの後僕は、、、、××××××××××××××××××××。
嫌だ、もうこれ以上さっき見た夢について考えたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
そう、僕の理性が、本能が、必死に頭の中で喚く。喚く。喚く。一種の自己防衛だ。
でも、頭の中にあるのは理性や本能だけじゃない。他に、理性や本能より圧倒的な影響力を持つ「なにか」が存在している。
きっとその「なにか」は、おそらく人間にとって害しかないものだ。
きっと「なにか」に明確な名前なんてない。誰もつけようとも思わないだろう。
でも確実に、「なにか」は世界中の全人類の頭の中に住み着いている。
「なにか」はいつも頭の中に姿を表しているわけじゃない。「なにか」がその醜悪な目を覗かせるのは、脳の中身が、人間の考えていることがマイナスな方向に向かっている時だけ。誰もが体験したような例で言うならそう、ちょっとしたことをきっかけに頭の中に黒歴史がフラッシュバックしてくる時。
そういう時はたいてい、理性が、本能が、叫ぶ。もうやめろ、と。ここで止めろ、と。これ以上それについて考えるな、思い返すな、と。
しかし、そんな理性や本能の悲痛な叫びは僕らに届く前に「なにか」によって無残にも消される。潰される。かろうじで届くのは、本当に1部分。美味しそうな店の前に漂っているいい匂いを、さらに薄めたようなものだけ。あるような、ないような、そんなもの。 そうなってしまえば理性や本能の叫びは僕らにとって苦痛でしかない。
だって、頭の中には「これ以上は嫌だ、ダメだ」という感覚があるのに、無理やり思い出させられるのだから。そしてそれは止まらないのだから。
そうして「なにか」は僕たちに黒歴史を完全に思い出させ、精神的に大きなダメージを与えると満足したかのように消えていく。
僕たちに残していくのは、錠剤を噛み砕いてしまった時のような、長引く苦さ、辛さ。すぐに忘れてしまおうと思えば思うほど忘れられなくなり、逆に気になってしまう。そんないやらしいマイナスの感覚。
『なぁ「なにか」、今回ばかりは取引をしないか?』
抵抗することは不可能だということに気付いた僕の脳は、頭の中で「なにか」に話しかける。
しかし「なにか」は、断ると言わんばかりに頭の中に僕の黒い記憶を流し込もうとしてきた。
瞬間、僕は本能的にその辺にあったカッターナイフを手に取り、刃を出して自分の首元に突きつけた。
そのあとにやっと思考が追いつき、再び「なにか」に話しかける。
『なぁ、今取引をしてくれないんだったら僕は死ぬよ?もちろん、君ごとね』
おそらく「なにか」にも自己防衛本能はあるのだろう。宿主である僕が消えてしまうまずさを感じ、ぼくの意図した通り黒い記憶を流し込むのを止めてくれた。
『ありがとう』
一呼吸置き、言葉を続ける。
『もう少ししたら僕は高校の制服を持って線路の先にある川まで行くよ。そこで制服を処分する。その後になら、僕の頭に記憶を流し込んでもいいよ』
すると、分かった、と返事をするようにすんなりと「なにか」は消えていってくれた。交渉成立だ。
一見すると僕はただ単に記憶を思い起こすのを先延ばしにしたように思えるだろう。でもそれは間違っている。
僕は高校の制服に短かった高校生活の全ての記憶詰め込んで処分する。そうすればきっと、大丈夫なはず。
──僕があの一瞬で弾き出した答えだ。
寝る直前まで「高校への未練が」などと抜かしていたけど、今となっては未練なんてものは、山積みになっている黒い記憶の下に埋もれてしまっている。きっと、さっきの夢の中で埋もれてしまった。
立ち上がって数回深呼吸すると、不思議と心が落ち着いた。
落ち着くとやはり、はっきりと現実が見えてくる。
