第六話「困ることは多かった。が、工夫が大切だった」

 秋葉は薪に火を付けるのにかなり苦労した。

 着火剤を使ったのに、自分が買ってきた広葉樹へ、なかなか火が回らなかったのだ。

 見かねた営野が、先ほどの「手抜き薪」を少し譲ってくれた。

 それをなるべく細くして、着火剤から火を移したところ、いとも簡単に火が炎に変わったのだ。

 よく燃えあがった炎は、広葉樹を燃やすのにも十分だった。

 炎がゆらゆらと揺れるが、煙と飛び散る火の粉が少しつらい。特に煙が目にしみるのは、いかんともしがたいものがある。焚き火は思ったよりも大変だと、秋葉はイメージと違うなとがっかりした。

 ただ、突っこんだ薪に炎がある程度回ると、煙は少し弱まった。

 これならばとりあえずは問題ないだろうと、焚き火の様子をしばらくうかがう。

 落ちついて見始めると、今度は逆に目が離せなくなる。パキパキという音と共に揺れる炎を観察しているだけで妙に楽しい。

 秋葉は8A達が言っていた「焚き火ははずせない」という言葉の意味がわかる気がした。確かに焚き火をしただけで、キャンプをしている感が強まってくる。


「なあ、秋葉君」


 焚き火をしばらく見ていたら、営野が声をかけてきた。

 彼はすでに湯煎したレトルトカレーを食べ終わるところだった。

 手抜き飯と言っていたが、確かに簡単だ。そうやって食事に時間をかけなかった分、彼は本来の目的である仕事に時間をかけるということなのだろう。

 しかし、今は秋葉につきあっている。


「今回のキャンプで、秋葉君が一番やりたかったことってなんだ?」


「オレが一番、やりたかったこと……っすか……」


 さっきの話の続きだろうかと、秋葉は尋ねられたことを考える。

 キャンプを体験したかったというのがすぐに出てきたが、この質問には適切ではないと思う。宮野は「キャンプで一番やりたかったこと」を尋ねてきているのだ。ならば、答えは「キャンプ」自体ではなく、自分が思い描いていたキャンプシーンを思い浮かべればいいはずだ。

 一番強く思い描いていたキャンプシーン。ならば、あれしかない。


「えーっと……」


 秋葉は、横に置いておいた簡易保冷袋に手を突っこんだ。

 ひんやりとした中から、保冷剤を避けて白トレイごとラップに包まれた物を取りだす。


「これっす」


 ある意味で、今回の主役。

 オーストラリア産の牛ステーキ肉である。

 本当は霜降りの和牛のステーキ肉にしたかったところだが、さすがに予算が辛かった。

 それでも予算ギリギリの中でうまそうな上、厚みと大きさにはこだわって選んでいる。


「これを焚き火で焼いて食べるつもりです! なんかワイルドな感じで、絶対にうまいんじゃないかって思って!」


「うん、いいじゃないか。ならば、それを満足いくように焼いて、おいしく食べるといい。そうしたら、このキャンプはその時点で大成功の確率大だ」


「え? 肉をおいしく食べたら?」


「楽しさでわかりやすいのは、満足感だと思う。そして満足感は、達成感でわりと簡単に得られる。その達成感を得るには、目ではなく目があるとわかりやすい」


「……目的と目標って違うんですか?」


「今回の目的は、『キャンプを楽しむこと』とか『キャンプを体験すること』なんだろう?」


 その通りなので、秋葉は「はい」とうなずく。


「なら、それを達成するために具体的な指標こそが目標だ。そして秋葉君の目標は『肉を焚き火で焼いておいしくいただくこと』だ。この目標を達成すれば、キャンプの楽しい思い出が確実に1つはできるんじゃないか?」


「それは、確かに!」


「よし。それじゃあ、俺も少し手を貸してやろう。ちょっと待っていろ」


 そう言ってから、彼は車の方に向かっていった。

 そして戻った時には、石炭のような色をしながら、どこか艶を感じさせる分厚い鉄板を手に持っていた。


「おお! それは肉焼きに適した鉄板ってヤツっすか!」


「秋葉君は金網で焼くつもりだったのだろうが、それだけ厚みがあると火加減も難しいからな。よかったら使ってくれ」


 秋葉は、喜々としてそれを受けとった。

 やはり重い。見た目よりもかなりずっしりとくる。

 本当は秋葉とて、キャンプ用のスキレットや、こういった鉄板を買って持ってきたかった。しかし、重さがとにかくネックだし、正直なところそこまで予算がなかったというのもある。


