第二話「絶望した。が、希望の声をかけられた」

「ポォォォー――ルゥゥゥ!!」


 崩れるように両膝を地に着いた秋葉は、思わずよく解らない雄叫びを上げてしまう。

 そして我に返り、周囲をキョロキョロと見まわす。

 幸いにして人が少ない場所を選んだおかげか、ほとんど秋葉を見る者はいなかった。

 唯一、背後の少し離れたところにテントを張っていた、1人の男性キャンパーと目が合ってしまう。

 椅子に座りながら焚き火をいじっていたその男に、怪訝な目を向けられてしまい、秋葉は思わずペコリと頭を下げる。


 変な風に思われただろう。

 しかし、今はそんな些細なことを気にしている場合ではない。

 目の前の事実を確認しなければならない。


(まさかこれ……)


 慌ててスマートフォンをとりだして、テントの注文履歴を開いて愕然とする。


(ええっと……そうだ。これポールが別売だから、ポールを追加して注文しなきゃと思って……あああぁ……ポールなしを注文しているじゃん、僕……)


 いや、違う。ポールはあとから別に買えばいいと考えた気がする。でも、それを迷っているうちに、なぜかポール有りを注文していた気がしていたのだ。


(ど、どうすんだよ、これ……)


 とうとう上半身の力も抜けて、両手をついて四つん這いになってしまう。首をうなだれさせ、腹の下の地面を見つめた瞳からは、思わず涙がでそうな気分になる。


(ポールを今から買いに……ってのは無理だよな。バイクや車ないし。ってことは、僕はこのまま帰るしかないのか……。交通費をかけて、時間をかけて、キャンプ代金払って……キャンプ場でテントを広げただけで帰るのか? うそだろ、おい……。ならどこかでポールを探して……売店で売っていたりしないかな。やっぱりどこかで買いに行ってくるべきか……。あ、通販で即日発送に……まにあわないか……)


 思考が混乱し、顔面から血の気がひいていくのが自分でもわかる。同時に、自分の愚かさに思わず自嘲してしまう。


「あ、あはは……マジか……。初めてのキャンプなのに、このまま帰るしかないのか……」


 思わず漏れる独り言にも気がつかない。

 ましてや、すぐ後ろに人が立っていることさえも気がつけないでいた。


「よう、こんにちは。もしかして、ポールを忘れたのかい?」


「――うおっ!?」


 不意を突かれた秋葉は、ふりむきながらも尻もちをつき、目をパチクリとしてしまう。

 目の前にいたのは、体つきのよい男性だった。いや、もしかしたらそこまで体つきがよいわけではないかも知れない。モコモコとしたダウンジャケットのせいで、体型はよくわからない。

 厳ついとまでは言わないが、少し角張った顔の外観。しかし、その目には優しさを感じさせる。


「あ、すまん。驚かせたか」


「ワッ……ワープした!? さっきまであそこに……」


「超能力者かよ、俺……」


 その男は、秋葉がよくわからない叫びを上げてしまった時、目が合ったキャンパーだった。

 さっきまで少し離れた所で、椅子に座っていたはずなのにいつの間に背後に来たのだろうか。


「普通に歩いて近寄っただけだぞ。きみはまったく気がついていなかったみたいだが」


「そ、そうなんですか……」


 確かに周りのことなど、まったく意識していなかったかも知れない。できなかったかも知れない。


「それで、ポールを忘れたんじゃないのかい?」


「え? あ、そうですが……」


「これはあれか。ポモリーのストーブハットか。初めて現物を見たが……。きみはよくキャンプをするのかな?」


「家族とは何度か。でも、実はソロキャンプは初めてです……」


「そうか。それなら、ちょっとわかりにくいテントを選んでしまったな」


「わかりにくい? そんなに複雑な構造では……」


「構造的な話ではなく、サービスとしての話だな。確か説明書も添付されていないし、ポールも別売オプションなんだろう? 慣れた者にはリーズナブルでよいテントだと思うが、初心者に優しいという感じではない」


「ま、まあ、それは……」


「それに見たところ、薪ストーブを用意しているわけでもないのだろう。今後、買う予定も考えているのかい?」


「い、いえ、別に。なんとなくユニークな形をしているからと思って気にいったので……」


「そうか。まあ、薪ストーブ設置のスペースは、荷物置きにも便利そうだからいいんだけどな」


 目の前に現れた見知らぬ男につきあっている暇などないはずなのだが、秋葉はとまどいながらも受け答えをしていた。

 そのことに、はたと気がつく。


「あ、あの。それでなにか――」


「――このテントだが、ポールがなくても立てる方法はある」


「えっ!? マジですか!」


 秋葉は、跳ねるように立ちあがって期待に満ちて相手を見る。


「ワンポールでもそうだけど、要するにつっぱり上げる棒があればいいんだ。ストックがあればストックでもいいし、そこらの森でほどよい木の枝を拾ってきて、切りそろえて使ってもいい」