先程まで僕が寝ていたところに手を当てると、ぐっしょりと濡れていた。どうやら僕はかなりの寝汗をかいていたようだ。今の気温は特に暑くないことから、かなりうなされていたことが伺える。
ベッドが濡れるほどの量の汗をかいていたなら、僕の体も汗まみれで濡れているはずだ。
そう思って背中に手を当ててみたのだけど、全く濡れていない。おそらく先程の短い間に乾いたのだろう。心無しか空気も乾燥しているようだし。
それでも少し気持ち悪い気がしたから、もう一度風呂に入ろうかどうか考えていると、「グゥー」と、お腹のなる音が聞こえた。そういえば確かにまだご飯を食べていない。
何よりも優先させるべきは摂食だな。そう思って台所に行き、冷蔵庫を開けてナスを取り出す。
まだ食べられるのを確認した後、慣れた手つきでサイコロ状に切っていく。
そして三十分後には、なんとも美味しそうな麻婆茄子が完成した。隠し味ははちみつだ。
自分で作っておいて言うのもなんだけど、その辺のファミレスで出てきてもおかしくないぐらいのクオリティーだ。
麻婆茄子のピリッとした辛さが、僕の意識を完全に目覚めさせる。頭の中のスイッチが切り替わる。
食事は、ただ食べるだけで『生』を確認できるからとても嬉しく、尊い行為であり、同時に切ないものだ。
ご飯を食べ終わると、食器を洗って乾燥機の中に入れてから台所の棚を開け、大きめのビニール袋を探した。少し前にコンビニで買い物をした時に貰ったのを覚えていたからだ。
あの時は「小さいビニール袋が切れてしまっている」という理由で大きい袋を持たされて恥ずかしい思いをし、心の底から大きい袋を恨んだものだけど、今となればその出来事がとてもありがたく思える。同時に、人間とは本当に身勝手なものだな、とも。
自分にとって都合の悪い時は対象を酷く嫌悪するのに、いざ自分にとって有益だと分かると、さも昔から好んでいたかのように振る舞う。本当に自分勝手だ。
袋を折りたたみ直してポケットに突っ込んだ後、仏壇のところからマッチを回収した。制服をある程度燃やしてから川に流すつもりだからだ。きっと、燃やせば僕の嫌な記憶も煙とともに遠いところへ消えてくれる。そんな気もしたし。
制服が入っているクローゼットの前に着いたらすぐ、ポケットから取り出した袋を開きくと同時に覚悟を決める。
大丈夫、ほんの一瞬の辛抱だ。ほんの一瞬だけ我慢してこれを袋に詰め込むだけで僕は黒い記憶とおさらばできる。
そう自分に言い聞かせ、クローゼットを開けて光のような速さで服を袋に突っ込んだ。
「ふぅ……やっと、出来た。案外簡単だったな……」
安堵のあまり、思わず小さく声が漏れてしまう。額に手を当てると、少し汗ばんでいた。
クローゼットにしまわれている制服を取り出し、ビニール袋に詰める。たったそれだけの事に緊張して汗が出てしまう自分が情けなく思えたけど、それ以上の達成感を感じられた。大したことは達成していないのに。
袋の口を閉じ、玄関の辺りに投げ置くとすぐに自分の部屋に戻った。できる限り袋から遠ざかりたかった。
すぐにでも燃やしに行くことは可能だったけど、時計を見るとまだ十時前だったから行かなかった。人に見られると色々厄介だし、そもそも僕も人を見たくない。十時に家に帰る、なんてのも今のご時世どの年代でも別に変わったことでは無いから、きっと外はまだまだ人で溢れているだろう。
部屋に入るとすぐ、机の前に座ってパソコンを起動した。
机は小学生の頃からずっと同じものを使っている。使い慣れているし、両親との思い出の品でもあるからだ。
本来「学習机」という名前であるそれは、最近では本来の役割を果たしていない。いや、僕が果たさせてあげていない。勉強しなくてごめんよ、机。
パソコンが立ち上がったのを確認すると、すぐにとあるSNSサイトを開き、自分の参加しているコミュニティーのトーク履歴を確認する。このコミュニティは僕が昔作ったもので、コミュニティ名は『黒のはけ口』だ。自分で言うのもなんだけど、ネットの中ではかなり有名な方のコミュニティだ。メンバーもその辺の低脳無能ではなく、僕が直接勧誘した人がほとんどだ。
