第三話「楽しいキャンプが始まるかと思った。が、下手だと言われた」
「――できた!」
どのぐらいの時間が経ったのかと、スマートフォンをだして確認すると、立てなおしてから実に40分以上の時間が経っていた。
このタイムが速いのか遅いのかわからないが、とりあえず初めてでも立てられたことを喜ばしいことだ。
少し皺が寄っているところはあるが、実用性は問題ない。
(なんかテントを立てると、急に気分が上がってくるぞ!)
緑と茶色の混じりあう大地に、アースカラーの三角柱のパップテントがなんとも映える。
立てるのに苦労している間は、「来なけりゃよかったかな」とチラリと後悔したりもしたが、こうしてできあがった自分の住処を見ていると、嘘のようにキャンプに対するワクワク感が盛り上がる。
「おっ。できたのか」
トイレ帰りなのか、営野が背後から声をかけてきた。
秋葉は「おかげさまで!」と、運動部のノリで頭をさげる。
目の前の人物がいなければ、今ごろ泣きながら帰っているところだった。まさに秋葉にとっての救世主である。
「まあ、あれだ。よけいなお世話かもしれないが、新しいテントを買ったら本番前に試し張りはしておけよ」
「試し張りっすか。でも、張れる場所が近くにないんっすよねぇ」
「確かにな。特に都内とかだと難しいし。デイキャンプできる公園や河原とか探すしかないが。でもまあ、試し張りができなくとも、中身の確認は最低でもやっておくべきだろう。一度、中身を取りだして内容物が揃っているかの確認と、破損がないかの確認、設営のイメージを確認したりな」
「そうっすね。確かに準備が足りませんでした」
「よけいなお世話ついでだが、もう14時だ。テーブルとか椅子とか内装はまだなんだろう。早くしないとゆっくりする暇がなくなるぞ。暗くなるのは早いからな」
「え? そこまで慌てることも……」
「ソロキャンは初めてなんだろう? 用意は先に済ませて、時間に余裕ができたらゆっくりした方がいい。準備は大事だと学んだんだろう。できることは先にやっておけば、なにかあっても余裕ができるからな」
「な、なるほど。含蓄のある言葉、さすがっす! ありがとうございます、師匠!」
「しっ、師匠? 俺は弟子をとった覚えなんてないぞ」
「うっす。僕が勝手に言っているだけなんで気にしないでください!」
秋葉は考えていた。
自分はキャンプの経験がまったく足りない。それを補うためにも、今日はソロキャンプに来たのだ。だから、ここで経験値を稼がなくてはならない。
しかし単に来ただけでは、なかなか効率的に経験値を稼ぐことはできないだろう。ならば実践形式で学びながら、同時に手本からも技術を盗めばいい。
頼んでもいないのにいろいろと教えてくれる、この営野という男はその手本にピッタリではないか。
もちろん、あまりにかまってくるオッサンとかは、うざくて困る。ソロキャンプの気分、台なしになる。しかし、先ほどまでテントの立て方をああでもない、こうでもないと悩んでいた時に、営野はまったく口出ししてこなかった。
(まさに師匠にピッタリだ!)
こういう人と出逢えたのはラッキーである。おかげでかなり心強い。
「んじゃ、急いで内装整えることにします。そしたら、汗かいたのでシャワーでも浴びてこようかなぁ」
季節は冬とは言え、今日はまだ暖かい。はりきって動いたせいか、額に汗が浮かんでしまっている。持ってきたダウンジャケットも、しばらくは必要なさそうである。
「シャワーは2箇所あるが、あっちの方が広めだぞ」
「そうなんっすね。あざっす。……ちなみに、師匠はどうしてるんですか?」
「なにがだ?」
「シャワーとか風呂とかいかないんっすか?」
秋葉はちらりと営野のテントの方を見る。
その横には黒いSUVが駐まっている。歩いて行ける範囲に温泉などはないが、車なら行けるはずだ。
もちろん、乗せていってもらおうなどと、図々しいことは考えていない。単にこれは興味から聞いただけだった。
「今日は一泊だからな。俺は冬の1泊の時は、まず行かないんだ。多少の汗とかは、ウェットペーパーで拭いてすます」
なるほど、と思う。ウェットペーパーは、秋葉も夏は特に使う。顔や体を拭ける厚手の使い捨てタオルみたいなものだ。真夏に泊の近くに寄るときなどは、必ずそれですっきりとさせてから近づいていたものだ。
しかし今は冬だし、さらにキャンプにまでは持ってきていなかった。「キャンプ用品を持っていく」という頭はあったが、「日用品を持っていく」という思考がぽっかりと抜けていたのかもしれない。
「なるほどなぁ。僕も持ってくればよかった」
「何だ、欲しいのか。新品のたっぷりパックが1つあるが譲ろうか?」
「――えっ! いいんですか?」
秋葉はその言葉に飛びつく。
やはり師匠はいい人だ。そして秋葉としては、非常に助かる。貧乏学生のキャンパーだから、シャワー代金もケチりたかったぐらいなのだ。渡りに船を得るとはこのことだ。
「お願いできますか!」