「木の枝……そうか、なるほど!」


「あと、ポールで突っぱるテントの天井部分にハトメがついているだろう?」


「ハトメってなんっすか?」


「えーっと……こういうやつだ」


 彼はしゃがんでテントの先端を持ちあげた。そこには短いベルトがあり、その先端に金属の輪っかが付いている。


「その金属の輪っかがハトメだな。一般的なハトメは、『アイレット』、強風に堪えられるようなのは、『グロメット』というらしいが」


「はあ。って、これ紐を通したり、ペグを打ちこんだりするためのですよね」


「そうだ。これは天井の頂点の2箇所にも付いていて、両方を横から引っぱって吊り下げることでポールなしでテントとして使うこともできる」


「吊り下げる?」


「木と木の間とかに吊り下げるわけだ。まあ、この辺りには木がないから、やるならあっちの木々が並んでいるサイトになるけどな」


「おおっ! なるほどっす! それならポールなしでも――」


「ただし、問題はある」


 秋葉の希望に男の声が割りこむ。


「まず、木に結んでいいのか、キャンプ場の管理人に確認をとらなくてはならない。たとえOKだとしても、木がロープで傷つかないように養生する必要性があることがほとんどだ。それに吊すためのガイロープが必要になる」


「うぐっ……。ガイロープってテントについているロープっすか?」


「ああ。張り縄のことだな。それなりの重さがあるテントを吊すんだから丈夫じゃないとな」


「そうっすね。じゃあ、木の枝を探してきた方が……」


「まあ、それも森に入っていいのか、ちゃんとキャンプ場に許可をもらわないとな。あともちろんピッタリな木の枝なんてないから、斧やノコギリでサイズ調整をしないといけない」


「ナイフなら持ってきているんですが……」


「ナイフでもできるぞ。ちょっと大変な場合もあるが」


「そうっすか。でもまあ、僕に選択肢はないし……」


「帰りは明日か?」


「あ、はい。一泊だけっす」


「なら、俺と同じだな。予備のポールを持っているから貸してやろう。帰るときに返してくれればいい」


「えっ? まじっすか!? 2本も予備ポールがあるんっすか?」


「というか、このタイプのパップテントはフロント撥ねあげてキャノピーにするのが醍醐味だろう。撥ねあげ用のポールも2本いるんじゃないか?」


「……あ……」


「大丈夫だ。ポールはタープのアレンジ用に多めに持ってきている。ガイロープもないなら貸してやるよ」


「あ、ありがとうございます! でも、そんなにいろいろ道具を貸してくれるなんて……まるでドラ○もんっすね!」


「…………」


 突然、男は目をパチクリした。そして、ちょっと吹きだすように笑って見せる。

 「ドラ○もん」ネタがそんなに面白かったのかと思うが、そんなことはないだろう。

 秋葉は首を傾げる。


「ど、どうかしたっすか?」


「いや、すまん。なんか似たような会話をしたことを思いだしてね。それから、ここはかなり地面の勾配がある。できたら、避けた方がいい」


 そういいながら、男は地面を指さした。

 つられて、秋葉も下を見る。確かに、少し坂になっていることはわかっていた。


「でも、大した坂では……」


「慣れているなら大丈夫だと思うけどな。慣れていないと、ほんの少しの勾配でも困ることになるぞ。テーブルもまっすぐ立たないし、テントをピンと立てるのも調整が難しい。それにこの方向にテントを立てるつもりだったなら、わずかな勾配でも寝ている内に体が横に転がるぞ。勾配があるところに立てるなら、高い方に頭を向けないと」


「そうなんっすか。勉強になります。じゃあ、どこに……」


「俺の設営している横の方が少し空間がある。あそこならわりと平らだ」


 そう言いながら、男が自分のテントの横の方を指さした。確かにポツンと空間が空いている。


「あそこに移動したらどうだ?」


「あ、そうっすね。そうします。……ああ、遅れました。僕、【秋葉 杯斗】って言います」


「秋葉くんか。俺は営野だ。よろしくな」


「あ、はい。よろしくお願いします!」


 これが秋葉と、営野の出会いであった。

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