主な活動内容は、あまり堂々といえたことではないのだけど、炎上したりした人などの住所特定等だ。自分でもつくづく最低なことを率先してやっていると思うけど、楽しいからやめられない。麻薬みたいなものだ。
特定は、ただの自己満足では留まらず、大多数の人間に賞賛される。こんなことが正義となされるネットの世界は、つくづく狂っていると思うけど、やはり褒められると嬉しい。それが僕を助長させる。
そんなこのコミュニティだが、どうやら僕が寝ている間に少し動きがあったようで、通知の数は五百を超えていた。
一日で百ぐらいなら特に珍しくもないけど、五百を超えることはあまりない。そんなに話をする内容がないからだ。
今回の通知の原因はおそらく誰かと誰かの喧嘩だろう。昨日の時点で空気が少しピリピリしてたからそう予想出来る。
────やっぱり、暴言が沢山羅列されている。
喧嘩なんてネットの中ではよくある事だ。ネットの世界ならお互いのことをよく知らなくても好きなことを、思ったことを直接ぶつけられる。例えそれがどんな──他人を傷つけるような、または既についている傷をえぐるような内容だったとしても。
僕は別に喧嘩が嫌いなわけじゃない。ただ、他人がお互いを潰し合い、穢し合い、貶め合うのをただただ傍観し続けるのが好きなのだ。
でもやっぱり傍観するのが好きだといっても、自分が深く係わっているコミュニティー、自分のテリトリーともいえる場所で喧嘩をされるのは嫌だ。
自分の仲間の言ってもいいほどの人達が互いを潰し合うのは見たくないし、自分も巻き込まれそうだからだ。だから、もし喧嘩が始まったら僕は常にそれを止めるようにしている。
軽く深呼吸し、キーボードに手をかけ、静かに文字を打つ。
⦅喧嘩はやめてよ。これ以上喧嘩を続けるならコミュニティから排除してからそれぞれの個人情報を特定して、それをネットに晒すよ?⦆
そんなメッセージを送信してからわずか一分も経たないうちに画面上に二つ、⦅喧嘩してすみませんでした⦆という短い文が新しく表示された。
これできっと、大丈夫。しばらくは喧嘩は起きないだろう。
何故こんなにも彼らが僕に特定されるのを恐れているのかというと、彼らは特定された人達の末路を誰よりもよく知っているからだ。
毎日届く高額な着払いの荷物。リア凸してくるアンチのせいで近隣住民から受けるヘイト。『死ね』『はやくどこかに引っ越せ』なんて書かれた紙が家に貼られるのなんて当たり前だ。学校や会社に行っていれば、退学になったり、クビになるのも珍しくはない。もちろん被害を受けるのは自分だけではなく、その被害は家族にも及ぶ。しかも一度ネットに流れてしまった個人情報は絶対に消えないから、最悪それらの被害は何年も続く。聞いた話だと、自殺する人と引っ越したりする人がほとんどらしい。
これを知ってしまった人間は、間違えても特定されたいとは思わないだろう。もちろんあいつら││『黒のはけ口』に属している人間はそのほとんどが特定する技術を持っている分、特定対策はバッチリにしているからほとんど特定されることは無い。
でも僕にとってはそんな特定対策はなんの意味もなさない。なんてことはないけど、あいつらは、僕にとっては自分達がしている特定対策など無駄、だと信じ込んでいる。
なぜ馬鹿みたいに信じ込んでいるのかというと、その理由は至極単純で明快だ。
このコミュニティを作って少し経った頃、僕は自分のサブアカウントをコミュニティの中に潜入させていた。そしてある日、そのサブアカウントと自分のメインのアカウントを喧嘩させた。自演、というやつだ。