「ああ、いいぞ。300円な」
「……え? あ、ああ。300円……ですか」
「そうだ。いらないのか?」
「あ、いえ。いただくっす」
ちなみにケチりたかったシャワー料金は、1回300円であった。
§
秋葉は、撥ねあげたフロントを屋根にして、その下に椅子とテーブルを並べてみた。
椅子もテーブルもネット通販で探した安いものだ。一応、レビューなどを参考にして買った物だが、値段と携帯性を重視して購入した。
本当は、もう少しカラーリングにこだわりたかったが、価格を考えると選択肢がどうしても狭くなる。なるべくテントに似合うカラーにしようとしたが、購入したのは青い椅子と銀色をしたアルミのテーブルだった。
それでも頑張ってそろえたキャンプギアである。テントの下に並べてみると、それはそれで誇らしい。
(いいんじゃんか、我が家よ! なるほど、なるほど。泊が言っていた「秘密基地感」ってよくわかるなぁ)
インナーテントの中には、すでに寝袋を広げてある。これも適当に安くてコンパクトになるものを選んできた。その下には、コンパクトにたためるエアーマット。
これらもネット通販でそろえた。値段と持ち運び重視のため、メーカーとかバラバラで統一性はないが、悪くはないと思う。
ここで1泊過ごすと考えるだけで、ワクワクしてしまう。
だが、醍醐味はこれからだ。
ワイルドなキャンプと言えば、焚き火である。
焚き火台は、2000円ぐらいの軽量タイプを選んだ。なんか細い骨組みに板を二枚組み合わせた程度のものだ。
もちろん、焚き火台シートも必要だというので下に敷いた。
(完璧。銀色のシンプルな物だけど……これはこれでワイルドだよな、うん……)
ここまできたら、次はいよいよ焚き火である。ワイルドなキャンプと言えば、焚き火で肉を焼く。秋葉の中では、そんなイメージが強く焼きついていた。
(じゃあ、薪を買ってくるかな。……そう言えば師匠は……)
売店で薪を買うため、秋葉は営野のテントを前を横切ろうとした。
営野は椅子にもたれかかって寝ているようだ。
だから、というわけではないが、ゆっくり歩きながら営野のサイトを観察してみる。
営野のテントも、ちょっと変わったテントじゃないかと思った。いや、秋葉自身そこまでテントに詳しいわけではないため、なにが変わっているのかはよくわからない。しかし、あまり見たことのないテントだった。
基本は四角錐のワンポールなのだが、前面が長方形に大きく開かれている。そしてその前方に2本のポールが立ち、側面まであるキャノピーを作っている。その形は、正面から見ると、フロントを撥ねあげたパップテントのようだ。
しかも、テントも椅子もテーブルまでも真っ黒。その他のギアも、黒を基調にしている物が多い。焚き火台は違ったが、ハンガーやハンマーまでもが真っ黒である。
(黒で揃えているのか? 渋いな……)
秋葉はつい足をとめて正面から中をうかがってしまう。
テントの奥の方には、やはり黒いコットが地面に設置してあった。つまり、秋葉のようにインナーテントを使っていない。シングルウォール状態ということだろう。
横には黒い金属のテーブルのような物が並び、その一部にはやはり黒いカーゴボックスが置いてあった。そしてその横には、薪ストーブらしき物が設置してある。
(ああ、やっぱインナーテントなしのがワイルドだなぁ。でも、買ったテント、インナーテントとフライが一体型だから外せないんだよなぁ。てっきり外せると思っていたのに。あ、でもインナーテントなくて寒くないのかな? ……あ、薪ストーブがあるから――)
「おい、秋葉くん」
「は、はい!」
じっーと見つめながら思考にふけっていた秋葉は、不意に声をかけられピクンッと身を震わす。
いつの間にか、営野が目を覚ましていたらしい。
「人のテントの中をジロジロと見るのは、マナー的によろしくないのではないか?」
「あっ、すいません! つい……」
それはそうである。ドアが開いているからって、他人の家の中をじーっと観察していたら、それは完全に不審者である。自分だってやられたら気分が悪い。
「御免なさい。ちょっと、どうなっているのか気になって……」
「言ってくれたら、べつに見るぐらいはかまわないんだから、声ぐらいかけてくれよ」
「はい。ホント、すいませんでした。じゃあ、僕は薪を買いに行くので失礼して……」
思わず秋葉は気まずさから、その場をそそくさと去ろうとした。
しかし、営野に声をかけられる。
「ああ。薪か。それはいいけど、グローブはないのか?」
「グローブ? ああ、綿の軍手なら持ってきてますが……」
「革グローブはないのか?」
「ないっす」
「そうか。なら、棘には気をつけろよ。綿の軍手だとわりと刺さるからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
秋葉はお辞儀をすると、今度こそ足早にそこから立ち去った。そして、そのまま小走りに売店まで行き、薪を購入した。
(えっ! 重っ!)
