性悪
谷内 朋
性悪
こういうん苦手なんやけど──。
何を血迷ったかとあるセミナーへの参加を決めた(自業自得)私は、気乗りしないながらも某オフィスビルの会議室のような場所に入る。開演ギリギリに入室したので最後尾の席しか空いておらず(寧ろ好都合)、そこに腰を収めた。
知らない人だらけの空間。この辺りに知人なんて居ないだろうと思いながら視線を動かすと、かつて仲違いした女性(仮にAとしておこう)が前方の席で数名の女性と談笑していた。初めから連れ立って来ているのか待ち時間中に親しくなったのかは不明だが、Aは比較的カーストグループの性分だと思われるので人当たりは良い方なのだろう、多分。
私はすぐさま視線を外し、机の上に置いてある冊子を広げる。この講義は約二時間予定、講師の談義みっちりフルコースなのかと思いきや、ディスカッションなるものまであるらしい。何が悲しくて知らない人間とあーでもないこーでもないと話し合わにゃならんのだ……いっそ帰ってしまおうかと後悔の念すら湧き上がってくるが、支払った金が勿体無いと流石に退席まではしない。
それから程なく講師である女性が登壇し、セミナーが開始された。彼女はブログきっかけで人気に火が付き、今や本を出せば六桁の冊数を売り上げる人気カウンセラーである。私が知ったのはほんの半年程度前で、ブログや書籍もなかなか面白く受講料も良心的だ。
その印象そのままに、彼女は聡明な語り口で受講生たちの心を掴んでいく。見方によってはカルト宗教めいたある種異様な空気に似ていなくもないが、こういうものは得てして独特な雰囲気を纏わせていくものである。
この講師のセミナーでは恒例とも言えるのか、受講生の半生なるものを語らせるという儀式があるらしい。前列の女性から順に、それなりにドラマチックな人生が語り紡がれ、自分自身のチンケな人生に羞恥心を覚えた。
そしてAの順になり、起立して意気揚々と半生を語り始める。彼女は幼少期から音楽を嗜み、音楽科のある学校に進んで声楽を学んでいる。大学時代に保険として教員資格を取り、一旦は公務員として働いていた時期もあった。
それでも心のどこかに『歌いたい』という気持ちが燻り続け、仕事を辞めてプロとして再び歌手としての道を進むことにした。
彼女はとてもドラマチックな人生を歩んでいる。親しかった頃にあらかた聞かされていた内容だったので、ペラい人生を歩んできた私には眩しく見えた。例え仲違いした今でもその気持ちは変わらない。
それからも他の方々の半生語りなる自己紹介は続き、ついに私の番となった。はぁ……今から自分のクッソつまらん半生を晒さにゃならんのかと、ヨロヨロと起立した私に一瞬ヒヤッとした空気が突き刺さった。
どうやらAに気付かれたようだ……私の緊張はMAXに達し、喉がガラガラに乾いて痛みが伴ってくる。
「どうかなさいましたか?」
なかなか話を進めない私に講師が声を掛ける。『後回しにしてください』と言いたくても私が一番最後、それすらも叶わない。『いえ私は結構です』そう言えたら楽かもしれないが、後々のことを考えると針の筵状態になるのは容易に想像できた。
「すみません水を飲んでも宜しいでしょうか?」
「構いませんよ」
講師の許諾を得て私は水を口に含む。それでどうなる訳でもなかったが、ほんの少し体内が潤うのを感じた。
「私の半生は命名の時点で躓いているようなものです」
そう話し始めると再び冷たいものを感じる。視線こそ合わせなかったが、視界の端でAが私を見て冷笑しているのをしっかり捉えていた。
下のきょうだいが生まれた時、私は四国にある父方の実家に単身で預けられていた。ひと月経っても迎えに来ないとしびれを切らした伯父が、海を渡り自宅最寄駅まで送り届けてくれた。
迎えに来たのは父だけだった。母はきょうだいに手が掛かり、体調も芳しくなかったのだろう。そんな中ひと月振りに戻った『我が家』に居場所は残されていなかった。