「ありがとうございます! これ、あれですよね。シーズニングとかするやつですよね!」


「ああ。もうけっこう使っているから、しっかりと油の膜ができている。だから、使い終わっても洗剤で洗わないでくれよ」


「わかってます! よし、焼くぞ! ……あ、でも、油は引いた方がいいですよね」


「ああ。牛脂があれば一番いいが、さすがにないからな。オリーブオイルなら、あるから貸してやるよ」


「なにからなにまですいません。ありがとうございます!」


 こういう時、オートキャンプの強みが出るのかもしれないと、秋葉は思った。

 もともと営野のメニュー的に、オリーブオイルや鉄板を使う予定はなかったのだろう。

 急に使うかもしれないためなのか、車に載せっぱなしになっていただけなのか、それはわからないが、荷物に余裕がない徒歩キャンプでは絶対にありえないことだ。


「あ。でも、鉄板に油を引くのはどうしたらいいだろう……」


 鉄板はまん丸だが、持ち手がないためにフライパンのようにクルクルと回すことはできない。

 そもそも周囲に汁を受けるためなのか溝が掘ってある程度で、淵は平らだからこぼれてしまう。


「やり方はいろいろとあるが、刷毛があるなら簡単だな。でも、そのために荷物を増やすのは得策じゃない」


「ですよね」


「スプーンでたらしながら伸ばす方法もあるが、お薦めはキッチンペーパーだな。丸めて、刷毛のようにして使って伸ばしすこともできる。ちなみに、キッチンペーパーはなんだかんだと便利だから持っておくことをお薦めする。だけど、油に関してお薦めはこれだな」


 そう言って営野がバッグから取りだしたのは、口紅を2回りほど大きくした瓶だった。頭にはスプレーヘッドが付いていて、まるで化粧水の入れ物のようである。


「それ……もしかして油ですか?」


「ああ。オリーブオイルが入っている。スプレーだと少量の油をまんべんなく鉄板に塗ることができる。キャンパーだとこうやって油を持ってきている人も多いな」


「なるほど……」


 確かに荷物を減らすこともできていいアイデアだと思う。みんないろいろと工夫しているんだなと感心してしまう。


「さて、ではさっそく……」


 秋葉は鉄板を焚き火台の五徳にのせようとした。

 だが、それをすぐ営野に止められる。


「まだ早いな。もう少し薪を入れて、熾火を作ろう。炎が上がっている状態では火加減が難しいからな」


「熾火って炭火みたいな状態のことですよね? 焚き火料理って豪快な炎で焼くんじゃないっすか?」


「強火でさっと焼くならまだしも、厚い肉に火を通すには、ずっと強火だと周りが先に焦げてしまうぞ」


 秋葉の中のイメージは、燃えあがる炎で肉を焼くイメージだった。

 しかし、よくよく考えてみたら、そんな料理法はキャンプ動画や、現実の店でも見たことはない。


「そりゃそうですね。でも、なんとなく肉なんて適当に焼けばいいから簡単だと思っていました」


「まあ、食うだけなら焼けばいいのかもしれないが、どうせならおいしく食べた方がよくないか?」


 それは当たり前だから、秋葉は「確かに!」と力強くうなずい。


「ならば、少しだけ凝ってみないか?」


「いいっすね。でも、何をすれば?」


「完全な熾火になる前に鉄板を温め始めよう。それまではまず、筋切りして叩くか」


 そこから、営野による肉の焼き方指導が始まった。


 包丁がなかったので、ナイフを使って調理する。これはなんともワイルド感があると、秋葉はちょっとワクワクしてしまう。もちろん、ナイフの刃をきれいに洗う。

 まな板はないので、営野の薪割り台にラップとキッチンペーパーを重ねることでかわりにした。これも秋葉にしてみれば、ワイルドポイントである。


 調理としては、まずは筋切りを行う。脂身と赤身の境へ縦にかるく刃をいれる。幅1センチぐらいであまり深く入れない。それをやはり1センチ間隔ぐらいで5~6箇所行う。秋葉は知らなかったが、営野に「これにより肉を焼いたときに肉が縮こまって焼き加減がばらつくことを抑えることができる」と説明を受けた。


 次に肉を叩く。これは肉の繊維を断つことで肉を柔らかくする効果と、厚みのあるステーキをうすく目に引き延ばすことで火を入れやすくする効果がある。ただし、今回はステーキとしての厚みも楽しみたい為、そこまで細かくは叩かない。