そしてその喧嘩を止める手段として、僕はメインアカウントでサブアカウントの個人情報を特定した、としてそれをネットに晒した。もちろん、その時に晒した情報は全く関係ない一般の人のものだ。当時は特に何も思わなかったけど、今では少し、罪悪感を感じている。
その情報がある程度拡散された所で僕はサブアカウントを消し、あいつらに「僕は誰の個人情報でも特定出来る」という風に思い込ませた。
もちろん、ただのアカウントの個人情報を特定しただけではそう思ってもらえない。完全にそう信じてもらうためには、かなりの──あいつらと同じぐらいのレベルで特定対策をしているアカウント、つまり僕のサブアカウントの個人情報を特定した、という事実が大切だった。
そういう経緯を経て、僕は現在あいつらに一目置かれている。
だから誰も僕に歯向かおうとは思わない。別に僕はただの一般平和主義者だから、暴走したりもしない。僕はある種の平和維持装置だ。
彼らからの謝罪を確認した後、今炎上している人の住所を特定するよう、喧嘩したペナルティとして彼らに指示した。すると彼らはうって変わったかのように仲良く会話を始めた。その光景を見て、これでいいんだと満足する。人間はどれほど仲が悪くなっても、一つの『共通の敵』が現れたらすぐに仲が良くなるものだ。誰かを攻撃する時には、その対象以外の人間にはなんの敵意も抱かなくなる。
⦅佐原芳樹/徳島県⦆
本名と住んでいる都道府県名が特定されたところまで見届けるとそのサイトのタブを閉じ、ネット上のニュースを一通り確認したあとにパソコンの電源を落とした。
今日は月曜日のため、ただただ計画もなくネットサーフィンをするだけだった。僕は、火曜日、木曜日、土曜日には必ずとあるサイト、というよりはブログに近いものを見るようにしている。
そのサイトのことを、僕はつい先日知った。たまたまネットサーフィン中に訪れて出会ったのだ。書かれている内容を見たら、その出会いは偶然ではなく、もはや運命なのではないかと疑えた。
サイト名は、「自分小説」。名前の通り、小説が書かれているサイトだ。でもそれはその辺にあるような老若男女問わず、誰でも参加できる小説投稿サイトではなく、たった一人の人間が書いた小説が、決まった曜日に更新されるサイトだった。
しかし、作者名は書かれていない。最初はただの自己満足小説かと思ったけど、話の内容や書かれている感想からするに、僕の知っているとある作品の作者、僕の人生を変えたと言ってもいいあの人だった。
話の内容は、昔とあまり変わっておらず、いじめられている女の子がいじめっ子に立ち向かう……、というものだった。登場人物の名前が全く変わっていなかったことから、あの作品の最終巻のアフターストーリーだということも理解出来た。
あれ、そういえばあの作品、最後はどうなったんだっけ?よく覚えていないな……。
アフターストーリーだからか、ただ一点、たった一点だけ、大きく変わっているところがあった。
それは、いじめられている子が復讐する手段や内容を考えるだけで、全く実行に移
さないというところ。それを知って僕は少しの寂しさ、そして安心感を覚えた。良かった、いじめられていた子は、きちんと成長出来たんだ、って。
いじめられている子がいじめている子に対して仕返しをしたら、その時点でその子はいじめっ子と同じレベルになってしまう。同じ土俵に立つことになってしまう。
いじめというものを図式化するときっと、いじめっ子の頭上にある鉄格子の上にいじめられっ子が立っている、という状態になると思う。いじめっ子達は長い棒を持っていて、鉄格子の間からその棒を差し込み、いじめられっ子を叩く、というように。もちろんいじめられっ子は武器なんて持っていないから、反撃することなんでできない。ただ攻撃され続けるだけ。