家庭を顧みない父、きょうだいしか見ていない母、母の愛情を全て掠め取ったきょうだい……私はコイツらが心底憎かった、殺意すらあった。それでも二歳にも満たなかった私にはここで居場所を作らねばならなかった。
セオリーとやらに従って、浅黒いおじさんを『お父さん』。ぶくぶく肥ったおばさんを『お母さん』。子汚いクソガキを『妹』とインプットしつつも、何でこんな連中と一括にされなあかんねん? という思いとせめぎ合いながら生きてきた。
そのせいか私は『長女』という戸籍こそ持っているが、家庭の中では最下位に位置付けられていた。『父』が『次女』ではなく『長男』を切望し、『妹』を可愛がらなかったという理由で『母』はいつだって『妹』だけを大切にしてきた。
『長女』である私には一切目もくれず、気に入らない時だけ話し掛け、チクチクと欠点だけ
外の世界でもそれは反映されていた。クラスの中でも私は時々『見えていない』存在のように扱われていた。実害あるイジメを受けていた訳ではなかったが、『存在を消される』ことは度々あった。
歳を経るごとに外では徐々に減っていったが家の中ではそうでもなかった。『母』と『妹』がカーストを陣取り、私はその下に従い二人のご機嫌を伺いながら媚び
私が三十歳になる前に『母』が他界した。『父』との仲もとおに拗れており、小さなトラブルを火種にとっとと追い出して『妹』との共同生活が始まった。
『母』のご機嫌伺いついでに表面上では『姉妹』仲良くしていたので、私はこれまで培ってきた『媚び諂い術』を上手に使い、大人になってジャイアンと化した『妹』を盛り立ててそれなりに上手くやってきた。
住んでいた借家の老朽化と『母』の七回忌が過ぎたのを理由に『姉妹仲良く』転居したが、ここで私が心と体を壊して再就職に失敗、引きこもり状態となってしまった。
とにかく外に出るのが恐い……原因不明の蕁麻疹が二年治らず無職状態が続き、遂に『妹』から見切られて体調が回復しないままゴミのように蹴り捨てられた。
取り敢えず蕁麻疹
そして最近住んでいた所が行政都合での取り壊しが決まり、先月転居した疲労が祟って現在休職中。助成金が出てくれたお陰で当面の生活は問題ない、自分自身が変われるきっかけになればと思いこのセミナーに参加した。
私は辿々しいながらも『半生』を語った。こうして口に出してみてもマジしょうもない四十年やったわぁ〜、と辟易としていたところで……。
「フフン」
と小馬鹿にした笑い声が聞こえてきた。確認しなくても分かる、Aだ。確かに夢に溢れた美しい人生には程遠いと思う。はっきり言って地味だ、暗い。それでもここまで生きるのはそれなりに大変だったんだ、笑われる筋合いはない。
「誰です? 笑い声が聞こえましたが」
講師の耳のもそれが届いていたようで、受講生たちをぐるりと見回している。多少動きのあった空気がピタリと止まり、当然だが誰一人反応しない。Aは少し俯き加減でその場をやり過ごそうと息を潜めている風だった。
「どうもありがとう、ここまでよく頑張りましたね」
講師は上っ面な労いの言葉を掛け壇上に戻った。私は一礼してから着席し、その後講義そのものはスケジュール通り淡々と進んでいった。
私の『半生』は結果的に鼻で笑われた訳だが、何故か全く悔しいと思わなかった。それなりにスピリチュアルや心理学を独学ながらも勉強したのが功を奏したのか、寧ろ『勝った』と思った。
どんなにきらびやかで自分らしく伸び伸びと生きていようとも、他人の生き様を見下した時点でそいつの負けだ。私は表面上大人しそうな女を演じつつ、腹の中ではほくそ笑んでいた。
アホやであいつ、腹の中で笑うておけば済むものを。
性悪 谷内 朋 @tomoyanai
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