 肉叩き専用のハンマーでもあればいいが、手元にはないためナイフの背を使って肉を叩く。少々、叩きにくかったがそれでもなんとか叩くことができた。


 そして味付け。秋葉は塩と胡椒が混じった物を持ってきており、それで食べようと考えていた。

 もちろん、それでもよかったのだが、ここはもう少し色をつけてみようと、営野が小瓶を1つ取りだした。


「万能調味料と呼ばれる類のものだ」


 1つの調味料の中に、塩胡椒だけではなくハーブやらガーリックが一緒に入っているらしい。

 営野によると、世の中に万能調味料と呼ばれる商品は100種類以上あるそうだ。1つで十分なはずの万能が100もあると、「万能とは?」と疑問に思ってしまうが、それぞれ味に特徴があるという。。

 今回は「ほりにし」という万能調味料と、GABANの「アウトサイドハーブスパイス」というのを使うことになった。焼く前に「ほりにし」を両面にふりかける。そして焼きの仕上げに「アウトサイドハーブスパイス」をかける。

 営野によれば、「ほりにし」はガーリックが利いているが癖がない使いやすいスパイスだという。一方で「アウトサイドハーブスパイス」は塩分が少なめながら、非常に香り高いスパイスということらしい。


「徒歩キャンプの時は、万能調味料が1つあればいい。ただ、万能調味料も合わせて使うことで、万能の上を行く味になる」


「万能と万能で万能の上……やっぱり万能とはなにかと哲学的に考えてしまいそうっすよ」


 肉の用意はできた。

 次は火の用意の続きだ。

 本当なら、焚き火台の中で燃える薪を片方に寄せて置くといいらしい。要するに熱が強い部分と弱い部分に分けるのだ。しかしながら、秋葉の焚き火台はそれほど大きいわけではない。距離をとることは不可能だった。


 そこでまた営野がキャンプギアを車から引っぱりだしてきた。黒い長細いバッグに入っているのでなんだかはわからない。ぱっと見はポールでも入っているように見える。横には秋葉でさえよく知っているキャンプブランド「Colemanコールマン」の文字。


「これはクアッドポット。この商品は4本の柱で構成されているが、3本で構成されているのはトライポットという」


「ああ! 焚き火の上で鍋を吊したりするやつですよね!」


 そのギアの正体を知って、秋葉のテンションがまた上がる。


(なんか、やりたかったことがパワーアップしている感じだ!)


 焚き火の上で鍋や飯盒などを吊して調理するなど、まさにイメージしているワイルドさが漂っている。もちろん、秋葉としてやりたかったことではあったが、トライポットのようなものは荷物的に持ってくるのが辛かった。


「オレに組み立てさせてもらっていいですか?」


「ああ。かまわないよ」


 組み立ては簡単だった。短い鉄柱を組み合わせて4本の柱を作る。その柱を黒い金属パーツに接続すると、四角錐のような形で自立する。黒い金属パーツの真ん中には穴が開いており、そこから鎖をたらす。その鎖の先に鍋などを吊すわけだ。

 しかし、組み立てしていて秋葉はあることに気がつく。


「でも、この鉄板には吊すための穴がないですよね」


 営野が貸してくれた鉄板は、本当に丸いだけの鉄板である。唯一、1つだけ四角い穴が開いているが、そこに金属のリフターと呼ばれる金具を差しこんで、鉄板を持ちあげることができるようになっているらしい。しかし、それでは吊すことはできないだろう。


「そうだな。なら金網を使うか」


「金網? ああ、金網に鎖を付けてその上に鉄板を載せるんですね」


「正解。まあ、工夫次第でなんとかなるもんだ」


(工夫……そうか……)


 秋葉は、営野との出会いから思いだす。

 テントのポールを忘れた時、営野はいくつかの代替え案を教えてくれた。いきなり、ポールを貸すという提案ではなしに、工夫する方法を教えてくれた。それ以外にも油の引き方や、火加減の調整にクアッドポットを使う方法も、工夫の一例だと思う。

 たぶん、キャンパーにとっては「工夫」というより当たり前のことなのかもしれない。しかし、秋葉にとっては目新しいことが多く、キャンプは工夫にあふれていた。


(いつもより不便な環境でいかに工夫するか……ああ、これもキャンプの醍醐味なのかもしれない)


 もっとワイルドにサバイバル的なキャンプをすれば、この工夫は必要不可欠になるのだろう。しかし、そこまでしなくても小さな工夫がキャンプにはあふれているのだ。


(そういうのを探すのも楽しいかもしれないな……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る