もし反撃したいのなら、鉄格子を蹴落として、いじめっ子に殴りかかるしかない。でもそうしたら、いじめられっ子の負けなのだ。同じ高さのところに立ってしまったらもう、その時点で終わりなのだ。自分はいじめをする人間のクズたちと同じレベルの人間ですよ、と、周りにアピールしているようなものなのだから。
それゆえ、いじめられっ子はただただじっと鉄格子の上に居座ることしか出来ない。でも、それでいい。幸せは、鉄格子よりもさらに上にある。だから、別に大丈夫。
それをこの子は理解出来たんだと思えた。
やはりアフターストーリーといえども話の内容はとても面白くて、何回も何回も読み直した。何回も読みまくった結果、僕はとあることに気づいた。話の流れは、大体学校でいじめを受けてから家で復讐方法を考える、というものだったのだけど、それが二話に分けられていたのだ。しかも、気になったのはその更新時間。
学校生活についての内容は、夜の八時~九時など、比較的普通の時間に更新されているのだけれど、復習を考える話の時は、朝の四時~五時など、僕のように昼夜逆転している人でもない限り投稿するのは無理なような時間だった。
予約投稿でもしているのかと思ったのだけど、所々誤字脱字があったり、とてもじっくり作られた末に投稿されたものではなく、書き上げた瞬間に更新したような感じだった。
気付いた時、何故なのか考えようとしたのだけど、途中でやめた。無駄なことに頭を使うのは、本当に無駄なことだと知っているからだ。更新時間の事情を知ったところでなんにもならない。
そういえば、確か最後に更新されていたのは学校生活についての話だから、次更新されるのは復習の方のはずだ。そして今日は月曜日だから……ッ!!
次外に出て家に帰ってきたら更新されているじゃないか!!
そう考えると、なんだか突然やる気が全身に漲ってきた。おそらく目の前に人参がぶらさげられた時の馬の気持ちは、きっとこんな感じなのだろう。
早速本日のミッション《制服の処分》を行おうと思って時計を見ると、短針は既に十一の文字をとっくに超え、十二の文字のところで長針と重なろうとしていた。
ネットの世界は、時間を本当に忘れさせる。ネットの世界はある意味現実ではないから、現実とは違った時間の流れ方をしているのかもしれない。いや、もしかしたら現実での一時間がネットの世界の二十分に満たないのかも……。ネットの世界は一応現実世界のことを凝縮して作られているわけだから、時間も凝縮されるのは至極当然のことなのかもしれない……。
なんて、何意味の分からないことを考えてるんだ僕は。
さぁ、さっさと処分しに行こう。
袋を持って外に出た途端、頬を少し冷たい風が切った。
本当にもう、夏が終わって秋が始まっているのだな、と、以前と比べてはるかに暗くなった空を見上げてそう思う。
そんな真っ暗な世界の中、一つだけ輝いている月はこの世の汚い部分や醜いところ、穢れなんて、全く知らないようだった。また、その純粋無垢な輝きは、小さな子供の瞳を彷彿とさせた。無知ゆえに、何も恐れない、何でも信じてしまう、そんな美しくもどこか儚い瞳。
『月が綺麗ですね』、という言葉は『あなたが好き』という意味を持っているのだと、どこかで聞いたことがある。聞いた時はさっぱり意味が分からなかったけど、今なら少しだけ、その真髄に近づけた気がした。
純粋な恋心は、さながらガラスのようで。それは、恋人││月と等しいぐらい輝いているように思える人と向かい合ってこそ照らされ、姿を現す。月が綺麗、というのは、自分が相手から受けている光、同時に、それを反射して相手に返す光が綺麗なものだと言うことを表しているんじゃないだろうか。月が綺麗だからこそ、自分も輝ける。恋心が美しくなる。もし月が欠けていたりしたならそれは、不完全で未完成だ。そんなものなら、すぐに消えてしまう。消されてしまう。
もっとも、そんなことをいくら考えたって恋愛とは縁もゆかりも無い僕にとっては、ただの時間の無駄でしかないけど。