だが、持ちあげたときに思ったより重いことに驚いた。
今まで家族でキャンプをしたことはあったが、薪を使ったことなどなかった。バーベキューなどをやったときには、炭を使っていた。そのため、薪の束を持ったことなど一度もなかったのだ。
また、確かに棘が刺さりそうで怖い。綿の軍手だと縫い目の間から、下手すると棘が侵入してくる。
秋葉は一束だけ、怖々と抱えながら持ち帰った。一束で足りるのかわからなかったが、どっちにしろ予算はあまりないのだ。一束で足りるようにするしかない。
(よし。戻ったら薪割りかな。薪割りがうまくできれば、泊にも自慢できるかもしれないしな!)
泊が薪割りをしたことがあるのかわからないが、やはりかっこよく薪割りできた方が印象はいいだろう。それどころか一緒にキャンプに行ったとき、いい音を響かせながら薪割りする姿を見せれば、泊も「ハイト、すごい♥」と惚れてくれるかもしれない。
(いろいろと予算がアレだったけど、斧だけはカッコイイの買ったしね! 体を使うことなら自信があるんだ!)
秋葉は妄想に頬を歪ませながら、意気揚々と自分のサイト近くまで戻ってきた。ここからは楽しい時間しかないと信じて。
ところが自分のテントの方を見ると、知らない男が立ち止まっていることに気がついた。しかもその視線は、秋葉のテントを完全に捉えている。
(なんだ? もしかして泥棒か?)
などと思いながら、怪訝な視線を向けていると、その男もこちらに気がついた。
秋葉は思わず警戒して厳しい顔を見せる。
ところが、相手は気まずそうな顔をするどころか、明るい笑顔で話しかけてきたのだ。
「あ、これは君のテントかい? ポモリーとか珍しいテントを持ってるね」
「えっ? あ、はい……」
予想外の言葉をかけられ、秋葉はとまどいながらも返事をした。
なるほど。もしかしたら、これはキャンパー同士のコミュニケーションなのかもしれないと、咄嗟に思いながら、テントに近づき薪を焚き火台の横に転がした。
そしてすぐに顔をあげ、謎の男の方を見る。
「あのぉ~、なにか……」
「ああ。ダメだよ、ダメダメ。薪を地面に直に置いちゃ」
「えっ?」
知らない男からのいきなりのダメだしで、秋葉は面食らう。
男は見たところ、二十歳前後に見えた。短く刈りそろえた髪型に、丸めの輪郭。細目の目で口は大きめだが、二枚目だとか不細工だとか偏ったところがない。愛想の良さそうな顔をしていた。
ただ、服装は特徴的だ。カーキーのポケットがたくさん付いたズボンに、上は同じくカーキーのトレーナーを着ていた。靴は足首まで紐で縛る革靴で登山靴かなにかのようである。
とにかくどういう男なのかはわからないが、大学生ぐらいに見えるので年上なのはまちがいなさそうだった。だから、少しだけ口調には気をつける。
「なにがダメなんっすか?」
「何がダメって、薪を直に地面に置いちゃいけないって知らないの?」
「え? 地面にって……」
「薪は、地面に置いたら湿気吸っちゃうんだ。だから、ちゃんと薪置きとかに……」
そう言うと男は、不躾に秋葉のサイト内を見まわした。
かと思うと、わざとらしく何度もうなずいて「なるほどねぇ」と声をもらす。
「もしかして、きみは初心者さんかな?」
「えっ、ええ、まあ……はい」
「ああ、やっぱりねぇ。中を見てわかったよ。だから、キャンプが下手なのか」
「え? キャンプが下手……って?」
男の言葉に、秋葉はなにかもやっとした感情を抱くのだった。
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