ゆっくりと歩みを進めると、すぐに線路が見えてきた。時間にすると、おそらく二分もかかっていないはずだ。
今の時間なら、もうとっくに終電が過ぎ去っているから電車が通ることはめったにない。たまに貨物車輌が通るぐらいだ。
だからほら、安心して線路の上を歩くことが出来る。本当はしてはいけない事なのだろうけど。ばれなければいい、ばれなければなんでも許される、そんな考え方はおかしいだろうか。別にいいんだ、おかしくても。自分がおかしいことは、とうの昔から自分が一番知っている。
線路に沿って北の方に行くと、かなり大きめの川が線路の下を流れている。その周りはコンクリートで囲まれているから、そこで燃やしてから川に流すつもりだ。
いくら制服だろうと、燃やして消し炭にしてしまえばどこの高校のものか分からないはずだ。もっとも、どこの高校かばれても別にいいのだけど。
自分の今までの負の象徴と言っても過言ではない制服を燃やす。それを考えるだけで、なんだか幸せな、ふわふわした気分になれた。今まで持っていた重い荷物を下ろすような、全身につけられていた鎖を断ち切るような、そんな開放されるような気分。
街頭に照らされているために比較的明確に先が見える線路の上といえども、この暗闇の中で歩くのは容易ではなかった。いくら照らされていると言っても、所詮は街頭レベルの光。線路に敷きつめられている大きめの石が完全に見える訳では無いから、躓いて危うく転けそうになることも多々あった。そして、制服の入った袋が歩く時にかなり邪魔になったのは言うまでもない。
川に近づくにつれ、水の流れる音が聞こえるようになり、虫の奏でる音も大きくなっていった。やはり虫は水辺に生息するのだろうか。それとも、もしかしたら水の流れる音が新たに聴覚に入ってきたことで、虫のメロディがさらに美しくなり、耳に入りやすくなったから音が大きくなったように思えるのかもしれない。
線路が川の上にさしかかった時、線路の横を通っている道から川辺へ降りる道を発見したけど、あえて見過ごした。線路の上から、川の景色をゆっくりと眺めながら歩きたかったからだ。美しい景色は、いかなる時でも心に安らぎをもたらしてくれる。
線路の上から││川の真上から見る川の景色は信じられないぐらい美しかった。月がいつも以上に輝いていたこともあってか、川の水面は鏡のように夜空の月を映し出していた。その光景から、まるで、川の水面下にはもう一つ世界があるように思えた。僕の今いる世界を、まんまひっくり返したような逆転世界が。
きっとそこでは、僕は今の僕と真逆なのだろう。性格は明るくて、昼に活動して夜は寝て。現実世界に友達もたくさんいる。そこまで考えてふと、自殺願望が芽生えてしまうような考えに至った。
もしかしたら、この『僕』は、本来の『僕』のミラーコピーなのかもしれない。
……いやいや、いつからそんな気持ち悪い空想癖野郎になったんだ、僕は。空想なんて、現実逃避した奴らの逃げ場だ。壊れた人間の捨て場だ。そこに僕が入り浸る?嫌だね、断固として嫌だ。
大体、真逆な自分なんて想像もつかない。真逆ってことは、あれだろう?僕が「美しい」と感じるものは、みんな「汚い」と感じてしまうんだろう?そんなのおかしい。美しいものを美しいと思えない、そんなのばかげてる。自分の悪い面があっちの世界で良くなっているのなら、それはつまり自分の数少ない誇れる、良いと思える部分がみんな悪くなっているということ。そんなの、今の『僕』という存在の否定に等しい。自分がそんな人間だなんて思わないし、思いたくもない。あくまでも自分の中では、だけど。他人からの評価なんて、ごみ箱にポイだ。
未定・公募予定のもの 尾崎しゃう @nasora
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